幕間:スノードロップの彼岸

 たまに、彼が戻ってきたのは嘘じゃないかと思うときがある。

 彼は私の想像に過ぎないのだから、消えた彼が戻ってきたことすら、私の想像で。

 それならば、本当は、彼なんかどこにも戻ってきてなくて。

 私が都合よく、彼の言葉を想像して、それっぽく振舞ってるだけだと、考える。

 傍から見たら、心底滑稽な話だろう。そりゃそうだ。

「初めから嘘だらけの物が、いなくなるも戻るもありはしない」

 そう笑われるのも間違いないと思う。

 けれど、私はどうしても不安になる。

 タイガなんて、どこにもいなくて。

 あの日見た、水の中に見た、彼の姿に別れを告げてから。

 もう二度と彼なんて帰らないんじゃないか、と。


「どうした?空」

 私にささやく声は、いつもと変わりない。

 だからこそ、あの日見た幻影に、その姿が、被る。

 水の中に見た草原。スノードロップの花畑。黒々と流れる、大きな川。

 そこで笑って、涙を流しながら、こちらに手を伸ばした、君。

「こっちに来てくれよ」

 ああ、ああ。

 君の存在を、一秒だって、一瞬だって、一刹那だって肯定してくれないこの世界。

 誰にも彼にも嘘に見える、私だけの本当。

 どうかお願いだ。お願いだ。嘘だなんて言わないで。

 私を心の底から思いやって、笑って、気遣って。

 愛してくれる、その姿を、その声を、その存在を。

 すべて嘘だと証明し続けるこの世界。

「空、なあ空」

 呼び続ける声が聞こえる。あの日の幻影の声なのか、今いる彼の物なのか。

 わからない。わからない。わからない。わからないんだ。

 わかっているはずなのに。彼なんて嘘だと、冷徹に見つめる頭がここにあるからわからないんだ。

 だって、嘘は嘘で。それはすべて等しく嘘で。

 あの時確かに、私は愛してもらったはずなのに。

 それでも、それが嘘だと、わかってしまっている自分がいて。

 お願いだ。お願いだ。どうぞ、どこにも行かないで。

 私に君を、嘘だなんて言わせないで。


 その存在が信じられなくて。

 その肯定が信じられなくて。

 いつか私も、世界の中に埋もれてしまうのか。

 そしてやがて、想像を嘘だと叫ぶことになるのか。

 私も大人になってしまうのか。

 ああ、そんなことになるならいっそ。

「助けてよ、タイガ……!」

 私をあの日のスノードロップの彼岸へと、連れ去ってくれたなら。

 もう二度と、君の存在を、すべてを、疑わずに済むだろうか__?


 あれからもう、4年が経つ。

 私の心は、未だにスノードロップの此岸に、囚われたままだ。

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