短編10:死神とチョコレート
「ねー聞いた?」
「カンニング女の話?」
「そーそー。あいつ死んだらしいよ」
「は?マジで?なんで?」
「カンニングしたからじゃ?笑」
「えーないわ―」
「しかも死神が―とか言ってたらしいよ笑笑」
「は?意味わかんねー笑
やっぱあいつガイジだったんじゃねーの笑笑」
わたしの隣には、いつもあなたがいる。
大人たちに話すとドブの中を覗いたような顔をするから、二人だけの秘密だよ。死神さん。
くすくすと鳴く虫の声が響く学校への道も、蔦が伸びてきてこけそうになる廊下でも。
古ぼけた教室の席に着いたって、腕だけぼろぼろの骨だけになった男の子は、いつだって傍で浮いている。
「更科さん」
先生に呼ばれて、立ち上がって。はいなんですか、と先生の前まで行った時も。
やけに沈鬱な顔の先生が、わたしを悲しそうに見た時も。
「あなた、カンニングしたでしょう」
そんな言葉のハンマーで、わたしの心を叩き潰した時も。
死神さん。あなたは__ひどく優しく、わたしの体を、骨だけの両腕で抱きしめて。
その半透明の腕を、私の胸の中に差し入れて。
胸の骨を、内側からがりがりがりと。ひどく、切なくかきむしるんだ。
カンニング犯として扱われ始めたわたしに、大人たちは冷たかった。
「まさかあなたがするなんて」
そういいながら、みんなしてわたしをかばってはくれなかった。
ねえ、どうして?あなたたちには見えない死神さんと話しているわたしは、そんなに気持ち悪かった?
「更科さん、卑怯なことはしてはだめよ」
先生が言う。わたしの両肩をひしとつかんで、わたしの目を見つめながら。
ああ、やめて、やめて。ほら、死神さんがやきもちをやいて、ぎりぎり歯を鳴らしているのが聞こえない?
それに__心底真面目そうな顔してるくせに、あなただって卑怯じゃないか。
左手の指輪を外した後で、わたしのお父さんと話してるの、見ちゃったんだから。
心の底から愛してくれる人がいなくて悲しいの?可哀そうな人。
わたしは隣を見て、ほほ笑んだ。
だってそこには、わたしの大好きな、わたしを大好きな、死神さんが笑って浮いていたからだ。
どこからどうなって下校時間になったのか、どうやってここまで歩いてきたのか、全然覚えてない。
ただあれよあれよと職員室に連れていかれて、いろんな先生たち、いろんな大人たちが怒鳴っていて。
わたしに向けて怒鳴るから、わたしは泣きながら謝って。カンニングなんてしてないはずなのに謝って。
そんなわたしの体を、わたしは死神さんと並んで、つまらなく眺めていたのだった。
ほかの大人のいる部屋に放り込まれて、優しそうな女の人がお話をしてくれたけど、よくわからなかった。
「いじめ」とか「心が疲れてる」とか聞こえたけどよくわからなくて、なんでかよく聞こえなくて。
つまらなかったから死神さんと話していたら、すごく悲しそうな顔をされた。
おかしいと思うの。死神さんなんかいないんだって、みんなしてわたしの友達をいじめるくせに。
わたしがちょっと無視しただけで、すぐみんなそんな顔をするんだから。
「ねえそう思わない?死神さん」
歩道橋の上。わたしが尋ねると、死神さんはこくこくとうなずく。
どうしてか死神さんは喋らない。喋らないというか、声が聞こえない。
いつも口をパクパク動かしては、何か言いたそうにしてるのに。
けれどきっと、まだわたしが死ねないからだと思う。
あの世に近くないから、死神さんのいるべき場所に近くないから、聞こえないんだと思う。
「ひどいよねえ、みんなして。わたし、カンニングなんてしてないよね?」
また、首をぶんぶん振ってうなずく死神さん。わたしの頭を、白く痩せた硬い手で撫でる。
わたしはそれを、にこにこ笑って受ける。近くを通り過ぎた女の人が、ひどく怯えた顔で速足になっていた。
逃げる人の背中をを見送った死神さんが、とんとん、とわたしの肩を叩いた。
「ん?なあに」
わたしがそちらを見ると、死神さんはふわふわ浮いて、歩道橋の外に出る。
「あー。危ないよ」
思わずくすくす笑って、フェンスに寄りかかる。下を流れる車たちは、ライトをつけて走るから流れ星によく似ていた。
ぱくぱくぱく。死神さんが口を動かして、何か言おうとしている。
「どうしたの?」
首を傾げれば、死神さんはじれったそうに、下を指さした。
ざらざらざら。風がわたしの髪を揺らす音が、ひどくうるさく響いていた。
「__ようか」
がーっ、ぐーん。車の音に合わせて、何か聞こえたような。
「死神さん?」
思わず身を乗り出せば、声が、死神さんの声が、初めて聞こえた。
「逃げようか。こんな狭い世界から」
__ああ、ようやくだ。
わたしは笑った。
「うん、死神さん」
ようやく、連れ去ってくれるらしい。
小さいころからずっとそばにいたあなた。いつも優しくわたしを撫でて、抱きしめて、かきむしるあなた。
わたしは知ってるの。歩道橋の下、道路の上までふわふわと下りて行ったあなたは、わたしのことが好きだって。
わたしは身を乗り出した。背負ったカバンを放り捨てて、結んだ髪をほどいて。
わたしは知ってるの。流れる車たちが半透明の体を通り過ぎても、わたしから眼を放さないあなたは、ずっとわたしを連れ去りたかったんだって。
「ようやく、助けてくれるんだ」
この息苦しい世界から。あなたが見えるわたしを嫌う世界から。
だって、だって、仕方ないじゃないか。
いくらあなたの両腕が骨でも、あなたがあんまりかっこよくなくても、あなたが半透明でも。
本当は__本当は、あなたなんて、この世界のどこにもいなくても。
あなただけが、今こうやって、わたしを抱きしめようと、手を伸ばしてくれるんだから。
ぐるん。鉄棒で前転をするような気軽さで、わたしの世界は反転した。
「愛しています、死神さん」
何度だってキスを、してくれませんか。
初めてのキスは__いないはずのあなたとのキスは。
不思議と、甘くて苦くて鉄臭い、チョコレートの味がした。
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