傍観者達の戸惑い


 ──Side レゼルクォーツ



「おやおや……。あくまでこれは疑似影響だというのに、随分と過保護ですねぇ。グラン・ファレアスの新芽殿」


 宰相殿がリシュナを連れて去った直後、俺の背後に愉快な傍観者気取りの男が音もなく姿を現した。

 亀裂の入ったふざけた仮面……。

 全てを嘲笑い、己の愉悦とするかのような口元の笑み。

 その胸元には、地上の宿屋で別れる時にはなかった、淀んだ光を宿すクリスタルの首飾りがぶら下がっている。

 こちらに対する敵意はなさそうだが、その仮面の奥にある意識が向かう先は唯ひとつ。

 禁呪の力を無理矢理に刻まれた、哀れな天上の生命(大樹)。

 眷属や黒フードの集団が激しい攻防を繰り広げているその最中で、仮面の男の興味はその唯一つだけに向かっている。


「たとえ神が世界の全てを統べる存在であろうと、予想外の事態には少々お困りの事でしょうねぇ」


「神様なら、これくらいの事態はすぐに収拾するだろう。だが、俺達は見なきゃいけないんだろう? 俺達をこの世界に導いた『何か』が、それを望んでるみたいだからな……」


「何か、……ですか。どういう人選かはわかりませんが、私は嫌いですよ。自分の意思を無視されるかのような、勝手な干渉は……、ね」


 争いの場から離れた木陰で状況を見守りながら、同意だなと俺も頷く。

 俺達が消えてからのあの戦場はどうなったのか、この世界で何を見て、俺達に何をしろというのか……。

 まるで、目的の為に人の手で進められる、ゲームの駒だ。

 

「これが……」


「ん?」


「確かに……、見ておく価値はあるのでしょうね。まぁ、……『今』となっては、誰かの嫌味にしか思えませんが」


「お前……」


 化け物の如き禍々しさを放つ大樹に向かって呟かれた、仮面の男の小さな呟きは、すぐに皮肉な笑みへと変わる。

 ……いや、その笑みすら仮面の一部であり、仮面の男が本当に露わにしたい感情は、──恐らく、憎悪の情。

 それが何に向けられてなのか、勿論俺にわかるわけもないが……。

 根深い何かを感じる程度には、 少し、気にはなった。


「まぁ、あくまで私達は観客。見られるところまで……、鑑賞させていただきますかね」


「…………」


 確実に身動きを封じられていく黒フードの集団だが、そいつらを捕まえても事態の収拾にはまだ辿り着かないだろう。

 この森に点在している禁呪の発動場所の全てを掌握し、禁呪の解呪と浄化を行わない事には……。


「捕縛した者達を牢獄に連れて行け!!」


「「「はっ!!」」」


 グラン・ファレアスの始祖が声を張り上げて指揮を執っているが、アイツも含め、この場にいる生命のどれもがどんどん顔色を悪くし、徐々に力を失っていく事から逃れられない。

 夫に手酷く払いのけられ、近場の木陰に身を隠していたロシュ・ディアナの始祖も……、禁呪の影響に晒されている。

 逃げろと怒鳴られたというのに、悲しみの涙に溢れるその双眸は夫だけを見つめ、その身を案じているようだ。

 リシュナを苦しめ、あの幼い心に消えることのない、深い、深い、抉りつけるかのような傷を残した……、何度殺しても飽きたりないだろう存在。

 遥か遠い時の果てにそうなる女を気遣う事などない。

 ……だが、俺の足は何故か無意識にその涙の許へと向いた。


「うっ、……ぅうっ。グランっ、……グランっ」


 震えるその肩口に手を掛けようとした俺だったが、ロシュ・ディアナの始祖は弱々しく涙に濡れながらも、木の幹にしがみつきながら立ち上がる。

 ただの泣いて守られるしか能のない女……、の顔ではなく、その瞳に抱く光は徐々に確かな意志を煌めかせ、歩みを進めていく。


「駄目……っ、駄目、……グランっ」


 ロシュ・ディアナの始祖の身体が、俺をすり抜ける。

 恐らく、俺の事も見えていないのだろう。

 それがいつからだったのか……。

 もしかしたら、グラン・ファレアスの始祖もまた、俺と目が合ったように感じられた事も、気のせいだったのかもしれない。


「彼女は誰よりも夫を愛していた……。誰も代わりになどならぬほど……、深く、深く……」


 仮面の男は哀れな存在でも見るかのように、夫の許へと歩みを進めるロシュ・ディアナの始祖に、意識傾ける。

 ──その時、清らかなる眩き光が森全体へと降り注ぎ、あぁ、御柱が森に渦巻く邪悪を浄化し始めたのだなと悟ったが……。

 ──暫くして、予想外の事態に冷や汗を覚え始めた。


「……おい、これ、……拮抗してないか? 嘘だろ……」


「たかが地上の民風情が行った禁呪の術式に神が推し負ける事などない……、ですか?」


「だって、御柱様……、だろう?」


 一瞬で済むかと思った、御柱の浄化と、それに抗う禍を抱く力の波動。

 だが、俺達の目には禁呪の力が恐ろしいほどの勢いで増大しているように見える。いや、実際に御柱の力を喰らおうと牙を剥いているんじゃないのか、これは──。


「御柱は確かに神ですよ。この世界を創造し、数多の命の父であり母。その力に敵う者など存在しはしない……。それが当然のことだと……、ククッ、思い込むのは良くありませんよねぇ」


 俺と同じように、あり得ないと恐怖を抱いた瞳で大樹を見上げる眷属達。

 御柱は世界で絶対の存在であり、その存在が在るからこそ……。


「どうなっている!! 何故、御柱様の御力を拒むっ!!」


「グラン・ファレアス様!! 周りの植物がっ、うわっ、うわぁああああっ!!」


「助けっ、ぅあああああああああっ!!」


 禁呪の力が森の隅々にまで影響してしまったのか、周囲の植物がおぞましい変貌を遂げ、眷属達どころか、黒フードの奴らにまで襲いかってくる!

 大半の者が腐食でも受けているかのような植物の太い蔓に捕まり、宙へと抱えあげられていく。


「なんなんだ……っ、一体!!」


「おやおや。生命エネルギーと神力を貪り食われているようですねぇ。私達は平気ですが、彼らにとっては初めて感じる死の香り、と。ククッ」


 誰彼おかまいなしに何てことをしやがる……!!

 仮面の男の言う通り、力を奪われ地に叩きつけられていく眷属達。

 その顔色は真っ蒼に染まっており、誰一人として、起き上がって来る者がいない。

 グラン・ファレアスの始祖や一部の力ある眷属達は剣を手に応戦して何とか防衛しているが……、手勢が確実に減っている今、限界は近い。

 御柱の方は森全体が魔境と化したその力との勝負でこちらに割く余力はない……か。


「そういえば、ロシュ・ディアナの始祖の方は」


「彼女なら大丈夫ですよ。自身を守る結界で魔の手を阻んでいるようです。……まったく、そんなにあの夫が恋しいのでしょうかね」


「……面白くなさそうだな、お前」


「当たり前でしょう。男女のどろどろを期待する身としては、純粋無垢な一途なぞ、酒の肴にもなりはしませんよ! クククッ、いっそ夫を見捨てて逃げればいいものをっ!! ククククッ、想い合う夫婦のドロドロ後日談なんて最高だと思いませんか? ククククッ!」


「暫く俺に声かけんな。ってか喋るな、クソ変人野郎」


 もういい。

 いちいちいらんことを突っ込んでくる変人野郎は今から完全無視だ。

 ……しかし、結界を張ってるって言ってもなぁ。

 

「グラン……っ、グランっ」


 あの嫁さん、一番攻撃の手がってか、禁呪の根本にいる旦那の所に向かってるようだが、逆に足手まといになるのがオチだろう。

 けど、なんだろうな……。

 ただ、旦那の存在を求めているというよりは……。


「そこに居ては駄目……!! グランッ!!」


 神の力に抗う禍を抱く淀んだ光が激しく明滅し、グラン・ファレアスの始祖達の足元に沢山の亀裂が走り、地面が大きく盛り上がる。

 

「うわっ!!」


「グラン・ファレアス様!! 地面がっ!!」


 そのまま空中へと押し上げられ、他の奴らと同じ末路を辿るのかと思ったが、事態は予想外の方へ動いた。

 他の眷属達とは違い、グラン・ファレアスの始祖達は一度大きく宙に放られはしたが、直後、大樹の根元に大規模の真っ暗な穴が開いた!

 まるで全てをのみ込む大型の魔物……。、

 穴から数多の触手じみた存在(もの)が飛び出し、始祖達を確実に引き摺り込むためにその四肢を捕えにかかった!


「グラン!!」


「うあぁっ!! くそっ!! 逃げろ、逃げろっ!! ディーナぁああっ!!」


 神の眷属達が確実な死を予感しながら真っ暗闇の穴の奥へとのみ込まれていく。最期の声さえ許されず、黒に……、染まって……。


「どうなってるんだ……っ!!」


 唯一、最後まで眷属の長たる存在の力によって抗っていたグラン・ファレアスの始祖だったが、ついにその力も尽きた。


「いやっ、いやぁあああああっ!! グラァアアアアアアアン!!」


 ただの餌と化すその瞬間、ロシュ・ディアナの始祖が全身から目を覆うほどの白銀の光を放出し、その叫びがっ闇の中に消えていくのがわかった。

 夫である男を助ける為に、無我夢中でそこへ向かって飛び込んで行ったのだろう。


「愚かだ……」


 片腕で目を覆っていた俺は、光の向こうに小さな声を拾った。

 その言葉ほど酷くはなく、……どちらかといえば、哀れむような、自身も悲しみのような感情を、……押し隠しているような、音。

 誰の声なのかわからずに時を待ち、腕を下ろした時には最悪の結末が待っていた。

 目の前に見えていたはずの大穴が消え去り、……ただの地面に戻っている。

 だが、大樹から発せられている禍々しい力はさらに増大の一途を増し、御柱の力を今度こそ喰らおうと最後の牙を剥き始めた。

 闇夜の星々がその光景に恐れを成して逃げ隠れ、俺達の瞳に刻まれるのは……、歴史に刻まれるだろう、光と闇の激しい激突の光景だ。

 リシュナは大丈夫だろうか……。

 あれ以上はリシュナの精神的に良くないと判断して宰相殿に預けたが……、この光景を、二人も恐らく見ているだろう。

 自分が傍にいない事で不安にさせ、同時に心配させてもいる。

 

「リシュナ……」


 歴史がその通りであるならば、この戦いで勝つのは御柱だ。

 そして、始祖の二人も生き残り……、やがて、生きる道を分かつ。

 もうわかっているのだから、最初からわかりきっているのだから……。

 この場を一刻も早く去りたいという衝動は強かったが、それでも……、俺の足はリシュナの許に行こうとしない。


「最後まで見ていけってか……」


「いっそ文面にでもして提出していただいたほうが、事の顛末を把握しやすいですよねぇ。……クククッ、本当に、……悪趣味な道化もいたものだ」


 だからお前は永遠に黙ってろ。

 仮面の男が口にした案に同意しないでもなかったが、誰の視点でもない、ありのままを知る必要があるという事なんだろう。

 確かに……、人の都合を考えない、悪趣味な道化の誘いだな。

 やがて押し負けていた御柱の力が本領発揮とばかりにその光を増していくと、今度は塞がったはずの地面からも白銀の光が壁を突き破るかのように俺達の前に表れた。

 再び開いた、いや、突き破られてその姿を晒された大穴から、飛び出してきた……、二つの影。


「はぁ、はぁ……っ、くっ、……出られ、たっ!」


「「…………」」


 傷だらけの大の男を華奢な肉体の背負った状態で、息を切らしながら地面に崩れ落ちていくロシュ・ディアナの始祖。

 お互いに満身創痍といった風体だが……、まさか大の男をその華奢な身体に背負ってきたっていうのか?

 

「はぁ、……うぅっ、……はぁ、はぁ、……良かった、グラ、ン」


「ごほっ、……ごほっ、ごほっ! ……はぁ、はぁ、……ディー、ナっ」


「もう、大丈夫、よ……。御柱様、が、……きっ、と」


 お互いに満身創痍の状態で血に塗れながら倒れた二人。

 するとそこへ、遠くから駆けつけてくる一団が見えた。


「兄さーん!! 義姉さーん!!」


 眷属達を引き連れて来た先頭のその男が、グラン・ファレアスの始祖を兄と呼びながらロシュ・ディアナの始祖から引き剥がし、地面へと横たえる。

 そして、意識を失ってしまったらしきロシュ・。ディアナの始祖をその隣に寝かせ、自分を含めた眷属達と共に治癒の術を施し始める。

 グラン・ファレアスの始祖には弟がいたのか……。

、髪色もだが、確かに兄貴と顔立ちが似ているが……、こっちの方がどちらかといえば、温和な印象を与えそうだな。

 

「グラン、を……」


「ディーナを、……先、に」


「二人とも助けますよ!! ……地上の民が創り出したもの相手に、まさか、こんな……っ」


 御柱と、眷属達にとっては、あまりに予想外の事態だろう。

 俺だって、神様って奴は万能で、凄い力を……、いや、違うか。

 ……どんなに願おうと、叶わぬ願いがあるように、神もまた、完全な何かではあれない。


「…………」


 うっすらと、心がいつかの時に堕ちていく。

 思い出したくない記憶。だが、忘れてはならない……、罪。

 あいつの……、……──。


「新芽殿。見ておかなくていいんですか? ようやく、御柱様とやらが禁呪を収束させるみたいですが」


「──っ!! ……やっと、か。はぁ~、御柱ってのも、案外大変なんだなぁ~。あんなのひとつに、時間がかかりすぎっつーか」


「いえ。私が思うに、あれは地上の民だけでは構築しえない代物……。大方、どこぞの異界の神々が戯れに干渉したのではないでしょうかねぇ」


「異界の、神々……」


 世界の外には、数多の世界が在るという。

 それと同じように、数多の神々が存在し、それぞれに異なった力や特性を持つ。……勿論、多種多様な、物事の善悪すら凌駕する、性質(たち)の悪い神々も。

 推測でしかないが、今回の件が神々の誰かの画策によるものだとすると……、御柱にとっては災難な話だ。

 御柱の光が膨れ上がり、禁呪の術師気が発する光を収束させるまでには、それから暫くの時が必要だったが、やがて事は終わりを迎えた。

 負傷者を運んでいく者や、事後処理に追われる者。

 災厄が去った事による安堵感を覚えようとも、天上にいる者達の緊張が全て溶けたわけじゃない。

 まだ心に後味の悪い恐怖を抱く者もいれば、この騒動を起こした地上の民への怒りを口にしている眷属達もいる。

 今までだって、眷属達は地上の民が起こすトラブルに頭を悩ませていたんだ。

 この分じゃ……。


「亀裂が入るかもしれませんねぇ……」


「…………」


 事態の収束を見届けながら、俺は仮面の男の発言には答えず、一刻も早くリシュナの許に飛ぼうと大樹に背を向けた。

 ──だが。、


「──っ!!」


 全身に、いや、魂の奥底にまで響いてくるかのような、強烈な不快感を覚えてすぐ様振り向いた。

 視線の先には、事態が収束し、ただの大樹に戻った、枯れ果てたそれが静かに佇むだけ……。何も、感じるものはない。

 

「どうしました?」


「……いや、なんでもない。行くぞ」


 今のは何だったんだ?

 確かに……、何か良くない気配を嫌というほど強く、鮮明に感じたんだが……。

 念の為、周囲に注意を向けてみるが……、特に異常なし、か。

 

「気のせいか……。いや、……違う」


 その場に奇妙な違和感と警戒の念を残しながら、俺は先にリシュナの許に戻る事にした。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ──Side リシュナ



「……具合はどうだ?」


「う、……大丈夫、……に、……少し、だけ」


「まだ具合が悪いという事だな。無理をする事はない。まだ休んでおけ」


 冷たいけれど、優しい感触が横になっている私の額に触れる。

 その感触になんだか懐かしいものを感じながら、自然と閉じられた私の瞼。

 宰相様とはレゼルお兄様達と同じく、付き合いは三年になるのだけど……。 時々、他の人には感じない、自分に近い何かを感じるような心地が訪れる事がある。


「宰相様……」


「ん?」


「……まだ、食堂のおかんスタイルなんですね」


「──っ!! こ、これは……、て、天上への出前で丁度っ」


「ふふっ。よくお似合いです」


「似合っ……、微妙な心地になる事を言うな。……ふぅ」


 傷付けてしまった、というよりは、照れさせてしまった、のだろうか。

 いつも冷静で理知的な宰相様の顔に可愛らしい赤みが出て、その頭に着けていた三角巾を取って、その表情を隠してしまった。

 残念……。


「拗ねるな」


「拗ねてません。それに、宰相様の可愛らしい一面は、私の記憶に焼き付けましたので、一生忘れません」


「なっ!! わ、忘れろ!!」


「嫌です」


 ぷいっと横を向いた私は、徐々に良くなってきた身体を起こし、真っ白なベンチに座りなおした。

 私とレゼルお兄様が天上の一角に借りている部屋がある棟の敷地内。

 被害が及ばないようにと、宰相様がここまで連れて来てくれたのだけど、……あの森で何が起こっているのかは、肌で感じている。


「レゼルお兄様は……、無事でしょうか」


 宰相様の腕の中で瞼を閉じながら、私は遥か向こうの地で起こっている異変に思いを馳せる。

 御柱様の力と、何か……、あきらかに、良くない何かが、恐ろしい存在がぶつかり合い、今も天上を震わせている。

 

「レゼルお兄様……っ」


 戻りたい。

 今すぐ、あの人の許に……、戻りたい!!

 自分が役立たずだとわかってはいるけれど、それでも……、私の心はレゼルお兄様の無事を確かめたくて、あの人の腕に飛び込みたくて……。

 どうしようもなく苦しいもどかしさが、私の胸の中に渦巻いていた。

 ぎゅっと、宰相様の身に着けている割烹着にしがみつく私に、大きな優しいぬくもりが触れてくる。


「レゼルの気配に揺れはない。それに……、どうやら私達の存在はもう、この世界の者には認識されていないようだしな……」


 あの森を離れ、天上の眷属達が住まう区画にやって来た私達は、ここに来るまでの道のりの間、何人もの眷属達に出会った。

 だけど、誰一人として、私と宰相様をその目に留める者はおらず、こちらから声をかけても、何も反応はなかった。


「仕組みは不明だが、恐らく……、過去に起きた重要な出来事にだけ、干渉が許されていないのかもしれない。あくまで、推測だが」


「……宰相様は、……今でもここが過去の世界だと、信じられますか?」


「そう、『仮定』するしかないな。ただの夢である可能性も捨てきれないが、そうではないと、……何故か、そう思える」


「私もです……」


「だからこそ、逆も考えられる」


 宰相様のぬくもりが私の頭をゆっくりと撫でながら、遠くの方に向けて視線を投じる。


「この時代にいるはずのない私達の無事も、保証されているのではないか、とな」


 だから、レゼルお兄様の事を過度に心配する必要はない。

 宰相様のお気遣いは有難いけれど……、まだ、心が納得してくれない。

 徐々に安定し始めた体調を感じながら、私は宰相様の腕の中から起き上がる。


「それでも、そうやって無理をしようとするのは、……やはり、レゼルの為か」


「…………」


 その問いに、私は宰相様の腕の中で俯きながら、自分でもすぐに答えを見つけられずにいた。

 レゼルお兄様の事が心配で、この見知らぬ世界であの人と離れ離れになっている事がどうしようもなく、不安で…。これは、レゼルお兄様の為というよりも──。


「ただの、私の我儘です。……ぶ、……ブラコン、なので」


 クラスメイトが以前に教えてくれたのだ。

 リシュナちゃんはレゼルクォーツ先生の事が大好きで、いつも一緒にいるから、ブラコンだね~、と。

 あまり……、その言葉を認めたくはなかったけれど、……客観的に見れば、そう、なのだろう。

 林檎色の熱を頬に感じながら、私は目を丸くして固まってしまった宰相様から目を逸らす。

 

「あ、呆れられました……、か?」


「……い、いやっ。……お前達の」


「はい?」


「こほんっ! 気にするな……。ただ、……いや、それよりも、だな。──ん?」


 何か言いにくそうにしながらも、どこか誤魔化された印象を受けた直後、レゼルお兄様達のいる方角から、世界全体を一瞬の内に包み込むと言っても過言ではない白銀の光が私達の視界を飲み込んだ。


「うっ」


「これは──!!」


 咄嗟にか、宰相様が私を腕の中に深く抱き込み、そのあたたかな広い胸に私の顔がむぎゅりと押し付けられてしまった。

 宰相様の鼓動の音が……、トクトクと、通常のリズムより速い。

 私は宰相様を無理に引き剥がす事はせず、大人しくしながら周囲の気配に注意を向ける。

 大丈夫。この光は、このあたたかな感触は、私達を害するものじゃない。

 それに、禍々しく恐ろしい気配がどんどん小さくなって──。


「終わったのか……?」


「ぷはぁあっ!! ……ふぅ、みたいですね」


 光と、圧倒的な力の気配がおさまり、私達は視界へのダメージもなく瞼を簡単に開くことが出来た。

 きょろきょろ……。

 

「もう、怖い気配がありません。……良かった」


「恐らく、この世界の御柱が動いたのだろうな」


「はい。それに、……天上全体にまだ、何か……、優しい気配のする何かが空から、降り注いでいます」


 それは、まるで星屑のような綺麗な光だった。

 粉雪が舞い散るかのように天上を舞い散りながら癒していくような……、そんな、優しい光。


「御柱様の御力でしょうか」


「だろうな。先程この天上を穢そうとしていた力の残滓を取り除き、眷属や民への清めも意味しているのだろう」


 天上を、この世界を統べる、眷属達の主である御柱様。 

 

「……何故でしょう。……この力は、私達を癒してくれているこの光は……、凄く、……あたたかくて、……懐かしくて」


 一筋、静かに私の頬を流れ落ちた涙。

 それは悲しみからではなく、……多分、喜びに近い何かな気がする。

 宰相様の頬にも私と同じように一滴の涙が伝い落ちていて、私に同じ気持ちだと頷いてくれている。

 

「私達が……、御柱様の眷属の子孫、だからでしょうか」


「そうかもしれない。だが、この世界に生まれた存在(もの)は、皆同じく、御柱の子なのだろう。だからこそ……、御柱の存在に……。これほど、心を震わせられるのかもしれない」


 私達にとって御柱様は、魂の親同然なのかもしれない。

 まだ会った事もない神様(ひと)だけど、この美しい星屑の光を身に受けながら感じる。


「御柱様は、私達を心から愛してくださっているのですね。身体だけでなく……、心の中までも、あたたかくて……」


 御柱様の、世界への愛を身体と心の隅々にまで感じるかのようだ。

 あぁ、少し心臓がドキドキする。

 気分が高揚しているというか、あぁ、言葉ではとても例えられそうにない。


「──っ!!」


 自分の存在が恍惚とした感覚と共に、何か大きなものへと溶けていきそうだと、そう心地良く感じていた、その時。


「これ、は……!!」


「なんだ、……これは!?」


 御柱様の慈愛が降り注いでいるというのに、何? この得体の知れない……、恐ろしい、吐き気までも込み上げてきそうな悪寒は──!!

 宰相様も同じものを感じているようで、周囲に注意を向けながら、私を外敵から守るかのように、またぎゅっと懐に深く抱き締めてくれる。

 御柱様の御力によって、事態は収拾出来たはず……。

 それなのに、まだ何かあるような……。

 どこで? 誰が? 何が起こっているのか、全然掴めない!!

 同時に、今、例の場所にいるレゼルお兄様がどうしているのか、本能的に気になって仕方がなくなった私は、宰相様の腕の中で暴れ始めてしまう。


「レゼル、お兄、さまっ!!」


「大人しくしていろ! 状況が掴めない以上……、動く事自体が危険を招きかねない」


「でもっ!!」


 私達のいる周囲に人は誰もいない。

 何か襲撃の気配を感じるわけでも、遠くから誰かの悲鳴が聞こえてくるわけでもなくて……。

 ──なら、今、レゼルお兄様がいる場所で何かが起こったと考える方が自然なのではないだろうか?

 宰相様の制止を振り切って飛び立とうとしたけれど、感じていた恐ろしい気配は、──すぐに消え去った。

 気持ちの悪い余韻のようなものはまだ残っているけれど……、『何か』が消えた、というか、去ったというべきか。

 宰相様の拘束が緩み、……ふぅ、と、少し重たげな吐息が零れ落ちてきた。

 だけど、安堵の気配を見せながらも、その身体には──。


「宰相様……、震えが」


「お前もだろう。……脅威の気配は消えたようだが、……ここまでの残滓を残していくとはな……」


 まだ、何も終わってはいないのかもしれない。

 宰相様が声にしなかったその続きを察した私は、レゼルお兄様の元に飛び立つべく、翼を広げようとした。──だけど。


「リシュナぁああああああああああああああああああああ!!」


「あ、滅茶苦茶元気ですね。よっと!」


「どわあああああああああああああああっ!!!!!」


 遥か空の彼方から恥ずかしいほどの大声で私の名前を叫びながら飛んでくるレゼルお兄様のお元気な姿を確認した私は、くるっと回れ右をして宰相様のお膝の上に戻った。

 勢いのまま飛び込んで来たレゼルお兄様が私達の目の前にある真っ白な石床へと激突し、いや……、これは、地中深くまでめり込んだ、と言うべき、だろうか。出来上がった大穴の奥深くから……、レゼルお兄様の情けない声が響いてくる。


「リシュナぁ~……、今、……お兄様がぁ~、うぇっぷ、気持ち悪っ」


「「…………」」


 心配して損をした、とは言わないけれど、そんな石床の地面に大穴を開けてしまうほどの勢いで戻って来ないでほしい。

 下手をしていたら、私ごと、あの大穴に……。


「宰相様。レゼルお兄様が落ち着くまででいいので、このお膝に避難させておいてください」


「構わない。……だが、これは過去において残しておいてもいい『干渉』の内に入るのか……?」


「さぁ……。あ、レゼルお兄様が這い上がってきました」


「しぶとくて何よりだ」


 レゼルお兄様は頑丈ですからね……。

 多少の汚れは見受けられるものの、怪我の類はなし、と。

 長椅子から様子を見守っていると、レゼルお兄様が服についた汚れを払い。物凄く心配げな表情で私の方へと再び突っ込んでこようとした。

 ──同時に繰り出された宰相様のキックで顔面をその足裏にめりこませてしまったけれど。


「ぐっ……!! 何すんだぁああっ!!」


「やかましい。黙れ。状況を報告しろ」


「宰相様に同感です。あの森で何が起こったのか、どうなったのか、説明をお願いします。それまでお触りは禁止です」


「そんなあああああああああああああああああっ!!!!!」


 いえ、絶叫して絶望するほどの事じゃありませんよ、レゼルお兄様……。

 いちいちうるさ、こほんっ、もとい、騒々しいレゼルお兄様の頭上に容赦のない手刀を叩き込み、宰相様がもう一度報告を命じる。

 

「はぁ……」


 レゼルお兄様は私達の目の前でお行儀悪く胡坐を掻き、私達があの森を後にしてから起こった出来事を簡潔に説明してくれた。

『禁呪』と呼ばれる術によって、あの浮き島にあった森全体が怪異と化した事。

 神の眷属たるグランさん達が危険な目に遭い……、少なからず、犠牲が出た事。

 結果的に御柱様の御力で事なきを得たけれど──。

 そして……、さっき感じた、あの恐ろしい気配の事も。


「お前が感じたという、その嫌な気配に関しては、私とリシュナも体験したところだ。……まだ、何かある、ということだろうな」


「かと言っても……、過去に起きた出来事で、これから何が起ころうと、それも過去。……はぁ、いい加減、元の時代に帰りたいぜ」


「クククッ……。ですが、『どこぞの誰かさん』は、私達に色々見てほしいみたいですからねぇ~。抵抗しても無駄、何をやっても、あちらが満足しない限り、元の時代には戻れない……。クククッ、なんとも悪趣味なツアーですよ、これは」


「「「……………」」」


 ここが本当に過去の時代で、私達をここに導いた『誰か』がいるとするならば……。


「でも、なんで私達なんでしょうか」


「そりゃあ、事を起こした本人でなけりゃわからないだろうな。……ただ、グラン・ファレアス側の俺達と、ロシュ・ディアナ側の奴らが揃ってこんな状況になってるってことは……」


「私達が神の眷属の子孫、だから……、という答えが出ますね」


 宰相様のお膝の上で指先を口元に当てながら、私は最初からあった答えを口にする。

 でも、過去の出来事を私達に見せて、……何を、どうしろと言うのだろうか。

 いや、ただ見るだけで、何をしろ、と言われているわけでもないから……、この場合は。


「やっぱり、『誰か』さんの気が済むまでお付き合いするしかないんでしょうか」


「その可能性が大だが……、まずは天上の動向を窺ってみるべきだろう。私達を認識出来ないのであれば、どこにでも侵入可能だろうしな」


「了解。じゃ、俺とリシュナ、宰相殿とそこの変態でペア組んで、効率的に情報収集してこようぜ」


 ──くるり。


「一応、この世界じゃチームみたいなもんだ。──変な真似はすんなよ、仮面野郎」


 今まで一切触れずにスルーしていた仮面の男性を振り返れば、そこには石畳の地面に多種多様な仮面を並べながら、のの字を書いている残念な姿があった。


「ククッ……、散々人を総スルーしておきながら、敵であろうと使う時は使い潰そうとするその精神……、我が国の始祖様(レディー)には全くもって及ばぬソフトSな趣を感じますが、……んんっ、でも放置プレイからの命令プレイもまた格べっ」


「宰相殿、あとよろしく!! リシュナ、行くぞ!!」


 軽やかに伸びてきたレゼルお兄様の右手に腰を攫われたかと思うと、瞬きひとつしない内に天上の空へと舞い上がっていた。

 地上からは宰相様の怒声と、なんだか変態極まりない発言で喜んでいる? 仮面の男性の笑い声が響いていたのだけど……。


「意地悪ですよ? レゼルお兄様」


 敵ではあるけれど、この時代においてはなんだか友好的? な仮面の男性と宰相様のペア。

 本音で言えば、一緒に行動なんて危ないのでは? と思うところだけど……。


「宰相殿は俺達の上官で、それに見合う力を持ってるからな。ま、気が合わなきゃ、そのうち別行動になるだろうし、それに」


「はい?」


 小首を傾げて問う。


「さっきまで俺があの変態仮面野郎に付き合ってたんだ。パートナー交代は当たり前、だろ?」


 お茶目な表情でウインクをしたレゼルお兄様にきょとんとするけれど、再び自分の傍に戻った温もりには……、ほっとしている。

 私はむぅっと拗ね気味に頬を少しだけ膨らませて、やはり自分はブラコンだと自分自身に苦笑してしまう。


「もう……。宰相様~、どうか御無事で~!!」


 レゼルお兄様の腕の中から発した声援は、多分、宰相様には届かなかった事だろう。

 




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