森の異変



 ──Side リシュナ



「……特に、何かの施設島、というわけではないようですね」


「そうであれば、警備の類が必ず配置されてるだろうからな」


 簡単に評すれば、手入れの入っていない野生の森。

 人の出入りさえ滅多にないのではないだろうか?

 そう思ってしまう程に……、この浮島にはどこか、孤独感のような気配が感じられる。


「レゼルお兄様。『あの人達』が……、観光区域の元凶なのでしょうか?」


 突然起こった、観光区域全域に渡る火災と、巨大な魔物達の出現。

 簡単に結び付けて良い事ではないけれど、黒いフード姿の一団がこんな夜更けに小舟を、それも、神の眷属達の同行もなしに動かすなんて……。

 彼らよりも先に森のある浮島の中へと舞い降りた私達は、完全に気配を断つ結界に守られながら探索を始める。


「不審者です、って、自分達で主張しているような奴らだったからな……。眷属共をあっちに引き付けて……、さて、ここで何をしやがる気なのか……」


「絶対悪い事でしょうね」


「だろうな。……リシュナ、いいか? これから何が起ころうと、飛び出したり、パニックになったり、ともかく、俺の傍を離れるような真似はするなよ?」


「いえっさー、なのです」


 ビシッと敬礼のポーズで応えると、レゼルお兄様が小さな微笑と共に私の頭を撫でてくる。

 大丈夫。レゼルお兄様と一緒なら、多少の危険があっても私は怖がったりしない。あまり頼りすぎてはいけないとわかっていつつも、この人はいつだって私の勇気を引き出してくれる、とても頼もしい存在だから。

 行動を開始した私達は不審な集団の姿を探し、その気配を頼りに進んでいく。

 

「人間、なのは間違いなさそうなんだが……、この世界を統べる御柱のお膝元で何をしようってんだ?」


 本当に、ただの真っ暗闇が広がる木々の集合場所……、森でしかないのに。

 黒いフードに身を包んだ集団は途中で何人かのグループになって散開し始めた。


「レゼルお兄様」


「俺の影を放つ。俺達は今まっすぐに進んで行った方を追いかけるぞ」


「はい」


 森の中に降り注ぐ微かな月明かりを受けて生じた影が幾つかに分かれ、追うべき姿を求めて散っていく。

 私はレゼルお兄様と一緒に、前方へと向かった集団を追う。

 この天上には動物の類も住んでいると聞いているけれど、今のところ……、この島の中で聞こえてくる声や足音はひとつもない。

 それがまるで、これから起こる何かを恐れてのものではないかと、不安に逸る鼓動と共に私は予感していた。

 私とレゼルお兄様が見なくてはいけない、知らなくてはいけない『何か』。

 ここが本当に過去の世界だとして、『何』が私達をここに誘い、『何』を知らせ、『何』をさせようとしているのか……。

 現状、操り人形のように示された道を辿るしかない事に不満を感じつつも、それが必要な事になるのかもしれないと割り切って、私達は進んで行く。


「リシュナ、止まるんだ」


「は、はいっ」


 レゼルお兄様の左手に制され、その腕の中にしゅぽんっと素早く収納されてしまった私。

 小さく指差された方向を見ると、何やら少し拓けた場所に堂々と佇んでいる大樹と黒フードの集団が、

 目的の場所についた、とみていいのだろうか?

  集団の中から一人だけ前に進み出て、大樹の幹の表面に手を当てている。


「何をしているんでしょうか……」


「影につけさせた奴らも同じ行動をしているようだが……。恐らく、何らかの儀式狙いだろう、あれは」


「御柱様がいらっしゃるこの天上で魔獣達を召喚出来たわけですから……、可能、なんでしょうが……、一体、何の目的で」


 地上の民をその深い慈愛の心で受け入れ、謁見を求められれば応えてくれる、心優しい御柱様……。

 天上へ入る際の必要最低限のチェックはされているそうだけど、本当に、最低限の調べだけで終わっているのが気にかかってはいた。

 でも、御柱様はこの世界を支え、存続させる為の謂わば、心臓のような役割を果たされている御方だ。

 まさか、その御柱様を害そうなどという輩がいるわけが……。


「レゼルお兄様?」


 その時、何やら気味の悪い声で詠唱を始めた黒フードの人達に向かって右手を差し出し、何か呟いていたレゼルお兄様が小さな吐息を零した。


「やっぱり駄目だな。術の発動どころか、詠唱と共に湧き上がってくる魔力の気配さえもう感じられない」


 つまり、今目の前で起きようとしている光景は、歴史の必然。

 過去に起こった事であり、変えてはいけない、変えられない何か、ということか。観光区域の時と同じだ。

 それが、この天上にどう影響するのかはわからないけれど……。

 大樹に詠唱と共に刻み込まれていく、おぞましい響きを宿した詠唱の音。

 あんなものが良い現象を起こすはずがない。

 あれは間違いなく……、何かの呪いだ。

 だけど、これが過去における確定事項なのであれば、私達が行動してどうにか出来るものでもないのだろう。──でも、


「──っ! やめてください!!」


「リシュナ!!」


 何だかとても嫌な予感が、具合が悪くなるほどの悪寒が身体中に走って……、居ても立ってもいられなくなった私は本能で駆け出していた。

 慎重に物事を考え、受け止めるべきだったのに……。


「えっ」


 本能のような衝動だけで詠唱者達が集まっているど真ん中に飛び込んだ私。

 ──だけど。

 今まで、過去の人にも触れる事が出来ていたはずなのに……、誰にも、触れられない!?!?

 それどころか、黒フードの人達は私やレゼルお兄様の存在に気付く事さえない。

 まるで、ここに存在していないかのように……。

 誰に触ろうとしても自分の手が対象をすり抜けてしまうし、声も届いていない。

 レゼルお兄様も大樹の近くまで歩み寄って来ているのに、認識されていない。


「一人分の魔力でも、この森に集まってる奴ら全員分のでもない……。事前に相当な人数の魔力を隠して持ち込んだってことか」


「レゼルお兄様……っ」


「諦めろ、リシュナ。俺もこいつらのやろうとしている事には吐き気を覚えている。……だが、歴史が俺達の手出しを禁じている。一部始終を見守るしかないんだ」


「でもっ。……あっ」


 やがて、大樹が詠唱の終わりと共に巨大な魔術の陣をその身に刻まれ、禍々しい気配が突風となって巻き起こり始めた。

 吹き飛ばされかけた私を片腕に拾い上げ、レゼルお兄様が空へと飛び上がる。

 

「れ、レゼルお兄様っ!!」


「全部で五ヶ所か……っ。リシュナっ、俺にしっかりしがみついてろよ!!」


「は、はいっ」


 空に逃げても、この森に生じ始めた異変の脅威は私達へと襲い掛かってくる。

 森の真ん中、そして、それを中心として東西南北からも同じように尋常ではない気配の突風が竜巻の如く変化し、夜空へと咆哮をあげているかのようだ。

 荒れ狂うその声に眉を顰めていると、目の前が一度淡く光った。


「俺達がこの事象に干渉出来ないとしても、こっちに被害が出るのは御免だからな」


 レゼルお兄様が張ってくれた結界の効果によって、耳障りな轟音が綺麗に消え失せていく。

 それに、あの気持ちの悪い気配や脅威もこの結界には近付いてこない。


「レゼルお兄様、あれを!」


 浮島の森全体が異様な気配に包まれようとしている中、私達が飛んできた方角から、何かが……。


「ようやく眷族達がこっちに気付いたみたいだな」


 先頭に見えるのは、漆黒の長い髪を後頭部高くに結んで風に靡かせている大人の男性……。

 純白の美しい両翼が白銀の光を帯びながら、沢山の眷族達を率いて夜空を駆け抜けてくる。


「御柱様の御座所であるこの天上で何をやっている!!」


 その男性は一度だけ私とレゼルお兄様を目に留めたけれど、この騒ぎの元凶がどこにあるのか、すぐに判断がついたのだろう。

 森の中へと雪崩れ込むかのように眷族の人達を連れて飛び降りていく。

 レゼルお兄様の腕に抱かれたまま、私も再び森の中へと向かう。


「今すぐその耳障りな詠唱をやめよ!! 禁じられし呪を行使するなど……っ、御柱様への反逆ぞ!! お前達、奴らを捕縛せよ!!」


「「「はっ!!」」」


 邪魔にならないようにと、木々の陰に隠れた私達は、眷族の人達が黒フードの人達と揉み合いになりながら混戦状態となっていくのを見守る。

 

「ここだけじゃなく、あの術が発動した場所にも眷族がそれぞれ到着、捕縛にかかってるな……」


「でも、……竜巻が、大樹に掛けられた術はまだ発動したままですっ。あれを早く止めないとっ」


 レゼルお兄様がその手に幾つかの光の球、他の場所の状況が映っているそれを観察している様から視線を外し、大樹に注意を向ける。

 禁じられし呪を刻まれた大樹……。

 無害だったはずのそれが、黒フードの人達が行った術のせいで、まるで絶叫を轟かせているかのようにドス黒く染まって……、あぁ、駄目っ!!

 

「落ち着くんだ、リシュナ。今、俺達に許されているのは、傍観だけだ。干渉は許されていない」


「でもっ……、あれは、悪いものです!! あの黒髪の男性も言っていました!! 禁じられた術だって!!」


「だからこそ、眷族達が、俺達の始祖が事態の収拾に動いているんだ。それに、天上には御柱がいる。地上の奴が何を起こそうが、神様ならしっかり事態を良い方向に導いてくれる。な? だから少し落ち着こう」


「んっ」


 レゼルお兄様が私を腕の中に優しく抱き締め、落ち着かせ為にぽんぽんと背中をその大きな手で撫でてくれる。

 私もわかってる。

 ここは過去の世界かもしれなくて、過去に起きた何かを変える事は誰にも出来ない事で……。

 でも、……なんだろう、この感じは。

 禁じられた術のせいで今はまるで違う存在であるかのように豹変してしまった大樹が、この森に溢れている嫌な気配が……。

 初めて接するものではないと……、私の本能が告げていて……っ。


「グラン!!」


「ディーナ!? 何故このような所に来ているのだ!! 早く神殿に戻れ!!」


「嫌っ!! だって……っ、だって、この森を覆っている力が怖いの!! これは貴方を傷付ける!! 貴方を壊してしまう!! 早く逃げないと!!」


「我は御柱様の信頼を受けし、天上の守り人だ!! 天上と御柱様に仇名す者を、存在を許しておくことは出来ぬ!!」


「でもっ!!」


「夫として命じる!! 早くこの場所から去れ!! ロシュ・ディアナ!!」


 愛する人を心配して、ここまで必死の思いで駆け付けたらしきディーナさんが伸ばした手を払いのけ、夫である人がこちらまで怖くなってしまうくらいの怒声を飛ばす。

 ディーナさんが瞳に悲しみの涙を浮かべ、その場に崩れ落ちていく。


「フォローするわけじゃないが、……まぁ、この状況じゃあな」


 ばつが悪そうに頭を掻きながらぼそっと呟くレゼルお兄様。

 確かにあの黒髪の男性が誰かと似ているなぁ、とか、グランヴァリアの国王様にそっくり! とか思いましたけど……。


「あれ、始祖様だったんですか……」



「人外種族にはよくあることだからな。……しかし、こりゃ、……かなりまずいな」


「どんどん……、森の気配が悪い方に変質、して……、ぅうっ」


「リシュナ!!」


 こちらからは何も干渉出来ないというのに、その影響は受けてしまう、と……!!

 納得がいきませんっ!! 物凄く!!

 吐き気を催して蹲りかけていると、レゼルお兄様とは違う手が私の肩にかかった。……だ、れ?

 ゆっくりと振り向き、霞む視界の中に見えた姿、それは──。


「宰相、……様?」


「禁呪の影響が濃いな……。レゼル、リシュナを連れて離脱するぞ」


「それはアンタに頼む。禁呪の影響が届かない場所までリシュナを避難させてくれ」


「レゼル……」


「この世界が俺達に何を見せたがっているのか……。少なくとも、誰か一人が見届けておくべきだろう。だから、頼む」


 駄目……、レゼルお兄様も……、一緒に……。

 宰相様の腕に預けられた私は、よろよろとしながらもレゼルお兄様に向かって手を伸ばす。

 レゼルお兄様の優しいぬくもりが、私の手をそっと包み込む。


「大丈夫だ。すぐに追いかける」


「あっ」


 一瞬だけの安堵。

 レゼルお兄様の、いつもより一層優しい笑みを目にした直後、私は宰相様の手によって遥か空の彼方まで飛んだ。

 

「レゼルお兄様ぁっ!!」


 もう一度、そのぬくもりを掴む暇さえなかった……。

 

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