さて、ここはどこでしょう?



  ──Side リシュナ



 ──いつか、……いつか、……。



 肌を打つ、鞭の無慈悲な感触。

 私の存在を許さず、嘆きにも似た罵倒を繰り返す女性の声。 

 見ているだけの……、誰とも知れない無表情な人達の姿。



 牢獄の冷たさよりも凍りついていく……、私の心。



 何度叫んだのかわからないほどに、私の声は嗄れていた。

 助けて、助けて、助けて──!!

 誰も来てはくれないと、誰もこの手を掴んではくれないと、知っているのに……。

 終わりを感じる事も出来なかったあの場所の記憶。

 真っ暗な冷たい闇の中を落ちていきながら、私は見た。

 私の周りに浮かぶ、目まぐるしい速さで移り変わってゆく数多の映像。

 苦しくて、辛くて堪らなかった記憶もあれば、まったく知らない光景までもがくるくる、くるくると……。

 私は、何を見ているの? ここは、どこなの?

 何かひとつでもいい。そう思いながら私は手を伸ばした──。


「ん……、あ、れ?」


 ふと、目覚めた意識と肌が感じたのは、あたたかで柔らかい、陽の感触だった。

 あれだけ怖くて怖くて、痛いと叫んでいた心が優しい感触で包まれていく。

 いや、……現実に私は誰かのぬくもりの中で守られていた。

 知っている匂い。ほんのりと甘い……、世界で一番安心できる、あの人の。


「──っ!! はっ!! また潜り込んだんですか!? レゼルお兄様!!」


「んがっあああっ!!」


 起きたばかりの私の頭は、日常の中にある一コマがまた起きたのだと認識した。

 強烈な右アッパーでレゼルお兄様の顎を撃ち抜き、ひゅぅ~~……、ドシャッ!!

 遥か向こう側にレゼルお兄様が頭から地面にめり込んだのを確認し、息を荒げながら距離をとる。


「年頃の妹のベッドに潜り込むなと何度お願いしたらわかるんですか!!」


「ぷはぁあっ!! な、何の、はなっ、……うぅっ、──って、ん? ……あれ? ……え~と」


 何がえ~と、ですか!!

 妹に対する過保護さと過度なスキンシップは前からの事ですが、いい加減、人のベッドに……、ん?

 私はそこで気づいた。

 自分はベッドの中になどいない、肌に感じるのは少し擽ったい草らしき感触。

 そして、周囲の景色は……、まさかのお外!!


「……説明を求めます、レゼルお兄様」


「……俺も説明がほしい。……どこだ? ここ。……どっかの森、みたいだが……、いや、それもあるが」


「私達……」


「「何してたんだっけ?(してたんでしたっけ?)」」


 お互いに顔を見合わせ、疑問に首を傾げる。

 


 ………………。



「あああああああああああああああっ!!」


 絶叫するレゼルお兄様とは反対に、私は叫ぶ事も出来ずに内心で大慌てになりながら顔をブンブンと左右上下に振り回す。

 グランヴァリアとロシュ・ディアナの戦いはどうなったんですか!?!?

 国王様は!? 宰相様は!? 先代の女王様は!?

 それから、えっと、他にもいっぱい気になることがあるんですが!!

 挙動不審全開でよろよろと草地を這っていた私は、大パニック中のレゼルお兄様を落ち着かせようと、べしべしと肩を叩く。


「何がどうなって、俺達だけ別の場所に、ってか、状況が意味不明!! ついでに、ここはどこだぁああああああああっ!!」


 どー、どー。

 ゆっくりと腰を上げ、私は穏やかな気配に包まれている森の中を歩き始める。

 まず……、ここはあの王宮の上空でもなければ、その敷地でも、ない。

 景色が違っているのもあるけれど、王宮の敷地内であると確信出来るのは……、このよくわからない違和感のせいだろうか?

 くるりと、すぐ傍に来ていたレゼルお兄様を見上げ、問いかける。


「王宮の」


「違う。ここはあの王宮敷地内でもなければ……、俺達がいた国ですらない」


 やっぱり、レゼルお兄様も私と同じ意見だった。


「そう、ですよね……。夜だったのに、お日様も見えてますし」


「いや、それよりも……、世界の気配が、……なんか、違うんだよな」


 多くの種族が、一人一人が異なる気配を持つように、国や土地にも気配の違いというものがある。

 そう教えてもらった事があるけれど……、世界の気配という大規模な発言をどう捉えていいのか、私にはまだわからない。


「レゼルお兄様、説明ぷり~ずです」


「あ~、その上目遣いの可愛さっ!! 俺のハートがめちゃんこドッキュンしまくりなんだが……。伝えるのが難しいというか、俺もまだよくわかっていないというか、同じ世界であって、……う~ん、説明が難しいな」


 両腕を組み、レゼルお兄様がふわりと宙に浮く。

 そのまま私に待っているように声をかけ、爽やかな気配に満ちている大空へと。

 何かわかればいいんですが……、それよりも。


「私は……」


 段々と、記憶が前後の情景を繋げていく。

 人の世界に現れた、ロシュ・ディアナの始祖。

 闇夜に映し出された彼女の顔は……、私が忘れていた、いや、無意識に封じていた過去の記憶の像と重なってしまった。

 私とよく似た顔立ちの女性……。

 私という存在を心の底から憎悪し、汚物だと罵り、数えきれない程に甚振り、嬲り続けてきた……、赤い爪の女性と同じ顔。

 怖くて、心の大きな傷になっていて、私は自分自身の記憶を、あの人の顔を思い出さないように封じていたのだろう。だけど、本人を見て、あの視線を正面から受けて……、私の記憶は鮮明に蘇った。

 私が一番恐れていた過去の象徴……。


「リシュナ! 近くに小さいが町があるみたいだ。……リシュナ?」


「……」


 今までに得た情報と、自分の知った事実、それらの欠片を繋ぎ合わせると──。

 自分の心が拾い上げた『真実』を頭が理解した後、私の眦から一筋の涙が頬に伝い落ちた。

 

「お、おいっ、リシュナ!?!? どうした!! 大丈夫か!?」


「……え?」


 感情が一時的に麻痺していたのか……。

 自分が涙を流している事にさえ気付かなかった私は、レゼルお兄様にむぎゅっと抱き締められてから自分の現状を把握した。

 本当は発狂して叫びだしたいくらいの『真実』に思い当ってしまったのに、私は……。


「レゼル、……お兄様」


「大丈夫だ……。何を見ようと、何を聞こうと、何を知ろうと……、俺がついてる」


「……レゼルお兄様」


 あたたかい。

 自分がここで目覚める前の記憶を思い出したというのに、レゼルお兄様のぬくもりが私の心を優しく抱いてくれている。あまり甘えてはいけないと、……自分一人の足で立たなくてはと、わかっているのに。

 

「……過保護が過ぎますよ、もうっ」


「いっぱい頑張って生きてるお前を甘やかして何が悪いんだ?」


「うぅっ、……妹を駄目にする駄目お兄様ですっ」


「じゃあ、一緒に駄目になるか? ふふっ」


 この人と一緒なら、確かにどこまで堕ちても構わない。

 そうすぐに思えてしまうほどに……、私の心はこのぬくもりを求めてやまない。

 だけど──。


「んがっ!!」


「私はいつか自立して一人で生きられる強い女性になるのです! ……それよりも、空からは何か見えたんですか?」


 離れようとしてもしつこく抱き着いてくるレゼルお兄様を全力で押し返しながら、厳しい目で尋ねる。

 今は現状を把握し、今後の行動を早く決めなくては。


「んぐぐっ!! ……はぁ、もうちょっとデレがほしいところなんだがなぁ」


「レゼルお兄様」


「ふぅ。近くに町らしきものがあった。小さいが、人がいることは確実だろう」


 なら早速出発です!

 と、一歩踏み出した私のスカートの裾を軽く引っ張る感触が……。

 振り向くと、草地に胡坐を掻きながらニコリと笑うレゼルお兄様の姿に、私はひとつ溜息を吐いた。

 

「森の中に泉があったから、そこで身を清めてからでもいいか? この姿のままだと、何事かと思われそうだしな」


「……傷は」


「掠り傷が少々、って感じだな。だから大丈夫だ」


「でも、怪我をしていることには変わりないじゃないですか。……治癒します」


「このくらいなら自然回復するから大丈夫だ。無傷とはいかなくて、ごめんな?」


 私の治療を無駄にしたと言いたいのだろう。

 だけど、レゼルお兄様はグラン・シュヴァリエで……、国王様の命(めい)で、私のせいで戦う事もある人。

 だから、怪我をする事は避けられないだとわかっている。

 自分に出来る事は本当に少ない、……自分の情けなさに、また、涙が出そうになってしまう。

 きっとこの怪我も私のせいに違いないから……。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「──ふぅ、気持ちいいな~。リシュナ~? ちゃんといるか~?」


「います。だから、いちいち確認しないでくださいっ」


 二人で十分ほど歩いて辿り着いた、森の泉。

 可愛らしい名も知らぬ花々が柔らかな風の気配に小さく揺れ動き、山場に面している岩場の遥か頭上から、勢いのある水の流れが泉へと。

 私はこの場所に集まっている小動物達を相手に時間を潰し、レゼルお兄様の水浴びが終わるのを待っている。

 ……だけど、さっきから一分毎に人の名前を呼びまくるレゼルお兄様に、……はぁ。

 

「にゃぅ~」


「やっぱり、過保護は治してもらうべきですね。……私も、あまり依存しないように、……早く、大人にならないと」


「にゃう、にゃう~」


 もふもふとした、猫に似た可愛らしい子をお膝の上に乗せて撫でながら、自分を戒める。

 レゼルお兄様が元から溺愛気質の過保護大魔王なのはわかっているけれど、一番の問題は私だ。

 過去の悪夢に怯えるばかりで、……周りを心配させてばかりなのだから。

 強い女性に、何を言われても、されても、何を知っても……、心を揺らす事のない、強い人に……。

 でないと、自立するどころか、いつまでも……。


「レゼルお兄様……」


「ん? なんだ~?」


「──っ!!!!!!」


 無意識に零れた独り言。

 だけど、その返事があった事よりも、──なんで私の耳元で聴こえるんですか!?

 予想外どころか、レゼルお兄様の悪戯めいたその声は、近くで聴いてしまうと、物凄く面倒なんですよ!!

 すぐに耳を押さえて振り返ろうとしたけれど、もう私は鍛えられている肌が露出している両腕の中だった。

 い、いつの間に水浴びを終えたのか!!


「何回呼んでも返事がないから、心配したんだぞぉ~」


「~~~っ!! け、気配でわかるでしょう!! うぅっ、年頃の妹をもう少し気遣ってくださいっ」


 し、下はちゃんと履いているようだけど、楽しそうに喋る声が近すぎるというかっ、どうやら上半身裸らしいレゼルお兄様の少し濡れた肌の感触や、私の胸元に流れ落ちてくる蒼の長い髪とかっ。

 うぅ~っ、この人のスキンシップが凄いのはいつもの事だけど、こういうドキドキとして落ち着かないのは困る!!


「そこに居る、っていうのはわかってても、……返事がないと、心配になるだろ?」


「んっ。……だから、過保護すぎ、ですって」


「三年前のお前を思い出してみろ。……俺の手の届かない所に逃げようとしただろう?」


「うぅっ……。あ、あの時は事情がちがっ、……け、警備隊のみなさーん!! 助けてくださーい!!」


「げっ!!」


 自分の心を落ち着けようと、わざと大きな声を出して暴れた私に、レゼルお兄様が大慌てで宥めにかかる。

 レゼルお兄様とのスキンシップは落ち着けるものと、今みたいに面倒なものがあるから……、本当に、本当に困ってしまうっ!!

 だけど、こうやっていつものおふざけをすれば……。

 

「リシュナぁ~!! お兄様に対して毎回それは酷いだろぉ~!!」


「問答無用! なのですっ。すぐに女の子にひっつく変態さんはお帰りください、です!!」


「変態じゃなぁああああああい!!」


 いつも通りの調子が戻ってくる。

 そう、私達にはこれが一番。

 二人で、皆で冗談を言い合ったりふざけたり、一番落ち着くのはこの形だ。

 けれど、私がレゼルお兄様とじゃれあっていると、──近くの茂みからガサリと音がした。

 動物達が新たな訪問者の気配に散らばって行き、陽の導きによって照らされながら私達の前に現れたのは……。


「はははっ。その程度で変態とは、いやはや、レディーの変態基準はよくわからないものですねぇ」


「うぅ……っ」


 その背にもう一人誰かを担ぎながら近づいてきた……、どっからどう見ても怪しい仮面の男。

 映像越しに垣間見た時にはなかった亀裂が、その仮面の真ん中にくっきりと走っている。

 レゼルお兄様が強い警戒の色を抱き、私を後ろに庇う。

 ロシュ・ディアナの民……。

 それに、仮面の男の背に担がれているのは、レゼルお兄様を害した少年だ。


「怪我を……、しています」


「あぁ、可哀想でしょう~? そのお兄さんがウチの子を何の慈悲もなく、こんな酷い目に遭わせたんですよぉ~」


「お互い様だ」


「子供相手に大人げないと思いますけどねぇ? ちなみに、今はお互い迷子のようですし? その敵意と非常に心地良い殺意は仕舞って貰えますか?」


 身体も翼も酷く傷付いている少年を背に抱え直し、仮面の男が笑った……、気がする。

 だけど、相手が敵意のない怪我人付きでも、警戒を解くわけにはいかない。

 隙を見せた途端に何かされでもしたら、自分の愚かさに敗北ポーズをしてしまいそうだから。


「答えろ。貴様は俺に何をした? ここはどこだ? 何が目的だ」


「君こそ、私に何をしたんでしょうねぇ? いやっ、クククッ、……これは『誰か』の悪戯な気がします。なにせお互いに、現状を何ひとつ把握していないのですからねぇ。──この世界に覚えている、違和感以外には」


「つまり、俺達がこの場所に居る事に、貴様は関与していない、ということか」


「ぴんぽぉ~ん。ククッ、正解です。まぁ、君に何か、はしたんですけどねぇ。私のラボに連れ帰ろうと思ったら、謎の干渉が起きまして。いやぁ~、人生何があるかわからない、絶望か幸福か! クククッ、面白くなりそうでゾクゾクしますよぉ~」


 心の底から、いや、魂の底から今すぐお家に帰りたいんですが!!

 この仮面の男はこれが素なんでしょうか?

 本当は別に素の常識的な面があると信じたいですが、感じる変態オーラが本物すぎます!!

 ある種の恐怖に震えながら、私はレゼルお兄様の後ろで何かお役立ちアイテムはないかとスカートのポケットを漁る。……え~と、キャンディーと、小さくしてある武器のハリセン、それから。

 あ、服の中にアウニィーさんから貰った指輪付きのネックレスが。

 だけど、それは武器でも何でもない物だから、使えるものからは除外、と。

 アウニィーさん、ピンチの時の目潰しとか、対敵用の何かの方が良かったです……。

 

「なので、手を結びませんか? こっちは怪我人を抱えているせいで、ぶっちゃけ面倒なんですよぉ」


「捨てていけばいいだろう?」


「子供を捨てる大人なんて、ただの最低最悪のどクズだと思いますよ。ククッ」


 私がアウニィーさんに理不尽な八つ当たりを心の中でやっていると、……どう考えてもその言葉を口にしなさそうな仮面の男が少年を治療したいのだと言った。

 子供を捨てる大人なんて、ただのクズ、か……。


「常識的な倫理観があるんですか?」


「う~ん、どうでしょぉね~? 一応、子供は好きですよぉ~。まぁ、気分で物事を決める時もありますがね、ククッ。……それに、全てを正しいもの、善のみで決定して生きられる者っているんですかねぇ?」


 やっぱりわからない。

 あの仮面の男は一理ありそうな事を言いながらも、結局は気分で道を選んでいるような気がする。

 レゼルお兄様も相手にしたくないのだろう。

 自分の上半身の服をささっと手に取り、私を力強い片腕に抱き上げてから歩き始める。


「おやぁ~、協力する気はなっしんぐですかぁ? 酷いですねぇ、人は助け合う事こそ美徳だというのに」


「矛盾だらけの仮面男さん、さようなら」


 一応、レゼルお兄様の腕の上からお別れの挨拶をしてみる。

 そんなのする必要はないけれど、……なんだか気になる人だ。

 言っている事が意味不明で、ただの酔狂な面倒の塊にしか思えないのに……、あの仮面の下でどんな表情をしているのだろうかと知りたくなってしまう。

 それに、……敵だし、レゼルお兄様を傷付けた相手だけど、あの少年も気になる。

 

「リシュナ、敵と言葉を交わすな」


「でも……。あ、付いて来ますよ」


 レゼルお兄様の歩みが速くなり、後ろから楽し気な含み笑いが追いかけてくる!

 

「私もこの子を治療しないといけないので、町まで行くんですよぉ~。協力した方がお得ですよぉ~! あ、ちゃんとお金は持っているんですかねぇ? お兄さんはとっても心配ですよぉ~」


「付いて来るなぁああああああああああああああああ!!」


「レゼルお兄様っ、追いつかれます!!」


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「ははははっ!! 追いかけっこもイイですねぇ~!!」


 ──そんな面白おかしい? 面倒極まりない追いかけっこから一時間後。

 私達は結局目的地も同じという事で、森の近くにある町へと辿り着いた。

 レゼルお兄様のギャンギャンと喚く声を聞きながら目指したのは、小さな町の一角にある宿屋。

 一階と二階が食堂で、そのさらに上が客室のようだ。

 規模の小さい、ほどほどの賑わいの町だと思ったけれど、食堂にはいっぱい人が集まっていた。


「なんでこんなに賑わっているんでしょう?」


「そうだな……。見たところ、集まっている種族が多種多様。どっか価値のある場所に行く道の通過点って可能性もあるが、この辺の情報に関しては飯の後で集めよう」


「はい。……ところで」


「ぎゃああああっ!!」


「アンタ、何やってんだぁああああ!?」


 ……くるり。

 食堂の入り口、私達の背後で次々と上がったお客さん達のびっくり仰天な悲鳴。

 仮面の男が少し汚れている木の床にボタボタと、いや、ドボドボと少年の傷口から血だまりを……、ああああああっ!!


「すまないが、部屋をひとつ貸してくれませんかねぇ。連れが瀕死どころか、今にも神様とご対面しそうでして」


「せめて傷口の応急処置ぐらいしろよ!! ああっ、女将ぃいいいいい!! 店がぁあああっ!!」


「おやまぁっ!! 今にも死にそうな坊やじゃないかい!! 早くこっちに運びな!!」


「止血はしておいたんですが、いやはや……、『誰か』さんのせいで、術に綻びが出たようですねぇ、クククッ」


「笑ってる場合じゃないだろ!! 早くこっちにおいで!!」


 どしどしと頼もしい足音で上階に手招きする女将さんの後を追って、……あぁ、また血だまりがっ!!

 仮面の男は私達にひらひらと片手だけ振って階段を上っていく。

 仲間が死にそうなのに、相変わらず飄々と? してますね、あの人。


「リシュナ……」


「はい」


「やっぱり別の町を探さないか? ……あれはド級にしつこい気がする。滅茶苦茶」


「らじゃ~、なのです」


 お肉がジューっと焼かれた美味しそうな匂いには後ろ髪を鷲掴まれる思いだけど、今は逃げるが勝ち!

 二人揃って全力ダッシュで食堂を後にしようとした私達だったけれど──。


「テーブルが空いたぞ!! さっさと入れ!! それと、注文は五分以内に決めてくれ!!」


「「──え?」」


 広い食堂内に響いた、聞き覚えるのある大人の男性の声。

 だけど、いつもは冷静に喋っているあの人らしくない大声と迫力。

 私達の背後に立った気配に振り返れば、そこにいたのは……。


「それと、今日のデザートタイムは……、──!?!?!?」


「さ、宰相、様?」


 白い三角巾に、まるで一家の纏め役的な風格と、お母さんさながらのエプロン。

 両手に幾つものオーダー票を持って仁王立ちしているのは、紛れもなく、──私達の知る宰相様だった。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る