『記憶』への誘い
――Side リシュナ
「あぁっ、こらこら。無理をしちゃいけないよ」
「うっ、……で、でもっ、うぅっ」
ふかふかと寝心地の良いベッドから起き上がろうとしたものの、無理は駄目だという注意に背いた結果。
情けなく傾いた私の身体。
レゼルお兄様達のお父様であるラフェリアスさんがそっと支えとなり、またゆっくりと寝床に戻してくれる。
私が小さな声でお礼を言うと、今度はベッドの反対側から優しいぬくもりが頬に触れてきた。
「リシュナ、レゼル達の事は心配ない。『外の奴ら』程度では、誰も倒れはしない。だから安心して休むといい」
「ファルディアーノお兄様……」
ラフェリアスさんと一緒に駆け付けてくれたファルディアーノお兄様。
その穏やかな微笑には心癒され、励ましも与えてもらえるけれど……。
「外にいるのは、ロシュ・ディアナの……、女王様を、追ってきた人達、なんでしょう?」
「会談の前に、本物の一行とすり替わったらしいからな。ロシュ・ディアナ……、現女王派が怒りを抱き、報復に来るのも無理はない、という事だ」
「そうそう。だから君はゆっくり休んでおきなさい。でないと、治療に当たっている僕達の面目が丸潰れだからね」
私がレゼルお兄様からとんでもない事を聞かされ、気絶してから経った……、僅かな時。
先代の女王様のお話を聞いている最中に具合が悪くなり、一種の暴走状態に見舞われてしまった私がついさっき聞かされた、『外』の状況。
グランヴァリアの国王様から情報を受け取ったラフェリアスさんとファルお兄様から与えられたそれは、ごく短いものだった。
──ロシュ・ディアナに関する話は、『敵の強襲により中断』。
私達の知っている女王様達の一団ではなく、勿論、現女王の命を受けた集団なのだと、そう聞かされた私に続いてもたらされたのは、その迎撃に向かったのがレゼルお兄様達だという事。
確かに、私みたいなひよっこが戦闘に加わったところで、邪魔でしかないだろう。
最悪、人質にでもされて、レゼルお兄様達を窮地に陥れてしまうのが目に見えている未来だ。
……だけど。
「レゼルお兄様……」
嫌な予感がするわけじゃない。
レゼルお兄様が、皆が強いという事は知っている。
……でも、敵と戦っているレゼルお兄様の事を思うと、無意識に身体があの人のところに駆け出したいと叫んでしまうのだ。
レゼルお兄様も度を越したシスコンだとは思うのだけど、私自身も……、昼間の夢のせいか、やけに心細くなっていて、……いつもよりもブラコン度が高くなっている気がする。
「う~ん、レゼルも罪作りな男だね。可愛い妹をこんなに懐かせてしまうなんて……、まるで、囲い込んでるみたいだ」
「囲い……、込む?」
「ふふ、まぁ、僕はそれでも良いんだけどね。だけど……、君はまだ『そういう事』がよくわからないみたいだから、今度注意しておくかな」
「父上、余計な事はしない方が良いのではないのですか? 火を煽り立てる結果になりかねないと思いますが」
「ファルは弟思いの良い子だね。──だけど」
「父上?」
何を話しているのかよくわからない私は二人を交互に見ながら首を傾げる。
囲い込む……、火を、煽り立てる……? どういう意味なのか全然わからない。
だけど、質問してもはぐらかされそうだなと思う私を放置で、ラフェリアスさんは楽しそうな声音でポーズをつけ、言った。
「父からの助言により、内心とんでもない葛藤と戸惑いに陥る我が息子!! とても面白そうじゃないか!!」
「……父上、息子は玩具ではありません。母上に離婚を言い出されない内に、少しは人で遊ぶ癖を直してください」
「えぇ~、それじゃ、つまらないよ」
「父上」
「むぅ~っ!!」
話の流れは相変わらず意味不明だけど、息子さんに対して、子供っぽくむぅ~って……。
ラフェリアスさんは大人の余裕を持っている人だけど、時々こんな風だ。
まるで真逆。めっ! と、視線で自分のお父さんを窘めているファルディアーノお兄様の方がお父さんみたいだ。……声的にもだけど。
「はぁ……。リシュナ、父上の言っていた事は気にしなくていいぞ。それよりも」
やれやれと疲れを宿した瞳で、ファルディアーノお兄様が出口、扉の方に視線を流した。
その動きと同じタイミングで、部屋にノックの音が響いた。
グランヴァリアの国王様の声が聞こえて、応対に出たラフェリアスさんが茶目っ気のある笑みから真顔に戻り、訪問者の人達を招き入れる。
国王様と、その腕の中で眠っている先代の女王様。
それから、グランヴァリアの人達が数人と、女王様の側近の人達も。
私が運び込まれたこの部屋は、それなりに広い客室だけど……、この人数だと、ちょっと、圧迫感が。
「リシュナよ、すまんが女王も寝かせてやってくれないか?」
「どうぞ……。女王様も、まさか、体調が」
「案ずるな。少々疲れているだけだ」
でも、私の隣に下ろされた女王様の顔色はあまり良いとは言えない。
ロシュ・ディアナの先代の女王様……。私の、伯母様。
美少女に伯母様と言うのは凄く抵抗があるけれど、彼女の話が本当だとしたら……、私にとって、初めて血の繋がった親族、という事……、だ。
「女王様……」
私のお母さんの、お姉さん……。
毛布の中にあるその手を取り、私は彼女の顔を眺めながら、あたたかな温もりをそっと握り締める。
お母さんじゃないけど……、お母さんに、近い人。
特別な香水と言っていた、とても優しいあの香りが、なんだかとても懐かしくて……。
きっと、女王様が纏っているこの香りを、お母さんも……。
「アレス兄上、彼女の診察もよろしいですか? 疲労にしては……、気になる点がありますので」
「シルク殿、女王の診察を任せて頂けるだろうか?」
女王様の傍に腰かけていた国王様が振り向き、シルクと名乗っていたあの男性に許可を求める。
シルクさんは自分達の仲間であるおじいさんに戸惑い交じりの視線を向け、そして、頷きが返ってくると、「お願いします」と、頭を下げた。
「元々、今回の会談に介入したのは、グランヴァリア王を通し、リシュナ様と接触する事。……そして、我が女王の『病』を治す術(すべ)を見出す為でした」
「グラン・ファレアスならば……、我らが始祖と生まれを同じくする方の血を受け継ぐ貴方がたならば、この病を……、いえ、『呪い』を、どうにか出来るのではないかと。わしらはそう考え、ここに」
シルクさんの隣に立ったおじいさんが、しわくちゃのお顔に涙を浮かべ、同じように頭を下げる。
女王様が、病気? 呪い? ベッドを小さく軋ませながら起き上がった私は、女王様から少し離れた場所にちょこんと座り込む。
診察の様子が一部の人にしか見られないように、ベッドの周りに白い膜のようなものが出来上がっていく。
「リシュナ」
「ファルディアーノお兄様、なんですか?」
「診察の間、私の腕の中にいるといい。……呪いだと、言っていたからな」
「……はい」
呪いに干渉する事は、とても危険な事だと教わった事があるから、すぐに納得した。
私はファルディアーノお兄様に軽々と抱き上げられ、その腕の中におさまる。
女王様の毛布がお腹の辺りまで引き下げられ、衣服に手がかかっていく。
ラフェリアスさんと国王様、それと、女王様の側近の二人だけが診察の様子を見守る。
私はファルディアーノお兄様と一緒に一応別方向を向いているのだけど……。
「ロシュ・ディアナ王家に生まれし者は、皆、例外なく……、この『印』を始祖の祝福と称され、身体のどこかに刻まれてしまうのですじゃ」
「勿論、祝福と思っているのは始祖様だけですが。『印』を刻まれた王族の方々は、少しずつではありますが、生命力と魔力、ロシュ・ディアナの神性を奪われていきます。じわじわと、その身と魂を蝕む……、呪いです」
辛そうな声音のシルクさんとおじいさんの話を耳にしながら、私はひょいっと顔を女王様の方に出して診察の様子を見始める。
前をはだけられた女王様の素肌は女性らしくとても綺麗だった。
……だけど、その胸元からお腹にかけて見えているのは、広範囲に渡る謎の紋様だった。
その形を何かに例えるには難しく、まるで文字のようでもあり、花のようでもあり……。
「まさしく、呪いと例えて問題ないものだね……。流石、神様の眷属が施したものだよ、これは。まず、術式が朧気にしか読み取れない。定期的に、なんらかの条件が揃った時に、呪いの効果が発動するみたいだけど」
「呪いが発動する条件を教えて頂けるだろうか? 御二方」
「確認出来ているのは二通りですじゃ。ひとつは、ロシュ・ディアナの国を保たせる為の術を始祖様がお使いになられる時。もうひとつは、──御柱様を降臨させる為の、儀式の時ですじゃ」
ロシュ・ディアナの国を、保つ為の術。
御柱の、降臨の儀式……。
黙って話を聞く私の耳に、女王様がどれだけの苦しみと宿命を背負って生きてきたのかが刻み込まれていく。
生かさず殺さずの方法で、王族や、力のある者達から力を吸い上げる、始祖の呪い。
けれど、どんなに少しずつでも、『印』をつけられた人達は力を奪われる度に疲弊し、その症状も様々な形として表れてくる。そして──。
「陛下には、グランヴァリアの始祖様を頼るように勧めました。ですが、陛下はロシュ・ディアナの現女王、いえ、始祖様に反旗を翻し者達の象徴。為さねばならぬ事は多く……」
涙を浮かべるおじいさんに、シルクさんがぽんぽんと優しく声を掛けながらその肩を叩く。
女王の座を追われ、暗殺までされかけた女王様……。
その上、始祖の呪いまで……。ファルディアーノお兄様の胸元をぎゅっと縋るように掴み、奥歯を噛み締める。
神の眷属という立場が生み出した傲慢さ。その犠牲となっている女王様や『印』持ちの人達。
始祖という存在一人の為に……、こんなっ。
「──っ!」
「リシュナ? どうした」
「頭が……、痛、い」
聞こえる……。どこからか、この世で一番嫌いな、恐怖の対象である……、あの人の笑い声が。
ここにいるわけがないのに、……いや、もしかしたら、レゼルお兄様達のいる、外に?
『眷属も民も、全ては我が愛しき御柱の君の為に……。ふふ、それがお前達の役目であり、栄誉なのよ』
「はぁ、はぁ……っ。い、やっ、……うる、さぃっ」
違う。これは、『記憶』だ。
頭の中に浮かび上がってくる、寂れた廃墟みたいな場所……。
私を見下ろしながら嗤う、赤い爪の……、そして、……私の、周りに……、沢山の、あれは──。
「い、いや、……嫌っ! どこ? レゼル、レゼルお兄様っ、どこっ?」
「陛下! リシュナがまたっ」
「情報は、記憶の鍵、か……。恐らく、今の話の中に、リシュナが囚われていた間の何かに触れるものがあったのだろう。ファル、リシュナをここに」
苦しくて堪らない。呼吸がどんどん乱れていく。
まだ、頭の中には『記憶』が鮮明に……っ、嫌だ! 思い出したくない!!
『光栄に思いなさい。混ざり者如きが……、──に、……の、だか、ら』
「──っ!!」
忘れたと、忘れたいと願い続けてきた『記憶』が、ようやく、薄れてきたあの頃の恐ろしい日々が、一気に、押し、寄せて……っ。
全身を、心を、魂を、──絶望が支配するかに思えた。
だけど、国王様とファルディアーノお兄様に握られた両手から強い力の気配が流れ込んできて、ハッキリと蘇ったはずの『記憶』がまた霞の中に消えていき……。
「はぁ、……うぅっ、……国、王、様。ファル、ディアーノ……、お兄、様」
「もう大丈夫だ。怖いものは全て、蓋をしてやった。お前が望まぬ限り、もう見る事はない」
「あり、……が、……で、も……、あれ、は」
「リシュナ、その『記憶』は私と陛下が受け取った。後は私達に任せて、今は眠りなさい」
「……は、ぃ」
酷い嫌悪感と不快な感覚の後に訪れ始めた、ほっとするようなあたたかさ。
全身に汗を掻いているはずなのに、……とても、心地、良い。
だけど、国王様とファルディアーノお兄様の手のぬくもりを感じながら意識が落ちるその時。
「あ、れ……」
心から安心して眠っていいはずなのに……、僅かに覚えた、冷たい、ぞくりとするような感覚。
それが何に対してだったのか……、眠りゆく私には、わからなかった。
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