仮面


 

 ――Side リシュナ



「……レゼルお兄様、そろそろ向こうで寝てください」


「護衛が居眠りこくなんて大問題だろ? 別の場所に行くのも論外だ」


 夕食後に泊まった、客室から続く寝室の中。

 やわらかなオレンジ色のライトに照らされる部屋の中、私は自分が寝ているベッドに背を預けて胡坐を掻いているレゼルお兄様に、もう一度声をかける。


「何かあったら呼びますから、向こうに」


「い・や・だ。前にもあっただろう? ディルの親父達がお前の部屋に侵入して、……お前は、俺の目の前で、アイツ等に、付いて行った」


「あ……、あ、あの時、は、……す、すみませんでした」


 私が起き上がり、ぺこりと頭を下げると、レゼルお兄様はこちらに向いて顔を顰めていた。

 あの時と同じ後悔をさせるな、と言いたいらしい。

 ベッドの縁に右腕を乗せながら見上げてくるアメジストは、私の事が心配で心配で堪らないと言っているかのようだ。何があっても、すぐ助けられる場所にいたい。今度こそ、絶対に、と。

 レゼルお兄様の少し冷えてしまった左手に頬を撫でられながら、……胸の奥が、きゅん、と、よくわからない感触を覚えてしまう。……時々ある事だけど、この反応には何の意味があるのだろう?

 不快、というには、感覚的に違う気もするし、いや、むしろ、病気か何か、と不安になる時もあったけれど、お医者様は特に問題なしと太鼓判を押してくれた。


「俺はお前のお兄様だからな。可愛い妹を守る為なら、なんだって出来るさ。いや、なんだってしたい。お前の為なら」


「んっ。……あ、ありがとう、ございます。……でも、今回は仕方がありませんけど」


「ん?」


「わ、私も、いつまでも子供ではないので、徐々に、……少しずつ、でいいので、出来れば、その過保護な部分を、……れ、レゼルお兄様?」


 過保護をやめてください、とも言えず、遠回しにお願いしていた私が見たものは、シーツにべしっと顔面をぶつけて、絶望感たっぷりに涙を流しているらしきレゼルお兄様の姿だった。

 ぷるぷると震えている、男性らしい肩幅の広い身体。蒼の長い髪まで神経が通っているかのように、全体がぷるぷる、ぷるぷる。そ、そんなにショックだったんですか、レゼルお兄様。


「はぁ~……。なんか、俺ばっかり好きで辛いなぁっ。世の中の兄は皆、こんな思いをしてるのか~?」


「わ、私も……、れ、レゼルお兄様の事を、……ちゃ、ちゃんと、大事に、思ってますよ? 私の……、大切な、家族、です、から」


「……好きがいい」


「はい?」


「大事、とか、大切って言葉も嬉しいが、やっぱり可愛い妹から貰うなら、『お兄様、大好きです!』が一番だろう? ――って、リシュナぁあああっ!! スルーして寝るのやめろぉおおっ!!」


 ……はぁ、毎回毎回、妹に何を求めているのだか。

 そんな事、絶対に言いませんよ。……お兄様への伝えきれない親愛は、いつだって、この胸の奥に。


「……ん?」


 毛布の中に潜り込んでいた私は、また、……あのよくわからない感覚を覚えていた。

 なんだろう。今度は、同じようで、……同じでもないような、ふんわりとあたたかい、喜びの感覚に似た何かが胸の奥で鼓動を刻んでいる。


「なぁ、リシュナ~。たまにはデレよう? お兄様にデレデレになって、喜ば」


「おやすみなさい、レゼルお兄様」


「うぅうううううううううううううううううううっ」


 私より何倍も年上のくせに、……はぁ、本当に、子供みたいに無邪気で、色々と面倒な人だ。

 だけど、自然と零れ落ちてしまう自分の含み笑いと胸のあたたかさに、確かな幸せを感じている。

 そう、これは、私が心から望んでいた、幸せのひとつ。

 嘆く声にまだ笑いが止まらなくて、私は毛布の中からひょこっと顔を出す。


「どうせ近くで守って下さるのなら、私の抱き枕になってくれませんか? 今夜はちょっと寒いので」


 ぽんぽんと、ふかふかのベッドを叩いて微笑むと、お子様吸血鬼のお兄様はすぐに私の傍へと潜り込んできた。

 私を自分の腕の中に抱え込み、毛布をしっかりと掛けてから鼻歌を奏で始めるレゼルお兄様。


「ふぅ……。ベッドはこんなに広いんですよ? くっつく必要は」


「緊急事態に備えてだ。ふふん、これなら護衛もバッチリだな!」


 何度も言いますけど、――もうっ、本当にこのベタ甘な過保護お兄様は!!

 初めての事でもないから、仕方ないと諦めるしかないけれど……、レゼルお兄様と向き合うように密着して寝るこの体勢は、……やっぱり、乙女的には恥ずかしいし、……あ、また胸が、きゅん、と。

 三年も一緒に暮らしていて、添い寝もよくある事だったのに……。

 今夜は特に、レゼルお兄様のぬくもりが嬉しいような、囁きのような吐息が、頭を撫でてくれる大きな手が……。


「レゼルお兄様」


「ん~?」


「……だ、大好き、です、よ?」


「――っ!?!?!?」


 今日は特に心細い思いをして、色々と迷惑を掛けてしまったから……。

 だから、今夜だけは素直になってみようかなと思って、小さく言ってみたら……、――えっ!?

 レゼルお兄様の心臓が、物凄い速さでドッキンドッキン! と、おかしなリズムを打ち始めてしまった!!

 え? えっ!? 病気ですか!? 突然の何かですか!?


「れ、レゼルお兄さ、――っ!?」


 淡い光の中、気のせい、とは思ったのだけど、――なんで顔を真っ赤にしてるんですかっ!? この人は!!

 

「うっ、……うぅうっ。い、妹、からのっ、か、可愛い、妹からのっ、だ、大好きっ、ううっ、う、嬉しいっ、嬉しすぎてっ、――ぁあああああああああああっ!! リシュナぁあああああっ!!」


「むぐっ!! く、苦しっ、ちょおおっ、れ、レゼル、お、お兄、様ぁっ」


「俺も大好きだぞ~!! 世界で一番っ、世界で一番っ!!」


 わかりましたっ!! わかりましたからっ!!

 

「も、もうっ……、ぜ、絶対に、……い、言いま、せんっ。ぐふっ」


 熱烈すぎる兄の抱擁は、――私をそのまま夢の世界行き、特急便に送り込んだ。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「――ッ!!」



 心から安らいでいたぬくもりの中、――異質な気配が、室内に生じた。

 全身にぶわりと鳥肌が立ち、反射的に眼(まなこ)を限界まで見開く。

 私が状況を把握する為に視線を動かす前より早く、レゼルお兄様の小さな、だけど、とてもしっかりと支えてくれるような声が、私の耳を撫でる。


「大丈夫だ。安心して俺の傍にいろ」


「……はい」


 レゼルお兄様の片腕に抱かれながら、私は改めて周囲の様子を見まわしてみた。

 私達が眠りに就いていた寝室の面影など皆無。間取りも、家具も、何もかも、全部最初からなかったかのように、……別物になっていた。

 室内には変わりないのだけど、空間の広さが違いすぎる。

 灰色の石壁、幾つも並び立つ幹の太い柱の群れ。

 足元には白い色が走る謎の紋様が描かれた……、鮮烈な紅の絨毯が空間の端から端まで広がっている。



 ――ここは異空間だ。



 場を創る魔力の気配に気付いた私は、そう直感した。

 そして、絨毯の上に立っているレゼルお兄様と私の周りには、ぐるりと黒づくめの集団が退路を塞いでいる。

 それぞれ模様の違う仮面を被っている、怪しい集団にしか見えない人達。

 例えるなら、氷の刃。身を切り裂く程の殺気を放つ一団は、恐らく……、十人以上。


「――渡せ」


 仮面越しから聞こえた、男と思われる、くぐもった低い声。

 レゼルお兄様の腕の中でびくりと震えた私は、もう一度向けられた言葉に目を見開く。


「その娘を、渡せ」


「断る。――さっさと退くなら聞かなかった事にしてやるが、もう一度同じ事を口にすれば」


 ふっ、と……、顔に風を感じたと思った瞬間、――事はすでに動いていた。

 何も手にしていなかったはずの、レゼルお兄様の右手に握られている、鋭さを帯びた長剣。

 パリン……、と、何かが割れる音が響き、私がレゼルお兄様の肩越しにそちらを覗くと。


「ふむ……。太刀筋は悪くない」


 何かの試験でもしているかのように呟かれた、威厳を秘めた……、初老男性の声。

 ほんの数秒前まで私達の目の前にいた人がそこに居て……、その足元には、真っ二つに割れた仮面がひとつ。

 ――だけど。


「仮面の下に、……仮面?」


 恐らくは、レゼルお兄様の一撃によって使い物にならなくされた仮面。

 それとは別の、今度は人を小馬鹿にしているかのような柄のそれを纏いながら、その人が私達に振り向き、何度か頷きを繰り返した。

 

「レゼルお兄様……」


「……退く気はない、という事だな?」


「その娘を渡せ」


「くどい」


 レゼルお兄様の怒気を含んだ一言を合図に、仮面の男達が一斉に私達を襲ってきた。

 放たれている殺気は全て本気のもの。――つまり、この場で始まったのは、

 それぞれが素人業とは思えない剣捌きで立ち回り、次から次へと攻撃を繰り出してくる。

 多勢に無勢だけど、レゼルお兄様は難なくその全ての刃を長剣一本でいなし、私というお荷物の存在などないかのように、一人、二人、一気に三人!!

 

「ぐぁああっ!!」


「くっ……」


 誰もが、レゼルお兄様の一撃を避ける事は出来ず昏倒させられていく。

 だけど……、何の手出しもして来ていない何人かの人達は、やられてしまった仲間達の姿には全く動じておらず、むしろ……、こちらを、観察しているような気がして、逆に気味が悪い。

 

「小手調べをしているんだろうが、この程度の雑魚じゃ、俺の相手にはならないぞ。――あまり舐めるな」


 先程よりも強い威嚇の意を込めて睨みを利かせたレゼルお兄様だけど……、残っている敵には、何の効果もないようだ。数人が仮面越しにお互いの顔を見合い、――そして。


「――ッ!!」


「レゼルお兄様っ!!」


 しっかりとその様子を観察していたはずなのに、その数人の敵は一瞬で姿を消し、――私達の懐へと入り込んでいた!! 長剣を振るう暇さえない、敵の手には、獲物の血を求め飢えている刃の光。

 それも、一方からだけじゃなくて、一斉に全方位から!!

 レゼルお兄様が貫かれ、引き裂かれてしまう恐ろしい未来がよぎった私は、絶対に実現してほしくはない光景の訪れを恐れるように、周りの様子がスローモーションみたいに見え始めて……。


「――舐めるなと、言ったはずだ」


「「「――ぐっ!!」」」


 怯えも、死への恐怖もない、それは、何者にも屈しない、力強い声。

 レゼルお兄様の足元から竜巻のように膨れ上がったのは、――清廉な蒼の光。

 次いで、勢いよく天へと向かって螺旋を描いたのは、黒い稲光に似た輝き。

 以前に、魔力の扱い方を教えて貰う過程でレゼルお兄様に見せてもらったあれだ。

 魔力は、魔術という形に変えて放つ事も出来るけれど、体内から魔力自体を波動として放つ事によって、衝撃波のような効果を得る事も出来る。

 今、レゼルお兄様がやったのはそれで、私達を中心に凄まじい衝撃波が全方位に向けて荒波のように襲いかかった。仮面の敵も当然防御はしたようだけど、その場に留まる事は出来ず……。

 吹き飛ばされていくその姿を見ながら、ごくりと息を呑む。

 レゼルお兄様は、グランヴァリア王国の精鋭、シュヴァリエ達を束ねるグラン・シュヴァリエの一人。

 その戦闘能力は説明するまでもなく、国王様の剣として敬われ、そして、恐れられている存在でもあると、聞いた事がある。……だけど、その力を滅多に使わないから、いざ目の当たりにする状況になると、ちょっとだけ……、ぶるっときてしまう。


「本気を出してやってもいいが、可愛い妹が見ている前なんでな……。出来る限り、穏便に事を済ませたい。――お前達は、ロシュ・ディアナの者だな? 言っておくが、黙秘は通じないぞ。もうその気配には覚えがあるからな」


 各種族には、個々が纏う気配の中に、必ず種族性を表す気配、というか……、レゼルお兄様曰く、匂い的なものも含まれているのだそうだ。私にはまだよくわからないけれど、確かに、ロシュ・ディアナ一行から感じた気配が混ざっている気がする。

 それに、その件がなくても、現状で襲撃を仕掛けてくる相手なんて、ロシュ・ディアナ以外には心当たりがない。レゼルお兄様のきっぱりとした指摘に、仮面の一人、……レゼルお兄様が一枚目のそれを割った相手が、顎の辺りに手を当てながら、くすりと笑う気配がした。


「ディグナ階級は仕方なしとはいえ、ふむふむ、これは……」


「ディグナ、階級……?」


 黙っているべきかと思ったけれど、自然と疑問は滑り落ちていた。

 気絶している仮面の人達を眺めながら『ディグナ階級』と言ったから、そこには何らかの組織的な優劣や階級というものが存在しているのかもしれない。

 先に弱い者を放ち、相手の強さを見極めながら何かを観察しているような……。

 声を発すると、仮面の人の視線がレゼルお兄様ではなく、私に向いた……、気がする。

 

「では、次だ」


「レゼルお兄様!!」


 仮面の人が指をぱちんと鳴らした途端に、――また仮面を付けた敵が現れた!!

 それも、……こ、今度は、お、多すぎて数えきれないっ。

 得物を構えた仮面の集団に取り囲まれ、私の胸に不安が押し寄せてくる。


「数だけ揃えた……、わけじゃなさそうだな」


「さっきのディグナよりは遊べるだろう。――だが、その娘を守りながらでは、少々きついがな」


 じりじりと歩みを進めてくる仮面の集団……。

 レゼルお兄様の顔を見やれば、小さな舌打ちを零しながら私を抱く手に力を込めていた。

 ディグナと称された、一番初めの人達よりも強い集団。

 レゼルお兄様が負けるわけがないと信じている私だけど……、『足枷』が、別の望まない未来を作り出してしまうかもしれない。――私という、お荷物が。

 

「レゼルお兄様、私を下ろしてください」


「駄目だ。こいつらは俺とお前を引き離す事が目的だ。今選べる道、そのどちらを選んでも、隙を作る事になる。

だから、――俺は絶対にお前を離さない」


「レゼルお兄様……」


 柔らかな感触の優しいキスが私の額に誓いの証として贈られ、レゼルお兄様のあたたかな微笑みに胸を打たれる。この人は私を裏切らない。私を切り捨てたりしない。

 あの恐ろしい悪夢のように、私を疎んだり、しない。

 そんな安心感を覚えながら、――私は真顔になって反論した。


「と、頼りになる兄らしさノリノリなところ申し訳ありませんが、やっぱり私はお荷物だと思うのです。なので、これを」


 夜着の胸元から取り出してみせたのは、真紅の輝きを宿した小さな宝石のペンダントトップ。

 グランヴァリアの国王様からの賜り物の登場に、レゼルお兄様の顔がみるみると悔しそうに歪んでいく。


「リシュナ……っ、お前なぁっ」


「これなら、安心保障千倍です」


「うぅっ、うううううううううううううっ!! くっそぉおおおおおおっ!!」


 あくまで私をその腕の中で守りたいおつもりのレゼルお兄様が私を頭上高くに向かって放り投げる。

 仮面の皆さんの間に走るどよめき。わかります、突然のこの展開、意味不明ですよね。

 だけど、私とレゼルお兄様にはしっかりと把握出来ています。

 空中で無防備になった私をすぐにシャボン玉のような幕が包み込み、レゼルお兄様の張った結界が作用し始める。そして、私の胸元で真紅の光が眩い輝きを放ち、――結界のさらなる強化が瞬時に完成した。

 私の真下では、白銀に煌めく長剣を手に、「リシュナの馬鹿、馬鹿ぁあああああっ!!」とか、「離れなくたって、こんな奴ら千人ぐらい軽いのにぃいいいいいっ!!」などなど……。

 大変残念な叫びを連発しながら、仮面の皆さんを片っ端から、……おおっ、やっぱり身軽な方が効率が良い。


「あ」


 ちなみに、レゼルお兄様の手を離れた空中待機の私の所にも、仮面の皆さんが何人か襲い掛かってきたけれど……。



「うわぁあああっ!!」


「ぐぁあああああっ!!」


 レゼルお兄様の張ってくれた強力な結界の効果もあるけれど、一番凄いのは、――国王様がくれたアイテムの最強さだった。

 仮面の皆さんは私に触れる事も出来ず結界の力によって跳ね返される。

 ぷらす、結界強化だけでなく、反撃機能までついている国王様のアイテム効果で、無数の真紅の……、ボール? のようなものが容赦なく仮面の皆さんにドンドカドンドカ!! と。

 刃でも矢でもなく、ボール仕様……。なんだか可愛いと思ったのは一瞬の事で、その攻撃を味わっている仮面の皆さんの可哀想なこと……。あぁ、敵がどんどん撃沈していくというのに、この切ない感情は一体。


「国王様……」


 お茶目なあの国王様の事だ。

 これでもまだ、『遊んでいる』レベルの反撃機能なのかもしれない。

 見たところ……、大ダメージをお見舞いされながらも、仮面の皆さんは気絶しているだけみたいだし……。


「平和的……?」


「――リシュナぁああっ!!」


「え?」


 真下の残念な様子だけを眺めていた私は、レゼルお兄様の声がした方へ反射的に顔を向けた。

 丁度、私の正面。金属の耳障りな大きな衝撃音が響き渡り、レゼルお兄様の背中が視界に映り込む。


「レゼルお兄様っ!!」


「くっ……!!」


 その肌を競い合う刃と、小さく聞こえた、「ふむ」という声。

 レゼルお兄様の向こう側でそう発したのは……、おそらく、あの初老と思わしき声の男性だろう。

 周囲を見まわしてみれば、何人か敵は残っているものの、こちらに向かって攻撃の手を放ってくる気配はない……ように感じられる。


「ある程度はやるようだが……、まぁ、こんな場所では本気を抑え込むしかない、か」


「雑魚を餌に、卑怯な真似をする奴に見せる本気はないっ」


「ふむ。正々堂々が好きな清廉潔白タイプか……」


 拮抗していた力が一度解(ほど)け、また刃が凄まじい力と共にぶつかる音が場を震わせる。

 結界の中から、レゼルお兄様達が高速で移動し、剣をぶつけ合う姿を必死に追う。

 どちらも相手に後れを取らずに動いているように見えるけれど……、何故だろう。

 あの初老の声の仮面の人の方が、精神的に余裕があるように感じられる。

 レゼルお兄様の戦い方やあらゆる面を観察しているような……、そんな印象が、ずっと。


「グランヴァリアの若き騎士よ。あの娘を渡せばそれで君の重荷はさっぱりと消えてなくなる。何故執着する?」


「勝手に、ウチの可愛い妹を重荷呼ばわりするな……っ。 リシュナは俺の大切な妹だ!! 突然現れた変質者なんかに、ぽいっとくれてやる気はない!!」


「ふむ……、なるほどなるほど……。君にとってあの娘は、その存在そのものが宝なのか。――だが」


 感心しているような含みと、暢気な物言い。

 戦いの場でなければ、それじゃあ話の続きをしつつお茶でも、と言えるような和みを感じさせるものだったけれど、事態は逆に動いた。

 初老の声の人がそれまでの戦闘スタイルをがらりと変え、一気に攻めへと転じたのだ。

 優劣を感じさせなかったバランスが、一瞬にして崩れ去る。

 レゼルお兄様は猛烈な勢いで襲い掛かってくる刃を防御のみで受け止め、なかなか攻撃に転じられなくなった。

 

「レゼルお兄様……っ」


 違う。レゼルお兄様が弱いわけじゃない。

 以前に教えて貰った知識によれば、異空間、つまり、別空間を作り出した場合、完全に元の場所と切り離すタイプと、元の場所と繋がりを持たせたままのタイプがあるらしい。

 前者の場合は、どれだけの力を使おうと、決して外部に影響が及ぶ事はない。

 だけど、後者の場合は……、元の場所と繋がりを残している為に、外部への影響を考えて力を使わなくてはならない。


「ぐっ!!」


 自分の頭上高くから真っ直ぐに飛び込んできたその重たい一撃を、レゼルお兄様が何とか受け止める事に成功する。……受け止めは、出来たけれど、事態は思わしくない。


「ふむふむ。好きだよ、そういう『優しい関係』。あの娘は幸せ者だ。何の関わりもない、本来交わる運命(さだめ)にはなかった者にこれほど愛されるとは……。だが、その兄妹ごっこも、時期終わる」


「――ッ!!」


 レゼルお兄様の剣とは違い、湾曲型の大きなその剣が魔力を帯びた風を纏ったそれが、あらゆる角度から斬り込み、薙ぎ払い、一撃一撃を防がれても勢いを増していく。

 周囲に控えている仮面の人達は、ただ黙って戦闘の様子を見守っているだけ……。

 追撃の手がレゼルお兄様に及ぶか及ばないかはまだわからないけれど……、事態はこちらにとっての不利に偏り始めているような気がしている。


「その娘が居るべき場所は、君の傍ではない。――在るべき場所に帰す事が、親心ではないかな?」


「はっ!! お前らみたいな超絶胡散臭い連中が迎えに来てなきゃなっ!!」


「――ッ!!」


 湾曲した剣の一撃を受け止めた瞬間、今度はレゼルお兄様が勇ましく逆襲に転じていく。

 相手の武器を薙ぎ払い、魔術による一撃をその腹に叩き込み、その後方に佇んでいる柱へと吹き飛ばす。

 防ぐ余裕がなかったのか、初老の声をしていた仮面の人は石の柱へと深くめり込むように激しく打ち付けられ、た。その衝撃で、柱に大きな亀裂が無数に走り、一瞬で歪(いびつ)に変形してしまう。


「ぐっ……、なるほど、な……」


 軽傷どころか、身体中の骨が折れてもおかしくはない……、いや、下手をすれば即死だろう。

 けれど、あの人は喉の奥で楽しげに笑ってみせたのだ。

 敵から酷い一撃を受け、柱にぶつかった時に血まで吐いていたように見えたのに……、何故。


「グランヴァリアの頂点に侍る存在と聞いてはいたが……、ふむ、面白いな」


 ククッ、ククククッ……と小さく笑い続ける仮面の人に、私もレゼルお兄様もドン引きだ。

 あぁ、でも、世の中には、戦いを遊びと捉え、命を懸けたやり取りに興奮したり、喜びを覚える人もいると聞く。だから、強い相手に出会えた時の喜びは……、えっと、なんだったか。

 

「久々に楽しめそうで嬉しいよ……。あぁ、こんなエクスタシーを味わえるとは、ククッ、ククククッ」


「……へ」


「変態だ……」


 私が思わず言いかけたドン引きの言葉に被り、レゼルお兄様がぶるりと身体を震わせながら、げんなりと言った。周囲をぐるりと見てみれば、まだ控えている仮面の人達も……、何故だろう、仮面越しでもドン引きしているのがわかる。多分、あの初老の声の人が上官? なんでしょうけど、……大変ですね。同情します。


「と、とにかく……、まだ戦(や)るなら相手になるが、退くのなら、見逃してやる」


「ククッ……。いやぁ、この感覚を捨ててまで守る『命令』もない。もう少しだけ、そう、君の『データ』収集をしながら楽しませて」


『――勝手に楽しまれては困ります。さっさとこちらに戻っていらっしゃいな、――ド変態さん」


「え?」


 まるで、意外に美味しかった食事のお替りを求めるように、至るところから血を垂れ流しているその人が、自分の左手にもう一本の湾曲した剣を出現させ柄を握り締めた瞬間の事だった。

 どこからか響いてきた、呆れ気味の……、年若い少女の、声。

『このド変態が』という響きだけ、凄く冷え切っていたような気がしたけれど、この声は――。


「やっぱり茶番、か」


「レゼルお兄様?」


 私を守ってくれていたシャボン玉がパチンと弾け、支えを失った直後にふわりとレゼルお兄様の両腕が私を迎えてくれた。あの人よりは傷も少ないけれど、服には裂傷の跡が幾つも出来ているし、肌が露出して出血している部分も……。


「レゼルお兄様」


 小さく紡いだ癒しの詠唱。

 私がレゼルお兄様の傷口に手を添えると、きらきらとした星屑のような輝きが小さな傷跡を癒してくれた。

 

「有難うな、リシュナ」


「いえ」


 傷の全てを治せたわけでもないのに、レゼルお兄様は嬉しそうに微笑むと、また私の額に優しいキスを。

 無事で良かった……。レゼルお兄様の強さを本人や周りの人達から教えられていても、それでも、……不安という闇は、私の中に在った。

 だから、こうやってレゼルお兄様のぬくもりに触れられる事が、一番安心出来る瞬間だ。

 

「ふむ……。別に『命令』を無視してもいいが、君は心躍る楽しみを奪われても平気かな?」


「正体不明のド変態と何を楽しめって? いいから、さっさと術を解け」


「はぁ、つれない、……つれない子だ。私は常に心に刺激を求めているというのに」


「どつくぞ」


「はいはい。揃いも揃ってせっかちだ」


 だらだらと血を流しているというのに、あの仮面の人は痛覚が鈍いのだろうか?

 服に付いていた汚れや埃を払い落としながら、ブツブツと戦いを続けられない文句を呟いているし……。

 

「まぁ、まだ楽しみが終わったわけではない、か」


 仮面を着けているのに笑みを浮かべているのがわかるのは、あの人がわかりやすい気配を纏っているから。

 その右手が頭上にも持ち上げられ、――ぱちん。

 私は、目の前の景色が歪み、黒く染まるのを息を呑みながら見ていた。

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