楽しいお茶会?



 ――Side リシュナ



「というわけで~、お言葉に甘えさせて頂く事にして、遊びに来ちゃいました~」


 会談が決裂しかに見えた日の夕方。

 私達が泊まる事になった王宮の客室へと、その人は突然やってきた。

 ――ロシュ・ディアナの女王様が。

 臣下の人達を連れていないところをみると、……もしかしなくても、抜け出してきた、のだろうか。

 ふわりとしている薄桃色の髪を揺らし、入口で立ち尽くしているフェガリオお兄様の横から部屋に入ってきた女王様は、ニコニコとした笑顔で私の前に立ち。


「――え?」


 ひょいっと、ぬいぐるみでも持ち上げるように私をその両腕に抱え、ぎゅぅううっと抱き締めにかかってきた! 女王様の訪問、それも単独行動に驚いていた全員の、一瞬の隙に起こった出来事。

 フェガリオお兄様は完全にフリーズ状態。レゼルお兄様は何か抗議しようとしながらも、口をぱくぱくさせて、行き場のない右手を宙に遊ばせているだけ。ディル君達は「おお~! すっげ~」とか、個々に感想を漏らして、観察に入ってしまっている。――だ、誰かっ。

 女王様の両手に支えられ、くるくると一緒にまわされる私。

 どうしよう、この状況についていけないのですが!!


「あ、あのっ、……うぅ、うぷっ、……じょ、女王、さまっ、ま、まずは、……そ、ソファーにっ」


「ふふ、お気遣いありがとう~」


 本当に、お花畑の中で育ってきたかのような、天真爛漫な人だ。

 その嬉しそうな笑顔に悪意の片鱗は感じ取れず、私を抱えている力にも、痛みの類はない。

 ……違う。何かがおかしいと思っていたら、彼女の『力』が根本から変なのだ。

 可憐な少女にしか思えない女王様が、十歳前後にしか見えない私を軽々と持ち上げ、自由自在に振り回している。まず、ここがおかしい。

 ロシュ・ディアナという種族には、怪力の特殊能力でもあるのだろうか?

 ……私には、ないけれど。多分。


「コホンッ。……お、恐れながら、女王陛下」


「なんですか~?」


「ここにいらした事を……、臣下の方々は? それと、そろそろウチの妹が目をまわしそうになっているので、お放しくださいますよう、お願い申し上げます」


 いえ、レゼルお兄様。私はとっくに、ぐるんぐるんのぴ~よぴ~よで目をまわしてますよ!!

 同性だからなのか、はたまた私がお子様仕様だから可愛がりたくて堪らないのか、散々クルクルまわして下さってから、女王様は私を下ろしてくれました。

 あ~……、視界が、くるくる、くるくる。


「ふにゃ~……」


「リシュナ!!」


 上等の毛並みを誇る絨毯の上でバランスを崩し、ぽふんと倒れ込んだ私をレゼルお兄様が血相を変えて助け起こしてくれる。あぁ、だけど、揺さぶらないでくださいっ、気分が、うぷっ。


「あら、ごめんなさいっ。私ったら、お嬢さんともう一度会えたのが嬉しくて、ついっ」


「い、いえ……、よ、喜んで頂けて、光栄、ですっ。ぐふっ」


「リシュナぁあああっ!!」


 気に入って貰えたのなら良かった、というのは本音だけど、この人の喜びの表現には今後注意を忘れないようにしておこう。レゼルお兄様の手によってソファーに運ばれた私は、そのお膝の上に頭を乗せられ、なぜか、女王様と対面式でお話をする事になってしまった。……何の演出ですか? これは。

 仮にも、一国の女王様相手に対面式でこの寛ぎスタイルは……、どう考えても不敬!! だと思います。

 でも、ロシュ・ディアナの女王様は眉を顰めるでもなく、無礼を咎めようともしない。

 やっぱり、ロシュ・ディアナという種族的の印象的には、ずれているというか、何というか……。


「それで? 臣下の方々は」


「ふふ、シルフ達には伝言を残してきましたから大丈夫ですよ~。私、気配を消したりするのがとても得意ですから~、二時間は余裕ですっ!」


「…………」


 少しずつ回復してきたと思いながら、少しだけ俯いたレゼルお兄様の表情に残念さを覚える。

 そうですね、一国の女王様が他国の地で突然の行方不明だなんて、たとえ書き置きを残していたとしても、臣下の人達にとっては、大問題ですよね。その残念なお気持ち、よーくわかりますよ、レゼルお兄様。

 私がこくりと小さく頷くと、レゼルお兄様は入口の方に顔を向け、また女王様に視線を戻す。

 きっと、フェガリオお兄様に城内やロシュ・ディアナ側の様子を見に行ってくれるように頼んだのだろう。

 それと、グランヴァリアの国王様への報告も一緒に。


「――もぐもぐっ。ん~!! ふふふ、ふふふふふっ」


「「「…………」」」


 女王様が客室を訪ねて来て下さってから三十分程……。

 大急ぎでお茶の支度をしてくれた女官さん達が退出し、一応、お茶会の体(てい)を取った場に……、どう反応すればいいのか非常に迷う光景が起こっていた。

 ハート型のチョコレートクッキーを頬張り、この世で一番幸せそうなお顔をしながら器用に笑っている女王様。

 レゼルお兄様の隣に座りなおしていた私は、女王様以外の全員と一緒になって若干青ざめている。

 女王様らしくない女性、という印象はますます強まるばかりで……、あぁ、やっぱりこの人は偽物なのだろうな、と、確信的なものを覚えてしまう。

 ――だけど、ふと、女王様の様子がよく見える位置、窓際のカーテンの影にいつの間にか立っていた子供姿のクシェルお兄様の目が……、どこか、私の心に不安を落とす。


「あの、女王様……」


「んぐっ……、ふぅ。はぁい、何かしら? リシュナちゃん」


 突然の、名前プラスちゃん呼び!? お嬢さんから親密度がアップした!?

 そのフレンドリーさに何かあたたかいものを感じ、私はぷるっと震えてから……、肝心の話題を出さずに、私は別の話題を口にしてしまった。


「ろ、ロシュ・ディアナという国は……、ど、どんな場所、なのでしょうか? と、特産品とか、お国のな、訛り、とかっ」


 私は何を聞いているのだろうか。明らかに挙動不審すぎて、レゼルお兄様から無言の、「落ち着けっ、落ち着け、リシュナ!!」という声が聞こえてくる。

 いや、でも、最初から、「貴女の匂いが気になります!」なんて、それこそ不審者的な質問だと思うから、徐々に距離を詰めて、自然な流れで核心をっ。


「う~ん、そうね~……。とりあえず、国自体は広いのだけど、お外の国とあまり交流がなかったから、こちら側の国のように、賑やかさや活気は……、足りていないかもしれないわね」


 女王様は、自分達の種族の特徴や、色々な事を話してくれたけれど、そのどれにも……、自分の種族を誇っているような、その生まれで良かったと思わせるような表情は浮かんでいなかった。

 呆れ気味というか、寂しそうというか、……若干、怒りの感情も伝わってくるような。

 

「陛下は、今のご自分の統治なさっている国を、どう変えていきたいと思っていらっしゃるのですか?」


 説明が一段落したところで、レゼルお兄様がさりげなく質問を挟んでくる。

 意味深に、ではなく、とてもさりげなく、話題のひとつとして尋ねたような声音。

 その問いに女王様も答える。あっさりと、あっけらかんと。


「そうですね~。まずは議会の方々に引退して頂いて、積極的に国を開き、他種族の方々と交流したいです。ふふ、もう退屈で窮屈な世界はうんざりですから」


 この人が偽物かどうか、というよりも、その国の民としての一意見を口にしている、と思うべきなのだろう。

 得た情報からわかるのは、ロシュ・ディアナを支配しているのは、『議会』と呼ばれる組織の人達。

 遥か古から続いてきた鎖国状態のロシュ・ディアナは、その独裁という名の鎖から解き放たれる事を心底願っているのかもしれない。そして、その事を平然と口にしている彼女は、女王様の身代わりとして使われていながらも、心は常に祖国の在り方に反旗を……。


「私達は、神に仕えし眷族と伝わっているけれど、他の種族と仲良くしちゃいけないというルールなんて、本当はないの。言っているのは、『議会』の人達と……、一部の困った人達だけなのよ」


「そうなんですか……。じゃあ、今回の会談が成功すれば」


「私は乗り気なのよ? だけどね……、たとえその吉報を持ち帰っても、今はまだ……」


「その変化を受け入れる体勢が整っていない、という事ですね?」


 言葉を濁した女王様に、レゼルお兄様が紅茶のティーカップを静かにソーサーへと戻しながら問いかける。

 女王の言葉が全てを動かせる国ではないと、先に変えておかなければいけないものが山とあるのだと、察しながら。


「ええ。ですから、今回はその第一歩として考え、出来るだけ早く、……事を為せるように努力したいと思っています」


 レゼルお兄様のアメジストを真摯に見返す双眸には、あのドジで大らかな彼女とは違う変化が表れているように思えた。……もしかしたら、最初から考えなおすべきなのかもしれない。

 あの、グランヴァリアの国王様がやり取りをしていた、という書簡の件から。

 女王の印が押されていたとしても、それを書いたのが女王様本人であるという証拠はどこにもない。

 そして、国王様と出会った最初の時に、書簡の件を出されても、目の前の彼女は否定も肯定もしなかった。

 聞き逃してしまったのか、……それとも、わざと書簡の件を無視したのか。

 そう考え直さざるを得ないと思うほどに、今の彼女はとても真剣に国の事を想い、凛としている姿に女王の風格さえ感じさせるものがあって……。


「……い、だから」


「女王陛下?」


「ふふ、いえ。……まぁ、きっと大丈夫だと思います。アレス様、いえ、グランヴァリア王達もご助力して下さるそうですし、流石に長期戦で考えれば、一部の皆さんも考えを改めて下さると思いますから」


 やはり、彼女は女王様本人、なのだろうか……。

 国を憂う眼差しと、僅かに聞き取れた、辛そうな、小さな声音。

 あぁ、彼女が女王様なら、どんなに良いだろうか。

 ロシュ・ディアナを変えようと、真剣に考えてくれる彼女なら……、私はもう一度、あの世界を恐怖の象徴ではなく、……愛する場所に思う事も、可能かもしれないのに。

 だけど、窓際に立っているクシェルお兄様は、いまだに警戒心を解いていない眼差しを女王様に向けている。

 まるで、敵を見るような目で……。女王様に、心を許してはいけない、と、そう言いたげな視線を一度私に寄越してきたけれど、……判断は、まだつかない。

 そんな不安を抱きながら、時間は他の話題を交えながら進んでいき、会話が静かに溶け消えてから、やっと私は最初の質問を思い出し、女王様に言う事が出来た。


「――私の使っている香水?」


「は、はいっ。とても、良い匂いだな、と思いまして……」


「ありがとう。これはね、王族や一部の者しか身に着ける事の出来ない、特別な香水なの。良かったら、夕食後にまた訪ねるから、分けてあげましょうか?」


「え? で、でもっ、そんな貴重なものを」


「ふふ、良いのよ。あの香りは、貴女にもよく合いそうだし」


「あ、ありがとう、ございますっ」


 王族と、一部の……、恐らくは、上位の貴族。

 その香水を賜る事を許された……、その香りを纏っていた人を、女王様以外に……、私は、知っているような。

 小さく、ずきりと頭に痛みが走る。女王様の纏う香水の香りが……、その姿が、別の、誰かに、なって……。

 

「すみません……。ちょっと、席を外させていただきます」


「リシュナ? どうした、具合でも悪くなったか?」


「いえ……、大丈夫、です、から」


「まぁ大変! リシュナちゃん、ベッドに行きましょうっ。顔色が悪いわっ」


 何故だろう……。女王様の心配そうな声が、その姿が、また……、別の、……誰、かの、……。

 ――最後に聞こえたのは、レゼルお兄様の私を呼ぶ大きな声だった。







 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




『あぁっ!! 忌々しいっ!! 我が種族の神性を汚し、破滅へ導く忌み子めっ!!』


『いやぁっ、いや……っ。許し、てっ、許して、っ、ぁああっ!!』


『貴様らのような混血は、いずれ――』


 私は、また、あの恐ろしい牢獄の世界に連れ戻されたの?

 赤い爪の、顔のよく見えない女性が何度も何度も振り下ろしてくる、理不尽な暴力。

 ただ、混血に生まれたというだけで……、どうしてこんな目に遭わなければならないの?

 種族の違う恋人同士も、夫婦も、外の世界には沢山いると、レゼルお兄様が言っていた。

 それなのに、どうして、私だけが……、罪の塊だと責められなければならないの!?


『助、け、て……っ。レゼ、ル……、レゼル、お兄、様……っ、レゼルお兄様ぁあっ!!』


 私を救ってくれた、もう一度生きる勇気と希望を与えてくれた光は、――何処!?

 

『リシュナ……』


『レゼル、お兄、様……っ。レゼ、ルっ』


 赤い爪の女性が、ゆらりとその姿を揺らし、私の前に求めていた影が落ちる。

 優しい笑みを浮かべ、私を見てくれる人……。私の大切な、あたたかな、唯ひとつの、光。

 心からほっと安堵の情が溢れ出す。


『レゼルお兄、様……』


 ボロボロになった身体で、よろよろとしながらも右手を伸ばす。

 目の前のその人が、どこにも行かないように、……置いて、行かれないように。

 だけど、私の手はもう少しでレゼルお兄様に届く瞬間に叩き落されてしまう。


『……え』


『――汚らわしい塊だ』


『お兄、様っ、……レゼル、お兄、様?』


 侮蔑に滲んだ、……今までに見た事もないほどに、私の心を八つ裂きにしようとするその表情。

 レゼルお兄様が、私を汚らわしいと言う。私を、触れる価値もないと言いたげに、距離を取る。

 何故……? どうして? あんなにも優しかった貴方が、どうして……、貴方だけは、そんな事を言わないと、私を、傷つけないと……、思って、いた、のに。


『私、が……、甘え、すぎて、……いた、から?』


 貴方の愛情に守られて、……このまま、ずっと、……そのぬくもりから離れたくない、と、ずっと、ずっと、傍にいたいと、願うようになっていた、から?

 所詮は拾われただけの、同情と、レゼルお兄様の贖罪めいた感情によって救われた、存在。

 いずれは、もう兄妹関係を清算してしまいたいと思っても、仕方がないのかもしれない。

 私はレゼルお兄様のお陰で生きている。与えられてきたものは数えきれない程にある。 

 だけど、私はこの人に何を返してこれただろう。……何も、何、ひとつ、返せていない。


『ごめん、な、さい……。だけ、ど……、私、は』


 貴方に捨てられてしまうのならば、……貴方に、要らないと、言われるの、なら。

 ――どうか、貴方の手で、私を殺してください。

 あの人達に惨たらしく命を奪われるよりも、私は貴方のあたたかな、たとえ、もう冷え切っていたとしても……。私の命を差し出してもいいと思えるのは、……貴方、だけ。

 そんな感情に支配されてしまうほどに、私の心は追い詰められ、生きる気力さえ……、消えかけていた。

 ――だけど。


「――っ!!」


「おっ、リシュナ! 大丈夫か?」


「凄い汗ですよ、リシュナ……。はい、お水です」


「凄く……、魘されていた。……怖い夢を、見たのか?」


 耐え難い『現実』から逃れようとしたのか、それとも、あの瞬間に一度自分は『死』を迎えたのか……。

 それこそが偽りの世界、――悪夢だったのだと教えてくれるかのように、私はベッドの上で目を覚ました。

 最初は、そこがどこかもわからず、自分自身の状態さえ把握出来なくて……。

 ディル君達に世話を焼かれながら、徐々に……、本当の現実が戻ってきてくれたのだと知った。

 あれは、夢。……レゼルお兄様のあの表情も、この手を叩き落した感触も、全て。

 けれど、呼吸は徐々に落ち着いてきても、心の乱れだけはいまだに治まらないでいる。

 室内に、レゼルお兄様の姿がない。ディル君達と私以外……、誰、も。


「安心しろよ。向こうの部屋に、クシェルの兄貴がいる」


「フェガリオとレゼルは、陛下への報告をする為に席を外していますけどね」


「女王は、……リシュナが魘され始める前に、帰った」


「そう、ですか……」


 ティア君から貰った水を少しだけ飲み、私はよろけそうになる身体でベッドの外へと向かう。

 勿論、そんな私をディル君達が駄目だと押し留めてくるけれど、駄々っ子のように私は首を振って抵抗する。


「すぐ、戻ります、から、レゼルお兄様の所に」


「なんでだよ~! アイツならすぐ戻って来るって言ってたし、別に行かなくても」


「無理はいけません。そんな事をすれば、レゼルが悲しみます。……面倒な程に」


「おれ達も、心配だ……。リシュナに何かあったら、泣く自信が、うぅっ」


 いつもだったら、ディル君達の優しさに感謝して、大人しく言う事を聞くのだけど……。

 今だけは、駄目だった。私は堪え切れずに湧き上がってくる衝動に従い、窓へと向かう。


「お、おいっ!! だから駄目だって、うわあっ!!」


 開け放った先に広がる、美しい青空。

 自由な空に焦がれる鳥と同じように、私はあの人の姿を求めて飛び立った。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「――ったく、何やってんだよ、お前はっ」


「うぅっ、は、放してくださいっ、クシェルお兄様っ!! お兄様の、レゼルお兄様の所に行かせてくださいっ」


 レゼルお兄様の気配を頼りに王宮内を飛び回っていた私は、その途中で後を追ってきたクシェルお兄様に捕まってしまった。さっきまでの子供姿じゃない、大人の姿をしているその手に。

 部屋で大人しく待っていれば、何の問題もなく、暫くすればレゼルお兄様に会えるとわかっている。

 だけど、どうしても……、今だけは、一刻も早くあの顔を見なければ、落ち着く事も出来なくて。

 面倒そうに息を吐きだしたクシェルお兄様が、片腕で私を捕えながら、もう一方の手で「うりゃっ!」と、まさかの手刀を打ち込んできた。私の額に。い、痛いっ。


「一旦落ち着け。難しくても落ち着けるよう努力しろ。……連れて行ってやる」


「え?」


 意外にも、あっさりと出た許しの声。

 てっきり、勝手な行動をしてしまったから、クシェルお兄様に怒られるか、嫌味を言われるか、と、今更になって思ったのだけど……。私を見下ろしているその表情は呆れ気味だけど、怒っている気配は感じられない。


「レゼルに会いたいんだろ? お前らのシスコン、ブラコンは救い様がないからな。当の昔に諦め切ってる」


「……」


 救い様がない……、ブラコン。……い、言い返せる言葉が、な、ない。

 普段はそうでもない、と思いたいのだけど、……心の根本の部分では、確かに……、ブラ、コン。

 シスコンを声高に宣言しているレゼルお兄様は別として、私としては、ブラコンと指摘されてしまうと……、ちょっと、地味に、ショック、かもしれない。は、恥ずかしいっ。


「その代わり、レゼルに会ったら大人しく部屋に戻れよ? ロシュ・ディアナ絡みで今は気が抜けないんだ。我儘を聞いてやるのも、今だけってな」


「クシェルお兄様……、あ、ありがとう、ございます」


 今度は、優しい仕草で額を小突かれ、クシェルお兄様がその姿で珍しく、微かな笑みを浮かべてくれた。

 貴重だなぁ、と思いながらも、宙の只中で身体の調子が悪くなった私は、その腕に今度は支えられながら、レゼルお兄様の許に向かう事になったのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「リシュナ!?」


 翼を消し、王宮内を歩きまわって、ようやく辿り着いた国賓専用の客室。

 途中で歩く力がなくなった私を片腕に抱き上げてくれたクシェルお兄様のお陰で、今一番会いたい人に……。。

 室内で何かを話し合っていたのか、ソファーには、国王様と宰相様、そして、その向かい側にレゼルお兄様がいて、窓側には何人かの臣下の人達が厳しい表情で立っていた。

 突然やって来た私達に集まる視線。場違いすぎて、自分が空気を読めていない事を自覚する。

 だけど、クシェルお兄様に下ろして貰った私は、一歩を踏み出して……、でも、突然、行動する勇気が、弱くなってしまって……。


「あ、あの……っ」


「陛下、ウチの愚弟をちょっと貸して貰えませんかね? 五分で返しま、――おい」


「リシュナっ、リシュナ!! どうした!? 何かあったのか!? 怖い夢でも見たのか!? それとも、体調の具合が悪化したとかっ」


「れ、レゼルお兄様……、あ、あのっ」


 国王様のお許しが出ていなくとも、レゼルお兄様は過保護なお兄様通常営業中だった。

 私の前まで一瞬で移動して来ると、私の顔色を覗き込んで状態の確認に忙しくなる。

 なんでさっきより顔色が悪くなっているんだ!?とか、 目が潤んで泣いた跡がある!! とか……。

 窓際にいる臣下の人達の反応は様々で、……あぁ、視線がイタイ。

 国王様は特にご気分を害されてはいないようで、何か抗議しようとした臣下の人に片手を上げて制してくれている。ごめんなさい、国王様。ご迷惑をおかけしております。

 対して私の方は、レゼルお兄様を近くに感じているせいか、どうしようもなく不安だった心が、すぅーっと、優しいあたたかさと共に消えていくのを感じていた。


「陛下!! 妹の緊急事態なのでっ」


「いえ、もう大丈夫です。レゼルお兄様、皆さん、お騒がせしました。クシェルお兄様、戻りましょう」


「リシュナぁあああああっ!?」


 ただ顔を見ただけで、その声を聴けただけで、こんなにも安心してしまうなんて……。

 単純過ぎる自分に思わず笑みまで零れた私は、まだ大騒ぎしようとするレゼルお兄様にもう一度声をかける。


「また後でお会いましょう。それでは」


「リシュナぁっ! リシュナぁあっ!! そんな無理しなくていいって!! 俺も一緒に戻る!!」


「陛下、さっきのお願いはなしで。それじゃあな、愚弟。しっかり話し合いに参加して、後で報告しろ」


 私がもう大丈夫だと察してくれたのか、クシェルお兄様がひょいっと私をまた片腕に抱き上げてくれる。

 レゼルお兄様と同じアメジストの双眸が、「本当にいいんだな?」と問いかけてくれている事気付いて、私も正直に頷く。本当にもう大丈夫です。レゼルお兄様の陽気な姿は、一瞬で効果をもたらしてくれました!

 だから、私は開いている扉の向こうを指差し、


「クシェルお兄様、ゴーです」


 退出の合図を掛けた。


「おー」


「ちょおおおおおっと待てぇええええええっ!! 俺も一緒に戻るって言ってるだろ!! リシュナぁっ、抱っこをこっちだ!!」


「いえ、お気遣いなさらず」


「ついでに他人行儀なのもやめてくれぇええええええええっ!!」


 追いすがってくる手に応えず、私はクシェルお兄様と一緒に部屋を出る。

 ――バタン。


『ちょっ、だから俺も行くって!! あ痛ぁあっ!! 宰相殿、何すんだぁああっ!! 痛っ、痛っ!! この野郎ぉおおおおおおおおおっ!!』


 トコトコトコ。

 本当に、子供っぽい我儘を押し通して……、場を乱しただけだった。私は。

 背後から聞こえてくるレゼルお兄様の声には安心させられるけど、国王様達には後日、謝罪のお手紙を出しておこう。


「アイツの顔ひとつで元気になるお前もあれだが、……ほんと、どっちが依存してんだかな」


「クシェルお兄様?」


 見上げた顔には、どことなく……、翳りのようなものを感じる。

 依存……。愛情表現が凄いのはレゼルお兄様だけど、きっと、依存しているのは、私の方。

 いつかは、自分一人の力で歩いていきたいと思いながら、……あの人の傍を離れたくないと我儘な事を願っているのだから。だけど、クシェルお兄様は私の顔に視線を向けると、「はぁ……、どうしたもんかな」と、何をどうすればいいのかわからない問いを落としてくる。クシェルお兄様?

 私に対して呆れている、というよりも……、何か、別に意味があるような気もして……。


「だ、大丈夫です……。お、大人になったら、頑張って自立する予定ですからっ」


 だから、レゼルお兄様や皆さんに依存しきって、甘えん坊で駄目な大人になんかなりませんからご安心を! と、含ませてみたつもりだったのだけど……。

 

「お前は、もうちょっと素直に甘えられるようになった方がいい。その方が可愛げがある」


「私を駄目人間にする気ですか? 今流行りのニートさんにする気ですか? むぅ……っ」


「ばーか。お前の場合は、俺達が何も言わなくても、外の世界に出ていくだろうが。……問題は、……だ」


 意味の読めない沈黙が落ちる。

 クシェルお兄様の足取りが遅くなり、……小さく、『サラ……』と聞こえた気がする。

 サラ……。レゼルお兄様とファルディアーノお兄様が口にしていた、女性と思わしき名前の人。

 私とレゼルお兄様の事に、どうして、その人の名前が出てくるのだろう。

 クシェルお兄様の呟きは囁きにもならないくらいに小さい。……言葉の輪郭が、伝わってこない。


「クシェルお兄様」


「ん?」


「……さ、サラって、……誰、の、事、ですか?」


「…………」


 その人の名前を口にした時のレゼルお兄様の表情や態度が、まだ、心に残っている。微かな不安と共に。

 どこの、誰で、レゼルお兄様にとって、その人がどんな存在なのか……。

 心の中にもやもやとした、……嫌な感情じみたものを抱えてしまうほどに、気になっていた人の素性。

 

「クシェルお兄様」


「……グラスティア公爵家の娘」


 グラスティアとは、レゼルお兄様とクシェルお兄様の家名だ。

 という事は、……二人の、家族? 姉か、妹、という事になるのだろうけれど……。

 何故、こんなにも他人行儀、いや、冷たい音で口にしたのか。


「俺にとっては妹。レゼルにとっては双子の姉だ。ファルディアーノ兄貴と一緒で、……引きこもりだ」


 また、沈黙がやって来る。

 冷たかったり、どこか、寂しそうだったり、クシェルお兄様のサラさんに対する感情がどうにも読めない。

 同じ引きこもりでも、ファルディアーノお兄様には普通だったのに……。

 もしかして……、部屋から一歩も出てこない系の方、なのだろうか。

 だとしたら、精神的にも身体にも良くない。家族なら心配で堪らないだろう。

 ――そのはず、なのだけど、クシェルお兄様の反応はどうにも。


「ごめんなさい……。私、クシェルお兄様の『傷』に、触れてしまったんですね」


 レゼルお兄様が何故私を拾ってくれたのか。

 何の為に、優しくしてくれるのか……。あの時に察した、あの人の『傷』と同じように。

 その『傷』は、同じものですか? それとも、別々の……。

 ただわかる事は、クシェルお兄様の『傷』はサラさんに関する事だということ。

 家族という絆を結んでいても、私達は他人だ。

 二人は兄弟で、フェガリオお兄様とも縁が深い。だけど、私は……。

 まだ、たった三年の月日を一緒に過ごしただけの……、他人。


「あの、クシェルお兄様……」


「リシュナぁああああああああああああああああああっ!!」


 ……クシェルお兄様にもう一度謝ろうとしてやめかけ、別の話題にしようと決めた矢先の事。

 どうやって逃げ出して来たのか、妹に対して非常に過保護な、もう一人のお兄様が何故か大きな大きな鉄球つきの足枷つきで追ってきた。――物凄い速さで。


「れ、レゼルお兄様っ……、は、話し合いのお席は」


「お前がなんか変なのに、放置なんて出来るか!! いいか? お前は俺達に迷惑を掛けたくないと思ってるんだろうが、お前はまだまだ子供!! 心配されて当然の、どっから見ても立派なお子様だ!!」


 ――カチーン。

 ど、どこから、どう、見ても、立派な、……お、お、お子、様っ!?

 いつも言われている事だけど、そんな力強く力説してくるくらいに……っ。


「わ、私は……っ、も、もうっ、十七歳に、な、なるん、ですっ!! お子様なんか、じゃっ」


「……おい、俺の力貸してやろうか?」


「お願いします!!」


 クシェルお兄様が私の首筋にカプッと牙を立て、痛みもなく、怪力の力を分けてくれる。

 一時的な契約で、すぐ消える力だけど、――今だけ役に立てばそれでいい!!

 クシェルお兄様の腕からぴょんっと飛び降りて、向かってくるレゼルお兄様めがけて、常に隠し持っている小さなハリセンを一瞬で巨大化させ、構える。


「げぇえええええっ!!」


「だぁ~れがっ!! 万年お子様仕様のツルペタ幼女ですかあああああああああああああああああああああああっ!!」


「ぐはぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!」


 女性に対し、デリカシーのない吸血鬼を正面から巨大ハリセンでぶっ飛ばし、私は鼻息荒く、クシェルお兄様に向き直った。まったく、私にはもうひとつの姿があるというのに、いつまで経っても子供扱いで、……子供、子供、……子供子供子供!! まるで、私をずっとおチビさんのままでいさせたいようなあの台詞を聞くのは、もううんざりです!!


「クシェルお兄様」


「なんだ?」


 抱えられながら、私は出来る限り低い音で宣言する。


「私、早く大人になります。超特急で」


「はぁ……。どっちも馬鹿にしか思えねぇわ」


 ――この日、私はまたしつこく追いかけてきたレゼルお兄様の顔を一切見ず、夕食も一切口を聞かず、疲れ切った心で寝床に入ったのだった。

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