妹の涙と女王


 ――Side リシュナ



「うぅ……っ」


「ごめんなっ!! 本当にごめん!! さっきのは俺が悪かった。お前を安心させようとした結果がこうなるなんて……っ、考えが甘かった!!!」


 会談の続きを、グランヴァリアの国王様やロシュ・ディアナの女王様があの後どうなったのか、それを見届ける事のないまま、私達はあの部屋を後にした。

 レゼルお兄様の手によって、王宮内の広大なお庭へと……。

 泣いてしまった原因は、レゼルお兄様が戦争、というワードを何気なく使ってしまったからだ。

 今は沈黙を守っている隣国の侵略を受け、皆殺しにされた私の家族達……。

 私に、生きる希望と光をくれた養父母。私を、ロシュ・ディアナの国から救い出してくれた恩人の青年。

 そして……、普通の子供として、私を可愛がってくれた村の人達。

 あの時の記憶が、将来起こるかもしれない血の気配を感じ取り、……私に恐ろしい絶望を抱かせてしまった。

 だけど、それはレゼルお兄様のせいじゃない。私が、……まだ、過去に怯え、弱いまま、だから。

 白百合の咲き誇る庭園の奥にある大きな木の下で、私は土下座スタイルで謝り倒してくれているレゼルお兄様に首を振って答える。


「れ、レゼルお兄様は、わ、……悪く、ありま、せんっ。……で、でも、……せ、戦争は、嫌、ですっ。誰も、死なない、で……、うぅっ、ほしい、からっ」


 誰も失いたくない。もう一度手に入れた、あたたかで幸せな日常を……、家族を、奪われたくないのっ。

 それに、もし、ロシュ・ディアナとグランヴァリアが対峙し、血を流す事になれば、私の家族に限らず、大勢の、誰かの家族が散っていく可能性もある。確実に……。

 その瞬間を想像してしまった私は、太い幹の根元に座り込み、いやいやと激しく首を振って泣きじゃくってしまう。

 感情が定まらない。いつもの私じゃない。こんな、こんな、情けない姿を簡単に晒すなんて……っ。

 だけど、……皆が傷付く姿が勝手に浮かんでしまう悪い想像を止められなくて、私は、私は……。


「リシュナ……っ」


「だ、大丈夫、です……っ。す、す、すぐ、に、……治まり、ます、からっ」


 止まれ、止まれ、弱虫な私の涙。皆に……、レゼルお兄様に心配をかけてはいけない。

 あの夜だって、悪夢を見て眠れなくなっていた私を気遣い、心からの思い遣りをくれた人……。

 その優しいぬくもりには、いつも心を救われてきた。

 だけど、……甘えすぎていてはいけないと思う気持ちだけでなく、……なんとなく、別の感情が胸をざわつかせているような気もして……。なんだか、今はレゼルお兄様に顔を見られたくない気がする。猛烈に。

 だけど、両手を顔から外せずにいると、レゼルお兄様の気配が近くに迫っていた。


「俺のせいで泣いたんだ。……俺が、泣かせた。だから、今、心から反省してるし、お前を俺の手で慰めたいとも思ってる。……リシュナ、その手、外してくれ」


「んっ……。嫌、ですっ。今は……、だ、駄目、ですっ」


「手をどけてくれないと、お前の涙を拭えないだろう? ほら、誰も見てないから、お兄様に見せてみろ」


「うぅっ……、れ、レゼル、お兄様に……」


「ん?」


 他の人にも恥ずかしくて見られたくないけれど、……こ、この人が一番。

 ぐいっと、少しだけ強引に外された私の両手。

 目的を果たそうと私の顔を覗き込んでくるアメジストの瞳。

 私は涙が引っ込むのを感じながら、間近に迫ってくるレゼルお兄様の真剣な表情に焦りの鼓動を速めてしまう。

 今の私の顔は、抑えきれずに零れ続けた涙のせいでぐちゃぐちゃだ。

 私の情けない心の内をぶちまけたかのような、こんな顔……。


「レゼルお兄様にだけは……っ、み、見られたく、な、ないん、ですっ」


「…………」


 また泣き出してしまいそうな心細さを覚えながら発した言葉。

 優しくしてくれているのに、拒絶するなんて……、私はとんでもない恩知らずだ。

 だけど、レゼルお兄様が不機嫌になったり、怒ったりしている様子はなく。

 衝撃的な何かを目にしたように、見開かれている美しいアメジスト。

 次いで、何かを言うでもなくレゼルお兄様は私から視線を外し、斜め下を見ながら、小さなぐぅっという音を零した。……レゼルお兄様?


「あの……」


「…………うぅっ」


 何だろう……。今度は泣きそうな声で小さな唸りを発し、……芝生にがくりと這い蹲り、何かを叫びたい衝動を抑えているかのように右手を何度も何度も地に打ちつけて……。


「な、何かの発作、ですか? レゼルお兄様っ、実は御病気だったんですかっ?」


 本気でそう心配してしまうくらい、今のお兄様の状態は異常? だった。

 苦しそうにも見えるし、何かと闘っているかのような姿にも……。

 もし、私達に隠していただけで、本当は何かの病気を患っていたとしたら……。


「レゼルお兄様っ、医務室に行きましょうっ。わ、私が支えますからっ」


 そうだ。成長した姿の方になれば、レゼルお兄様をきちんと支えてあげられるはずっ。

 妹として、いつも助けられている分、ここで頑張って恩返しをせねばと拳を握った私。

 だけど、大人の姿に変身しようとした瞬間、レゼルお兄様の手に肩を捕まれ、「駄目だ……!!」と強制的に止められてしまった。


「レゼルお兄、様?」


「駄目だ……っ。今あの姿になられると……」


「あの、でもっ、……具合が、悪いのでしょう? レゼルお兄様のお顔……、とても、苦しそうで、……真っ赤、です」


「だ、大丈夫っ、大丈夫だっ!! お、お兄様はっ、おおおおおお、お兄様はっ、い、いいいいいいいい、いつも通りっ!! 凛々しくてカッコイイお兄様のままだっ!! はっ、はは、はははははははっ!!」


 いや、どう見ても、いつも以上におかしい。……いつも、以上、に。

 両肩をブルブルと震える手で掴まれたまま、リシュナは悪いと思いつつも、……二歩、足を後ろに引いてしまう。何がこの兄をおかしくしてしまったのか……。全然わからない。


「で、では、……えっと、お一人で歩けるのなら、部屋に、戻りましょう」


「だ、だなっ!! 会談のその後も気になるし、……けど、その前に」


「は、はい?」


 早く戻らねば、と、視線をレゼルお兄様から逃そうとした時だった。

 一瞬前まで感じていた、恐ろしいほどに挙動不審な気配が消え去り、――ふわり、と、私の身体はあたたかな腕(かいな)の感触に包み込まれた。


「れ、レゼル、……お兄、様?」


「……死なないから」


「……」


「もう二度と、お前から家族を奪わせたりしない。戦いも、陛下や俺達が絶対に食い止める。だから、もう二度と、……絶対に、絶望の中に戻ったりするな」


「うぅっ……、レゼル、……レゼル、お兄、様っ」


 不安定に揺らぎかけていた幸せへの恐怖。

 だけど、この人のぬくもりに触れている時だけは、こうやって、レゼルお兄様の存在を近くに感じている時だけは……、何も、怖くない。

 優しい抱擁の中、私はレゼルお兄様の胸に額を擦りつけながら囁く。

 

「大好き……、です。レゼルお兄様」


 無意識に零れ出た言葉だった。

 とても、小さな、小さな、幸福と愛おしさを抱く音……。

 自分が何を言ったのか最初は全然気付いていなかったけれど、レゼルお兄様の鼓動がトクンッ……と、大きく跳ねてから数秒後、我に返った。


「……あ、……ぁ、あ、あ、ぅっ、……その、今、のはっ」


 兄と妹の間で、大好きという感情があっても、それを言葉にしても、何も問題はない。 

 ない、の、だけ、ど……。また、泣き顔を見られたくないと思っていた時と同じように、顔中に熱い、熱い、何とも言い難い羞恥の感触が広がっていく。

 

「あ、あのっ、レゼルお兄様っ。――っ」


「…………」


 だ、だから、……どうしてレゼルお兄様まで、……そ、そんな、み、耳まで真っ赤に、なって。

 お互いの顔を見つめ合っているだけで、どんどん……、熱が酷くなって、いくようで。


「レゼル、――」


「きゃあああああああああああああああ!! へ、陛下っ、た、大変ですわっ!! お、女の子がっ、ふ、不審者にぃいいいっ!!」


「え?」


 突然、私とレゼルお兄様の間に流れていた気まずい空気を断ち切るように、響いた女性の声。

 二人でそちらに顔を向けると……。――あ。











 ――Side レゼルクォーツ



「あ~、落ち着いてください、女王陛下。その、彼は不審者ではなく、私の客人というか、グランヴァリアの、国王陛下のお身内の方ですので」


「え? で、でもっ、幼い女の子に、変な事を」


「はっはっはっ!! ロシュ・ディアナの女王よ、貴女の心配は当然のものだな。どう見ても、不審者と、誘拐されそうになっている少女の図だ!」



 規則的に整えられている、純白の薔薇が咲き乱れる王城の庭。

 その場所に、絹を引き裂く何とやらと共に現れた、三つの国を統治する王達。

 自分の甥御が不審者扱いされてんのに……、はぁ、まぁ、慣れてるけどな。警備隊の件で。

 俺とリシュナは兄妹の絆を結んでいるが、元は他人だからな。

 全然似てねぇし、城下で何度も警備隊に職質を受けた事もある。

 だから……、慣れて、いる、ん、だが。

 おい、そこの、人間の王……っ。一時期は兄弟の絆を結んでいた俺の事を、こっそり陰で腹抱えて笑いたいのを堪えてんじゃねぇよ!! 面白がりすぎだ!!

 俺達が暮らしているこのアウシュ・ヴェリファーゼの王を一睨みしてやれば、わざとらしい咳払いと共に、奴はロシュ・ディアナの女王に、俺とリシュナの関係を話した。


「まぁっ!! それは……、ま、誠に、申し訳なく、あの……、ごめんなさいね? 不審者さん」


「……いえ」


 まだ不審者のままかよ!! 

 俺がジト目で女王に視線を向けていると、自分の間違いに気付いたのか、ロシュ・ディアナを治める女は大慌てで頭を下げ、俺の名を口にして不審者項目を訂正した。


「ロシュ・ディアナの女王よ。遠く後ろにいる臣下にまた説教を貰う羽目になるぞ?」


「構いませんっ!! だって、仲睦まじいご兄妹の時間をお邪魔してしまった上に、その……、何度も、不審者なんてっ」


 傲慢な思想を抱く種族の女王……、には見えないな。全然。

 どこまでも腰が低く、統治者というよりは、貴族の世間知らず娘に当て嵌めた方がぴったりくる。

 即位して間もないという話だったが、……替え玉の可能性が高い。

 でなければ、こんな頼りない女が、種族の誇りがどうのと騒ぐ奴らを従えられるはずがない。

 俺は頭を下げている女王に警戒心を悟られないようにしながら一応の礼儀を払い、許しを得てからリシュナを支え立ち上がる。


「お見苦しいところをお見せしました。私達はこれで退席させて頂きますので、どうかご容赦を」


「……」


「ん? リシュナ……?」


 ロシュ・ディアナの奴らが居る場所に、長居はリスクが高い。

 万が一、リシュナの存在を知る奴らがいれば、後々どんな騒動が起きるか……。

 俺はリシュナの姿を自分の陰に隠したまま去ろうとしたが、ふと、落とした視線の先である変化を見た。

 一体いつからだったのか……。

 リシュナの若草色の瞳が、瞬きもせずに、ある人物をじっと見据えていた。

 

「あの……」


「あら? 何かしら?」


 遠慮がちに開いた小さな唇。

 リシュナが、ロシュ・ディアナの女王に何かを言おうとしたが、ニコニコとした女王の笑顔から視線を逸らし、顔を俯けてしまった。


「申し訳、ありません……。なんでも、ない、です。女王様」


 おずおずと、また俺の陰に、今度はしっかりと顔が見えないように隠れてしまった妹。

 おかしい……。ロシュ・ディアナの女王に怯えている、といった感じでもなく……、これは。


「それでは、失礼いたします」


 妹の異変を確かめるべく、俺は早々に王宮の庭園を後にしたのだった。

 












「――リシュナ、さっきはどうしたんだ~?」


 ロシュ・ディアナ側の集団に出くわさないように道を変え、無事に王宮内へと入った俺とリシュナは、ゆっくりと歩きながら、客室への道を進んでいる。

 リシュナは……、俺の隣で、まだ俯きながら何も言おうとしないままだ。


「あの女王が親しみやすそうだったから、女同士の話でもしてみたくなったのか?」


 普段であれば、無理に聞き出す事もないと、ゆっくり様子見の体(てい)に入るところなんだが……。

 大事な、押さえておくべきポイントというものがある。

 だから俺は、リシュナを怯えさせないように、さりげなく、他愛のない会話のひとつのように軽く聞いてみた。

 本当は、もっとストレートに聞き出したいところだが、リシュナを焦らせたり、不用意に過去の絶望を思い起こさせたくはない。

 王宮内の広い廊下の中央を歩きながら、リシュナの手を取る。

 その手は俺のぬくもりに僅かな震えを見せたが、嫌がる事はない。

 そっと、兄と妹の手が、心が、重なり合う。


「……匂い、が」


「ん?」


「映像越しではわかりませんでしたけど……。あの人から、匂いが、したんです」


「……それで?」


 リシュナの言葉が指すものは、女物の香水がどうとか、そういう話じゃないだろう。

 恐らく……、何か、過去の記憶に通ずるヒントのようなもの、なのかもしれない。

 そう悟った俺は、しっかりとリシュナの手を握り込み、立ち止まってから膝を深紅の絨毯へと落とした。

 大丈夫だ。リシュナの顔に、怯えや恐れのようなものはない。

 どちらかといえば、何か、思い出せそうで思い出せない、気になる何かを見つけた時の表情だ。


「誰かと……、似ている、……あの匂いは、私の知っている誰かのそれと、同じ気が、したんです」


 恐怖の情が表れていないという事は、リシュナを恐ろしい目に遭わせていたという……、俺が八つ裂きにしてやりたいと思っている奴らのそれとは違うのだろう。

 微かに戸惑っているリシュナの頭を撫でてやりながら、続きを待つ。


「とっても、優しい……、あの匂いは」


 リシュナの瞳が、今ではない、俺以外の誰かを求めて潤み始める。

 その表情を見ていればすぐに悟る事が出来るだろう。――大切な誰か、を、リシュナはその心に抱いている。

 だが、その誰かを思い出せないから、湧き起こる懐かしさがもどかしい切なさに変わっていく。

 隣国に蹂躙され、殺されたという両親のどちらかか。

 それとも、ロシュ・ディアナから救い出してくれたという世話係の男か。

 ……だが、違う。思い出せない、という事は。


「レゼルお兄様……っ。私、もう一度、……女王様に、会いたい、です」


「一応、陛下に相談してみるが、ロシュ・ディアナの内情が全くわからないという状態だからな……。遠くから見るだけ、になるかもしれないが」


「……わかり、ました」


 妹の悲しそうな顔に、出来る事なら俺が是が非でもどうにかしてやりたい、と思うが……。

 流石に、陛下の手前、騒動を起こすわけにもいかないからな。

 ――何よりも、リシュナの身の安全の確保をする為には、慎重さを欠いてはならないのだから。

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