会談当日

 ――Side リシュナ



「いやぁ~、あっちに比べると、こっちは本当に天国ですね~! もぐもぐっ、ん~!! 美味しいです~!!」


「そりゃあ、宰相殿がいるあっちと、いないこっちじゃ緊張感も違うだろうなぁ……」


「ですね……」


 大図書館で多大なるご迷惑をおかけしてからの翌日。

 レゼルお兄様達に連れられて王宮へとやって来た私は、普通の見学者の皆さんとは違う道を礼儀正しい騎士さんに案内され、客室らしき場所に通されていた。

 グランヴァリアの国王様が事前に根回ししてくれたのか、随分と豪華な仕様の客室だ。

 太陽の恵みが燦々と室内に降り注ぐ、日当たりの良い室内。

 朝摘みの美しく瑞々しい、この季節に咲く、純白の花々がこちらに顔を向けている花瓶。

 特別な育成条件が必要な花で、育てるのにとても労力がかかる希少な花なのだと、レゼルお兄様が部屋に入った時に教えてくれた。その名を、レシュティアというらしい。

 他にも、壁に飾られている大きな大きな風景画や、上等の素材で作られたとわかる絨毯や貴族、王族、御用達らしき丁度品の数々が私達を取り囲んでいる。

 グランヴァリア王国の王宮滞在期間がなければ、きっと今頃、この高級感満載の場違いな世界に気まずい思いをしていた事だろう。

 控えめながら優雅さを感じさせる模様が入ったティーカップを口元に寄せ、私はそれを一口含む。

 王宮御用達のお店から仕入れているという高級茶葉で淹れられたという紅茶。

 グランヴァリアで出されたものと同じく、安物の茶葉とは育ちが違うのだと言わんばかりの風格と味わい。

 貴重な機会を楽しむべきなのかもしれない。だけど、……今は何もかもが、私の中で薄ぼんやりとしている。


「ほぉ~ら、ここの料理長自慢の、生クリームたっぷりのドラドラァ~ンだぞ~。あ~ん」


「もぐっ。……もぐもぐ」


 隣に座っているレゼルお兄様から差し出された、見慣れない形状のお菓子。

 ふんわりとした丸い生地が生クリームと絡められている果実を挟み込んでおり、お口の中に絶妙な甘みと心地良い食感が広がっていく。文句なしの極上品。……でも、やっぱり。

 

「ごめんなさい、レゼルお兄様……」


 いつもなら、心から楽しめるはずの新鮮さも、何もかもが、緊張と不安で喰い尽くされてしまっている。

 これから始まる会談。すでに王宮入りをしているだろう、ロシュ・ディアナの女王一行……。

 会談の場から遠く離れているこの棟なら、出会う心配もない。

 だけど……、同じ国に、同じ場所にいるのだと思うと……。

 小刻みに小さく震える身体。

 あの赤い爪の女性や、私に暴力を振るったあの男性がいるかもしれないという恐怖が、心に揺さぶりをかけては、絶望の鼓動を打ち鳴らせと脅してくる。


「――リシュナ」


 その時、私の肩に置かれたぬくもりが、決意の音を滲ませながら私の心に触れた。

 不安を抱きながら見上げた場所には、レゼルお兄様の真剣な表情があって……。

 知らず、私の瞳の端に滴を作っていたそれを、白い手袋を右手から脱ぎ去ったレゼルお兄様が、労わるような仕草で掬い取ってくれる。

 レゼルお兄様は何も言わない。それなのに、私の頭を撫でながら和らいでいくアメジストの双眸が、とても優しくて……。言葉なき想いが、私の心を抱き締めてくれるかのように。


「おれ達の存在、完全無視だよな……、あれ」


「違いますよ、ディル。わたし達の存在自体が、あの二人には認識されていないんです」


「喧嘩するよりいい……。それに、リシュナ……、笑顔になったから、良い事だと思う」


 向かい側のソファーでそれぞれに時を過ごしているお子様三人衆の視線にも気付かず、私はレゼルお兄様の頼もしさに感謝しながら、さっきよりは軽くなった心持ちで、会談の始まるその時を待つのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



『――グランヴァリア王国、アレス・フェルヴディーグ・グランヴァリア国王陛下、入室されます』


 会談用の間に続く、巨大な扉の前。

 国王様と、その会談に同行してきたグランヴァリアの一団が表情を引き締め、入室を告げる声と共に歩みを進めていく。

 別室にいる私達に何故その様子がわかるのか。

 それは、国王様の傍に控えている宰相様の目を通して、会談の様子を見届けられるように配慮して貰っているからだ。その映像は、私達の座っているソファーの目の前、ティーセットやお茶菓子が置かれてあるテーブルの上に現れている。


「ここが、会談の、場……」


「陛下と、ロシュ・ディアナの女王が相談……、を続けた結果、人間の国で初めての交流を行おうって事になったからな……。どちらも、迂闊には物騒な真似は出来ないってわけだ」


 これは、二種族の交流の場であると同時に、人間という、別の種族に見守られ、……監視されている場でもある、という事なのだろう。

 レゼルお兄様の説明を聞きながら、私は王宮の新しい場所であるその会談の場の様子に視線を巡らせる。

 会談の場となる空間には、真っ白な石造りの床と太い柱が立ち並び、その中央にどこまでも長く続くかのようなテーブルが置かれている。そのテーブルの真ん中に等間隔で置かれてあるのは、赤と白の薔薇が活けられた花瓶。そして、場の両側には、淀みも汚れもない、清らかな水の流れが伝う壁と、その下には魚らしきものが悠々と泳ぐ場があった。

 神殿めいた雰囲気のある場所だ。それに、この国の神官服に身を包んでいる人もいるし、それに……。


「あ」


 グランヴァリアの国王様を出迎えに、何人かの臣下、らしき人達を引き連れ、進み出てきた三十代半ば程の男性の姿に目を見開く。

 見るからに穏やかな平和主義者、と、そんな印象を抱いてしまう美貌のその人は、夏に我が家へとやってきた人だ。レゼルお兄様達のお友達だと紹介されたのだけど……、場の様子や会話の内容的に……。


「この国の、王様だったんですね……、あの人」


「悪い。あの時はアイツもお忍びで来ていたからな」


「……お忍びはわかりますけど、当日、私をびっくりさせようとか思ってませんでしたか?」


「ん~? お兄様がそ~んな子供じみた事をすると思うのか~?」


 茶化している態度が証拠みたいなものなのに、困ったお兄様だ。

 周りにいる皆もジト目でレゼルお兄様を見つめ、それぞれに頷く。


「するだろ」


「するよな~」


「しますね」


「する、と、思う。確実に」


「レゼル……、見抜かれているぞ……」


 呆れ気味のフェガリオお兄様に肩の上へと手を置かれたレゼルお兄様。

 だけど、全然気にしていないのか、そのアメジストの瞳は誇らしげに映像の向こうにいる……、この国の男性へと注がれていた。

 互いに固い握手を交わし、この国の王様は、グランヴァリアの一団が入ってきた扉とは正反対の方向にある、別の大きな扉へと向き直る。


「――来るぞ」


 グランヴァリア側の入室が終わったのだから、次はロシュ・ディアナの番だ。

 ロシュ・ディアナ……。

 私を極寒の地……、いつ命を奪われてもおかしくない、あの牢獄に幽閉し、横暴の限りを尽くしてきた人達の……。膝の上で握り込んだ拳を震わせながら、生唾を飲み込む。

 扉が開く直前、緊張と恐怖を抱く私の手に、あたたかな感触が落ちる。

 振り向くまでもない。この優しいぬくもりは……、貴方の励ましと、守りの意志だから。

 私は視線を逸らさず、自分が向き合うべき光景に意識を集中させた。


「あれが、……ロシュ・ディアナ」


 先頭を行くは、大きな帽子のような被り物をし、薄絹らしきベールで顔を隠している女性。

 どんな人が女王なのか、あまり上手く想像する事の出来ていなかった私は、漠然と……、怖い人なのかもしれない、と思い込んでいた。

 だけど、ロシュ・ディアナの女王様は小柄な方で、左右を騎士らしき女性達に守られ、この国の王様の許へと歩みを進めている。……そして、その背に、純白の翼は、ない。

 女王様だけでなく、付き従ってこの会談に同行してきた誰も、翼を露わにはしていなかった。

 普段は、私と同じように翼を内側に隠しているのだろう。

 


「あっ!」


「おい……」


 映像の中で、この国の王様と挨拶を交わそうとしていた女王様がその場でまさかの転倒……。

 この国の皆さんだけでなく、グランヴァリアの国王様も予想外の事態に目を丸くしてしまっている。

 勿論、私達も。

 

『も、申し訳ございませんっ! あぁあああっ』


『へ、陛下っ!! お怪我はございませんかっ!?』


『曲者かっ!? おのれっ、陛下に仇名す愚か者めっ!! 斬る!!』


『やめぬかっ!! ここは他国の地ぞ!! ……陛下は、ご自分で転ばれたのだ。はぁ』


 確かに、ロシュ・ディアナ側の男性が頭痛に悩まされていそうな顔で言った通り、今のあれはただの不注意、というか、不運なプチハプニングだった。

 男性に窘められ、剣を抜きかけていた護衛の騎士さん達が警戒と敵意を収める。

 するとそこに、臣下の男性が差し出した手ではなく、別の手が女王様の小さな手を取り、腰を抱きながらぐっと引き上げるのが見えた。――グランヴァリアの国王様だ。


『あ、あのっ』


『手紙では幾度も話をしたが、噛みつき癖のあるじゃじゃ馬の猫の中身は、このように可憐な子猫だったか。初の会談早々、不運だったが、――会えるのを楽しみにしていた。ロシュ・ディアナの花よ』


『~~~っ!?!?』


 チーン……。

 場の状況を見守っていた私達の心に、残念が何かが響き渡った気がする……。

 グランヴァリアの王様の腕に抱かれ、顔中を真っ赤にして泣きそうな反応をしているのは、人間で言えば、まだ十代の少女のようにしか思えない、愛らしい女の子だった。

 薄桃色のふわっとした、胸元までの髪。間近に迫った国王様の男らしい美貌に視線が釘付けの模様……。


「国王様は、他国の女王様であろうと誰であろうと、無意識に落としにかかっている気がします」


「リシュナ……、落とすとか言うな。……まぁ、当たってるんだが」


「陛下は男前の上に懐が深いからな~。大抵の女は初対面で落ちまくりだ」


「クシェル……、リシュナ達の前で品のない事を言うな」


 子供の姿で低音の大人ボイスを発しているせいか、とてつもない違和感を醸し出しているような気がするクシェルお兄様が、フェガリオお兄様の隣でお菓子を漁りはじめる。

 ディル君達は……、会談の様子が先に進まない事に飽きたのか、それぞれに暇潰しの道具を出して遊んでいるようだ。


「しかし、……意外だったな」


「はい。私も……、ロシュ・ディアナの女王様があんな……」


 ピュアっピュア全開の可愛い人だったなんて……。

 と、感想を呟いたけれど、レゼルお兄様達の方は別の意味も含んでいるようだった。


「陛下に宛てられた書簡は全部、上から目線の傲慢我儘系だった、……そう聞いてるだろ? フェガリオ、兄貴」


「あぁ」


「陛下に対して無礼極まりない要求ばっかりだったらしいからな。それを書いた女王と、あの女王じゃ、あまりにも違いがありすぎる。これをどう見るか……。どうだ? レゼル」


「う~ん……。1・よくある内側と外側の性格の違い。2・ずっと箱入りだったから、外の世界にびっくりして傲慢な振る舞いが出来なくなった」


 考えられる理由を口にするレゼルお兄様の隣で、私はその続きを引き継いだ。


「3・……女王は偽物である」


 外の世界を嫌い、自国に閉じこもり、自分達の清らかさや神性さとやらを大事に守ってきた種族。

 そんな、プライドの高い人達が……、あっさりと会談を承諾した事がまず疑問点で、あの女王様も……、何かがおかしいと感じていた。

 王族らしくない人もいるかもしれない。だけど……、外の世界を拒み、プライドの高い種族性をしているのなら、


「彼女を女王と認めるとは、思えません……。民が」


「だが、現に会談の場に、あれは女王として現れた。可能性のひとつでしかないが、あの場にいる限り、女王は誰であろうと、ロシュ・ディアナの代表として来ている事になる。もし偽物だとわかれば、ロシュ・ディアナは二種族を謀った事になる。だが、それが正解だったとしても、だ。ウチの陛下は何も言わない。つまり、あの女王と話を進めるという事だ」


「俺としては……、女王よりも、その背後で、な~んか悪だくみしてそうな一部の奴らが気になるけどな」


 ハート型のクッキーの端を小さく齧り、クシェルお兄様は獲物を狙う獣のように目を細める。

 映像の中では、互いの種族がようやくそれぞれの席に座り、この国の王様の話を聞いてから会談を開始した。

 グランヴァリアの国王様と女王様は、丁度互いを正面に見据える席に座っている。


『改めて、この会談の場に足を運んでくれた事に感謝の意を捧ごう。ロシュ・ディアナ女王』


『こ、こちらこそ、……その、他種族の方から交流のお誘いを頂くなんて、初めての事でしたから。ご無礼がなかったか、今日まで心配でいました』


『ははっ、何を仰るか。無礼など……、ひとつもありはしなかったが? 何一つ』


 その瞬間、会談の場に背筋を凍らせるような風が吹いたのではないかと、映像の向こう側とこちらで戦慄が起きた。話を聞いた限り、無礼というに値する事はやり取りがなされた書簡に幾つもあったそうだ。

 けれど、それを口にはせず、国王様は発した気配だけで、不愉快であったと無言の文句を言っている。

 女王様はそれをまったくわかっていないのか、青ざめている自分の臣下達の様子には気づかず、嬉しそうに、にこりと微笑んだ。・・・あの人、凄い。


『はぁ~っ、安心いたしましたっ。他種族の方と諍いを起こす事になんてなったら、私(わたくし)はどうすればいいかっ』


『…………』


 国王様の隣に座っている宰相様の視点から映像を見ているけれど……、国王様、なんだかお困りのご様子ですね? 相手の裏を探ろうとしているようも思えるし、……なんだ、この悪意一切なしのお花畑は、と口にしたそうにも見える顔。試しに頭の中で宰相様に話しかけてみると、答えがあった。


『陛下のお考えは……、今のところ、私にも読めないな。だが、ロシュ・ディアナの女王に対し』

 

 そこで一旦、宰相様の声が途切れてしまう。

 ロシュ・ディアナの女王様が自分の華奢な身体を前に乗り出し、きらきらとした瞳で国王様を見つめ始めたからだ。


『あのっ、会談が終わりましたら、私と一緒にこの王宮のお庭をお散歩いたしませんかっ! アウシュ・ヴェリファーゼの国王陛下と三人で!!』


 チーン……。二度目の残念な音が以下略。

 何を考えているのか、ロシュ・ディアナの女王様は心底嬉しそうに他国の王様達に誘いをかけ、期待に満ちた表情で返答を待っている。


『勿論、会談が無事終われば、御身の傍に侍るのも悪くない。アウシュ・ヴェリファーゼ国王、貴殿もそうだろう?』


『あ、……ははっ、そう、ですね。まずは私達が交流の一歩となり、ロシュ・ディアナの方々と友好を深めるのは、これからの良き道に繋がります。是非、お供させてください。ロシュ・ディアナ女王陛下』


『まぁあっ!! ふふ、嬉しいっ!! 私、国から一歩も出た事がなくて、お友達にも縁がなくて……、ふふ、ふふふふふ……、今までぼっちでしたの』


 ぼっち……。一国の女王陛下が、今、ぼっちと口にしたような気がする。

 映像の中で小躍りしそうなテンションの女王様に、誰も彼もが、困っているような、呆れているような、そんな面持ちだ。けれど、……グランヴァリアの国王様は、なんだか微笑ましそうに表情を崩し、微かに笑った。


『こちら、リシュナ、リシュナです。宰相様。あの、国王様、ご機嫌が良くなってますよね?』


『何ごっこだ、これは……。まぁいい。こちらレイズフォード。お前の言う通り、陛下はあの女王を気に入られたようだ……。物好きな。現時点で言えば、裏がないとすればになるが……、ただの、頭の中が崩壊しているお花畑女だ、あれは』


『辛辣すぎますよ、宰相様。せめて、可愛らしい天然さん、ぐらいにしてあげてください』


『そのレベルで済めば良いがな。だが、……そろそろ本番のようだ』


『え?』


 通信が途切れたかと思うと、大きな咳払いの音が聞こえ、女王様の右隣に腰を据えていた白銀髪の男性が立ち上がり、厳しい目つきで場に視線を走らせ、空気を変えてしまった。

 人間で言えば、二十代半ば程、だろうか。白銀髪の男性は他国の王様達に頭を下げてから姿勢を正し、口を開いた。


『申し訳ありません、グランヴァリアの王、そして、アウシュ・ヴェリファーゼの王。我が国の女王陛下は、まだその地位に就き、日が浅いのです。いまだ王女であった時の癖が抜けず、空気を読めぬ発言が多く……。ご無礼、どうかお許しを。陛下、お座りください』


『あ……、は、はい。ごめんなさい、……シルフ』


 太陽の朗らかな陽気を纏っていた女王様の気配が一瞬にして萎んでしまい、彼女はシルフと呼んだ男性の命じた通りに腰を下ろした。

 ロシュ・ディアナ側の臣下達は彼女の方に視線を向けながら、……何人かが忌々しそうな気配を浮かべるのが見える。女王様が太陽ならば、あの人達は……、まるで、曇天。

 確かに、女王様は他国の場ではしゃぎすぎていた。だけど、仮にも主君に向ける視線や気配ではないのではないだろうか?


「レゼルお兄様……」


「どこにでもいるさ。良い奴も、普通の奴も、悪い奴もな。もし、あの女が正真正銘の女王だったとして、だ。あの視線も、全部、女王としての自分が受け止めなきゃいけないものだ。王ってのは、尊敬も、羨望も、悪意も、全てを受けながら突き進んでいく存在だからな」


「はい……」


 ぎゅっと握られた手のぬくもり。だけど、……私の心は、あの女王様に、かつての自分を少しだけ、重ねてしまっていた。あの人は女王様なのに、生まれながらに恵まれているはずなのに、今は……、何もかもに絶望しているようで……。牢獄の中にいた時の私みたいで……。

 きゅぅっと胸の奥が痛みを覚えていると、シルフという男性が別に用意してきていたのか、書簡を取り出し、女王陛下に代わり、国の意向を伝え始めた。

 他の種族と仲良くしたいと望んでいた女王様の気持ちを踏み躙るような、……冷たい声音と、要求。


『我らロシュ・ディアナは、貴殿らの種族とは違い、ただの地上の民にあらず。この世界をお創りになられた御柱たる至高神の眷属であり、――貴殿らと同列と考えるは不敬である』


『シルフっ!!』


『陛下、お座りください。私は議会の意向を、いえ、我らが始祖から受け継ぎし、誇り高き在り方を、わざわざこちら側の世界にまで出向き、教えて差し上げているのですよ』


 シルフさんの表情には、侮蔑もなければ、怒りの感情もない。

 ただ淡々と、自分が託された任務をこなしているだけなのか……。

 立ち上がろうとした女王様を制しながら言った上から目線の言葉にも、特定の感情が見つけられない。

 そして、侮られたとしか思えない文面を伝えられた人達は……。

 アウシュ・ヴェリファーゼの王様を始めとした臣下の人達の表情は険しく、怒りに染まっている。

 グランヴァリア側も同じようなもので、同行してきた重鎮の人達も、護衛の人達も、今にもロシュ・ディアナ側に襲いかかっていきそうな気配を滲ませていて……。

 宰相様も、苛立っている気配がブレる映像から伝わってくる。

 ちなみに、こちら側では、フェガリオお兄様だけがあちらと同じ険しい顔つきになっており、……クシェルお兄様は暢気に欠伸をし、レゼルお兄様はやれやれと言いたげな顔で長い足を組みなおし、溜息を吐いた。


「女王と議会は別物って事か……。ってか、議会とかあるんだな。てっきり女王の独裁政治系かと思ってた。あの書簡から考えるとな」


「俺らんとこにもあるが、尊重されるのは陛下の意思だからな~。自分んとこの主君丸無視であんな扱いはしねーわ。まず、テメェらが不敬、無礼、クソだろ」


「俺もそう思う。あと、リシュナの前でクソとか言うな。クソ兄貴。俺の教育が、兄貴のクソで台無しになる」


「うるせぇよ、クソ愚弟」


「面倒くさい兄弟喧嘩は外でやってください。話の続きが聞こえませんよ」


 私からすれば、どちらも、今だけで言うなら、……やっぱり、あの二文字は口に出来ません。

 女の子が口にしちゃいけない言葉。そう本能で直感した。

 私の注意で口を閉じた二人は、睨み合いながらも映像に視線を戻す。


『――つまり、神の眷属に対し、国同士の交流など不要。それどころか、跪き、許しを請いて、崇めろ……、と?』


『その解釈で間違いはありませんね。我がロシュ・ディアナの議会は、――』


 シルフさんが続きを読み上げようとすると、グランヴァリアの国王様が静かに席を立ち、怒りではなく、慈愛に満ちた笑みでその右手を差し出し、女王様に声をかけた。


『愛らしき女王よ。先程の約束、今果たす事にしよう。アウシュ・ヴェリファーゼ王、貴殿も同行だ』


『え? あ、あのっ、ですが……、まだ、肝心の話が』


『ロシュ・ディアナ議会の堅物共が寄越した書簡の中身など、聞くだけ無駄だ。それよりも、この愛らしき花と言葉を交わし、王としての在り方、国を導く為には何が必要か、それをテーマにした方が有意義だ』


『グランヴァリア王……、我が国との国交を望んだのは貴殿の国でしょう? 我が国の意向を聞き終わる前に陛下を連れ出そうとするとは、不敬などでは済まされぬ横暴です』


 抗議、というよりは、国家間に亀裂を入れる気かと脅しをかけているようにも取れる響きだった。

 だけど、グランヴァリアの国王様は右手を差し出したまま、戸惑っている女王陛下が応えるのを待っており、シルフさんの言は一切無視している。

 大国の王たる者の余裕からなのか……、それとも、何か別に考えがあっての事なのか。


「大丈夫でしょうか? 国王様……」


「事を大きく荒立てる事は出来ない場だから、一応は大丈夫だ。……しかし、な~んか」


「なんですか?」


 レゼルお兄様を見上げると、私の頭に大きな手のひらが置かれ、よしよしと撫でられる。

 視線は映像に据えられたままだけど、レゼルお兄様の表情は何とも言えない微妙なものだ。


「なんでもない。まぁ、もし、ロシュ・ディアナが、グランヴァリアをぶっ潰してやるぅ~!! とかになっても、簡単にやられるような種族性じゃないから、大丈夫だ」


「潰すって……、戦争をする、って事ですか?」


 胸の奥からぞわりと湧き上がってくる、薄れたはずの恐怖と、絶望の感触。

 隣国の侵略によって滅ぼされた私の故郷……。お父さん、お母さん、村の皆……っ。


「いや、です……っ。もう、誰も、死なない、でっ」


 急に苦しくなった息と共に、私はレゼルお兄様にしがみついてしまう。

 もし、ロシュ・ディアナとグランヴァリア側が戦争を起こしたら、互いに無傷で済む結果はない。

 どんなに強い人達がこちら側にいても、犠牲は必ず、築かれてしまうのだ。

 

「レゼル~、リシュナ泣かせやがったな~っ」


「レディ、つらい事を思い出したのですね。レゼル、貴方が悪いです。謝ってください」


「デリカシー……」


「ふぅ……。いつもリシュナを気遣っているお前にしては、……らしくない会話の流れだったな」


 わかっている。レゼルお兄様に他意はなかった。

 だから、レゼルお兄様を責めてはいけない。……だけど。


「失いたくないんです……っ。大事な、家族をっ」


 そうなってしまうと決まったわけでもないのに、私は大粒の涙を浮かべ、泣いてしまった。

 レゼルお兄様が切なげな声で私の名を囁き、あたたかな手のひらを頬を伝いながら髪に差し入れてくる。


「リシュナ……、リシュナ」


「うっ、ぅううっ……」


 止まらない。胸の奥で痛い、苦しい、辛いと叫ぶ慟哭が鼓動となって打ち付けてくる。

 その場の全員から白い目を向けられていたレゼルお兄様は、その視線にようやく気付き、ムッとした顔になった途端、私をその腕にひょいっと抱き上げ、大声を響かせた。


「妹の泣き顔はぁあああっ、お兄様しか見ちゃいけないんだ!!」


「いや、俺とフェガリオも兄貴ポジだ、……おいっ、レゼルっ!!」


「レゼル!! まだ会談の続きが……っ」


「見といてくれっ!!」


「「「リシュナ~!!」」」


 呼び止める声にも振り向かず、レゼルお兄様は私を横抱きにして王宮の廊下を駆けて行く。

 どこに行こうとしているのか、何故、部屋を飛び出したのか、尋ねる事さえ出来ない。

 王宮の至る場所に控えている上品な仕草の女官さん達の前でも、レゼルお兄様は止まらず、マナーを守らない速さで走り続け……、そして、ようやくその足が止まったのは、綺麗な花々が咲き誇る美しい庭園だった。

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