始まりへの『道』
――Side リシュナ
「やぁ、こんにちは。家族想いの可愛いお姫ちゃん」
ふと、ほのかに甘い香りがしたと思ったら……、やっぱり。
からかうような低い声音に向かって振り返ってみると、予想通りの人が私の背後にいた。
王都の大図書館に勤める司書さんの制服を身に纏った一人の男性。
机に向かっていた私の手元を微笑ましそうに覗き込んでくるその人は、この三年の間に仲良くなったお友達の一人だ。大図書館で司書をしている時もあれば、王都内のカフェで給仕をしている事もある多忙な人。
「アウニィーさん、こんにちは。……乙女のプライバシーの心外ですよ?」
「ははっ。もう何度も聞いてるけど、僕に通じると思う?」
人の秘密を暴くのは、とても楽しいからね。
……悪戯っ子のような笑み。アウニィーさんが言葉にしなかった部分まで聞こえたような気がして、顔がげんなりとしてしまう。
良かった。気配を察知してすぐにノートを白紙のページに変えておいて。
アウニィーさんは普段から、嫌味にならない程度の、花の香りのような甘い匂いをさせているのだけど……。
この人が漂わせている香りは、どこか普通の香水とは違う種類の何かを感じるので、その存在を察知しやすい。
「あっ!!」
ついでに、ちょっと面倒な性格をしている……と、一瞬だけ気を逸らした瞬間。
アウニィーさんの手がひょいっと動き、書き途中だったページを開いてしまった。
「ふぅん……。春のピクニック計画、ねぇ。ははっ、子供らしく、微笑ましい計画はっけ~ん」
「むぅ……っ。乙女のプライバシーを暴いた罪は重いですよ、アウニィーさんっ」
「ふふ、残念。僕が暴いたのは、お子様の可愛い予定表。乙女っていうのは、もう少し君が歳を重ねてからかな。お姫ちゃん」
ぶちっ……。誰がお子様ですか、誰がミニマムボディですかっ!!
もう何度も繰り返してきた事なのに、私は今日も変わらず、アウニィーさんの手のひらで転がされてしまう。
毎回言い方は違うけど、アウニィーさんは必ず私を子供扱いして、わざと怒らせるのだ。
「……うん。この前よりは、少しだけ忍耐力がアップしたかな」
さらりと、アウニィーさんの濃いブラウンの髪が私の首筋に触れたと思ったら、何やら、どことなく……、喜んでいるかのような囁きの声が降ってきた。
「く、くすぐったいです……っ」
あと、顔が近いですっ!! 顔が!!
美形さんは、レゼルお兄様達で見慣れてますけど、アウニィーさんの場合は美形だけど、何か企んでいる感じがして、非常に悪いんですよ、心臓に!!
だけど、私の反応も丸ごと楽しんでしまうこの人は、顔を上げると、わしゃわしゃと私の頭を撫でまわしてきた。
「良い傾向だ。男に弄ばれる女じゃなくて、男の好きにはさせない、逆に遊んでやれるような女に一歩近づいたね。お姫ちゃん」
「うぅぅぅ……っ。アウニィーさん、私を悪女にでも育てたいんですかっ?」
「いいや。賢い女になれって、そう言いたいだけだよ。恋愛的にも、人生的にも、賢い方が何かと得だからね」
「……つまり、アウニィーさんをコロコロ出来るようになれば、一人前の女性、って事ですか?」
それなら、やってみたい気も、する。
からかわれてばかりなんて、負けっぱなしのようで面白くない。
それに……、私は、アウニィーさんの言った通り、賢い女性になりたいと思う。
何も出来ない愚かな女性じゃなくて、自分の手で道を切り拓けるような、そんな、強く、賢い女性に。
吸血鬼達の王国、グランヴァリアの皆さんのお陰で、以前よりは無力ではなくなったと、そう思っているけれど……。
「頑張ります。いつか、……アウニィーさんを絶対にコロコロしてあげますっ」
「あぁ~……、頼もしい言葉だけど、コロコロ、って、転がすの他にも意味があるから、あまり言わない方がいいよ」
「ありましたっけ?」
「うん、物凄く物騒なのが」
なんだろう? と、私が口元に指先を当てながら考え始めると、すぐにアウニィーさんを呼ぶ声が聞こえてきた。灰色の長い髪をした女性の司書さんだ。
よくサボるアウニィーさんを叱りに来る女性で、私が困っていると不真面目な同僚さんを回収して行ってくれるので、非常に助かっている。……だけど。
「アウニィーさん、お仕事に戻ってください。それと、リシュナさん。貴女もそろそろ家に帰りなさい。また騒々しくなると困りますので」
「あ、……すみません。すぐに帰ります」
彼女が少しだけ機嫌が悪そうに指摘してきたのは、時々起こる、プチ喧嘩の事だ。
私の帰りが遅いと、レゼルお兄様やディル君達が迎えに来てくれるのだけど、高確率でアウニィーさんと喧嘩、のような言い合いを起こしてしまうのだ。
その度に、館内の人達に迷惑をかけてしまうので、時間には気を付けているつもりだったのだけど……。
「か、完全に……、アウト、です」
今から走って帰れば、なんとか門限ギリギリ……。
だけど、ウチの過保護なお兄様はそれよりも早く心配性を発揮して爆走してくる。
私はノートや文房具を布製の手提げ袋に仕舞い、椅子からひょいっと降りた。
「アウニィーさん、レアネさん、お邪魔しました。では」
「バイバイ。また遊びにおいで。勿論、カフェの方にも」
「リシュナさん、貴女は大人びてはいますが、やはりどこか抜けています。もう少し……、注意深くなられてください」
「は、はい」
彼女、司書のレアネさんが私に対してお小言を発するのはいつもの事。
……だけど、この三年間を通して感じた事は、それが嫌悪や迷惑からではないという、個人的な見解だった。
まるで歳の離れたお姉さんが、妹を立派に育てようとするかのような、危険な目に遭わないよう、気を使っているかのような……。まぁ、長い間通っていれば、そういう情も湧く、のかな。
私はアウニィーさんとレアネさんにお辞儀をし、早足で大図書館を後にしたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ただいま戻りました。……あら? レゼルお兄様とフェガリオお兄様は?」
陽が沈み、世界が闇の領域へと染まり切った頃。
自宅に戻った私は、食卓用の椅子にちょこんと座って、一人静かに何かを飲んでいるクシェルお兄様を見つけた。小さな男の子の姿に、……凄く不機嫌そうな表情。
「アイツらなら、グランヴァリアだ」
「なるほど……。クシェルお兄様、子守り役で残されたんですね? お疲れ様です」
「別に。宰相達相手に小難しい時間を過ごすよりマシだろ。お前らもそんな手ぇかかんねぇしな」
出会った頃だったら、可愛い子供姿にお似合いの愛想たっぷりな口調を崩さなかったのに、『あの件』を境に、段々と私に対する態度が軟化したというか、素の粗暴さが増したというか……。
子供姿になっている時でも、普通に素で喋る事も多くなって……。
私が自分の飲み物を作ろうとキッチンに向かいかけると、クシェルお兄様から声がかかる。
「ココアだろ?」
振り向くと、すぐ背後に大人の男性の姿に早変わりしたクシェルお兄様が私の肩口に手を伸ばし、その向こうのマグカップを手を伸ばしていた。
「ありがとうございます、クシェルお兄様」
こういう時は、自分が淹れてやる、という合図なのだ。
私はお言葉に甘えて微笑み、食卓用の椅子に座って待つことにした。
「で? またお前は大図書館で良い子ちゃんよろしく勉強だったのか?」
「あそこは空気が静かで落ち着くんですよ。アウニィーさん達もいますし」
「あぁ、……あの胡散臭ぇ、軟派野郎か」
「クシェルお兄様、同族嫌悪ですか?」
「うるせぇ。……ほら」
系統は違うけれど、クシェルお兄様とアウニィーさんは、王都中の女性達からの人気を巡り、まるで生まれた時からの天敵のように張り合っている。
……どちらかというと、クシェルお兄様が突っかかっていっているという方が正しいかもしれない。
大々的に口説くクシェルお兄様と、色香を滲ませながら気配で誘うアウニィーさん。
とりあえず、この二人には早く意中の人を見つけてもらって、王都に平穏をもたらしてほしいと、レゼルお兄様と一緒に願っていたりする。
私の前にあたたかなココアを淹れたマグカップを置き、向かい側の席にクシェルお兄様が戻っていく。
「ん……。美味しいです」
素直に感想を伝えると、いつものようにそっぽを向かれてしまった。
たった数年の付き合いだけど、クシェルお兄様のその仕草の意味をわかっているから、不安にはならない。
この人は、嘘や卑怯には慣れているけど、正直なものや素直な気持ちには弱い。
慕われる事を嫌がっているわけじゃないけど、なんだかむず痒い、そんな心境が照れに変わるのだろう。
「そういえば、ディル君達は」
「ふあぁ……。ディルは、いつもと同じで、地下の研究室。ティアは森、オルフェは部屋に籠って、料理のレシピ作りだ。……はぁ、たまには別の事しろってんだ」
「ふふ、予想通りですね。でも、こうやって尋ねてしまうのはもう習慣のようなものですから」
家族の許に帰って来られるのも、家族がいつもと変わらない日常を過ごしていて、それに対して安心してしまうのも……。レゼルお兄様が、皆が与えてくれた、幸せな日常。
この穏やかな生活を失うことが、今私が最も恐れている事……。
「心配性だな。お前も、……アイツも」
「クシェルお兄様?」
マグカップを持つ手に添えられた、ココアとは別のぬくもり。
片手を差し出しているクシェルお兄様に首を傾げていると、家のドアをノックする音が響いてきた。
その音を合図に、クシェルお兄様のぬくもりが何も言わずに去っていく。
「リシュナ、お前は二階に行ってろ。万が一、って事もあるかも、だからな」
「は、はい」
この三年間、本当に何事もなく、穏やかに過ぎてくれた。
私を疎み、憎み、絶対に不幸にしてやろうと嗤っていた『あの人達』の影さえ、忘れてしまうほどに……。
だけど、この幸せがずっと続く保証はない。いつ、何が起きても、それは必然なのだ。
私はドアを警戒しているクシェルお兄様の指示通りに階段へと走った。
二階の一番端にある自分の部屋に辿り着いた私は、室内には入らず、四つん這いになって階下の様子を窺う。
「はぁ~い、どちら様ですか~?」
クシェルさんの、愛想たっぷりな子供の声だ。おそらく、姿も変えたのだろう。
ドアの前で、きゃっきゃっと笑いながら応対し始めたクシェルさんの様子に耳を澄ませる。
大丈夫、大丈夫。ただの、ご近所の人かもしれないし、別に夜の訪問は珍しい事じゃない。
だけど、私のドキドキと不安に怯える鼓動は、次の瞬間、跳ね上がった。
「うぎゃああああああああああああああ!!!!!!!!」
「クシェルお兄様!?」
――階下に響いた、クシェルお兄様の悲鳴。
私は自分の不安さえ忘れて、大急ぎで階下に駆けて行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――Side レゼルクォーツ
「入り口が、ひとつじゃ、ない……?」
三年前、リシュナの父親に関して話したあの空間に再度集まった俺達は、陛下から告げられた報告に目を瞠った。隣にはフェガリオ、目の前には、陛下と宰相殿、そして、俺の両親がいる。
薄暗い空間に浮かんでいるのは全て、ロシュ・ディアナに関する情報の類だ。
そして、ロシュ・ディアナとグラン・ファレアスの間に生まれた混血児、リシュナの事も……。
「ロシュ・ディアナの世界へ繋がる道は、幾つもある、と?」
リシュナに地獄を味わわせた、忌まわしき、憎悪の対象たる世界。
御柱と呼ばれる神に仕えし、清らかなる純白の翼を纏いし……、ロシュ・ディアナ。
リシュナの母親を捜し出す為には、ロシュ・ディアナの世界を捜索範囲に加える事が必須だ。
だが……。
「通常、外の世界のどこからでも、グランヴァリアの民か、界を渡る方法を知っている者であれば、『扉』まで辿り着く事が出来る。だが、それ以外に界と界を渡る方法がないわけではない」
俗に言う、抜け道ってやつだな。通常、外とこちらを繋ぐ『扉』はひとつだが……。
長い歴史の中、他に世界を繋ぎ、行き来する道具を創り出した者や、道を己の手で創り出した者もいる、と、聞いた事がある。
ディル達が以前に使った手も、アイツの父親が研究し、開発したアイテムだった。
脳筋系馬鹿という印象が強いが、ディルの父親も、ディル自身も、実際は研究職に特化した頭脳を持っている。
それと同じで、許可を取らずに、勝手に外の世界へと行ってしまう奴が後を絶たないのは、『そういう手』が幾つもあるからだ。
だが、ロシュ・ディアナの場合は、閉鎖的な価値観を持つが故に、その行き来にも厳重な警戒が成されていると、そういう印象が強かったんだが……。
「綻びが出始めた、と言うべきだろうな。百年前に俺が調べた際にはなかった、新たな反応が、リシュナ達が暮らす世界に生じている」
グラン・ファレアスと、ロシュ・ディアナの世界に通じる道に関する違い。
それは、外の世界のどこからでも方法を知っていれば、『扉』のある場所まで行けるわけではない、という点だ。ロシュ・ディアナの場合は、外のどこかに存在している『道』を見つけなければ、『扉』自体に辿り着けない。ついでに、『扉』は、ロシュ・ディアナの血族が鍵となっており、他種族の出入りはまず不可能……。
その第一段階である『道』が幾つもあったとは……。
「ロシュ・ディアナの世界は、『扉』を閉ざし、外の世界を拒んでいる……。故に、内側の空気は淀み、一種の酸欠状態、と言えばいいか……。外の世界との関りを絶っているが為に、衰退の一途を辿っている」
俺とリシュナ達が暮らしている側の世界の地図を表示しながら、陛下が哀れを含む声音で語る。
ロシュ・ディアナの衰退……、滅びへの道。これも、前に聞かされた。
だが、自分達が滅ぶとわかっていて、何故、『扉』を開放しない?
たとえ滅ぶとわかっていても、神に仕えし眷属の誇りが大事だというのか?
もう……、自分達の在り方さえ歪んでいると、何故、気付かないのか……。
「幾つかある『道』の中で、北方の地にある……、これだ。この『道』の綻びが一番強い。まずは、この『道』のを通り、ロシュ・ディアナの『扉』まで辿り着く。これを最優先事項としたい」
「ですが、陛下……。たとえ、『扉』の前に辿り着けたとしても……、リシュナには『扉』を開く方法がわかっておりません……」
王たる者へ異議を唱えるなど……。そんな葛藤と恐れ多さがあるんだろう。
控えめに発したフェガリオの声には、無礼を詫びる響きが含まれている。
だが、その疑問には、宰相殿が動じる事なく答えを寄越してきた。
「それに関しては別に方法を模索する。だが、陛下が仰っておられるのは、『正式な訪問』に関する手順だ。余計な言葉を挟まず、陛下の御言葉に耳を傾けよ」
「はっ……! も、申し訳、ありま、せんっ」
フェガリオが片膝を突き、頭(こうべ)を垂れ、謝罪を口にする。
だが……、俺的にはこう思う。――中身ヘタレの強がりに、そこまで敬意を払うなよ、と。
三年前、自分の恋人が、他の男とも関係があったかもしれないだとか、勝手に勘違いして大号泣したあの衝撃的残念シーン……。俺は忘れてないぞ? 宰相殿。
「レゼル……」
「な~んですかねぇ~? 別に何も文句なんかないですよ? ……ヘタレ宰相殿」
「――ッ!!」
「はいはい、レイズ兄上、今は大事なお話の場だからね。図星を刺されたくらいで怒っちゃだめだよ~」
「ぐっ!! ……陛下、お話の、続きを」
いくらドSの皮を被ろうと、宰相殿にとって俺の親父は鬼門、いや、絶対に勝てない相手なのだろう。
親父が無邪気に見える笑みを浮かべているだけでも、鳥肌が立つと言いたげだ。
そんな弟二人の様子を眺めながら表情を和ませていた陛下だが、すぐにその穏やかな気配は消え去った。
「我がグランヴァリア王国は、かつての同胞たる、ロシュ・ディアナとの国交を求め、使節団を編成し、正式な訪問を申請する」
「使節団、って……。まさか、陛下。自分も行くとか言い出しませんよね?」
蹂躙派と共に在る、このグラン・ファレアスの世界において、陛下が国を留守にする事は隙を作る事に他ならない。だが、陛下はニヤリと……、嫌な予感のする満面の笑みを浮かべた。
「勿論、国同士の国交を始めるのだから、代表者が訪問するのは当たり前の事だろう?」
「宰相殿ぉおおおおおお!! 止めろっ!! この楽観志向の国王鞭でグルグル巻きに……、ん? さ、宰相殿」
陛下の無謀な発言に大声を上げた俺が宰相殿に当然の意見をぶつけると、……なんだ、あのすげぇ青ざめた顔。
俺の親父の方は、面白~いとばかりに楽しそうだが。
「大丈夫だよ、レゼル。ロシュ・ディアナ訪問期間における、国王の代行はもう決まっているんだ」
「は?」
国王の代行? まさか、宰相殿とか、親父がやるってんじゃ……。
「フェガリオ……、なんだろうな、このすっげぇ悪寒は」
「震えが止まらん……、ぐっ」
絶対、違う。宰相殿でも、親父でも、ない!!
絶対的予感は決して外れる事はない。おい!! そこ!! 何、ニヤニヤしながら笑ってんだよ、母さん!!
「俺の、いや、グランヴァリア王国を統治する玉座に、暫しの間、座してくださるのは」
――陛下が思いっきり笑いを堪えながら、空間の入り口へ手を伸ばす。
まるで、誰かの存在を誘うかのように。
「陛下、この空間って他に出口ありませんでしたっけ?」
声が、早く逃げたいとばかりに震え、引き攣る。
だが、俺の助けを求める表情に、陛下は笑顔を貼り付けたままだ。
そして、陛下が代行者の名を口にしようとしたその瞬間――。
ドォオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!!!!!!!!!!
「げえええええええっ!!!!!!!」
「あぁ、……やはり、くっ」
陛下が入り口を開く前に起こった、とんでもない爆発音。
強大な魔力を行使し、空間の入り口を強引にぶち抜いてきやがった!!
フェガリオがくらりと眩暈を起こし、横でぶっ倒れる。ずりぃいいいいいい!!
「ふふ、相変わらず繊細な子ですね~。この程度で卒倒とは、まだまだ。はぁ……、君もですか? レイズ」
「あ、あ、ああああああああ……っ」
無粋な侵入者。いや、陛下が呼んだ事は確実。
招待されたくせに、豪快な登場を見せたのは……。
「せっかくのハーレム旅行のお邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした」
グランヴァリアの王たる陛下がその眼前まで歩み、膝を突いた相手。
陛下よりも歳を重ねた容姿だが、人間で言えば、三十代半ばといったところだろう。
見た目は、陛下と同じく、それなりに逞しい体躯とよく似た美貌を備えているが、そのアメジストの瞳に浮かぶのは、俺の親父が抱くタイプの厄介な気配だ。
「いえいえ。子供から頼って貰えるのは、親冥利に尽きますよ。ふふ、アレス、君に頼って貰えるなんて……、さぁ、報酬はどんな素敵なものが頂けるのでしょうねぇ?」
「……」
頭(こうべ)を垂れながら、誰をも恐れぬ陛下がこっそりと吐いた溜息と、げんなり顔。
あれは俺にも覚えがある。息子が、面倒な父親に向ける諦めの表情だ。
そう、陛下の目の前で平然と立って微笑んでいる漆黒の髪の男。
あの男こそ……、――先代の、グランヴァリア王。
外見とその物腰の穏やかさに騙される事なかれ。目の前の存在は、悪鬼などよりも性質(たち)の悪い、魔王の如き存在なり。そう何度教え込まれた事か。
俺の親父でさえ、あの男……、俺の祖父であるじーさんには、太刀打ち出来ない。
そう、同じような腹黒い性格をしているのに、根本が違いすぎて、勝負にならない。
隠居し、大勢の側室達とハーレム旅行に行ったかと思えば……。
(陛下……)
特殊な術を使い、頭の中でジト目を向けるが如く、陛下に文句を言ってみると、盛大に大きな溜息が返ってきた。
(仕方なかろう……。俺の代わりになるような、蹂躙派でさえ震え上がる存在など、このク、……いや、先代陛下以外におられんからな)
(今、クソジジィ、もしくは、クソオヤジって言おうとしましたよね!? なんで嫌なのに、呼び戻しちゃってるんですか!!)
(レゼルよ……、覚えておけ。大義を成す為には、時に己の感情さえ捨て去らねばならん。……はぁ、我ながら、最悪の一手を選んだものだ。くっ!!)
自分で呼んどいて、何言ってんだ!! この国王は!!
滅多に見られない陛下のげんなり顔だが、今回だけは別だ。同情なんかしてやるものか!!
……いや、でも待てよ。俺はこれから人間達の世界に帰るんだし、じーさんと関わる機会なんか今ぐらいのもんで……、あはは、な~んだ。今だけ我慢してりゃ――。
「レゼル、久しぶりに顔を会わせたんですから、後で一緒に遊びましょうね。ふふ、祖父と孫の時間なんて、何十年ぶりでしょうかね」
「あ~……、あ~……、じ、じーさま、その、俺は、急ぎの用事が、――ひっ!!」
いっそ、あと、千年。いや、死ぬまで会いたくなかったぞ、じーさま!!
気絶しているフェガリオの首根っこを掴んで逃亡しようとした俺だったが、生憎と、じーさまが解き放った強すぎる魔力の圧に捕まって、……ぐっ、足が、動かねぇっ。
このままじゃ、じーさまの容赦ねぇ扱きに嬲られまくって、リシュナの許に帰れるかどうかっ。
ここはひとつ、根性で……っ、絶対に逃げてやるっ!!
「さぁ、レゼル。皆との話が終わるまで、そこで大人しく、おや?」
「親父?」
てっきり見捨てられるかと思ったんだが、俺とフェガリオを庇うように背中を見せたのは、親父だった。
自分の父親に一礼し、親父は人を振り回す無邪気な、いや、計算された笑みを浮かべる。
「父上、レゼルには兄上から、陛下より与えられた役目があるのです。父上も仕事はしっかりこなせと、在位中から仰っておられたでしょう? ならば、今宵はひとつ、孫とではなく、息子と遊んでくださいませ」
「……ふむ。つまり、君がボクの相手をしてくれるという事ですかね?」
親父……っ。俺とフェガリオの為に、盾になってくれるっていうのか!?
と、一瞬だけ感動しかけた俺だが、頭が否定の警告音を発するのに気付いた。
そして、視界の端で宰相殿がよろよろと起き上がる姿を見つけ――。
「いえ。最近、政務ばかりで心身が鈍っている、と、アレス兄上とレイズ兄上が仰っておられましたので、ふふ、是非、二人と遊んで差し上げてください」
「「なぁあっ!?!?」」
慈悲も、死なば諸共精神もない三男の発言に響き渡る、伯父二人の残念な悲鳴。
先代国王であるじーさまが持っていた大剣をガシャリと肩に掛け、ニッコリと笑う。
「それはいけませんねぇ。国の要たる国王と宰相が堕落しているなど」
「堕落などしていないぞっ!! 親父殿!!」
「堕落、いえ、サボりまくっているのは兄上だけです!! 父上!! コロコロするなら、この人だけを!!」
「レイズぅううううう!!」
お互いに人身御供の座を押し付けあう兄弟二人から視線を外した親父が、俺達に向き直り、入り口を指さした。
「またね。それと、ロシュ・ディアナ訪問に関しては、後日詳細を知らせるから、リシュナちゃんにはまだ内密にね」
「あぁ、わかった。頼む」
親父の背後でジリジリと追い詰められている伯父二人が心底気の毒だが、俺も所詮は親父の息子だ。
自分とフェガリオに退路ができた事に感謝し、顔は天使だが、中身は悪魔の中の悪魔のような親父に礼を言い、速攻でグランヴァリア王宮を後にした。
愛する我が家に、予想外の訪問者が来ている事すら知らされず。
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