二人の今日この頃と楽しい学校生活?



 ――Side リシュナ



「さて、前回やったテストを返すぞ~! 別に悪い点でも怒りゃしないから、安心して取りに来い」


「「「は~い!!」」」


 ふにゃ~ん……と、思わず眠くなってしまいそうな日差しを浴びる午後。

 私は零れ出そうになる欠伸を噛み殺し、眺めていた青空の広がる窓から教卓の方に顔を向けた。

 家の事情や個人的事情で勉強が遅れている子供達の為に用意された新しい学び舎。

 三年程前に大きな屋敷を改修して学校にされたこの場所は、王立学院の管理下にありながらも、全く違う、王都北東の地にある。

 王立学院で学んでいる生徒数程多くはないが、王国側から認可が下りた際に、中等部の特別クラスだけでなく、初等部や大学部の特別クラスの生徒も引き受ける事になってしまった。

 果たして、レゼルお兄様達だけで生徒の面倒を見切れるのか……、最初は心配していたものの、特に問題もなく不足していた教師陣の確保も済み、万全の状態で今に至る。


「お~い、リシュナ~、お前の番だぞ~。何、ぼ~っとしてんだ~?」


「あ、は、はいっ! 今行きます!!」


 

 前を見ながら自分の番を待っていたはずなのに、うっかりこれまでの三年間に思いを馳せてしまっていた。

 私は少しだけ慌てながら立ち上がり、相変わらずの少女姿で教卓に向かって駆けて行く。

 

「すみません、次から気をつけます」


「おう。授業の時は、ちゃんと前を見て、先生の話をよく聞いていような。ほら、お前の答案用紙だ」


「ありがとうございます」


 後ろ首のうなじの辺りから長い蒼髪を三つ編みにし、家にいる時よりは知的に見える眼鏡でバッチリ教師モードなレゼルお兄様に答案用紙を差し出され、それを受け取る。

 今日返されたのは、習った王国の歴史を覚えているかどうかのテスト。

 満点とまではいかなかったけれど、平均点には達している。

 

「ふぅ……。良かった」


「うげぇ~!! ……くそっ、赤点かよ。おいっ、レゼル!! ちょっとはおまけしろよ!!」


「ディル君、うるさいですよ。めっ! です」


 三年前に新しく振り分けられた各特別クラス。

 元々、王立学院側で定められていたクラスはあったけれど、もう一度行われた学力テスト。

 特に大きな変動はなかった。

 だけど、レゼルお兄様曰く、各クラスの学力の均一化を図る為に、一応は必要な事だったらしい。

 そして、私は三年前に一度初等部に振り分けられ、努力に努力を重ね、去年からようやく中等部一年のクラスに進級出来て、今年の春から中等部の二年クラスに上がった。

 私が所属しているクラスには、一緒に進級したお子様吸血鬼達を含め、他にも何人かいるけれど、数は十人未満と少ない。


「……ところで、あの、レゼルお兄様、何をしてるんですか?」


「う、……ちょ、ちょっと、……うぅっ、今の、めっ! が凄まじい可愛さで、鼻から感動の嵐がっ」


「あはははっ! レゼル先生ってば、かっこわるぅ~い!!」


 面白そうにレゼルお兄様を指差しながら笑い転げそうになっているのは、三年前に初めて王立学院を訪れた際にティア君とぶつかってしまった女の子、――フィルティーだ。

 三年前とは違い、男の子のように見えていた黄金の短髪は年月と共に長くなり、今は首の横で編み込み、胸の下辺りまで垂らしている。浅黒い肌と活動的な気配はあの時のまま……、いや、もっとパワフルになっているけれど、女の子同士仲良くやれている、と思う。

 ちなみに、フィルティーは私よりも年上で、留年組でもある。

 そして……、彼女に笑われまくっている私達の担任こと、レゼルお兄様は自分の鼻を片手で覆い、天井を仰ぎながらまだブツブツと何か……。


「レゼル先生、鼻血が出た場合の処置が違いますよ。それじゃ大変な事に」


「だ、大丈夫だ!! そ、それよりもっ、でぃ、ディルぅうううっ!!」


「うぉおっ、な、なんだよぉっ!!」


「ぐっ……、ご、後日、補習だっ!! うぐっ、あ、あとっ、ちょっと自習ぅうううっ!!」


「あはははははっ!! レゼル先生、行ってらっしゃぁ~い!!」


 全速力で教室を飛び出して行ったレゼルお兄様に何が起こったのか……。

 とりあえず、鼻血を出したのなら、確かに保健室に駆け込むのが正しい判断だろう。

 私は開かれたままの扉を閉め、自分の席に戻った。


「ふふ、りっちゃんは相変わらず愛されてるね~」


「はい?」


「レゼル先生の鼻血だよ、鼻血~! 一応は教師として平等にって頑張ってるみたいだけどさ、ほら、りっちゃん、無自覚な天然さんだからさ~。ふふ、たまに爆弾落とすよね~」


 隣の席で机に両足を乗せ、椅子をキィキィと揺らしながら話しかけてきたフィルティーに、私は首を傾げる。

 私とレゼルお兄様が一緒に住んでいて、兄妹である、っていう事はもう知られている事だけど、お互いに節度ある対応で接しているし、特に問題は……。

 あぁ、でも、誰も見ていない所では、ちょっと困ったところがあるかもしれない。

 だけど、私が何かした、的な事をたまにフィルティーは言ってくるけれど、そちらに関して思い当たる事は……。やっぱり、よくわからない、という答えしか出ない。

 まぁ、強いて言えば……、私(妹)に対するレゼルお兄様の愛情が海よりも深い、という事だろうか。

 最初に出会った時よりも、家族になった時よりも、もっともっと、可愛がって貰えているという自覚はある。


「うんうん。その全然わかってないところが、あぁっ、罪深いっ!! 滅茶苦茶可愛いんだよ~!! もうっもうっ、りっちゃ~ん!!」


「きゃっ。……フィルティー、むぐっ、こ、この抱き着き癖、ど、どうにか、わぷっ」


「ふふ~ん! 人は感情の昂ぶりに抗えないのさ!! むぎゅむぎゅ~!!」


 こうやって一日に必ず一度は私を抱き締めてくるクラスメイト。

 抱き締められてしまう理由はよくわからないけれど、……フィルティーの胸がちっさくて良かった。

 彼女の腕の間から出来る呼吸に感謝したものの、やっぱりいつも通りに、暫くはフィルティーの謎の抱擁を受ける事になったのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――Side レゼルクォーツ



「……またっすか? この人」


「ふふ、また、ですね~。レゼル先生、給食の時間終わっちゃいましたよ?」


「はぅ~……、妹が可愛すぎて、マジヤバイ」


 特別クラスで勉強を教えている教師陣が集う、職員室。

 俺は自分の机に顔を突っ伏しながら、延々と繰り返していた、

 あぁっ!! リシュナのめっ! 可愛かった!! 物凄く可愛くて、抱き締めたくて堪んなかった!!

 だが、不運な事に俺は教師。生徒達を平等に扱い、誰か一人を特別扱いするなんて……!!

 悩ましい葛藤に、内心で激しく葛藤している俺を、リシュナの知り合いである教師レスカと、三年前に面接で雇った銀髪の男で、アロンがいつもの通り、残念な目で眺めている事には気付いている、が、がっ!!


「お前達も妹という至上最大級の宝を持ってみろ!! 毎日がパラダイス!! 毎日がドキドキワクワ」


「うるせぇよ、愚弟」


「ぐはっ!!」


 如何に妹という存在が尊く罪深いか、全力で説明しようとしていたところだったのに!!

 職員室に戻ってきた俺の愚兄、今は元の大人の姿に戻っているレインクシェルによって放たれたチョーク粉いっぱいに塗れた黒板消し。それは見事に俺の顔面にぶち当たった。この野郎!!


「何しやがんだっ!! この万年発情期女タラシ野郎がっ!!」


「ああっ!? たかが妹一匹に振り回されまくりのヘタレが何言ってんだ!!」


 三年前、陛下からの命令で件(くだん)の混血種の正体と動向を探るべく、人間達の住む世界で潜伏任務に就いていた兄貴だが……、三ヶ月後、その任務は強制的に終わりを迎えた。

 その後から、クシェル兄貴はこの特別クラスだけを集めた学校の教師職に就き、今に至る、と。

 去年の一年はリシュナ達の担任をやっていたんだよなぁ、確か……。


「レゼル、いい加減にどうにかしろ。その妹限定ド変態反応。教師としての自覚を」


「お前が言うなぁあああああっ!!」


 休みの日には、町やグランヴァリアで女漁りしまくってるくせに!!

 まぁ、教師をやってる時は意外に……、真面目だが。

 あれだろうなぁ、陛下と宰相殿から刺された釘が効いてるんだろう。

 だがしかし!! たとえ真面目に先生やってても、クシェル兄貴にだけは道理を説かれたくはない!!


「レゼル、クシェル……。他の教師達の迷惑だ。その辺にしておけ」


「フェガリオぉおおおっ!! お前ならわかるだろう!! 妹の、リシュナの可愛さを!! 学校じゃ思う存分愛でられない、俺のこの切ない心を!!」


 俺の隣の席で何か書き物をしていたフェガリオに縋りつくが、出席名簿で頭をはたかれてしまう。


「自重しろ。それと、さっさと職員室から出ていけ……。まだ飯を食っていないだろう? 今ならまだ間に合うぞ」


「うぅっ……。い、行ってくる」


 そういえばそうだった。四時間目からずっと可愛い妹のあれこれを考え悶えていたから、昼食をまだ……。

 ぐきゅるるるるぅうう~……。

 大きく自己主張した腹を押さえ、俺はトボトボと教室に向かう事にした。


「あれ~? レゼル、どうしたんだ~?」


「飛び出したまま、だったから……、今日はもう、戻って来ない、と、思ってた」


「もしかして、給食を食べに来たんですか? あぁ、残念ですね~。生憎と、レディ達が全部片づけてしまったのですよ」


 だが、一度戻った教室で聞かされたのは、無情なる後片付け終了の報だった……。


 

 



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――Side リシュナ



「はぁ……。腹減ったなぁ……」


 給食が終わってからのお昼休み。

 飛び出してから一向に帰って来る様子のなかったレゼルお兄様を捜し歩いていた私は、購買の前でしょぼんと這い蹲っている残念な吸血鬼を見つけた。

 このお屋敷兼学校には給食という制度があるけれど、他にも、軽食や飲み物、学園生活に必要なあれこれを揃えた購買がある。だから、何らかの事情でお昼を食べ損ねた人は、大抵この購買を頼る事になる。

 で、今日は残念な事に、どうやら購買がお休みのようで……。

 その前で両手と膝をついているレゼルお兄様が、どんよりと自分の不幸を嘆いている。


「うぅ……、何か持ってくるんだった」


「お困りですか? レゼル先生」


「へ? り、リシュナ……」


 俯いているレゼルお兄様を覗き込みながら、少しだけ悪戯っ子のような音で声をかけてみると、その顔に嬉しそうな気配が宿った。私はレゼルお兄様に手を貸し、立って下さいと促す。


「今まで何をやっていたんですか? 給食の時間にも戻って来ないから、具合が悪いのかと」


「違う!! 違うぞっ、リシュナ!! あれは、その……。まぁ、大人の事情、ってやつだ」


「それ、今までに何度も聞いてますけど、流石に給食抜きはいけませんよ? ほら、一緒に来てください」


「リシュナ……、お前、まさか」


 購買のある場所より、お昼休み、この時間帯に限っては、教室やお屋敷の敷地内に作られた広場に方に生徒達が多く集まっている。だから、きょろっと見まわしてみても、人影はなし。

 私はグランヴァリアの王様に習った方法で光に包まれ大人の姿へと変身すると、レゼルお兄様の手を掴んだ。


「この姿なら、何も気にする事はないでしょう?」


 生徒のリシュナと、先生のレゼルお兄様はある程度の距離を保たなくてはならない。

 皆平等に。それが当然の事だから、この学校内で子供姿の私と二人きりはまずい。

 だから、大人の姿のリシュナになって、今回も私はレゼルお兄様をこじんまりとしたお庭に連れ出した。

 三年前とは違って、少しずつだけど、この姿に慣れてくれたレゼルお兄様。

 今も、ちょっとだけ躊躇する気配は見せたけれど、特に拒まれはせず、手を繋がせてくれた。


「――もぐもぐ。んっ、……んっ」


「残念でしたね。今日の給食は、レゼルお兄様好みのメニューだったんですよ? 戻ってくるまで残しておこうって言ってたんですけど、フィルティーと他の子が給食終了五分前に勿体ないからって、食べちゃったんです」


「……はぁ。アイツら……っ。まぁ、俺の自業自得だから、その辺は怒らずにスルーしとくか」


「はい、お茶もありますよ」


「サンキュ」


 自分専用に持って来ていた水筒からカップにお茶を注いだ私からそれを受け取り、レゼルお兄様が一気に飲み干す。パンと、デザートのプリンだけだけど、少しはお腹の足しになるだろう。

 お兄様はもう一杯お茶を飲むと、私にカップを返し、すぐ背後のどっしりとした幹に背を預けた。


「放課後まで……、持ちそうですか?」


「ん~、まぁ、何とか、な。……けど、いいのか?」


「はい?」


 満腹、にはならないけれど、パンとプリンとお茶で一時的に空腹を凌いだレゼルお兄様が、気まずそうに聞いてくる。多分……、『あの事』について、申し訳なく思っているのだろう。

 私はスカートのポケットから小さなチョコレートの包みを取り出すと、カラフルなラッピングのされているそれを幾つかレゼルお兄様に渡し、「大丈夫ですよ」と笑った。


「今の私は、レゼルお兄様の従妹です。時々、レゼルお兄様に用事があってここにやって来る、別の町からの住人。そう説明したんだから、何も問題はありませんよ」


「いや、俺もそう説明したが……。変な誤解もされてるだろ? 主に、面白がってる生徒達が噂してる事だが、……俺と、お前が、恋人同士じゃないか、って」


「子供の妄想は逞しいですからね。特に、女の子達は、恋のお話が大好きですから」


 別に気にするような噂ではない。

 だって、本当のところは、兄と妹。本当の、じゃなくても、私達は家族。

 大人の姿の私とレゼルお兄様が恋人同士だと噂されても、何も困る事はない、何も……。

 包みをゆっくりと剥がし、レゼルお兄様が私の方をちらちらと伺いながら、星形のチョコを口に放り込む。


「……お前に、な。結構……、来てるだろ?」


「何がですか?」


「……あれだよ。所謂、ラブレター、とか、きゅ、求婚願いの、手紙、とか」


「あぁ、あれですか。全部お断りしますと、ちゃんとお返事してますよ。それがどうかしましたか?」


 この三年間、時折、大人の姿で街中を出歩いている私を見かけ、何故か好意を持ってくれる人が現れだした。

 彼らは私とレゼルお兄様に接点があると知ると、そういう類の手紙を私達の家のポストに投函し、返事をくれるようにと催促してくるようになって……。もう、一体、何十通お返ししてきた事か。

 

「正直なところ、俺から見ればお前はまだまだ子供だ。……だが、その姿は紛れもなく大人の女のもので、好意を寄せてくる男がいるのは当然だ」


「はぁ……」


「俺は、お前を妹として大事に思っているが……。もし、……もし、お前が誰か、気になる奴がいるなら……、応援してやりたい、って、そう、思ってる」


 だから、私が誰かを特別に想い、その人と恋人同士になりたいと思う日が来た時に、自分達の関係が誤解されて周囲に伝わってしまうのは良くないのではないか?

 そんなどうでもいい心配を、レゼルお兄様は本気でしているようだ。

 木の前にある外用の長椅子に、一緒に座っているのに、私が隣にいるのに……、あえて、真っ青な空を見上げながら……。その言葉と態度に、なんだかモヤッ、イラッと、不快な気持ちを覚えた私は、わざと空けられた隙間を埋める為に身を寄せた。勢いよく、ぶつかっていくかのように。


「り、リシュナ?」


「お嫁になんて、行きませんよ~だ」


「は?」


 私にしては珍しい、子供っぽい、ちょっとふざけた物言い。

 レゼルお兄様がくっついた肩越しに、目をきょとんとさせている。

 ぷくぅっと膨らんだ私の両頬。きっと眼差しは、不機嫌に染まっているのだろう。


「り、リシュナ……?」


 ひくりと引き攣るレゼルお兄様の口。

 やっぱり……、まだどこか、この姿の私を警戒……、いや、怯えている気がする。

 ずいっと近付けた私の顔から身を引き、レゼルお兄様が「ど、どうしたっ?」とたじろぎながら言う。

 子供姿の私には躊躇いもなく抱き着いたり、愛情たっぷりに接してくるくせに、過剰反応が緩和されただけで、根本は何も変わっていない。


「子供ですから、私」


「はぃぃ? ――んぐっ!?」


「少し、反省していてください」


 取り出した大きめのバッテンマークのテープをレゼルお兄様の口に貼り付け、私はさっさと長椅子から立ち上がる。まったく、私が子供の姿の時は、お嫁になんかやらないぞぉ~とか、兄馬鹿全開で叫んでいるくせに、大人の私には嫁に行け的な事を言うって、どういう事なの……!?

 私はレゼルお兄様達の妹で、家族で、これからもずっと一緒で……。


「ずっと……」


 一緒に、いたいのに……。

 妹として大切に扱ってくれている。愛情を注いでくれている。

 それはもう、暴走過多なぐらいに、毎日毎日、めちゃウザな程に絡んでくるレゼルお兄様。

 だけど……、三年前から、少しずつ、……お互いの間に小さな小さな壁が積み上げられていくかのような、そんな風に不安を感じる事があった。

 普段は気にしないように、むしろ、忘れている事の方が多いけれど、ふとした時に思い出してしまう。

 グラディヴァース……、クロさんが言っていた、あの夜の台詞。


『忠告だ。お前の兄を気取っているあの吸血鬼に、『グランヴァリアの寵児』に、これ以上近付くな』


『あれの傍を離れ、関係を断ち切れ。母親と再会する前に、――死にたくなければな』


 グランヴァリアの寵児……。

 平穏に、幸せに過ぎ去った三年間。私はその事について、レゼルお兄様に何も聞く事が出来なかった。

 レゼルお兄様の優しい笑顔に守られて、フェガリオお兄様や皆と一緒に何事もなく……、幸せに、幸せにいられた時間。私は心地良いぬくもりをずっと、ずっと感じていたくて……、聞かなければいけないと思いながらも、勇気が出なかった。

 でも、本人や周囲の人達に聞く事が出来なくても、グランヴァリアの書物なら、あの大図書館にある知識の宝庫になら、何か手掛かりがあるかもしれない。

 そう思って、何度も足を運んだ結果、ひとつだけわかった事がある。

 グランヴァリアの寵児とは、古の昔に存在した、『グラン・ファレアスの始祖』に最も近しい存在を指す、と。

 初代王たる始祖の血筋に連なる者の中に、稀に表れる、先祖返り同然に強い力を持つ存在……。

 書物には、そんな短い記述があるだけで、後は何もわからなかった。

 レゼルお兄様が強い力を、グラン・ファレアスの始祖に近しい存在だからといって、何故それが私を『殺す』事になるの……?

 クロさんに聞きたくても、あの人は時折気まぐれに現れるばかりで、質問には答えてくれない。

 自分で探せ、と、何でも他人に頼るな、と、そう冷たく突き放すばかり。

 まぁ、クロさんに強制的に答えを求めるとしたら、また私の血が対価になりそうだから、その手段は使えないけれど。


「……」


 だけど、考えなくても良いのかもしれない。

 クロさんもレゼルお兄様も、お互いをあまり好んでいなかったようだし……。

 レゼルお兄様がグランヴァリアの寵児だったとしても、ただのクロさんの意地悪だった、なんて展開もあり得る。だから、きっとこれでいい。あれから三年、レゼルお兄様に変なところがあるとすれば、私が変身した大人の姿に対する奇妙な反応や戸惑いだけだし、他には何もない。

 

「リシュナぁあああ~、リシュナぁああああ~っ!!」


「え? きゃああっ!!」


 湧き上がりそうになる不安を、自分の胸に手を当てる事で宥めていた私の許に爆走してきた影。

 誰かと尋ねる必要もなかった。その人は私の足元に飛び込んで来ると、腰に縋り付いて何やら弁明を始めた。


「違うんだよぉおおおっ、リシュナぁああああああっ!! 俺はな、俺はっ、本当は絶対絶対可愛い妹をどこぞの馬の骨軍団になんか渡したくないけどっ、だからってお前の恋の可能性を潰しまくってちゃ、兄として駄目だろう、って陛下に言われてて、うがぁああああああっ!! 本当は恋なんかしてほしくないんだよぉおおおおおっ!!」


「……はぁ」


 この人は、本当にもう……。

 周りに誰もいないから安心出来るけど、相変わらず……、私に、いや、妹に対する必死感が半端ない。

 もしかして、今まで救ってきた人達に対しても、こんな感じだったのだろうか?

 その同情心や愛情が、私の知らない『傷』のせいだとしても、決して偽りじゃない情だと知っている。

 きっと、本当に私の為を思って邪魔をしないように気を使ってくれたのだろう。

 妹大好きなお兄様が、すごく、すごく、すごぉ~く我慢をして。

 

「もう、困った人ですね。国王様に言われたからって、そんな無理しなくていいのに」


「だ、だって……っ。お、俺は、あ、兄としてっ、お前の幸せをっ」


「私の幸せは、今ですよ?」


「ふぇっ?」


 だばだばと涙を流しながら取り乱している残念なお兄様の頭を撫で、私もその場に膝を折る。


「私の幸せは、レゼルお兄様達と一緒に在る事です。絶対に手離したくない、離れて行かないでほしい、それが、私の願いです」


「リシュナ……」


 あの恐ろしい場所から救い出され、お義父さん達に育まれた幸せ。

 その大事な人達を失い、自分だけ助かってしまったのに……、私に死ではなく、生きて幸せになれと手を差し延べてくれた貴方。レゼルお兄様達のぬくもりを自分から手離し、どこかに行こうなんて思わない、思えない。

 

「出来る事なら、ずっと、傍にいさせてください」


 どんな形でもいい。たとえ、あの家を巣立つ事になっても、私はレゼルお兄様達の……、レゼルお兄様の傍にいたい。その為なら、どんな努力でもする。絶対に遠くへなんか行かない。


「私はレゼルお兄様の妹です。ずっと、ずっと」


「り、リシュナぁああああああ~っ!!」


 紛れもない、心からの喜びをまた滝のような涙に変えて私にがばりと抱き着いたレゼルお兄様。

 他の生徒達には絶対に見せてはいけない、見せたくない、なんて思いながら私も両腕でレゼルお兄様を抱き締めていると……。


「あ~!! こんなところでイチャイチャしてるぅ~!!」


「うわっ、レゼル先生何やってんのっ!? くぅうううっ、従妹だからって、美女相手にうらやま~!!」


「ふふっ、やっぱり付き合ってますよね~? あれ」


「ヒューヒュー!! バカップルぅ~!!」


 ど、どうしよう……。気にしないとは言ったけれど、ま、また、噂が拡大解釈で広まりそうな予感!!

 感涙中で現実が全く見えていないレゼルお兄様を全力で引っぺがしにかかったけれど、くっ、全然っ、離れてくれない!!


「あ、あのっ、これは、ですね……!! ちょっと、またヘタレていたレゼルお従兄様を励ましていたら、か、感動されましてっ!! け、決して、恋人同士というわけではないわけで!!」


 ただ恋人同士かも、と噂されるだけならまだマシだった。

 けれど、それ以上の、バカップル認定などされては、これからこの姿で行動し難くなってしまう。

 そういう意味では非常に困るので、は、早く、この困ったお兄様をどうにかして逃げないと……!!


「――お前達、昼休みはそろそろ終わりだ。各教室に戻れ」


 白熱していく生徒達の盛り上がり。その空気の中に落ちた、冷たい冷たい、恐ろしい響きを伴った音。

 ピシリと、生徒達の笑顔に亀裂が入る。

 人垣が割れ、静かな足取りで私達の方へと進んできたのは……。


「教師が外部の者に不埒な真似を働くとは、この学校の名誉を貶める行為だ」


「さ、じゃなくて、れ、レイズフォード先生……」


 時々、特別クラスの授業を引き受けてくれている、グランヴァリアの宰相、レイズフォード様。

 今日は、来るという予定を一切聞いていなかったのだけど、その手の中で弄んでいるしなやかな鞭が狙っている先は、――間違いなく、私にしがみついているレゼルお兄様!!

 レゼルお兄様が私に対して行き過ぎた事をしていると、どこからともなく宰相様が現れ、容赦のないお仕置きをして帰って行く事が……、多々ある。あぁ、つまり、また今回も……。


「レゼルお兄様……、あ、危ない、ですよ。早く離れないと」


「うぅ~、リシュ――、ぐはぁあああああああああっ!!」


「離れろと言っている。一教師として、生徒達を正しく導き、誇りある対象となれるよう、今日は徹底的に」


「で、出やがったな……!! この隠れヘタ、――あぎゃっ!!」


 凄まじい勢いで唸った鞭がレゼルお兄様の身体をぐるぐる巻きにして宙に放り投げ、また巻き付き、床にバシンッバシンッ!! と……。

 

「あの、……レイズフォード先生、今日は、ちょっと事情が、ありまし、て、出来れば、大目に」


「あはは! 無駄ですよぉ~、妹ちゃ~ん。レイズフォード先生は至極当然のお仕置きをしてるだけなんですよぉ~? だ~か~ら~、僕と一緒に戻りましょうね~」


「く、クシェル、……お兄、様」


 ぴょこぴょこと小動物のように歩いてくる男の子。

 もとい、レゼルお兄様の実兄であり、女タラシ記録を伸ばしに伸ばしているレインクシェルさんの事をクシェルお兄様と呼ぶようになったのは、二年程前の事だ。

 他国に潜入し、お仕事をしていたクシェルお兄様は、ある日、大怪我をして帰ってきた。

 その時に色々あって……、今では一応、お互いに兄妹として接している関係に。

 相変わらず、厳しい物言いや、毒を吐く事はあるけれど、出会った頃よりはお互いに馴染んでいると、思う。

 クシェルお兄様はタンコブや傷を作ってぐったりとしているレゼルお兄様の頭をぽんぽんと叩いてから、少し速足で私の傍に寄ってきた。


「さっさと退散しねぇと、後が面倒だ。ほら、行くぞ」


 ボソッと、子供姿のまま紡がれた大人の声音。

 小さな子供の手が私のぬくもりを握り締め、前に歩き出す。


「でも、レゼルお兄様を助けないと……っ」


「いいんですよぉ~。従妹が訪ねて来たからって、はしゃぎすぎるレゼル君が悪いんですから~。ふふ、レイズフォード先生、後はよろしくお願いしますね~」


「お前も、しっかりと務めを果たせ」


「はぁ~い!!」


 阿鼻叫喚の場と化した校内の廊下。

 宰相様に睨まれ、各教室に向かって凍りつきながら散開し始めた生徒達。

 私は何度も後ろを振り返りながらレゼルお兄様の事を心配したけれど、結局……、その日は夜になるまで再会する事が出来なかった。

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