~第三章・御柱の愛し子達編~

第三章・プロローグ



「我らの愛しき、大いなる光……、御柱様」


 救いを求めるかのように、薄紫の髪を纏う美しい女は祈りを捧げ続ける。

 御柱の手で創られし、その傍に侍る事を許された清らかなる存在。

 その後に生まれた数多の種族とは別格の、この世界を創造せし御柱の次に尊き、神聖を纏いし者達。

 御柱が一時的に自分の守護する世界を去り、自分達の種族が二つに分かたれてからも……、彼女達は、ロシュ・ディアナは、『此処』に在り続けてきた。

 自分達の神聖さを、御柱から与えられた神気を、高貴なる種族性を守る為、『扉』と閉じ続けて――。


「あぁ……、どうして応えて下さらないのですか? 御柱様、愛おしき主様、この声を、娘たる我らの切なる願いを、どうか、どうか……!!」


 どこにいるともわからぬ御柱……。

 何故、この世界へと帰還しないのか、何度泣き叫んでも……、その手を差し延べてくれないのか。

 涙を流しながら彼女が見上げる先には、数多の世界が星屑のように美しく輝く夜空。

 出来る事なら、何処かへと旅立ってしまった愛しき神を捜しに、自分も翼を広げ……、後を追ってゆきたい。

 けれど、御柱は言ったのだ。この世界を頼む、と……。

 自分達は至上なる存在の代理。この場所に在る事が役目……。それを放棄するわけにはいかない。


『陛下』


「祈りの邪魔をするなと、命じてあるはずですよ」


 閉ざされた空間の中。薄紫の髪を纏う女は冷たい目をしながら両手を解(ほど)いた。

 何にも邪魔されず、唯一人の事を想い、祈りを捧げていられる貴重な時間……。

 外にいる女もそれをわかっているだろうに、あぁ……、忌々しい。


『申し訳ございません。ですが、例の……』


「またですか……。仕方ありませんね」


 出来る事ならば、ずっとこの、『神との対話の間』に籠っていられれば幸福だというのに……。

 薄紫の髪の女は立ち上がり、自分だけが入る事の出来る空間を後にした。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「――飽きぬものだな」


 同時刻。グランヴァリアの始祖たる者は、古き廃墟を思わせる場所で夜空を見上げていた。

 グランヴァリアの王だけが辿り着ける場所。いまだ戻らぬ神の帰りを待つ泡沫の聖域を模した空間。

 だが、此処にある空だけは本物だ。外と繋がりを持つ。

 始祖は少年の姿で寂しげにその目を細め、小さく彼(か)の者の名を呟く。


「……今のそなたでは、御柱様もお応え下さるまい」


 グラン・ファレアスと、ロシュ・ディアナ……。

 かつては、御柱である神に仕えるひとつの種族であった彼らだが、永き時の彼方にて……、分かたれた。

 いや、グラン・ファレアスの始祖と、その背に続いた者達が『彼女達』に別れを告げたのだ。

 御柱より生み出された同じ存在でありながら、その心の在り方が大きく二つに分かれてしまったが為に。

 何故あんな事になってしまったのか……。今でも、わからない事が多い。

 共に御柱を主として敬い、世界に生まれ来る命を愛し、共に、手を携え、歩んでいたはずなのに……。

 ロシュ・ディアナと種族名を新たにした彼女達は、その始祖は……、自分達の種族性に傲慢な心を抱いている。

 御柱の手により、初めて生み出された種族。御柱に愛され、傍に侍る事を許された特別な存在だと……。

 そうなったのは……、恐らく、御柱がこの世界を留守にしてからだと思う。

 ロシュ・ディアナの始祖たる女が他種族を見下すようになり、それに賛同する者が出始めた。

 だが、グラン・ファレアスの始祖たる自分はそれに異議を唱え、彼女の価値観を改めさせようとしたのだが……。何を話しても通じず、やがて、ひとつの種族は大きく二つに分かれてしまった。

 

「あれから、あまりにも永い時が経ってしまったが……、そなたは相変わらず、か」


 少しは考えを改め、自分達の在り方に疑問を持つかと思っていたのだが……。

『天上』……、ロシュ・ディアナ達が住んでいる世界に続く『扉』は滅多に開かず、地上に在るはずの『扉』の場所も、いつの間にか自分の知らない、感知出来ないところへと移動させられてしまった。

 グラン・ファレアスの始祖たる自分に出来るのは、星の欠片を掬い取り、助言をする事だけ……。

 そして、時折聞こえてくるロシュ・ディアナの、『始祖』の声を耳にし、……酷く切ない思いを味わわされる事もある。無駄だとわかっているだろうに、祈りをやめる事はない。


「私も、何度も祈った……。滅びゆくそなたらを救ってくれと。変わり果てたそなたを……、元に戻してくれ、と」


 遥か昔の記憶。ロシュ・ディアナの始祖と、まだ、身も心も共に在った頃の……。

 自分と同じように、彼女もまた、この世に在り続けている。

 

「そなたは、御柱様の帰りを待つ為に、ロシュ・ディアナを救う為に……」


 そして、自分は――。


「出来る事ならば……、――、そなたと」


 少年の姿から、グランヴァリアの国王とよく似た面差しの大人の男へと変化した始祖が、その手を伸ばす。

 その姿を見る事も、触れる事も、言葉を交わす事も出来ない相手の存在を求めるかのように……。

 だが、在りし日の記憶に思いを馳せていた始祖は、すぐにその手を下ろした。


「どうした? アレス……。まだ就寝中ではなかったのか?」


「奇妙な夢を見たものでな……。寝覚めが悪く、貴方と酒でも飲んで気を紛らわそうかと思い、足を運んできたのだが……。その姿でいるとは珍しい」


 音もなく自分の寝所に入ってきた男、子孫であり、現グランヴァリア国王であるアレスに、始祖は小さく苦笑を漏らしながら振り返る。


「昔を思い出していたら、つい、な……。それよりも、奇妙な夢とは何だ? 私に話しておく必要があると思ったから、来たのだろう?」


「貴方は星を読むからな。俺の見た夢が杞憂であれば良いが、念には念を、と思ってな」


 夢、か……。

 始祖の影響を受けたのか、今夜に限っては寂れた草木ではなく、色鮮やかな花々が咲き乱れているその場所に、アレスが胡坐を掻いて座り込む。

 携えてきた酒瓶と、つまみになりそうな物を差し出され、始祖も彼の前に腰を下ろす。


「そろそろ……、貴方の言っていた三年が過ぎる頃だからな」


「星が語った通りに、な。そなたの甥御と、二つの血を抱き生まれたあの娘は、何事もなく、穏やかな日々を過ごしてこれた」


「確かに、ロシュ・ディアナ絡みでは何事もなく、だが……。少々騒がしく、貴方にとっては微笑ましい出来事も多かっただろう?」


 子孫たる男の手で東方作りの白い杯に好みの酒を注がれながら、始祖はその通りの笑みを浮かべた。

 アレス以外には気付かれていない事だが、この三年……、始祖はグランヴァリアに時々訪れていたあの『兄妹』達とこっそり接触し、何度か行動を共にした事がある。

 少年の姿だった時もあれば、目の前の男のふりをして関わってみたり……。

 

「最初はただの興味だったが、あの二人には、周りの者達も含めて、とても楽しませて貰った。実に愉快だった」


「レゼル達を騙すほどの、貴方の演技力には脱帽だったがな。お陰で、後で話の辻褄を合わせるのが大変だった」


「ははっ。そなたなら上手く誤魔化してくれると信じておったからこそ、こちらも好きに出来たのだ」


「ふぅ……。これからもやるのなら、程々に願いたいのだが……」


 平和すぎるほどに、穏やかで賑やかだった三年の月日……。

 グランヴァリアの寵児であるレゼルクォーツは、自分の養い子としたリシュナや子供達に惜しみない愛情を注ぎ、自身の傷を忘れるほどに満たされた日々を過ごしてきた。

 リシュナもまた、人間の学校に通い、友を作り、あの頃よりも豊かな感情を表に出せるようになった。

 だが……、星が『三年は何事もなく』と、不吉ではなく、平穏を語ったという事は、その三年が終われば、別の何かが始まる、という事に他ならないのだろう。

 

「暫くは、無理であろうな……。アレスよ、そなたの見た夢を話せ。これからの対策を練らねばならんからな」


「あぁ。……俺が見たのは――」


 幸せな日々の終焉。

 ロシュ・ディアナの始祖には読めぬ星の欠片を希望とし、グラン・ファレアスの始祖は、アレスの語る夢の内容に耳を傾け始めた。

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