帰還の日。国王と始祖……。

――Side リシュナ



「国王様、王宮の皆さん、色々とお世話になりました。これからも時々お世話になる予定ですが、その時はまた、どうぞよろしくお願いします」


 吸血鬼達の王国、グランヴァリアとのお別れの日を迎えた私は、王宮の入口まで見送りについて来てくれた国王様や女官さん、騎士や兵士の人達に頭を下げ、瞬く星空を見上げた。

 今から戻ると、人間界では丁度朝を迎える頃。

 事前に仮眠はとっておいたから、戻ってから夕方前にお昼寝をすれば、夜にもぐっすり眠る事が出来るだろう。

 

「ヴァネルディオ達に関してだが、息子達の事はそれぞれに理由をつけ、他領地の者達の目を誤魔化しておくと言っていた。子供達にとって良い環境を作るにも、色々と苦労が多いからな。これからはさらに多忙になる事だろう。互いに寂しさを覚えるかもしれんが、負けずに頑張るのだぞ」


「「「は~い!!」」」


 私の傍に集まっていた子供達の頭を、国王様の優しい手のひらがくしゃくしゃと撫でていく。

 国王様から頂いた指輪のお蔭もあって、もう子供達の心に恐怖心はないようだ。

 

「よし! 勇気ある子らには、餞別にこの菓子をやろう。食べ過ぎぬよう、ほどほどにな」


「おぉおおっ!! 王様、サン……、こほんっ。あ、ありがとうございます!!」


「お礼申し上げます! あぁ、なんと美しいお菓子なのでしょうっ」


「ありがとう、ござい、ますっ。……じゅるりっ」


 親元を離れ、本格的に始まる人間達の世界での生活。

 私も子供達も、同じゼロから心新たな一歩を一緒に歩んでいくのだ。

 レゼルお兄様の計らいで通う予定になっている学校、月に何度かグランヴァリア王国で国王様に教えて貰う、力を扱う練習。……そして、本当のお母さんと再会する為の情報集めと捜索。

 私をあの恐ろしい場所に連れ戻したがっているだろう人達の事に関しては、レゼルお兄様達が守りを固めてくれているから、あの人達に見つかる心配はない。……きっと。


「リシュナよ」


「はい」


「向こうに戻るお前にも、ひとつ、餞別を渡しておこう」


 膝を折り、私の右手を持ち上げた国王様が手のひらに握らせてくれた物。

 滑らかだけど、握り締めると硬い感触が伝わってくる……、これは、水晶の、首飾り?

 開いた手のひらの中、銀色の細長いチェーンと、透明に煌く水晶と施された装飾が可愛らしい一品。

 

「愛らしいだろう? 可憐な花と愛らしい翼を模して作ったそうだ。守護の力を宿らせてあるから、守り飾りと思って身に着けてやってくれると有難い」


「本人? 国王様からじゃないんですか?」


 私が首を傾げ、贈り主を尋ねてみると、国王様は何やら微笑ましそうに失笑し、背後を振り返った。荘厳なる、闇の覇者の如き威厳を湛えているグランヴァリア王宮。

 国王様は上階の方を見上げ、じっと一点を見つめているけれど……。


「レゼルお兄様、……あそこに、この首飾りをくれた人がいるんでしょうか?」


 ほんの少しだけ開かれている窓。

 国王様が見上げている場所に視線を添わせながら、私は子供達を挟んだその隣にいるレゼルお兄様に尋ねてみる。……寄っている眉根が和らぎ、やれやれと言いたげな溜息を吐き出したレゼルお兄様は、きっと贈り主の事を知っているのだろう。


「……フェガリオお兄様、あそこは誰のお部屋ですか?」


「ん? あぁ、あそこはレイズフォード様の」


「はぁ……、フェガリオ、そこは黙っとくもんだろ」


「はははっ! 仕方あるまい。この場合、空気を読まずに隠れている方が悪いのだからな」


 宰相様が、私にこの首飾りを……。

 水晶の中心で淡く輝く、小さな若草色の光。

 そっと握り込んでみると、優しいぬくもりが肌を通して沁み渡ってくる気がする。

 宰相様とじっくり、というか、話す機会を多くとれたように思うのはあのダンスレッスンの時だけだった。必要な事だけを淡々と話し、指導していたようには思うけれど……。

 時折、私が上手く課題をやり遂げると、あの人はほんの少しだけ……、嬉しそうに、親しみの籠った笑みを向けてくれていた。


「……レゼルお兄様」


「ほいよっと。ふぅ、ウチの妹は相変わらず律儀なこった。ついでに、可愛さ百万倍でお兄様は胸キュンしっぱなしだ。――あ痛たっ」


「妹馬鹿な発言、めちゃウザです」


「リシュナぁあああああああああああ!?!? 誰だっ、誰にそんなグレードアップした辛辣な一撃を習ったんだ!? この間と同じ奴か!?」


「内緒です」


 めちゃウザに関しては、ディル君のお父さんであるヴァネルディオさんから学んだ事だけど、その前のウザイ発言は、レインクシェルさんからだ。あぁ、あと、ディル君もたまに「ウザ~」と言う時があるから、その影響もあるのだろう。

 私に対して過保護過ぎるレゼルお兄様の膨らみ過ぎる愛情特盛風船を元の大きさに戻すには、とても効力のある一撃だ。へにゃ~んと見かけだけは美しい容貌が歪み、滝のような涙がレゼルお兄様の頬を伝い始める。……はぁ。


「リシュナっ、リシュナぁっ……!! 俺の愛が、妹に対するこの溢れんばかりの親愛の情が、そんなに重いのかっ、ウザイのかっ、めちゃウザなのかぁああああああああああっ!!」


「レゼル……、どこからどう見ても、今のお前はウザイと思うぞ……」


「あぁ、弟達にウザがられていた頃の俺よりも酷いな。レゼル、愛情にも匙加減が大事だぞ?」


「うぅ……っ」


 大切に想われて、私は間違いなく幸せ者だと思う。

 だけど、幼い子供姿の私に向けられる愛情の大きさを実感する度に、もう一人の私が孤独になっていくような気がして……。どちらにしても、レゼルお兄様が私という存在を優しく包み込んでくれている事は確かで、それ以上を望む事は欲張りでしかない。

 だけど、私は……、大人の姿をしている時の私は、レゼルお兄様の過剰ともいえるよくわからない反応を不満に思っていて、……何かを、求めている気がして。


「……レゼルお兄様」


「ひぃいいいっ!! まだなんかあるのか!? 追撃か!? めちゃウザ以上の酷い罵倒がくるのか!?」


「……はぁ。宰相様のお部屋まで、お願いします。手早く用事を済ませますので」


 本当はもう、自分の意思で飛ぶ事が出来るのだけど、心は自然とレゼルお兄様を頼ってしまう。

 恨みがましそうな顔。意地悪で仕返しをされてもおかしくなさそうなのに、レゼルお兄様はいつものように私の身体をその両腕の中に抱き上げ、お願いを聞いてくれる。


「ふぅ……、……に気を使わせる段階で、どうなんだかなぁ」


「レゼルお兄様?」


「何でもない」


 闇夜にレゼルお兄様の黒い外套がふわりと舞い、あっという間に隙間が出来ている部屋の窓辺に辿り着く。

 窓に固定はされておらず、片方の窓を手前に大きく開いただけで、するりと中に入る事が出来た。

 黙々と書面に走らされている羽根ペンの音。時折、カサリと紙の擦れ合う音がする室内。

 私達の方を振り返らず背を向けているその人は、熱心にお仕事中のようだ。


「宰相様」


「……」


「あの……」


 私が声を掛けた時に、一度だけ羽根ペンの動きが止まったような気がしたけれど……。

 宰相様はこっちを振り返らずに手を動かし、視線を書類に向けたままだった。

 変だ。今まではちゃんと顔を見て話をしてくれていたのに、まるで……、私の存在を拒絶しているかのような気配を感じてしまう。


「はぁ~……。宰相殿、宰相殿~? ……あ」


「どうしたんですか? レゼルお兄様」


 宰相様の前にまわり込んだレゼルお兄様の表情が気まずげに引き攣った様を見て、私もそちらに向かおうとしたのだけど……。ストップ! と、レゼルお兄様に制されてしまった。何故?


「リシュナ、あ~……、なんつーか、だなぁ……。宰相殿は~……、その、お、お前とは、これからも会う機会がある事だし、改まって別れの挨拶をする必要はない、と……。まぁ、あの首飾りが挨拶代わりみたいなもんつーか……。と、とりあえず、リシュナ、宰相殿に礼だけ言って、先に陛下の所に戻っとけ」


「……はぁ。……えっと、じゃあ、せめてお顔を」


「だぁああああああああっ!! 顔は見なくていい!! 特に正面はアウ、じゃなくてっ、とにかくっ、そこでいい!! 絶対にこっちには来るな!!」


 レゼルお兄様……、どうしてそんなに血相を変えて大慌て状態になってるんですか?

 正面から宰相様を見たら、何か不味い事でもあるのだろうか?

 ……ぴく。ぴく、ぴくぴくっ!

 制止を掛けて一方的な命令を放ってくるレゼルお兄様の言葉を無視し、私は思いきって駆け足で執務机の前に行ってみた。レゼルお兄様の何やら絶望の叫びが木霊したけれど、一体……、あ。


「……宰相様」


「み、見るなぁああああっ!! 見るんじゃない!! リシュナぁあああああっ!! こういう時はたとえ見ちゃったとしても、見ないふりをして背を向けるもんなんだぁああああああああっ!!」


 ひょいっと私を持ち上げて自分の胸に押さえつけたレゼルお兄様だけど、もう、見てしまった。

 宰相様が顔を俯け、左手で顔を覆いながら辛そうに一筋の涙を流している、その姿を……。

 涙を零す、なんて事があるなんて……、この人に対しては思った事もなかった。

 いつも冷静で、周囲に対する物言いは厳しく、自分にもそれを実践しているかのような人だと思っていたし、何より……、宰相様が泣く理由がまったくわからない。

 

「ぷはっ。……さ、宰相様、どうして泣いているんですか? な、何か悲しい事が……」


「あぁあああああっ!! リシュナぁああああっ!! 見るなっ、見るんじゃないって言ってるだろ!! 男の泣き顔は、一番の弱、あぁ、こらっ!!」


 私が苦しがれば、レゼルお兄様は必ず力を手加減してくれる。

 その弱点を利用して、もう一度宰相様の顔が見えるようにレゼルお兄様の肩越しに覗いてみれば……。


「元の冷静顔に戻ってます……」


「何の話だ? 私はいつも感情を悟られぬ様、この表情を通しているが」


「……泣いてました」


「泣いてない」


「泣いてました。その証拠に、目がちょっと赤くなってます」


「――っ。……勝手な決めつけをして人をからかいたいなら、すぐに出て行け」


 図星だったのか、宰相様は窓の方に顔を向けて、誤魔化す気満々の体(てい)でビシッと退室を促してきた。

 別にからかいたいわけじゃないのに……。

 だけど、無理に聞き出すのも趣味が良いとは言えないだろう。

 私はレゼルお兄様に「もう、泣き顔の件には触れません」と約束し、またその腕から下りた。

 絶対に泣いていた。物凄く、辛そうに……。そんな宰相様の横に立ち、ぺこりと頭を下げる。


「首飾り、本当にありがとうございました。大切にします。……それと」


「……」


「これを」


「だから、泣いてなどいな」


「受け取ってください。私のお気に入りのハンカチです。ウサちゃんの模様が可愛いでしょう? フェガリオお兄様の手作りなんです。首飾りのお返しです」


「……私が受け取ると思うのか? お前は」


 確かに、ウサちゃん模様のハンカチを大人の男性が持っていたら、意外な趣味だなと思うところだけど……。

 この首飾りをくれた宰相様に、私も何かお返しをしたくなったのだ。……さっきの、泣き顔を見た瞬間に。

 確証はない。だけど、……なんとなく、私がこの人を泣かせてしまったような気がしてしまって。

 

「すみません。でも、私が今宰相様にあげられる物は、これだと思ったんです。流石に……、着ているフリルドレスは似合わないでしょうし」


「それ以前に、男がドレスを着るわけがないという常識に辿り着いたらどうなんだろうな……。はぁ……、だが、せっかくの申し出だ。……頂こう」


「けっ。……本当は大はしゃぎで喜びたいんだろうが。ツンデレめ、いや、こういうタイプはクーデレだったか? いやいや、ヘタレな部分も追加するとして」


 ウサちゃんのハンカチを貰ってそんな反応を胸に秘める男性がいるとは思えないのだけど……。

 宰相様の顔に、どことなく嬉しそうな気配が見える……、よう、な?

 受け取ってくれたハンカチを懐に直し、宰相様が代わりに鞭を取り出した。


「レゼルクォーツ、私をからかいの対象にしても地獄が待っているだけだと、わかっているな?」


「はぁ? からかってなんかいませんよ~? 俺は少々思うところがあるだけです。いい歳した男が喜びの感情も素直に伝えられないようじゃ情けないなぁ……。レディに対する礼儀は王族の教育に含まれてなかったのかなぁ、と」


「……っ」


 フェガリオお兄様が作ってくれたハンカチは、上等の生地と可愛いウサちゃんで出来ている。

 だけど、元は私が使っていたものだ。到底、お礼にはならない。……ウサちゃんだし。


「レゼルお兄様、宰相様に失礼な事を言わないでください。これはお礼の品ではありませんし、きちんとしたお礼は、いつか必ず持ってきます。頂いたこの首飾りに釣り合う品を」


「……」


 私は誰かの優しさに助けられ、貰ってばかりだから。

 宰相様だけでなく、レゼルお兄様達にもいつか恩を返したい。この手で、必ず。

 だけど、その為には様々な事を学び、長い月日がかかる事だろう。

 その日を、この手でお礼の品を渡せる日を、宰相様は待っていてくれるだろうか?

 

「……何だ、その指は?」


「指切りです。宰相様との約束を絶対に守るという、私なりの誓いです」


「……約束、か」


 僅かに見開かれた宰相様の片目。

 私の申し出が意外で驚いた、というのもあるだろう。

 だけど、その表情が、口元が微かに微笑む様を見た私は、宰相様が内心で密かな喜びを抱いている事に気づいた。差し出した右手の小指に、ゆっくりと近づいてくる大人の小指。

 

「良いだろう。子供ながらに大人と対等であろうとする幼き誇りに、……私も応えよう。お前の言ういつかの日を、心から楽しみにしている」


「……はい」


 あたたかい。繋がっているのは小指同士だけなのに、とても……、とても、大きなあたたかさを感じる。まるで、……まるで、何だろう。

 片目しか見る事の叶わない宰相様の眼差し。

凍てついた氷の大地にようやく母なるあたたかな陽の光が降り注ぎ、花の蕾がひらき始めるかのように……。さっきまでとは違う、宰相様の柔らかな、素の部分がその微かな笑みと共に、私の前に表れているような気がした。

絡められていた感触が離れ、宰相様が私の頭をよしよしと優しく撫でてくれる。


「身体に気を付けて、日々努力を忘れず励むといい」


「宰相様……、ありがとう、ございます」


 なんだろう……、なんだろう、この気持ちは。

 まだ、宰相様に頭を撫でていてほしいような、もっと、この人の傍にいたいような。


「さぁ、もう行くといい。私も仕事に追われていて、お前達の相手をしてやる時間も惜しいぐらいだ」


「はい。お邪魔しました。宰相様も、お身体に、お気をつけて……」


 ぺこりと頭を下げ、またレゼルお兄様の腕に抱え上げられて窓から出て行く。

 宰相様は執務用の椅子に腰を据え、もうお仕事に戻っている。……こっちを、もう、見ていない。

 窓枠を蹴り、綺麗な星屑の散らばる夜の世界へと飛び出していく私達。

 宰相様の執務室。その窓はまだ開いたまま、紫紺色のカーテンが風に舞い……。


「あ……」


 その陰に、少しだけ見えた誰かの姿。

 宰相様かもしれない。レゼルお兄様の腕から顔を覗かせていた私は、その姿をしっかりと見定められないまま……、じっと、窓の方を見つめ続けていた。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side レイズフォード


 血と遺伝子の証明よりも、私の前でその小指を差し出した少女のその仕草と笑顔の方が、何よりも彼女に生き写しだと思えた。

 世界を照らす太陽のように、活き活きとしていた女性。

 自分にとって、兄よりも、弟よりも、手に負えない人だと困惑しながらも、……惹かれずにはいられなかった相手。愛しい、……愛しい、私の。


「エトワール……」


 自室のバルコニーから見える闇の世界。小さく煌きながらグランヴァリアの大地を照らす星々。

私が口にした、長い間、ずっと呼びたくて、呼びたくて……、封じていた音。

 それが、彼女の本当の名でない事は、出会った時に本人がニコリとしながら説明してくれた。


『好きじゃないのよ。自分の本当の名前。偉そうで腹立つ、っていうか、呼ばれる度に虫唾が走っちゃって……。ふふ、だから、外の世界にいる時は好きな音を名乗りたくてこれにしたの。天上に輝く綺麗な星』


 夜空を彩る星々は、別世界の輝きそのもの。

 彼女は、エトワールは……、理想と憧れを秘めた瞳で空を見上げながらそう言った。

 私も陛下も、彼女のあっけらかんとした笑顔の裏に潜んでいただろう事情に触れる事はせず、その名を受け入れ、……そして。

 会う度に惹かれ、心を許し愛し合うようになったエトワールとの恋は、前触れもなく終わりを告げた。……いや、本当は違っていたのだろう。

 

「私が……、彼女の苦しみに気付かなかっただけだな」


 陛下の、兄上の言う通りだ。

 豹変前に彼女がどんな風だったか、自分の得た幸福に溺れるばかりで……、私は。

 裏切られ、傷つけられ、――ずっとこの胸を苛み続けてきた葛藤。

 エトワールは私を弄び、頃合いを見て嘲笑った。

 いや、違う。彼女には何か事情があって、あんな茶番を演じる必要があっただけで、もしかしたら助けを求めているのかもしれない、と。

 最初に信じたのは後者の考えだった。

 酷い事を言って、酷い事をして悪かったと、彼女が自分の前に現れ事情を説明してくれると、そう信じて……、何日も、何十日も、……何年も、何年も、その瞬間を待った日々。

 何度、二人で逢瀬を重ねた場所に足を向けても、愛おしくて堪らない女性の声は聞こえず、仕事の暇を見つけては降り立った地上のどの場所でも……、その姿は見えず。

 ……希望を胸に信じていた私は、やがて彼女がもう自分を見限った事を悟ってしまった。


「すまない……っ、すまなかった……っ。エトワール……っ、私のっ」


 何故信じ続けなかったのだろう。何故、エトワールを信じ、捜す事を諦めず、真相を確かめなかったのか……。私の怠惰さが、私の弱さが生み出した罪は、彼女だけでなく、リシュナ(娘)にまで傷を負わせる事になってしまった。最悪の恋人であり、最悪の……、父親だ、私は。

 


『レイ君、絶対、二人で幸せになろうね。約束』


 あの時の彼女の笑顔と、つい数時間前に王宮を去った娘の表情が重なる。

 エトワールも約束をする時は小指を差し出し、あんな風に笑っていたものだ。

 自分は絶対に約束を破らない。有言実行の女だから、と……。

 母と娘。たとえ記憶はなくとも、リシュナを介し、彼女との絆を思い出せたような気がした。

 そうだ。彼女は私を裏切らない。約束は必ず守る。意志強き女性……、それが、私が愛した女性の本質。


「リシュナがロシュ・ディアナの国から逃げてきた、という事は、彼女も囚われの身となっている可能性が高い。だが、入国には入り口の特定と、鍵であるロシュ・ディアナの血族が必要不可欠……」


 勿論、このグランヴァリア王国や、人種族や他種族の集まる世界の方にも探りを入れておく事も大事だ。そして、ロシュ・ディアナの王国へと続く『扉』の場所を特定出来れば、話は一気に進む事だろう。どちらにしろ、ロシュ・ディアナの、……私の娘を拘束し、深い傷を負わせた者達に容赦などする気はない。これを機に、鎖国状態を解かせ、外の世界にも目を向けて貰う事にしよう。


「……で」


 ようやく定まった真っすぐな道のりを胸に、ちらりとバルコニーの手摺下を覗き見る。

 夜闇のせいでわかりにくいが、眼下にぶらりと揺れているそれが、勢いをつけて飛び上がった。


「ふっ、流石は我が弟だ!! たとえ物思いに耽っていようと、この兄への親愛は燃え上がっているようだな!!」


「……」


 私の自室の階よりも高く高く飛び上がった大型の蓑虫……、いや、蓑虫の被り物に身を包んでいる陛下が不敵に笑った瞬間、私は懐から鞭を取り出した。

 狙うはグランヴァリアの美しい夜景に不似合いな蓑虫もどき。

 私の方に向かって飛び込んでくるそれを容赦なく鞭でグルグル巻きにして捉え、全力の力をもって遥か彼方へと吹っ飛ばす。

 残念な兄の、何故か楽しげな山びこが聞こえてくるが、無視だ。


「……さて、そろそろ仮眠を取るか」


 あぁ、だがその前に、人間達の暮らしている世界に戻ったリシュナの様子でも見てみるか。

 甥であるレゼルクォーツは昔こそ手の付けられない悪ガキだった時代があるが、今では立派に人の助けとなれる理性的な大人へと成長してくれた。

 自ら死を望み、森の中で息絶える事を望んでいたリシュナを救い、希望を灯してくれた恩人でもある。運命の導きというものなのだろうな、これも……。


「……ん?」


 銀装飾にアメジストの宝石をあしらった鏡を手に寝室へ向かい、映り始めた像を見つめていると……。なんだ、これは。


『んっ! れ、レゼルお兄様……!! ひっついて来ないでください!! 私は一人で大丈夫だって、……わふっ』


『ふっふ~ん!! 可愛い妹の眠りを守る騎士(ナイト)は、いつだって傍にいるもんなんだぞぉ~!! ほぉら、頼りがいのあるお兄様の腕の中で幸せな眠りを』


『うぅっ……!! ふぇ、フェガリオお兄様~っ!! け、警備隊の、皆さんっ、へ、変態がぁぁぁぁぁ……!!』


 ……恐らく、向こうの世界は昼時くらいなのだろう。

 あたたかな日差しが照らす室内の中、……私の娘が、ニンマリと笑っているド変態に抱き着かれ、寝台の中で助けを求めている。


「ほぉ~、帰って早々仲の良い事だな。レイズ、久しぶりにこちらも兄弟で昼寝、ではなく、夜の仮眠はどうだ? 昔のように頭を撫でて子守歌を唄ってや、――ぐふっ!!」


 鏡の中で繰り広げられている娘の攻防戦から目を離さず、背後に現れた能天気国王の顔面に裏拳を叩き入れる。……確かに、このグランヴァリアに滞在していた時にも、レゼルクォーツはリシュナに対してやたらと……。


『ははははっ!! リシュナは柔らかくて抱き心地抜群だよな~!! あぁっ、ぬっくぬくだ~!! クンクン、甘い匂いもするし、まるでお菓子みたいだな~!!』


 ――バキンッ!!

 私の中から聞こえた、ような気がする、――頑強な鎖が粉々に砕け散る音。

 グランヴァリア滞在時よりも酷い、甥御の我が娘に対するデレッデレの溺愛行動。

 リシュナの命を救い、新しい居場所を与えてくれた事には心から感謝しているが……、いる、が。

 

「…………」


「ふむ。あちらに戻って気が抜けた、というやつだな。リシュナにはさぞ鬱陶しい事だろうが、伯父としては、甥の活き活きとした姿を見られて何よりな事だ。うんうん」


 何より? 兄妹仲良く昼寝をするのは当たり前? ――否。

 鏡を持つ手に加わった、無意識の強い力。人の娘に馴れ馴れしくデレデレデレと……。

 グランヴァリア滞在時の時よりも羽目を外しまくった甥の行動と言動は、兄妹レベルのものではない。あれは――。


「ただのド変態だ……!!」


「お」


 悪ガキ時代は終わってなどいなかった!!

 あれは正真正銘、私の弟……、アイツの血を、破天荒で面倒極まりない男の遺伝子を溢れんばかりに受け継ぎまくってしまっている……!!

 相手がどんなに嫌がっても、ドン引きするほどに構ってくれと懐いて離れない鬱陶しさ!!

 

「陛下、リシュナの今後に関して重要な注意事項を追加しに行ってきます」


「ふむ、それは構わんが」


「仕事は片付けてあります。私が二、三日、駄犬の躾で戻らずとも、どうかご安心を」


「いや、それに関しては全くもって心配しておらんが、あれはあれで兄妹の仲睦まじきスキンシップのように思うがな。別に矯正する必要は」


「リシュナはどう見ても迷惑しています。一方通行な親愛は、ただの罪です。では」


 無粋な真似はするなと言いたいのだろうが、娘の保護者として相応しくない言動や行動は極力控えさせるべきだろう。いや、力づくでも模範的な保護者の姿にしなくては、私が安心して眠る事が出来ない。……もし、兄上の推測通りに『彼女』が何らかの理由により、私の許を泣く泣く去ったのなら……、必ず迎えに行かなくては。

そして、無事に『彼女』の手を取り、また二人で平穏な時を過ごせるようになったその時、――大切な娘の傍にド変態と化した仮保護者がくっついていては大問題だ。

 早急に今起きている問題を片付け、より良い未来を迎える準備をしなくては……。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 ――Side グランヴァリア王


「ふぅ……。覚悟を決めると、行動が早いのは変わらんな」


 リシュナの命を拾い上げ、己が養女、いや、義妹として迎え入れたレゼルクォーツの親身な愛情。

 過去の傷故の善行は、偽善じみて見える事もあるが、救われた者にとっては関係のない事だろう。

 もう一度生きる道を、光を与えられ、幸福なる道に歩んで行った者達にとっては……。

 だが、今回の拾いものは、今までにない変わり種だったようだ。


「自覚があるのかないのか……、いや、これはどちらかというと、本能的な行動そのものだな」


 亀裂が入ってはいるものの、鏡が映し出している光景はまだ続いている。

 それを弟の寝台の横にあるサイドテーブルに置き、俺は部屋を後にした。

 向かうはグランヴァリア王宮の地下、――国王と遥か昔の『息吹』が邂逅を果たす場所……。


「グラン・ファレアス、ロシュ・ディアナ……。源を同じくする者達の血を受け継ぎし娘……。その命を救い上げ、光を灯したグランヴァリアの寵児……。今世の王よ、そなたはこの先にどのような道を望む?」


 グランヴァリアの国王だけが開く事の出来る『場』のひとつ。 

 王宮内であるにも関わらず、その場所はここに在りて、在らず、と思わせる光景を見せる。

 寂れた草木が悲しく風に揺れ、緩やかな丘を登った先に在るのは……、過ぎ去った繁栄の名残であるかのような廃墟。いまだ戻らぬ彼(か)の神を待つ、その寝所。

 そこにはいつも、漆黒と純白の翼を幾重にも抱く子供が、暇そうにしながら神殿の入り口らしき場所にいる。代々の国王達が言うには、目の前の子供は『始祖』の魂がこの世に留まっている姿だという話らしいが、まぁ、本人もそう説明を寄越した事があるのでそうなのだろう。

 普通は、死後に冥界の世話になり、また新しい命としてこの世界に生を受けるのが当然らしいのだが……。始祖の魂が何らかの方法により自身をこの地に留めた理由には、幾つか想像出来る事もある。


「始祖よ、貴方の言う通りに事を進めはしたが、グラディヴァースもまた、『運命の欠片』の一部、という事か?」


「ふむ……。どう伝えるべきであろうな。まず、以前にも言った通り、私には未来など見る力はない。お前が今、口にした通り、『運命の欠片』と呼ばれる、未来における、何らかの道に関わる要素を読み、自分にもよくわからぬ助言をする事がある、という、ただそれだけの事よ」


「知っている。貴方が独自に行使出来る力ではなく、天に描かれし、小さき星々の導きだと……」


 神殿の入り口に続く大階段。

 翼を抱く少年、始祖が座っている場所に近づき隣に腰を下ろす。

 元は、ロシュ・ディアナの民と共に、この世界の御柱に仕えていたグラン・ファレアスの始祖。

 時折訪れる度に、この始祖は懐かしい想い出話を語ってくれる事があったが、必ず、こう、自身の事を表するのだ。――万能ではなくてすまないな、と。

 今回も同じ事を口にし、始祖は頭上の波間を見上げる。星々の輝く、美しい闇の世界を。


「私に出来るのは、非常に近い未来の片鱗を感じ取り、『運命の欠片』として読み、そうなるように導く事だけだ……。その全容は私の目には見えず、ただ、それが必要だと本能的に悟るのみ。良(よ)いか? 未来をハッキリと読む力など、我らには過ぎたものだ。神々でさえ、確かなその力を得ているものはおらん。いや、その力に近しい御方の存在なら知っておるが、彼(か)の方もまた、全てを読む事は出来ず、と、以前に御柱様から聞いた。私達に掴めるのは、欠片のみ」


「つまり……、全容を成さぬいつかの未来を描く為に、俺達は集められ、繋ぎ合わされる、という事か。ふぅ……、良い未来か、悪い未来か、それすらも知らずに」


「いや、運命の欠片が集まり、ひとつの未来を生むその時になれば、――選ぶ」


「神が、か?」


「違う。この世界に生きる者達が、未来の形を作るのだ。彼らにとって、『今』となる、その瞬間にな」


 未来を創り出す運命の欠片。

 それは用意された未来を迎える為ではなく、欠片達の手によって描き出される道。

 未来があって彼らがあるのではなく、彼らがあってこその行く末。


「まぁ、そんなわけだからの。リシュナという娘と蹂躙派の若造が関係性を持つ事も、一応は重要な事のひとつだと星に出たのだから、気長に見守っておけ。それと、私が星を読んだところによると、あと三年は……、何も起きる事はなさそうだ」


「何も、か……。それは、ロシュ・ディアナの国に通ずる道を開く事も、三年は不可能という事だろうか? 出来れば早めにリシュナの問題を解決し、母親に会わせてやりたかったのだがな」


「……ロシュ・ディアナ。元はひとつの種族であった我らだが、あの者達は神の御意思を読み切れず、永い時の中を下らぬ誇りだけを胸に生きてきた。……そして、遠からず、――滅ぶ種族よ」


 ロシュ・ディアナが滅ぶ。

 それも、以前に聞いた事があるが……、仮にも、御柱たる神に仕えていた種族のひとつが滅ぶとは……、哀れな話だ。

 ロシュ・ディアナの民は矜持が高く、自分達以外の種族を同等には考えないと聞く。

 自国のある空間に籠り、他種族との交流は無きに等しい、とも。

 

「我らは世界の一部。神は全ての命を生み出し、愛し、育んでこられた。その御心を軽んじたロシュ・ディアナは……」


「……神への、世界への反逆者、以前にそう寂しげに口にされた事があったな? 始祖」


「そう言った事もあったな。だが、どちらかといえば……、あの者達は、自ら孤独に身を置いた迷(まよ)い子だ。グラン・ファレアスの者達はひとつの世界に存在している扉を閉じる事はせず、風通しが良くなるように、いつも定期的に開いているだろう?」


「あぁ。念の為に番人を置いているが、閉じっぱなしになると『空気』が淀むからな」


「その通りだ。世界を巡る神の力、精霊の力、他種族や大地の息吹。それらが円滑に巡るよう、扉を定期的に開かねばならん。だが、ロシュ・ディアナの扉が開く事は滅多にない。まるで外の世界の空気が汚れているとでも厭うように、ほぼ閉めきっている」


 そのせいで、ロシュ・ディアナの世界は自分達の考えとは逆に病んでいき、種族存続の危機に直面する事になった。始祖にあちら側を覗き視る力はないが、簡単に推測出来る事だと、また、寂しげに笑ってみせる。……何度もこの表情を見た事があるが、始祖は、いや、同胞の許を去った先祖達は、憎悪や怒りではなく、ロシュ・ディアナ達への哀れみを抱きながら故郷を後にしたのではないだろうか。共に手を携え、同じ道を歩めず、いずれ滅びゆく同胞への悲しみに涙しながら……。


「始祖よ。もし、滅びゆく定めに抗うとしたら、ロシュ・ディアナは何に縋るだろうか?」


「あの者達が取り戻したいと望む姿などひとつだからな。……穢れなき器を用いての、『神の再臨』以外には、破滅の道しかないだろうな。だが、その『穢れなき器』がどのようなものか、恐らく、ロシュ・ディアナ達はわかっておらん」


「ふむ……。だが、あちら側の『始祖』の魂も、生きているのではなかったか? ならば」


「言ったであろう? 私と、ロシュ・ディアナの始祖の考えは違う、と。白き翼の強い力を持った純血の者であれば、それが器だと、勝手に思い込んでおるはずだ。間違っても、他種族や、混ざり者を使おうとはせん。大体、時折、儀式を行った波動が伝わってくる事もあったが、一度も成功の兆しはなかった。つまり、考え方も、価値観も、変化なしという事だ」


 残念な現在進行形の種族性というべきか……。

 大きな溜息で遠い目をする始祖に懐から出した東方作りの盃を渡し、持ってきた酒瓶の中身を注いでやる。この始祖は魂を現世に留める為、自分で作った仮の器で過ごしている為か、俺達と同じように飲み食いをするのだ。一日三食きっちり食う。それも大量に……。

 

「ふぅ……。美味、美味。現世に留まっておると、楽しみがなくては叶わんからな。酒に、美味い菓子に面白き話相手。アレスよ、もう少し頻繁に来い。私はとても退屈でなぁ」


「ふっ。――頻繁にこの空間を抜け出し、城下で遊びまわっていらっしゃるのはどなただったか? 始祖殿?」


「んぐっ!!」


 始祖用に大量に作らせてある巨大饅頭の欠片が、その小さく細い喉に詰まったようだ。

 歴代の王達が気付いていたかはわからんが、この始祖は退屈を嫌い、よく遊びに出掛けている。

 それも、ただ城下や他の町を周って遊ぶという可愛いものばかりでなく、美しい女達が集まる娼館の類にも、だ。その時はどうやら大人の男の姿で行動しているらしく、……何故か毎回、俺に請求書が届くのが悩みの種だった。

 始祖もお寂しかろうと、子孫的に気を使って黙ってはいたが、そろそろ釘を刺しておくべきだろう。苦しそうに咽ている始祖の背中を叩いてやり、また酒を注いで差し出す。


「うぐっ、……はぁ、はぁ。……すまん」


「別に怒ってはいないが、節度は守って頂きたいものだ、と、そう考えている。流石に、貴方の存在は俺と親父しか知らぬ事だし、方々で俺とよく似た男が娼館フィーバーしていると聞かされると、……はぁ」


「すまん!! 本当にすまんかった!! だ、だがっ!! 私はお前のところのエロエロ無節操小童とは違い、別にやましい事は何もしておらん!! ただ、美しい女の膝で癒しを得ているだけだ!!」


「高い金を払って膝枕だけというのもどうかと思うのだが……」


「ふんっ!! お、お前だって気に入った女官の膝枕で昼寝をしておるではないか!! 職権乱用だろう!!」


 それはそれ。これはこれだ。

 重要な問題点は、俺の姿をしている始祖が高級娼館に通いまくっているという事実だけだ。

 あらぬ噂やらを立てられ、レイズに白い目で見られている俺の気持ちも考えてほしいものだ、はぁ……。喚いている始祖の傍に酒瓶をドンドン! と、置き、ついでに、大量の饅頭も置いて立ち上がる。


「今日は少々相談出来る気分ではなくなった。また来る」


「もぐっ、もぐっ!! んん~!! んんんんんんん~!!!!!」


 大階段を降りかけていた俺の背中に、呼び止める……、声になっていない制止がかかる。

 振り向いてみると、また喉に詰まった饅頭を流し込む為に酒瓶をそのままグイッと飲み干した始祖が立ち上がり、顔を赤くしながら追ってきた。


「アレスよ。先程も言ったが、未来は運命の欠片が集まり、形作るものだ。私に出来るのは星々の示す道の小さき光を伝える事だけだが、お前は違う。お前が、あの娘や寵児達の行く先を照らし、導いてやれ」


「買いかぶり過ぎだな。俺は一国の王だが、全てを都合良く操れる器用な支配者ではない。出来る事ならば、リシュナやレゼル達自身の意志で道を創り出す力を時折、手助けする、そんな小さな歯車でありたい」


「欲を持たぬ子孫だな」


 グランヴァリア王家に生まれた俺は、歴代の中でも特に強い力を持った存在だと誕生の際に評された。その気になれば、蹂躙派の者達を力で屈服させ、全てを支配出来る力の持ち主だと。

 子供心にそんな事を耳にした俺だが、特に興味はなかった。

 力を揮うのは、本当に必要な時だけでいい。俺は、愛する者達と寄り添いあい、笑いあっていられる今を続けられれば、他には何もいらない。

 それを知っているだろうに、この始祖はまた俺の答えを聞いて、笑うのだ。とても、嬉しそうに。

 

「尊き神の御心は、欠片となりても健在なり、か。うむうむ、喜ばしき事よ」


「始祖?」


「いや、独り言だ。さて、私はまた外に遊びにでも行くかな」


「娼館は暫くの間、禁止だぞ? 行ったら、報告が入り次第、首根っこを掴み、連れ戻す。ついでに、何日かは飯抜きだ」


「ひぃいいいいいいいいいいいいい!! 子孫が冷酷鬼畜野郎にぃいいいいいいい!!」


 そうさせているのは始祖殿なんだがなぁ……。

 両頬を押さえて絶望の叫びをあげている始祖にまた背を向けかけ、ふと、聞いてみる事にした。


「始祖」


「うぅぅぅぅ……っ。な、なんだっ」


「リシュナと、……我が甥、レゼルクォーツに関して、何か新しい欠片が降っただろうか?」


「ふむ……。あの二人か。前と変わらんよ。リシュナとレゼルクォーツの出会いは、良きものであり、また、危ういものでもある。……そう、欠片を掴んだだけだ。あれ以降は何もない」


「そうか……」


 良きものであり、危うきものでもある、か。

 それは、どちらにとっての意味なのか……。いや、リシュナとレゼルの二人に起こりうる事なのか。あの二人が出会うより少し前、俺はこの始祖からレゼルが特別な出会いを果たすと聞いていた。

 良きものでもあり、危うきものでもある。

その出会いの真意を確かめる為、定められた日の夜、俺は人間が暮らす世界へと足を運んだ。

暗き森の中、命の灯火を悲しみと絶望の涙で掻き消そうとしていた幼き娘が、偶然訪れた吸血鬼の男に拾われ、俺の視界から消えていくその光景を。

あの娘を、リシュナを一目見た瞬間の……、甥の中で起こった変化。

俺と同じく、グラン・ファレアスの血を色濃く受け継ぎ、『寵児』と呼ばれる程の絶大な力を抱いて生まれた男。その身の内に揺らめく力の気配が、リシュナと出会った瞬間、奇妙な変化を見せたのだ。激しく燃え上がる炎のように力の気配が膨れ上がり、小さな身体と触れ合ったレゼルの中で、その力が強く惹き寄せられるように、リシュナの中へと入りこもうとした、その瞬間を。

 だが、炎のような激しさを見せた力はすぐにレゼルの中へと引っ込み、……静かになった。

 レゼルが意図的にやろうとした事ではなく、あれは……、何だったのか。

 後(のち)に始祖へとそれを尋ねた際、こう言われた。


『我らは欠片。我らは満たされぬ心の渇望を抱え続ける存在(もの)。……その炎は、歓喜の象徴』


 ……と。リシュナがロシュ・ディアナの娘だとわかる前の話だが、始祖にはその出会いが何を意味していたのか、わかっていたのだろう。

 ロシュ・ディアナの娘と、グラン・ファレアスの男。

 元はひとつの、神に仕えし種族。互いに惹かれ合うのも道理、か。

 だが、レイズとリシュナの母親が出会った時に、そんな反応は見られなかったのだがな……。

 

「それも含めて、運命の一部、というものなのかもしれんな」


 正直言って、運命という言葉はあまり好まんが、あの二人を幸福に導くものであるならば、少しは好きになれるかもしれんな。

 互いに辛い過去を抱く二人が、いつかの未来で幸せとなれるように。


「さて、そうなるように、俺も努力をするとするかな」


 これから三年は、何事もなく日々が平穏に過ぎると言われたが、念には念を入れておくべきだろう。


「これもまた、小さな手助けというやつだ」


 始祖の場を後にし、俺はぐぅぅぅ~、と鳴いた小腹を満たしてやるために、厨房へと歩き始めた。



第二章・完

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