子供達の選択
「はぁ……」
突然の成長から……、早、一週間。
お昼の時間を終え、今は丁度、……ディル君達が自分達のお父さんと客室で会っている頃。
蹂躙派の吸血鬼、逃れられない定め、在るべき生き方。
操り人形として弄び、最後には悲しい火の海へ沈めた、罪深き吸血鬼の子供達。
ディル君達に望んだ、償いと、心優しい吸血鬼への道。
でも、それは……、彼らの在り方を壊し、いずれは破滅に導く硝子のような夢だった。
お父さん達が来れば、あの子達はその手を取る事だろう。
私が、お養父さんとお養母さんを恋しがるように、ディル君達も……。
一応、あの子達とその父親達が話し合う場に同席するようにと言われたけれど。
「…………」
気が進まない。
結果がわかりきっているからこそ……。
私は……、その場に行く事が。
「リ~シュナ~!」
「……はぁ」
憎い仇、簡単には許せない、無邪気な悪魔達。
だけど、……人間の世界で一緒に過ごした日々が、あの子達の笑顔が、もう、……見れなくなるのかと思うと。
「寂しいなんて……、思っちゃ、駄目、なのに」
「いやっ!! 寂しいぞぉおおおおおおおっ!! 可愛い妹にスルーされてっ、お兄様はものすっごく寂しいっ!!」
「ウザ……、いえ、鬱陶しいです、レゼルお兄様。ハウス」
「リシュナ~!! それ全然意味ないぞ!! 言い換えても、意味は同じだぁああああああああっ!!」
はぁ……。一人でゆっくりとしていたかったのに、このお兄様は、まったく。
「……私の事なら大丈夫ですよ」
わざと大げさなリアクションで顔を覆い、芝生に這い蹲っていたレゼルお兄様がちらりと指の間から私を見上げてくる。綺麗なアメジストの瞳には、拗ねているような気配が。
「俺の妹は……、辛い事も、苦しい事も、一人で耐えようとする癖がある」
「そんな妹さんは知りません」
「ディル達と離れるのが嫌なんだろう? だから、ここにいる」
「……気のせいです」
グランヴァリア王宮の片隅にある、小さな庭園。
人の出入りが少なそうなこの場所を選んだけれど、やっぱり捜し出されてしまった。
一人でいたいのに、一人でいる事を許してくれない、逃げる事を許してくれない、傲慢な吸血鬼(お兄様)。
レゼルお兄様は両手を顔から外して私を睨むと、荒々しい動作で隣へと腰かけてきた。
「デレたと思ったら、またすぐにツンか……」
「……過保護は、良くありませんよ」
ディル君達のお父さんについて行った事や、クロさんの言う事を聞いてしまった事。
その後に起きた、レゼルお兄様の暴走。
過去の流れを思えば、また怒りを煽ってしまうとわかっているのに……。
「お気持ちは、ちゃんと有難いと思ってますよ」
「気持ちだけじゃなく、ちゃんと甘えろ。……俺に頼ると、そう誓った事を忘れたのか?」
「覚えてます、けど……」
やっぱり、素直に甘える事には抵抗があるというか、……気恥ずかしさもあって。
「限界が来たら、甘えます」
「ほぉ~……。うりゃっ!!」
「きゃっ!!」
勿論、レゼルお兄様が引き下がるわけもなく。
あっという間に力強い腕に抱き上げられ、レゼルお兄様のお膝に囚われてしまった。
怒っていたアメジストの双眸が寂しそうに揺らめき、額同士を触れ合わせてくる。
「苦しいなら、辛いなら、二人一緒に、だ」
「レゼルお兄様……」
「本当は、ディル達を行かせたくないんだろう?」
「……」
あの子達は、物じゃない。
最初は、恨み憎むべき相手だったけど……、今はそれだけじゃないから。
「朝、目が覚めて……、あの子達の姿がないと、物足りなくなる、気は、します」
うるさいなと、そう思う時もある。
人間の世界で一緒に暮らしていた時も、王都の中ではちゃめちゃな事ばかり引き起こして……。
だけど、……あの子達にいなくなってほしいと、思えない。
レゼルお兄様がいて、フェガリオお兄様がいて、あの子達がいて……。
皆が揃っているからこそ、家族だと、そう思えるから。
「蹂躙派の吸血鬼として生きていく事が、あの子達やその地の人達の命を守る事に繋がるんです……」
「……」
「私の常識や価値観を押し付ける事は、もう、出来ません……」
「諦めるのか?」
「……そうしないと、死にます。あの子達が……、いつか、死んでしまう」
広く硬い胸に顔を預け語る私の頭を、レゼルお兄様が優しく、労わるように撫でてくれる。
私には、レゼルお兄様がいる。フェガリオお兄様がいる。
寂しい、なんて……、行かないでほしい、なんて、願える立場には、もう、ない。
だけど……、あの子達を親許に戻して、蹂躙派の吸血鬼として生きて行く姿を見送るのは……。
「でも……、それがディル君達の幸せだとは、思えない自分もいるんです」
「理由はわかるか?」
「……ディル君達のお父さん達は、割り切って、蹂躙派の生き方を受け入れているように見えました。だけど……、本当は、今の生き方が辛いんだ、って、そう、心で叫んでいるような気がして」
敵を倒す事に躊躇いはないようだったけど、……酷く、息苦しそうに、見えたから。
人質に取られていた吸血鬼の子供達に関しても、私が頼まなければ、見捨てるつもりだった。
そうしなければならない、と、その道しか選べない自分達に、苦しんでいたように見えたあの人達。
「私は……、ディル君達に、あんな道を歩んでほしくはありません」
たとえそれが、定めなのだとしても。
「リシュナ、お前が望むディル達の未来を、もう一度語ってみろ」
「……私が、望むのは」
瞼を閉じ、ディル君、ティア君、オルフェ君の姿を思い浮かべる。
この手で殺そうと、あの洞窟の奥で出会った時とはまるで違う……、今の感情。
「あの子達が幸せそうに笑う、自分らしい生き方の出来る、自由な未来、です」
理想と現実は違うものだと、私の願いはあの子達を殺すものだと、わかっている。
だけど、蹂躙派の生き方は……、どうしても、受け入れる事が出来ない。
理解はするけど、きっと、……幸せにはなれないから。
今は無邪気なあの子達が、いつか、心を殺し、生ける屍となる日がくる。
そんな瞬間、永遠に来なくていい。――来ないで!!
「本音や願いなんてな、言ったもん勝ちなんだぞ?」
「レゼルお兄様?」
「ディル達をどうするかは、お前に委ねる。陛下はそう仰った。だけど、お前はもう、ディル達を縛るような事はしたくないんだろう? あくまで、アイツらの意思で道を選ばせる、と、そう思ってる」
「……」
「だけどな、どう転ぶとしても、本音をぶつけとくに越した事はない。お前がアイツらをどう思っているのか、後悔がないように、正直にな」
曇りのない笑顔は、私を導くあたたかな光のようにも思える。
レゼルお兄様の表情、声、ぬくもり……。その全てが、臆病な私の心に勇気を与えてくれる。
何もせず、落ち込んでいるだけの楽な立場を、捨てよう。
「レゼルお兄様、行きます。あの子達の所へ」
「じゃあ、面倒臭いおっさん達から、勇敢に立ち向かう姫君を守る騎士(ナイト)が必要だな」
私を横抱きにしたまま立ち上がり、レゼルお兄様が額へと優しいキスを贈ってくれた。
頼もしい笑顔が私の心を励まし――。
「よぉおおおおしっ!! 最短距離で行くぞぉおおおおおお!!」
「れ、レゼルお兄様っ、ちょっ」
騎士を自称した過保護なお兄様の張り切り様は凄かった。
私という荷物を抱えながらも、人間技ではない、いや、吸血鬼だけども……。
レゼルお兄様は物凄い加速スピードで城内を駆け抜け、ディル君達のいる客室へとぶっ飛んで行ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「う、うぷ……っ」
閉じられている客室の前に来てようやく、爆走吸血鬼の手から解放された。
よろよろとふらつきながら、深紅の絨毯に両手を着いて蹲る。
人外のスピードと共に味わわされた爆走コース。
上機嫌、やる気満々のレゼルお兄様を止めてくれる人は誰もいなかった。
お陰で……、うぅっ、お、思いっきり、酔っ、うぷっ。
「だ、大丈夫か? リシュナ」
「れ、レゼルお兄様の……、あ、悪魔っ」
「悪魔!? こんなに優しくて愛情深い兄をつかまえて!?」
「鬼畜です……っ。あんな運び方をするなんて、レゼルお兄様は、鬼畜男です」
「あ、悪魔の次は鬼畜ときたか……っ。うぅっ、地味に傷付くなっ」
まだぐるぐると、目も胃も回っているような錯覚に襲われているけれど、レゼルお兄様を罵っている場合じゃない。早く、早くディル君達の許に。
閉まっている扉のノブに手を伸ばしかけた私は、中から響いてきた怒声にびくっと肩を揺らした。
『ディル達は連れて帰るって言ってんだろうが!! こっちにはこっちのやり方ってもんがある!! 国王だろうが、その流儀にケチをつける権利はねぇっ!!』
『お、落ち着けよ!! 親父!! おれたちっ』
『ティア、帰りますよ。滞っている勉強の続きを進めなくては』
『父上っ、わたしたちはっ』
『オルフェ、帰ったら修行の再開だ。寝る暇も惜しんで精進しろ……』
『うぅ……っ』
やっぱり……。強引に連れて帰る気満々ですね。
しかも、国王様が宥める声にも今日は耳を貸さず、子供達を連れて帰るの一点張り。
「レゼルお兄様、開けてください」
どうやら中から鍵が掛かっているらしく、声を掛けてもディル君のお父さんが放つ怒声で掻き消されてしまう。
「普通に? それとも」
「ど派手にお願いします」
「よし、じゃあちょっとどいてろ」
流石レゼルお兄様、話が早くて助かります。
私が廊下の窓側に避難すると、レゼルお兄様が期待通りの勢いと力で扉を蹴り破り、中へと押し入った。
レゼルお兄様の横を抜け、スタスタと前に出る。
「数日ぶりです、お父様方」
フェガリオお兄様お手製の可愛らしい洋服のスカートの両裾を掴んで淑女の礼をとると、三人のお父さん達は物凄く微妙な顔で私を見た。主に、反応が一番大きいのはやっぱりディル君のお父さん。
感情が豊かすぎて、きっと嘘も下手なのだろうと笑いたくなる微笑ましさがある。
子供達は目を丸くして驚いているし、同席していた国王様は面白そうに、宰相様はこめかみのあたりをピクピクとさせながらこちらに視線を送っていた。
「何の用だ? クソガキ」
「ディル君達に伝えたい事があって、お邪魔しました」
「おやおや、私達の宝に別れの挨拶をしに来て下さったのですか? レディ」
「それくらいなら……、許してやる」
寛大なお心遣い感謝します、などと言う気にはならず、私はディル君達の前に立った。
ソファーに座り、ぽかんとしている彼らの前に。
「ディル君、ティア君、オルフェ君」
「な、なんだよっ」
「レディ……」
「リシュナ……」
とても頼りない、寂しそうな顔。
一応は、別れを辛く思ってくれているのだろうか。
皆の仇だと、償いをしろと押し付けた私に、少しでも……、情を、持ってくれているのだろうか。
拒まれるかもしれない、結果を変える事なんて出来ないかもしれない。
それでも、私は、――伝えたい。
「私は、貴方達と、離れたくありません」
先に伝えたのは、単刀直入な、私の結果的な想いだった。
三人は目を大きく瞠り、素直に驚いている。
ディル君達のお父さん達からは、一部舌打ちの音が聞こえ、不機嫌な気配が増してゆく。
「私にとって貴方達が仇の一部だという思いは消えません。今だって、まだ、許せていないんです。償わせたいって、そう思っているのが正直なところです」
「で? 国王の威光を借りて、そいつらを縛りつけるってか?」
「違います。私は今、自分の正直な気持ちを伝える為に、三人に話をしているんです。大事な、大事な話を」
「リシュナ……、お、おれ達っ」
「ディル君、ティア君、オルフェ君。今言った通り、私には貴方達を憎む気持ちがあります。でも……、その感情よりも大きなものを、抱えるようになりました」
「レディ……?」
ティア君だけでなく、私が何を言うのか、三人は不安がっているようだ。
あぁ、もしかしたら、勝手に帰るのなら、その首を置いて行けとでも言われると思っているのかもしれない。
だけど、違いますよ、三人とも。私が願うのは……。
「私は、三人の事が好きです」
「「「――っ!!!!!」」」
「まだほんの少しの家族生活ですが、うっかり情を覚えてしまいました。いなくなると寂しい……、日常の一部が欠けてしまう、と。この子達が確かに私の家族だったのだと、そう、思えたんです」
「ディル達はテメェの家族じゃねぇ。俺達の身内だ。情を向けるのは勝手だが、やる気はねぇ。諦めろ」
「それを決めるのは私じゃありません。ディル君達です」
威圧しようと眼光鋭く睨み下ろしてくる大人の視線を受け止め、私はまた三人に向き直る。
ディル君達が蹂躙派の吸血鬼でも、その道を歩むのが正しい事でも、一番大事な事は……。
「ディル君、ティア君、オルフェ君、貴方達がどうしたいか、私はその意思に従います。もう、償いを押し付けて縛り付ける事はしません。だから、選んでください。自由に」
「リシュナ~……」
「わたしたちは……」
「……」
蹂躙派の掟に従い、心を殺して生きているディル君達のお父さん……。
それは必要な事で、そうしなければ生きて行けないのだと。
だけど、心を殺して生きる事に、幸せはあるのだろうか?
ディル君達のお父さんは淡々と蹂躙派の在り方を受け入れているように見えるけれど、やっぱり、よく見てみれば、無理をしているという部分が見え隠れしている。
本当はこう生きたいんじゃない。もっと別の、自由で伸び伸びとした道を歩きたいのだと。
子供を見殺しにしなくても生きて行ける、誰かを思い遣る事の出来る未来を歩きたい、と。
私は、このお父さん達のような、無理をして辛い思いをする人生を、ディル君達に歩いてほしくはない。
「これは、私の個人的な願いです。だから、言うだけはタダなので言わせて貰います。ディルくん、ティア君、オルフェ君。私は、貴方達が心から笑顔でいられる、そんな未来を見たいです。そして、一番の本音は、ひとつです。私が、貴方達と離れたくないんです。一緒に……、これからもずっと、一緒にいたいんです!」
私の願いは、ディル君達に危険な未来を招くものなのかもしれない。
だけど、そうならない為に出来る事はあるはず。
誰かに騙されたりしない目を養わせる事や、この子達なりの強さを手に入れる為の手伝いをしていけたら、と。
大人の世界を知らない、子供の理想論。そう言われても心を折らせたりはしない覚悟を持って、私はここに来た。もう二度と、大切な家族を失わない為に。
「はぁ……。ガキの戯言だな。ディル、帰るぞ」
「ティア、こっちにいらっしゃい」
「オルフェ……、来い」
子供達へと少し優し気に差し伸べられた大人達の両手。
ディル君達が顔を見合わせ、ゆっくりとソファーから下りる。
やっぱり、……実の家族と私じゃ、比べるべくも、ない。
きっとこれで終わり。三人が親許に戻ったら、もう、二度と……。
「待て。まだ三人の答えを聞いてないだろう? あくまで選択の権利はディル達にあると、リシュナが言った事をもう忘れたのか?」
「はっ! そんなの関係ねぇだろ。俺達が、親が手許で育てるのが当たり前の事だ。ほら、ディル。さっさと来い」
「お、おれ……っ」
「ディル!!」
「ふぅ……。子を威嚇して萎縮させてしまうようでは、親とは呼べまいな」
「あぁああっ!? ……げっ」
私と子供達の前に立ち、三人の大人を相手に壁となってくれたレゼルお兄様を押しのけようとしたディル君のお父さんが、横から割って入った声に不機嫌な声で振り向くと……。
穏やかな笑顔を浮かべながらも、恐ろしい力の気配が駄々漏れになっている国王様の姿が。
三人の大人は手を取って寄り添いあい、ブルブルと激しく震えだす。
「最初に言っておいただろう? 子の責任をお前達親にも取らせる、と」
「だ、だが……、その娘の願いを聞いた。それで、チャラに」
「ならん。全体の十パーセントの償いにもなっていない。お前達は黙って子供達の結論を聞け。出来なければ、俺自らが三人とも寝台送りにしてやろう」
「「「ひぃいいいいいいいいいいいっ!!」」」
なんだかんだ言って、やっぱり国王様の事が怖いんですね、この人達は……。
国王様が一睨みしただけで、壁の方に逃げ込んじゃいましたよ、はぁ……。
でも、これでいい。これで、子供の達に落ち着いて考えさせる事が出来る。
「好きな方を選んでください。勿論、別の道だっていいんですよ」
今のこの子達なら、もう誰かの命を粗末に扱う事はしないだろう。
……蹂躙派の道を選ぶくらいなら、三人でどこかに旅立つという選択肢の方を選んでほしいものだけど。
三人は俯き、その小さな手のひらをぎゅっと握り締めた。
「おれ達は……、いつか、親父達の後を継いで、領主になるんだ」
「領主たる者、他者の命になど情を向けていてはならない。領地を守る事だけに専念しろ。そう言われて育ってきました」
「強さこそが全て。毎日、厳しい修行ばっかりだった……」
蹂躙派の在り方を守る為、攻め込まれて、滅ばされない為。
三人は顔を上げ、声を揃えて言う。
「おれ達は」
「「「強い吸血鬼になりたい」」」
迷いを持たないその響きに、私の瞳から一筋の悲しみが伝う。
「リシュナ……」
「だ、大丈夫、です。……ディル君達が選んだ、道、ですから、……私は」
そうなると、わかっていたのに……。
あまりに、迷いがないものだから……。少しだけ、自分の存在には何の価値もなかったのだと、少し、情けなくなってきて。
だけど、涙を袖で拭う私の許に三人が集まり、背伸びをしてこう言ったから凄く驚く事になった。
「「「心の優しい、誰かを思い遣れる、強い吸血鬼になりたい」」」
「え?」
「おれさ、人間の世界で暮らすようになってから、いや、リシュナ達と一緒にいるようになってから、思ったんだよ。なんか、ウチと全然違うなぁ、って」
「ディル君……?」
「ウチは、母ちゃんが眠りっぱなしで、使用人達はいつも暗い顔してるし、親父は、なんか、いつもイライラしてるしで……。ちょっと、窮屈だったんだよな。だけど、リシュナ達とあの家にいる時は、すっごく楽だなぁって感じられたんだ。あったかくて、笑ってても、許される、つーか」
ディル君の小さな、けれど、今まで抑え込んできたように思える本音に、壁際にいたディル君のお父さんが悲しそうな顔をしてこっちを見てくる。
「親父も、俺と遊んでくれる事はあったけど……、心から笑ってくれなくて……、正直、寂しかった」
「わたしの家も……、母上が出て行ってからというもの、父上は綺麗な女性を集めて遊興に耽るばかりで……。親子としての会話はあまり……。ほぼ勉強と、強くなる為の訓練ばかりで一日を過ごしていたように思います」
「おれのところも同じだった……。ただ、強くなるための扱きばかりで」
三人に共通していた事は、父親が心から笑った顔を見た事がない、という、悲しい事実。
父親だけでなく、周囲の誰も笑わない。ぬくもりのない、無機質な世界。
ディル君達にとって、どれだけ酷な環境だったのか、私にはよくわかる。
誰の笑顔も見られない、ひとりぼっちの場所。
私はその場に膝を着き、三人を抱き締めた。強く、強く、愛おしさを込めて。
「親父、ごめんな。おれ、リシュナ達の所に行きたい。外の世界で沢山のものを見て、自分の考えってもんを持ちたくなったんだ」
「父上、わたしもディルと同じです。蹂躙派の地の掟に倣い生きる事が正しいとは、もう思えないのです」
「おれも、強さ以外のものを、手に入れたい……。あったかくて、ふわふわした、優しい場所に、いたい」
偽りのない、子供達の正直な心の吐露。
だけど、三人の父親は駄目だ駄目だと繰り返す。
腑抜けになる気か、いずれ八つ裂きにされて、全てを奪われる弱者に成り下がるのか、と。
「国王様が言ったんだ。強くなる為に、何かを守る為に、心を殺す必要なんかない、って」
「国王っ、テメェっ……!!」
「その通りだろう? ヴァネルディオ、お前達蹂躙派の考えや掟は、あまりに極端すぎるのだ。冷酷無比で傲慢な在り方など、誰も幸福にはせん。お前達自身も、今の生き方には虚しさしか覚えていないはずだ」
「陛下の仰る通りだ。お前達は、自分達のような、生き地獄の道を息子に歩ませて、それで幸せだと思えるのか?」
ディル君達だけじゃない。その生き方は、子々孫々にまで続いていく。
蹂躙派の吸血鬼達が、そうやって血を繋いできたように……。
「うるせぇっ!! なまっちょろい事言ってる余裕なんかねぇんだよ!! 蹂躙派の領主達は、常にこっちの領地を狙って来やがるし、あの手この手で人の足を引っ張りやがる!! テメェらの理想論なんか教え込んじまったら、自分の命だって守れやしねぇっ!!」
「だからこそ、今の世代であるお前達が、子の為に道を切り拓くべきだろう?」
「あ?」
「蹂躙派の地を変える。生き辛さを感じているのなら、自分達で変えていけばいい。その努力を、何故始めん?」
「んな事……っ、出来るわけっ」
あの時と同じ。ディル君のお父さん……、ヴァネルディオさんの過去を見る前に、蹂躙派の長である人の虚像を前に、国王様が言っていた事。
グランヴァリアの地を支配する野望を受け継ぐ蹂躙派の在り方を変える。
それを自分の代で成し遂げてみせると語っていた国王様の声音に、冗談の響きはなかった。
この人は本当に、変える努力を、幸せをつくる術(すべ)を持っている人なのだ。
だけど、ヴァネルディオさん達からしてみれば、出来もしない下らない理想なのだろう。
鼻で嗤い、そんなのは無理だと叫んでくる。
「面倒揃いの蹂躙派だぞ? あれを全部どうにか出来るわけがねぇっ!!」
「何故出来るはずがないと思う? やる前から諦めるのが、お前の利口な生き方か?」
「ぐっ」
「子の方は、自分達を変えていく努力の道を見つけているというのに、親がそれでは、孝行のし甲斐もないな」
「恐れながら陛下。私達は、先祖の築いた結界を失って後(のち)、蹂躙派の地で生きる恐ろしさを学んで参りました。あの地を、いえ、あの領主達の考えを改めさせる事は、千年や二千年、……永遠の時をもってしても、難しい事かと思われます」
手段を選ばない、残虐な領主達。
たとえ、ヴァネルディオさん達が考えを変えても、それは内側のごく一部の事。
全てを変えるには、子供達の未来を守るには、道が険しすぎる。
そう訴える三人の親達に、私は無意識に声を発していた。
「そうやって怖がってばかりでは……、何も、変わりません」
「クソガキ……。じゃあテメェを蹂躙派の地のどこかに置き去りにしてやろうか? 一晩も経たない内に、八つ裂きにされて血を啜られ、骨と皮になっちまうぜ」
「口を慎んだらどうだ? 一度目はリシュナに免じて引き下がったが、二度目はないぞ」
脅しをかけてきたヴァネルディオさんを睨み返し、レゼルお兄様が冷え切った声で応えた。
確かに、私はまだまだ世の中の恐ろしさをわかっていない小娘だ。
現実を知っている人に理想論を語っても、どんなに心を込めて願いを口にしても、届かない。
だけど、理想を、願いを口にしなくなったら、人は何を頼りに道を切り拓いて行けばいいのだろうか。
戯言だと嗤われても、夢や希望があるから、人は新しい事に挑戦したり、前を向く勇気が湧くのだ。
全てを諦めて、暗い気持ちで生きて行く絶望なんて……、私は、蹴り飛ばしてやりたいと思う。
「この子達は、まだ小さな存在です。勿論、私も……。ですが、いずれは大きな実りをもたらす力の一部に、なれるかもしれない。諦めず、何かを成していく心を持ち続けていれば」
「実が成る前に、その木は腐って踏み潰されるのがオチだ」
「――っ。だから、どうしてそんな風に決めつけるんですか!! 何をしても無駄だって、蹂躙派の在り方に飲まれて、楽な道を選んでいる貴方達にっ、この子達の未来を否定する権利はありません!!」
「……誰が、楽な道を選んでるだと?」
「貴方達です!! 本当は優しいくせに、誰かを想う心があるくせに、辛いのを我慢して、冷酷ぶってるくせにそうなりきれていない、貴方達の事です!!」
三人の父親が図星を突かれた事で怒ったのか、私に対して凄まじい殺気を溢れさせて口を開こうとした、その時。国王様がどこからか出現させたハリセンを手に、スパパパパァアアアアン!! と、ヴァネルディオさん達をノリ良く打ち据えた。
「子供相手に大人げない真似をするな。全て本当の事だろう?」
「ぐぅぅうっ……」
「図星突かれたって、自分で言っちまったようなもんだろ……、お前ら」
本当に……。詰めが甘く、非常になり切れていない人達だと、改めて思う。
蹂躙派の吸血鬼には相応しくない、ある意味で、異分子な人達。
彼らだってそれをわかっているはずなのに、領主の家に生まれた立場からなのか、その息苦しい場所から抜け出せずにいるような気がする。
やりたい事と、やりたくない事に挟まれて、今にも窒息してしまいそうな、哀れな魚(命)。
「さて、お前達に出来る選択は二つだ。ひとつは、変化を望むリシュナと子供達の言を聞き入れ、自分達の生き方を変える決意をするか。二つ目は、子供達と永遠の別れを選択し、領地と共にいずれ果てる道を選ぶか」
「結局、ディル達を取り上げるって事じゃねぇか。そんな権利がどこにあるってんだよ」
「権利なら、お前達の子が持っている。自分の道を自身の手で掴む、自由という名の権利をな」
「……」
「まぁ、今日は王宮に泊まっていけ。自分達の意見ばかり押し付けず、子供の声にきちんと耳を傾ける努力を、まずは始めてみるといい」
国王様の言葉に項垂れると、三人の父親達はそれ以上の反論を口にせず……。
厳しい監視の目を付けられる事にはなったものの、それぞれの親子が、この王宮で一晩を明かす事になった。
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