過去に見る面影

「うわぁ~!! 本当にでっかくなってるじゃん!!」


「おぉぉ……!! レディ、何と美しい大輪の華に……!!」


「綺麗だ……」


「ドウモ……」


 全身のラインにフィットした白のマーメイドドレス。

 ただの簡素な服でいいと言ったつもりだったのに……。

レインクシェルさんが持ってきてくれたこのドレスは、あきらかに高価な職人技の光る一品だ。

 村にいた時とは違い、今の私はフェガリオお兄様のお手製作品を目にしたり、触ってみる機会が多くなった。サンプル品の四角く小さな生地を、フェガリオお兄様の説明を受けながらそれぞれ確認してみる事もあり、その結果、培われたのが生地類に関する鑑定力だった。

 まだまだ初心者レベルではあるけれど、わかる。

 これは、グランヴァリア王国内において毎年生産数限定の、限られたルートでしか買えないという噂の……、マリスティアーシュという生地で作られている、と。

 フェガリオお兄様曰く、サンプル用の生地だけでも凄い値段がするとか……。 

 レインクシェルさんが、あの短時間で、どうやって、どこから仕入れて来たのかは謎だけど……。

 あぁ、……着心地は良いのに、精神的にちょっとどうかと云々。

 

「ふっふっふ~!! どうですぅ~!? 美人さんにピッタリのドレスしょ~!! ネックレスや装飾品の類もいっぱい着けちゃいましたから、魅力倍増しですよ~!!」


「クシェル……。お前の目指す方向性がよくわからないんだが」


「綺麗な女の子、可愛い女の子!! 男として愛でなくてどうするってもんですよ~!! この楽しさがわからない男は、今すぐ雄を止めやがれっ!! って、声を大にして言っちゃいますよ~!!」


「つまり……、大人の姿になったリシュナが、お前の好みど真ん中だったわけだな?」


「大正解~!! 僕は僕好みの女の子にどれだけ貢ごうと、それで破滅させられようと、後悔はありませんからね~!! ふっふっふっ!! お嬢さ~ん、後で追加のドレスをとっかえひっかえやって、ファッションショーやりましょうね~!!」


 ――絶対に嫌です。

 冷めた視線で答えをぶん投げ、私はこっそりと溜息を吐く。

 突然の変化にも対応出来るように、このドレスに術を掛けてくれた事には感謝するけれど。

 レインクシェルさんの、女性に対する積極性の凄さには辟易とするしかない。はぁ……。

 

「リシュナ……。すまないな」


「いえ……。そういえば、あの、……ディル君達の事なんですけど」


 お子様達と一緒に謎の大盛り上がりを見せている吸血鬼を放置し、私は隣に座っているフェガリオお兄様に尋ねてみる。

 昨夜の騒動……。あの時、ディル君達は自分の故郷で一晩を明かすのでは、と、……そう、思っていたのだけど。朝になってみれば、三人揃って私の許に明るい笑顔でやって来たのだ。

 すぐ近くに、自分達のお父さんがいたはずなのに……。


「決めたのはディル達だ」


「え?」


「リシュナの事が心配だから、戻る、と。父親達とは、後日また話をすればいいと言っていた」


「あの子達が……」


 王宮を抜け出して、自分の故郷に戻ろうとしていたのに?

 あの場で自分達の父親の胸に飛び込んでいれば、元の生活に戻れたはず、なのに……。

 ディル君達の笑顔を眺めながら、私が彼らに声をかけようとすると。


「邪魔するぞ。リシュナ、具合はどうだ?」


「「「うわぁああっ!! こ、国王陛下~!?」」」


「はっはっはっ!! 今日も朝から元気な奴らだな。そう恐れる事はないだろう? お前達が怖がらぬよう、良い物を持って来たやったんだぞ」


「「「……え?」」」


 女官達によって開けられた扉。

 漆黒の荒髪を纏うその人が、自分に怯えて部屋の隅に逃げ込んでしまったディル君達を笑顔で手招く。腰を屈め、「おぉ~、よしよし。怖くないぞ~」と言っている姿は、野良猫を手懐ける人と変わらない。ディル君達は互いに顔を見合わせ、……ゆっくりと、国王様に近づき始める。

 抜き足、差し足、忍び足……。怖がる気持ちよりも、良い物に惹かれる興味。

 

「――ふっふっふっ、よぉおおおおおし!!」


「「「うわぁあああああっ!!」」」

 

 あ、やっぱり捕獲された。

 一応の警戒心と恐れを持ったお子様達を三人纏めて両腕に抱き上げた国王様に、私達はパチパチと拍手を送る。

 

「うぅぅっ!! やだやだっ!! 怖いよぉおおおっ!!」


「お、おおおおおおお、お放しくださいっ、へ、へ、陛下ぁぁあああっ!!」


「あ、あ、アアアアアアア……、ち、力が、力が、ぁああああっ」


「はぁ~……。ここまでわかりやすい反応をされると、……傷付くな」


「あははっ! 陛下にそんな繊細さってありましたっけ~?」


 ぽふんっぽふんと、私達の向かい側にあるソファーで小さな身体を跳ねさせている、空気を読まない吸血鬼。向けられたからかいの言葉に、国王様がゆっくりと振り返る。

 ……その顔に、何やら意地悪な笑みをニヤニヤと引っ提げて。


「ふっふっふ……。俺も一応、人の、いや、グラン・ファレアスの子だぞ? 情もあれば、傷付きやすい男心というものもある。――という事で、お前の執務室に隠してある例の雑誌は全て中身をマッスル筋肉の野郎共で構成された素晴らしいものに変えておこう」


「いぃいいいいやぁあああああああああああっ!! ごめんなさいっ!! ごめんなさいっ!! 謝りますからっ、全力で土下座でも何でもしますからっ、そんなカオスな物を仕込まないでくださぁああああああい!!」


「レインクシェルさんには良い薬ですが……、あの、国王様。グラン・ファレアスって、何ですか?」


 満足のいく報復を遂げた国王様がレインクシェルさんの首根っこを掴んでソファーからポイ捨てし、代わりにディル君達をそこに座らせながら私の方を向く。


「人の世や他種族の者達は俺達の事を『吸血鬼』と呼ぶが、それは種族性に因(ちな)んだ俗称に過ぎん。他にも、獣人族や妖精族といったものもあるだろう? あれも同じだ。そして、そのひとつひとつの種族に、正しい名がある、というわけだ。お前が知った、ロシュ・ディアナという種族と同じようにな」

 

 ロシュ・ディアナ……。クロさんが言っていた、私の種族。

 背に一対(いっつい)の翼を広げる、まるで、童話の中に出てくる、真っ白な翼をした天使と似通った姿。

 そういえば……、あの、閉ざされた世界の中で、確かに同じ姿をしている人を見た事があった。

 拒絶し、忘れたいと願っていた記憶のせいで、すっかり忘れていたけれど……。

 翼を持たない人達と、それを背に抱いていても、純白とは呼べない、薄汚れた灰色の翼の人達。

 そのどれとも違う、私の両翼。

 ――それと、もうひとつ。

 クロさんに導いて貰って天獅竜と対峙した際に見た、あの光景。

 真っ白な翼を背に宿した人々が沢山いた、幾つもの浮遊大陸。

 ……そして、現実で目にした事があると感じた、大きなお城と、紋様。

 同じ建築物なのか、それとも、似ていただけなのか……。

 思い出したくない記憶を探っていると、いつものように気分が悪くなってきそうだった。


「よし」


 国王様は一度説明を切り、ディル君達の指にそれぞれひとつずつ、色の違う宝石をあしらった銀色の指輪を着けていった。


「な、なんだぁ、これっ」


「おぉ……っ。何とも美しい指輪ですね」


「きらきら……、してる」

 

 三人は自分の手を掲げながら指輪をじっくりと眺め始めた。


「どうだ? 気に入ったか?」


 荒療治よろしく抱き締められた効果なのか、ディル君達は少しだけ国王様に向き合う勇気を手に入れたらしく、統治者の目を真正面から受け止めて頷く。

 でも、……子供を自分に慣れさせる為とはいっても、普通はお菓子や玩具の類を与えるのが主流ではないのだろうか? あんな高そうな指輪をプレゼントするなんて、……何か、理由がありそうな気がする。


「国王様、その指輪は」


「この者達が必要以上に俺を恐れているようなのでな。怖くなくなるまじないを籠めた物だ。どうだ? まだ俺が怖いか?」


「う~ん……、なんか、ま、前よりは、威圧感が薄らいだような、気が、する」


「身体の震えが、止まっています……」


「おれも……」


 その答えに国王様は頭を撫でてやる事で「上々だ」と笑い、機嫌を良くした。

 ディル君達が恐れていた、国王様の身の内から感じられる強い力。

 出会った時には何も感じなかったはずなのに、今の私にはそれを察する事の出来る変化が起きていた。


「リシュナ? ……どうした?」


「フェガリオお兄様……。人にはそれぞれ、オーラ的なものがあるんですね」


 国王様の方をじっと見ながら口を開いた私に、フェガリオお兄様が息を呑む気配が伝わってきた。

 

「その通り、だが……。視えるのか?」


「はい。さっきから、少しずつ……、はっきり視えるようになってきました」


 私の目は正常だった。変なものが視え始めたものだと、少しだけ不安に思っていたけれど、ちゃんとフェガリオお兄様の目にも視えているのだ。

 その事にほっとしながら、私はディル君達の恐れているものをじっくりと観察し続ける。

 国王様の身の内から滲み出している、真紅の、炎の揺らめきのような光。

 外側に視えているものは、穏やかな気配を保っているように見受けられるけれど……。

 国王様の奥深くに、決して手を出してはいけない、――強大な力の奔流が視える。

 荒れ狂う激しい烈火。何もかもを焼き尽くし灰燼に帰す、恐ろしい存在。

 温かな存在として見ていた国王様の中に、あんなものがあるなんて……。

 でも、視えたものが私を恐怖に陥れる事はなかった。

 そういうものを国王様が抱えていると、認識しただけ。

 ディル君達が恐れるような反応は、私の中にない。


「子供は、本能的に相手の深淵を覗いてしまうものだからな。大人よりも感覚が鋭いといえばいいか。だが、慣れてしまえば、どうという事はない」


「普段はその御力を抑えて下さっていますからね……。もし、陛下が周囲を気にせず力を剥き出しになさっていれば、おいそれとは近づけません」


「はっはっ。自分から他者を遠ざけたいならともかく、俺は賑やかなものに囲まれている方が好きだからな」


「ですねぇ~……。陛下は博愛主義者ですし、怒らせない限りは無害なんですよ~」


 と、ぐったりしながら呟いたのは、国王様のちょっとした逆鱗に触れた吸血鬼だ。

 どんなに強い力を持っていようと、その人の心ひとつで在り方は変わる。

 それを知っているからこそ、国王様はこんなにも、温かな人であれるのだ。

 

「さて、子供達への用は済んだ事だし、次はお前の番だな、リシュナ」


「はい」


「昨夜の件に関しては、レゼルクォーツとフェガリオから報告を受けている。グラディヴァースの件もな。あれが、お前の種族性を引き出す事が出来るとは予想外だったが……、これも運命のひとつ、という事なのだろう」


「陛下……?」


 最後の方だけ、少し気になるような含みを感じたけれど……、国王様は何を思っているのだろうか。


「フェガリオ、レインクシェル。俺はリシュナの状態を確認する作業に入る。子供達の世話を頼む」


「御意」


 差し出された頼もしい手に温もりを委ね、私は国王様と一緒に寝室へと入った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――今のところは、危惧すべき異常はないようだな。だが、一応は、グランヴァリアの医療機関で詳しい検査を受けておいた方がいいだろう。手配しておく」


「有難うございました……。あの」


「ロシュ・ディアナについて、何か知らないかという質問か?」


「はい……」


 この身体の変化が、強制的な血の目覚めによるものである事。

 今は不安定に姿が行き来しているけれど、後一日もあれば、この大人の姿に定まるだろうという事。私が望むのなら、外見の年齢を変化させる方法を教えてくれると、国王様は約束してくれた。

 背中に生えている両翼の消し方についても。基本的に、どの種族も力の扱い方を覚える事によってそれを可能に出来るという事も、診察の途中で知った。

 だけど、……まだ肝心の、私の生まれである、ロシュ・ディアナについては何も聞けていない。

 寝台の端に座っている私の隣に腰を下ろし、国王様が安心できる温もりで頭を撫でてくれる。


「知らないか、知っているかで言えば、その種族の存在については知っている。過去に、ロシュ・ディアナの民に会った事もあるしな」


「ロシュ・ディアナの……、民に?」


「あぁ。生憎と、ロシュ・ディアナの国に行った事はないが、その人物とは、今から百年程前に、人間達の住まう世界で出会った。真っ白な翼の、美しい娘だった」


「真っ白な、翼……。灰色ばっかりじゃなかったんですね」


 私の記憶には、純白の翼を生やしている人は、いなかった、はず……。

 いや、自分があの牢から出される度、数える程の場所にしか連れて行かれなかったから、知らなかっただけ、か。私の周囲には怖い人しかいなかったけれど……。

 私は僅かな恐れを抱きながら尋ねる。


「どんな人、だったんですか?」


「う~ん、そうだなぁ……。一言でいうと、気の強い猫、だな」


「猫って……」


「出会い頭に不審者と間違われてな。……少々、手荒な噛み付かれ方をしただけだ。誤解だとわかり、慌てた際の反応も面白い娘だったが、基本的に物事をはっきりと言う、強気なタイプだった」


 猫のような、強気な、女性。

 私に対して罵声を浴びせ、怨嗟の声を向け続けていた女性も……、そんな性格だった。

 だけど、国王様が語っているその声を聴いている内に、その女性のイメージとは徐々に重ならなくなっていく。同じようで、全く違う。根本の部分が異なる人だと感じた。

 国王様が出会ったのは、自分の非を認め謝罪の出来る、真っ直ぐな人だったから。

 猛獣のようなあの女性と少しでも同じだと感じた事が、申し訳ない。

 

「その娘は、閉ざされた世界から時々、外へと遊びに出てくるのだと言っていた。自分の故郷には、頭の固い奴らしかおらず、自分に自由を与えようとしないから、とな。文献でしか目にした事のない他種族の娘だったが、慈愛深き白の種族にしては、イメージが真逆だった事をよく覚えている」


 国王様が一度だけ会ったというその女性は、傍に大きな白い竜を連れていたのだという。

 それが天獅竜だという事は間違いなく、私が口にした特徴に国王様が頷いてくれる。

 気が強く猫のような女性。だけど、彼女の心根は温かなものだったと……、そう話して貰えて、少しだけ安心出来た。あの世界の人々が全部怖いわけじゃなかったと、改めてそう知る事が出来たから。心に思い浮かべるのは、亡くなった家族の一人……。

 私をあの世界から逃がしてくれた、協力者の青年の事。彼以外にも、優しい人がいたのだ。


「その人とは、もう会ったりしていないんですか? 連絡を取る事は」


「生憎と、俺がその娘に会ったのは一度きりだ。今は……、どこにいるのかさえ、わからずじまいだ」


「そう、ですか……。あの、よければ、どんな容姿の人だったか、教えて貰えませんか? 出来れば、お名前も知りたい、です」


 いつか、人間達の暮らす世界のどこかで出会う事が出来れば、話をする事が出来るかもしれない。

 クロさん以外にも、もしかしたら、私のお母さんを知っている可能性も……。

 けれど、国王様は凄く困ったような顔をして、私の頭をぐりぐりと撫でまわす。


「教える……、事は、出来るが。すでに答えはお前が持っているからな」


「はい?」


「少し待っていろ」


 一度寝室から姿を消すと、国王様は手鏡を手に戻ってきた。

 それを、私に手渡し……、自分の顔を映してみろと指示を出してくる。

 着替える際にも見た、成長を遂げた自分の顔。

 ふわりふわりと線を描く、薄紫色の長い髪。パッチリとした、若草の瞳。

 そして……、十四歳どころ、十代後半程だと感じられる、……自分で言うのも何だけど、綺麗な顔立ち。何度確認しても、他人のように思える顔だ。一応、幼い姿だった時の面影は残っているけれど。

 

「国王様?」


「リシュナ。これから話す事は、お前の心に傷を刻む事になるかもしれん。それでも、聞きたいと望むか?」


「……大丈夫、です。傷付いても、前に進む心を教えて貰いましたから」


 身体に負った痛みも、今は消えている傷も……、心に刻まれた、あの人達の怨嗟も。

 恨まれ、憎まれ、存在を否定され続けた。一度手にした幸福を奪われ、死を望んだ事もある。

 だけど、今は違う。レゼルお兄様達が私を救い上げてくれたから、一緒に居てくれるから、温かな居場所をくれたから……。もう、諦める事はしないと誓った。

 村の皆が安心して天国で休めるように、私は彼らの想いを胸に、幸せを掴む。

 そう決めたから、私は傷付く事を恐れない。たとえ怖くても、前に進む。

 だから、教えてください。真っ直ぐに国王様を見つめながら言うと、安心したような笑みが返ってきた。


「俺に教えられる事は二つだけだ。まず、俺が出会ったロシュ・ディアナの娘は、――今のお前と、とてもよく似た顔をしている、という事だ」


「……え?」


「雰囲気は全く違うが、あの娘とよく似ている……。髪の色も同じ薄紫だったが、あちらは真っ直ぐな髪質だった。瞳の色は澄み渡った空を思わせるものでな。黙っていれば淑やかな美女を思わせる娘だったんだが。中身はさっき言った通りだ」


「……私、と、似た顔の……、人? 国王様、それは」


「そう決めつける事は出来んが、共に並べば、――血の繋がりをよく感じさせられる事だろうな」


 それは、それは、……つまり。

 何を聞いても心を強く持とうと決めていた。だけど、……国王様が出会った人が、まさか。

 もう一度、手鏡の中の自分を見る。私とよく似た、ロシュ・ディアナの民。

『貴女』は……、私の――。

 手掛かりを掴める。湧き上がる不安と期待に震えている私に、国王様が静かに告げる。

 思ってもみなかった、もうひとつの、情報を。


「その娘と出会ったのは、今から百年程前の話だ」


「百、年……?」


「お前からしてみれば、遥か昔の話に思える話だろうがな。ロシュ・ディアナは人間ではない。俺達と同じように、人外の時を生きる種族だと、文献には記されている」


 そんなに大昔の話だったなんて……。

 百年……。最近の事ではない、私が生まれるよりも、ずっと、ずっと、昔の事。

 最近の事であれば、お母さんが人間の世界に足を運んでいるという希望を持てた、けれど……。

 

『お前のせいで、あの子は駄目になった……!!』


 真っ赤に染めた爪で私を嬲った女性が泣きながら叫んだ言葉。

 あの嘆きの意味……。

 私を産んだ事で精神的に壊れたという事なのか、それとも……。


「お母、さん……」


 すでにそうなっているとは、考えたくなかった。

 生きている、と、そう、信じたい。……だけど、生きているのなら、どうして。

 私を牢に閉じ込めていたあの女性は、一度もお母さんの居所について触れてはくれなかった。

 捕まっているのか……。それとも、自由の身で……、私の事を忘れているのだとしたら?

 ぐるぐると、嫌な想像が頭の中を掻きまわし始めてしまうのは、以前からの事だった。


「教えて下さって……、有難う、ございます。国王様……」


 手鏡を胸に抱き、国王様の目に動揺が映らないように努める。

 やっと知る事の出来た、ずっと、ずっと、追い求めていたお母さんの姿。

 自分とよく似ていると知って、嬉しいという感情が湧いたけれど……。

 もし、お母さんが生きていて、再会出来た時に……、その人が私をどう見るのか、受け入れてくれるのか、それが、気になり始めて……。

 牢の中にいた時は、与えられる苦痛が酷過ぎて……。いつも、身体の痛みを感じながら朦朧としていた。その中で……、やがて、こう思い始めてしまったのだ。

 お母さんとお父さんが助けに来てくれないのは、……私が、愛されていない子供だから、と。

 二人の事情なんて何も知らないのに、泣く力さえ持てず……、絶望に苛まれてしまったあの頃。

 その事を忘れる事が出来たのは、外の世界に逃げ延びて、新しい家族と出会えたから。

 私を愛してくれる、受け入れてくれる、養父母の温かさ。村の人達との楽しい日々。

 それがあれば、もう……、他には何もいらないと思えたから。

 でも、本当のお母さんかもしれない人の事を知っているクロさんと、私に似ている人に会ったという国王様の話を聞いていると……。


「お前の母かもしれぬ者に関して語れるのは、まぁ、このくらいのところだな……。いずれ、どこかで再会する事があれば、その姿が目印となるだろう」


「はい……」


「……『ロシュ・ディアナ』の民に関しては、『神々が創りし、慈愛深き清らかなる者』、『純白の翼を抱く者』と伝えられている。俺達の種族が住まうこのグランヴァリアと同じく、国は別の空間にあるようだが……」


「資格がある者にしか、入国出来ないんですよね?」


「その血筋にある者だけに扉は開かれる……。文献にはそう記されてあったが、必ずしもそれだけが手段とは限らん。扉のある場所を突き止める事が出来れば、幾らでも試す事は出来るからな」


「そう、ですね……」


 扉のある場所……。私が、協力者の青年と天獅竜に乗り、人の世界へと逃げ延びる際に通った、あの不思議な境界線のある場所の事だろう。

 本当は、誰にも喋ってはいけない、と……、そう、念を押されているけれど。

 国王様なら、……調べてくれるだろうか? あの、『ロシュ・ディアナ』の世界について。

 私の、本当のお母さんの居場所を――。


「あの、国王さ――」


『陛下、レイズフォードです。至急目を通して頂きたい案件があるのですが、よろしいでしょうか?』


「少し待て」


『は?』


 扉の外から声を掛けてきた宰相様にそう伝えると、国王様は私の額に同じ部分を押し当てて何かを唱え始めた。優しい、優しい、低く心地の良い音。

 身体の内側から、一番奥深い部分から、あたたかな温もりが広がって……。


「リシュナ……、レイズには、大人になった姿を見せないようにしてくれ」


 頼もしい存在だったはずの国王様から向けられた、胸を締め付けるような切ない哀願の声。

 何故、大人の姿を宰相様に見せてはいけないのか。よくわからないまま……。

次に訪れたのは、数秒で意識を奪い去ってしまいそうな睡魔の気配。――けれど。


「リシュナぁああああああああああああああああっ!!」


「――っ!!」


 とんでもない勢いで扉を蹴破り、場の空気をぶち壊してくれた常識外の乱入者。

 その手には豪華な花束を携えており、もう片方の手には赤いリボンをした真っ白なテディベアを。

 まるで誰かの誕生日を祝いに行く人のようだと、……国王様の胸に抱え込まれていた私は、やれやれと溜息を吐きながら思った。

 その人は私と国王様の姿をアメジストの瞳に映すと、恐怖するべき光景でも目にしてしまったかのように、全身を震わせ始めてしまう。……何故?


「な、なななななななな……っ!!」


「どうした? レゼルクォーツ」


「何やってんですか!! アンタはああああああああああああああああああ!!」


 どんな状況でも動じなさそうな国王様が尋ね、返ってきた反応がこれだった。

 私達をビシィイイイッ! と指差し、怒声の限りを尽くす……、馬鹿兄。

 きっとわかっていない。今自分が文句をぶつけている相手が、忠誠を捧げるべき国王その人だと。

 完全に忘れ果てている……。

 しかも、一瞬で私を国王様の腕から奪い取り、ガルルッ!! と、残念な威嚇行動にまで出た。

 あぁ、頭が痛い……。妹への過保護が過ぎるのは前からの事だけど、今回はもっと酷い。

 

「レゼルお兄様、落ち着いてください……」


「陛下!! 見損ないましたよ!! ウチのリシュナに何してくれてんですか!!」


「はぁ……。ただ抱擁を交わしていただけだろう?」


「何で陛下とリシュナが抱き合わにゃならんのですかっ!! ウチの妹はまだ嫁入り前なんですよ!!」


 いやいや……、その妹に毎回むぎゅむぎゅやってるのは貴方ですよね? レゼルお兄様。

 私の境遇的に、愛情をいっぱい注がないといけないみたいな使命感を持ってくれている事には感謝してますが、兄と妹の距離感も、何か間違ってますよ。はぁ……。


「リシュナ……、お前の苦労、よくわかるぞ」


「有難うございます、国王様……。ホント、これどうしたらいいんでしょうね」


「ふむ。今度俺の許に家出でもしてみるか? 暫く離れていれば、大事な妹にとってどれだけ自分がアレな存在か、レゼルクォーツも自覚する事だろう」


「いいですね。その際はお願いします」


「リシュナぁああああああああああああっ!?!? 賛成しちゃ駄目だろぉおおおおっ!!」


 そうしないと、貴方がまともなお兄様になってくれないからですよ。

 冷ややかな視線でレゼルお兄様を諫めると、ようやく大人しくなってくれた。

 私を薄桃色の絨毯に下ろし、しょぼんとしながら自分が落とした物を拾っていくレゼルお兄様。

 その姿を大きく捉えながら、私は自分が幼い姿に戻った事を自覚した。

 

「レゼルお兄様、国王様は私を幼い姿に戻してくれただけなんですよ? 別に変態な不審者になったわけじゃありません」


「はっはっ。兄に似て失礼な奴だな? レゼルクォーツ。俺も少々傷付いたぞ」


「申し訳……、ありません」


 国王様にボソリと謝罪し、自分が持って来た物を手に、レゼルお兄様が私の前にしゃがみ込む。

 寂しそうに、アメジストの瞳が僅かに潤んでいる気がする。


「リシュナ、……これ」


「……くれるんですか?」


「あぁ。お前の為に買ってきた。……今朝、酷い仕打ちをしてしまったから。それと、昨夜の詫びも込めて……」


 甘い、甘い、真っ白な薔薇の匂い。

 受け取った花束を胸に抱き、私は首を傾げる。

 今朝……、昨日の、夜の、事。自分に起こった変化の事で、すっかり忘れてしまっていた……。

 自分ではなく、クロさんを頼ってしまった私を責めたレゼルお兄様。

 それだけじゃなくて、ディル君のお父さん達に付いて行く事を勝手に決めてしまった事や、傷だらけになってしまった事、そして……、吸血行為を許してしまった、私の愚かさ。

 悪いのは、全部私なのに……。朝の事だって、そこまで気にするような事じゃないのに……。


「わざわざ……、買いに行ってくれたんですか?」


「時間がなかったから、こんな物しか用意出来なかったんだ。ごめんな?」


「……十分、ですよ」


 どうして、どうしてこの人は……、こんなにも、私の事を気遣ってくれるのだろうか。

 死にそうになっていた私を放っておけなかった、過去に負った傷が、彼をそうさせている。

 そう、わかっているけれど……。私が小声でお礼を伝えた瞬間、レゼルお兄様が嬉しそうに笑った顔が、……あまりにも、眩しくて。

 

「リシュナ?」


「……朝食、まだ、ですか?」


「ん? あぁ……。これを買いに行っていたから、まだ、だな」


「じゃあ、……い、一緒に、その、……ちょ、朝食を、……食べ、ます、か?」


 本当は、今すぐにレゼルお兄様の胸に飛び込みたいような衝動を覚えているのだけど、流石にそんな子供っぽい真似は出来なくて。

 だから、今出来る精一杯の甘え方で食事に誘ってみたのだけど、……あ、あれ?

 

「リシュナぁぁ……っ!」


「れ、レゼルお兄様?」


 目の前の過保護なお兄様が、滝のような勢いの涙を流し始め、花束ごと私をその胸に抱き締めてしまった。ちょっ、く、苦しいんですが……!!


「ふぅ、お前達は周囲の者が困るほどに仲が良いな。……だが、レゼルクォーツよ」


「ふぁいぃ~?」


 寝台に腰を据えながら場を見守っていた国王様に振り向けば、その指が、ある一点を示した。

 私とレゼルお兄様はゆっくりと差されている先に視線を流し……、そして。


「「あ」」


 ボロッボロになっている、幽霊のようにどんよりと暗い影を見てしまった。

 

「レゼルクォーツ……、貴様、よくも上司である私を足蹴に出来たな?」


「あ、あ~……、さ、宰相殿、え~と、くたびれた感じも、男前が上がって、お、女に、モテ、モテ……、ぐはっ!!」


 カタカタと震えているレゼルお兄様の腕の中から逃げ出し、こっそりと怒れる人の背後にまわってみると……。その背中にくっきりと踏み付けられた跡があった。

 鞭を手にレゼルお兄様へと迫って行く宰相のレイズフォード様。

 勿論、直後に響き渡ったのはレゼルお兄様の残念な絶叫だった。

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