ロシュ・ディアナの目覚め

 戦場に紅(あか)き豪雨を降り注がせし、死神の如きその姿……。

 辺境の、蹂躙派の、真なる王……。その座を、己(おの)が望みの為に捨て去った者。

蹂躙派を束ねる、長の血筋に連なる吸血鬼。

 ――グラディヴァース・ルデイド。それが、クロさんの名前。


「詳しい事情は不明だが、あの男に近付いて良い事はひとつもない……」


「私も、そう思います。……でも、あの人には聞きたい事があるんです」


「どういう事だ?」


「クロさんは、私の事を知っています。私が村で暮らすよりも前の事を……。もしかしたら、本当のお母さんについても、何か……」


 機会はある。天獅竜の中から出る時に交わした契約。

 クロさんの望むものを与えるその時、私を産んだ人の事を聞いてみよう。

 ……あの気まぐれそうで傲慢な吸血鬼が答えてくれる可能性は低そうだけど。

 背後から大口を開けて襲いかかった天獅竜の鼻面を蹴り上げ、ようやくその腰に下げていた得物を鞘から抜き放ったクロさんの戦いぶりに息を呑む。

 天獅竜によって負わされた深手。その痛みも、傷口から溢れ続ける赤の存在も、クロさんは何ひとつ顧みていない。敵を屠る瞳は逆に弑逆心に満ちた危うい光を揺らめかせているかのように、その手は平然と命を奪い続ける。


「リシュナ……、お前の考えはわかった。だが、その時は俺とレゼルも付き添う。いいな?」


「はい。お願いします」


「お、おぉ~い!! リシュナ~!! フェガリオ~!! あ、あの竜!! なんか苦しそうだ!!」


「え?」


 フェガリオお兄様の肩にしがみついているディル君が叫んだ瞬間、鼓膜を破壊し尽くすような絶叫の音が世界を引き裂いた。

 嘆きのような、悲痛さを感じさせる咆哮……。

 天獅竜の真っ黒な、穢れを抱くその体躯が……、足元から別の色に侵食され始めてゆく。


「あれは……っ」


「何が起こっている……?」


 天獅竜の身に起きた変化。

 巨大な体躯が苦痛を味わっているかのように痙攣している。

 尻尾や足の先から、きらきらと光り輝く白が生まれ……、漆黒に染まっている天獅竜の体躯を凄まじい勢いで染め上げてゆく。

 私達や周囲の驚きの気配とは違い、クロさんにその様子はない。

 恐らく、クロさんが仕掛けた何かが、ようやく功を奏したのだろう。

 天獅竜が、本来の姿に戻る。悪意の呪縛を断ち切り、封じ込められていた自我を取り戻す。


「ミュイ~!」


「シロちゃん、大丈夫ですよ。もうすぐ、もうすぐ、貴方のお母さんを取り戻す事が出来ます」


「ミュイ~! ミュッミュッ!!」


 私の頭の上で怯えていたシロちゃんが、するりとそこから伝い落ちて、首へと巻き付いてくる。

 やっぱり、この子はあの天獅竜の子供だ。額の紋様が呼応するかのように発光を繰り返し、シロちゃんの瞳は喜びに輝いている。

 天獅竜を穢し、凶悪な化け物へと変えていた呪縛が、もうすぐ、もうすぐ――。


「あぁあっ!!」


「光の侵食が……っ、と、止まりましたよ!! 首のすぐ下で!!」


「それだけじゃない……。ゆっくりと、あの黒が白を押し返しているような気が、する」


 オルフェ君の指摘は当たっていた。

 希望を胸に抱き、天獅竜が解放されるその瞬間を待ち望んでいた私達を落胆させたのは、ただでは済ませないとばかりに抵抗を始めた黒の存在。

 天獅竜の頭上に飛んで状況を見守っていた傷だらけのクロさんが、悪態を吐く様子が見えた。

 予想外の事態、という事なのだろう。

 クロさんの手に生まれた紋様だらけの陣が、天獅竜の真上で広範囲のそれに様変わりし、その陣の中から無数の鎖が獲物を捕らえる為に魔手を放つ。


「グウォォオオオオッ!!」


「ミュィ~!!」


「おい!!」


 鎖に四肢の自由を奪われた天獅竜を一瞥し、クロさんが私達の方へと飛んでくる。


「な、何ですか……?」


「どうにかしろ」


「は?」


「リシュナにそんな事が出来るわけないだろう……っ」


 即座にフェガリオお兄様が私を庇ってクロさんを牽制してくれたけれど、問答無用で私の身体はその腕に奪われてしまう。クロさんが苛つき最大値の視線で私を見下ろし、


「やれ。我の術では手に負えん……。ロシュ・ディアナの血族たる者として、責任を取れ」


「そ、そんな事を言われましても……っ。クロさんが何を言っているのか、どう責任とやらを取ればいいのか、私には」


「やめろ……!! リシュナを離せ!! 怯えているだろうが……!!」


「黙れ!! 我はこの娘に命じているのだ。ロシュ・ディアナの血族として、眷属を救えとな」


 本当に、わからない。ロシュ・ディアナって何? 責任って、何?

 天獅竜の事を知ってはいても、ただ、それだけの知識しか私にはない。

 でも……、クロさんは私に『出来る』と、そう言っている。確かな自信を持って。

 なら、選択はひとつだ。


「どうすれば、いいんですか? 教えてください」


「リシュナ……!?」


「や、やめとけよ、リシュナ~!! 絶対(ぜって)ぇ、危ないって!!」


「レディが望んで自分を犠牲にする必要などありませんよ!! やめましょうっ、ね?」


「危ない……、危ないの、駄目だ。おれ、止める」


 気遣ってくれるフェガリオお兄様や、お子様達の気持ちは嬉しい。

 だけど、あの天獅竜を殺させるわけにはいかないのだ。

 災いが起こる危険性よりも、何よりも、あの子を助けたい思いがあるから。

 

「ミュイ~……」


 お母さんを助けて。そんな風に懇願しているかのような瞳で私を見ているシロちゃんの為にも。

 毅然とクロさんの視線を受け止め、私は覚悟を込めた頷きを向ける。


「教えてください。あの子を助ける方法を」


「駄目だと言っているだろう……!! お前を危険な目に遭わせるわけにはっ」


「報酬を頂くまでは死なせん。貴様らは黙って見ていろ」


「「「ひぃいいいいっ!!」」」


 貴様らも引き裂いてやろうか? と、大人げない威圧的な態度でお子様達を怖い眼力で圧倒した後、クロさんの顔が私の首筋に沈んだ。――え?

 ひたりと、何か鋭い切っ先の感触を覚えた瞬間。


「あっ、……ぁあ、ぁ、……あ、ぁあっ」


「「「「「リシュナ!!」」」」


 予告もなく与えられたのは、冷たい夜風の気配を吹き飛ばし、現実の光景さえも忘れさせてしまうような……、恐ろしい程の耐え難い熱の奔流。

 傲慢なる吸血鬼の牙によって抉られた肉の奥から、その熱が急速に広がって私を苛む。

 知っている。知っている……、私は、この感覚を。

 レゼルお兄様に隷属化された、あの時と同じだ。

 彼らの与える何かが、私の存在を作り替えようとしている……!


「う、……ぁ、ぁあ」


 何で、こんな事……っ。

 フェガリオお兄様が私を助けようと声を荒げている気配がしたけれど、それもすぐに消えてしまう。クロさんの鋭い脅威の感触と、与えられる熱だけを生々しく感じながら……。

 ――自分の奥底で、何かが強く脈打ったような気がした。


「い、た、……ぃっ。ぁあっ……、背中、がっ」


「リシュナ!? おい!! 一体何をしたんだ!!」


「……黙って見ていろ、そう命じたはずだ」


「ふざけるな!! 現にリシュナは苦しんで、――っ!?」


 熱い……、熱い、痛い、痛い……、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!

 身体の全てが沸騰し、何もかもが溶かされていくかのような感覚と共に、私の背中に生じた激痛。

 これは、何? 正気を保つ事さえ忘れて、私は苦痛の声を空に響かせる。


「リシュナぁあああああああっ!!」


「はぁ、……あ、あぁっ、レ、……ゼ、……ル、お兄ぃ、さ」


「フェガリオ!! どうなってるんだ!!」


「俺にもわからん……っ。この男がリシュナに吸血行為を働いた瞬間、リシュナが苦しみ出した」


「吸血行為? 貴様……!! リシュナに何をした!!」


 聞こえる……。レゼルお兄様の、声、……聞こえ、る。

 苦しいのに、死ぬほど痛くて堪らないのに、叫び声も上げられずにいた私は、レゼルお兄様の声を頼りに、震える右手を伸ばしてその温もりを求める。

 助け、て……。レゼル、お兄、様……、私、を……、助け、て。


「お、おいっ!! り、リシュナの背中っ!! 背中からっ、何か出てくる!!」


「これは……、まるで、……鳥の、翼のような……、何なんですか、これはっ」


「白と……、黒の、つば、さ」


「リシュナ!! おいっ!! リシュナ!! しっかりしろ!! リシュナぁあっ!!」


 伸ばした手を、求めていた温もりが強く握り締めてくれた気がした。

 


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side レゼルクォーツ


「一体何なんだ……!! おい!! 説明しろ!!」


「封じられていた枷を強制的に外しただけだ」


「封じられていた枷、だと……? 何の事だっ!!」


「貴様らが知る必要はない。時期に覚醒時のショックも治まる」


 着ぐるみの頭部を投げ捨て駆け付け、苦しむリシュナの手を握り締めて焦っている俺に、その男は口元を拭いながら淡々と告げてくる。

 蹂躙派の流れを汲む、辺境の同族からも恐れられている男……。

 リシュナがこの男と一緒に現れた時、俺は本気で心臓が凍りつくかと思った。

 何故、こんな凶悪な吸血鬼の傍にいるのか。恐れ知らずにも程がある、と。

 覚えたのは、リシュナを案じる感情と……、そして、俺の知らないところで傷付き、自分から三馬鹿野郎共の手を取った妹への、苛立ち。

 俺の傍にいれば、掠り傷ひとつだってつけさせなかった。

 それなのに……、リシュナは俺の言う事を聞かず、勝手な事をして……、そして。

 

「……後で、お仕置きするからな。リシュナ」


 俺以外の吸血鬼にその身を差し出した妹に、自分の呟いた微かな音は、らしくない程に……、冷たかった。


「レゼル……? どうした?」


「ん? あぁ、いや、何でもない。それよりも、本当にリシュナは大丈夫なんだろうな?」


「二度も教えてやる程、暇ではない」


「嘘だったら、本気で殺るからな……?」


「ふん。貴様ら如き小者が相手になるものか」


 夜鴉(よがらす)の如き前髪を掻き上げながら嗤った男に、俺は本気で思っている。

 リシュナが万が一、その命を落とすような事があれば……。

 ――刺し違えてでも、俺はこの男を殺す。

 たとえ目の前の吸血鬼が、蹂躙派最強の、災厄の権化だとしても。

 そんな感情を抱いた自分に疑問さえ持たず、俺はリシュナを男の腕から奪い取り、大切な妹の頬を手に包み込む。


「リシュナ……」


 敵集団の大半はすでに撃退済みだ。この地を襲った別の領地の長達も、久しぶりにその姿を現した男の存在に怯え、すでに尻尾を巻いて逃げている。

 後は、ディル達の父親に任せておけば何も心配はないだろう。

 天獅竜と呼ばれたあの存在も、縛めの術によって身動きが取れずの状態だ。

 

「ん……」


 徐々に穏やかな呼吸を取り戻し、苦痛の気配がその顔から消え去った後……。

 ようやく、リシュナの瞼が開いた。


「はぁ、……レゼル、お兄、様?」


「大丈夫か? リシュナ」


「……私、は」


 リシュナの背中から生まれたと思われる、――白と黒を抱く両翼。

 グラディヴァース・ルデイドが解き放った枷とは、この翼の事なのだろう。

 そして、リシュナの額に浮かび上がっている……、謎の紋様。

 光を抱くそれは、穢れなき純白を銀の煌きが縁取るもので……。

 解かれたのがロシュ・ディアナのそれだと、すぐにわかった。

 ロシュ・ディアナ……。伝説の、白の種族。

 あの本に載っていた種族を示す紋様と、リシュナのそれは同一。

 俺の腕の中で周囲を見回したリシュナが、背中に生じている違和感に気付く。


「何ですか……、これ」


「翼だ。これでお前はロシュ・ディアナの力を使えるようになった。行くぞ」


「そのロシュ・ディアナって、何なんです、――きゃぁっ!!」


「おいこら!! 勝手にウチの妹を連れてくな!!」


「その為に覚醒させた。小娘を放せ」


 事もあろうに、蹂躙派のクソ吸血鬼は俺のリシュナをその首根っこを掴んで持ち上げ、我が物顔で飛び立ちやがった!! 勿論、俺もその後を追ってすぐに飛ぶ。

 囚われている天獅竜を目指し、真っ直ぐに向かっていく二人。


「おい!! リシュナに何をさせる気だ!! せめて、その辺の事ぐらいは説明を、うぉおっ!?」


 今度は会話の代わりに、攻撃用の魔術陣から刃を放ってきやがった!!

 それを寸でのところで躱し、背後から飛び込んできたその刃も身体を反らして避ける。

 だが、そのタイムロスを狙っていたのか、男はさらに速度を上げ、一気に俺との距離を引き離した。――あの野郎!!

 

「くそ……っ!!」


 大体、何でリシュナは俺に助けを求めないんだ!?

 あの男の腕に大人しく収まって、こっちを見ようともせずに天獅竜の方に向かっている。

 

「リシュナ……っ」


 せっかく、せっかく……、俺が迎えに来たのに、お前は一体何をやってるんだ!!

 詳しい説明もされず、他の吸血鬼に血を吸わせた挙句の果てに、今度は一緒に逃亡?


「レゼル!! 大丈夫か?」


「……はっ、ふふ、ふふふふふふ」


「れ、レゼル……?」


「なぁ、フェガリオ……。俺、この件が終わったら……、ちょっと、キレるわ」


「は? お、おいっ、レゼル!! 昔の目に戻ってるぞ……!!」


 リシュナ達を追いかけている俺の隣に並んだフェガリオと、お子様吸血鬼共。

 その目に映っている今の俺は、――さて、どんな顔をしているんだろうなぁ?

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