攻防の先で……。

「おや、何を不思議そうな顔をなさっているのでしょうねぇ……。――これは、ただの餌ですよ?」


 足元から凍りついてしまいそうな、残酷な微笑。

 天獅竜を自分のペットのように扱っている敵側の男が、大きく開いた竜の口を愉しげに眺めやった。その大きな体躯からすれば、あまりに物足りないだろう……、『餌』。

 紳士的な物言いながらも、嫌みな気配が強い男が合図をすれば……、天獅竜は自分の口の中でぐったりとしている二人の子供を丸飲みにしてしまう事だろう。

 全く知らない、恐らくは……、吸血鬼の子供達。

 敵側である三人の領主達の子供……、とは考え難い。

子供達を見る目が、獲物を甚振る殺戮者のそれだから……。

 ヴァネルディオさん達の動きを牽制する為の、皆殺しにする為の人質なのだろう。

 けれど、過激派の地においてその生き方に染まったヴァネルディオさん達にとって、今の在り方は、『弱肉強食』。自分の子供以外に、果たしてその情は働くのか……。

 地上にある町での戦いにおいても、襲われている町の人達を助けるというよりも、領地への侵略者を強制的に排除している、という印象が強かったように思う。

 ティア君のお父さん達も、負傷しながら縋り付いて助けを求めてくる町の人達を気遣うような感情を見せなかったし、弱ければ死んで当然と……、そう口にしていた。

 だから、ヴァネルディオさん達が選ぶ道は、多分。


「――はっ!! ガキの一人や二人、好きに喰わせりゃいいだろうが!! このクソ領主共!!」


「……やっぱり」


 ガックリと、オルフェ君のお父さんの腕に座っていた私は肩を落とした。

 混血児の友人に裏切られた時から、優しさや情を捨てた吸血鬼……。

 強ければ生き残り、弱ければ死ぬ。そのシンプルで残酷な法則に、彼らは従って生きる事を決めた。だから、目の前で誰が死のうと、殺されようとしていても、ヴァネルディオさん達は心を揺らさない。……揺らせない。そういう立場だ。

 けれど、そうと決めている彼らの心の奥底に、見えたものがあった。

 私を支えてくれているオルフェ君のお父さんの……、微かな震え。

 決して気付かれる事のない、触れ合っていないとわからない程度の、些細な変化。


「……あの子供達を、助けないんですか?」


「……弱ければ、死ぬ。ガルシュアナの掟だ」


「ですよね……。はぁ」


 答えは勿論わかっていた。 

 たとえ本音では違っていても、そうするわけにはいかない事も……。

 でも、だからといって、私がここで引き下がる理由には、ならない。


「あの子達を、助けてください」


「無理だ」


「助けてください」


「駄目だ」


 これも、予想通りのわかりきった押し問答。

 外の世界から来た私が何を頼もうと、誰も、何も、聞いてはくれないだろう。

 無力な子供が人質にされていようと、見殺しにするのが正解……。

 そんな、彼らにとっての当たり前の世界が……、私にとっては何よりも憎いと思える現実。

 だから、私も手段は選ばない。


「助けてください。あの子達を、天獅竜を」


「無理だと、そう言っている……。聞き分けろ」


「勘違いしないでください。今の私の言葉は、このお願いは、私からであって、私だけのものじゃありません」


「……何?」


 大人の吸血鬼達と違って、抗う術(すべ)を持っていなかったのだろう、見知らぬ子供達。

 そして、詳しい事情を知る事が出来ないながらも、支配下に置かれている天獅竜。

 どちらも傷付けてはいけない。どちらも、無事な姿で救出しなくてはならない。

 ――天獅竜を、穢れさせてはならない。


「この国の王様が言ったでしょう? 貴方達三人には責任を取らせる、と。その責任を、まだ取って頂いてはいません。だから、それを今、使います」


「国王の権威を、お前のような小娘が振りかざす、というのか……?」


「違います。国王様から与えられた私の権利を、今この場で行使するだけです」


 この卑怯者が……!! そう言いたげな鋭い視線を向けられても、私は引かない。

 国王様が与えてくれた切り札を使ってでも、あの子供達と天獅竜を敵の手から取り戻す。

 そうしなければ、後悔する……、いや、取り返しがつかない事になってしまう。

 

(……もしかしたら、もう、遅いのかもしれないけれど)


 その身を黒へと変じた天獅竜。あれは、無理矢理に元々の性質を作り替えらえた証拠。

 元に戻せるのか……、正直言って、それはわからない。

 だけど、一刻も早く、人質となっている子供達と一緒に天獅竜を保護しないと。


「天獅竜とあの子供達を……、どうか、無事に助け出す力を貸してください」


「……む」


「無理なんて言える立場じゃありませんよね? 国王様に言いつけますよ」


「……卑怯だ」


 卑怯も汚いも、このガルシュアナ地方においては当たり前の事なのでしょう?

 薄く微笑みながら『命令』を押し付けた私に、子守り役に徹している吸血鬼は渋い顔をして溜息を零した。そして、睨み合っている敵側と、自分の友人達に視線を流し……。


「少し、待っていろ……」


 戦場の真っ只中で瞼を閉じたオルフェ君のお父さん。

 注意をヴァネルディオさん達が引きつけているとはいえ……、あまりにも無防備な姿だ。

 これでは、敵に隙を見せつけているようなもの。


「あの……っ」


「――わかった」


「え?」


 それは、オルフェ君のお父さんを標的と定め、敵の一部が群れを成して襲いかかってきた瞬間の事。

 波紋にもならない静かな音を合図に、私は力強い腕の感触によって遥か頭上へと投げ放たれた。

 支えのなくなった身体。赤い、赤い、淀んだ炎に嬲られながら居座る夜空。

 人形にでもなったかのように空(くう)を踊ったかと思った直後、恐怖感を感じる暇もなく、私の身体は吹き荒れた突風に巻き上げられ、すぐにまた支えのある場所へと戻った。


「乱暴な事をしないでください……」


「気を遣ったつもりだ……。行くぞ」


 荒々しい風の中、私の腰に腕をまわして自分の肩に担ぎ上げたオルフェ君のお父さんが見やったのは、血渋きをあげながら地上へと向かって落ちていく敵側の吸血鬼の姿。

 殺られなければ殺られる。その掟に沿った、容赦のない片付け方だ。

 担がれた状態で周囲を見渡せば、ヴァネルディオさん達も同じように宙を駆け抜けながら、交戦状態を再開させているようだった。


「お前の言葉は、国王の意思としてディオ達に伝えた……。結果的には、従う、という方向になったが……、無傷で救い出せる保証はない」


「多少の事は覚悟しています。――お願いします」


 数多くの敵に四方を包囲された状態で、自由に何事もなく動けるとは思っていない。

 何も出来ない身でありながら、無茶を言っているのも、承知の上……。

 やっぱり私には、このガルシュアナ地方の在り方を頭でわかってはいても、受け入れる事が出来ない。

 自分達が生き残るために、それ以外の全てを切り捨てる非情さ。

 幼い命を盾に取られても、揺らす事を許されない、……その、悲しい宿命を。

 そうでなくてはならないという心と、そうありたくはない、という、本音。

 頷いた私を見つめながら、オルフェ君のお父さんの双眸の奥に……、一瞬、穏やかな光が浮かぶのを見た。少しだけほっとしているような、心が在るべき道へと戻ってきたかのような……。

 

「尽力はする……」


「ありがとうございます」


 きっと激戦になるだろう。

 邪魔にならない場所に避難出来ればいいのだけど、どこに行けば……。

 と、オルフェ君のお父さんに尋ねようとしたら、最悪な事に、――。


「きゃああああああっ!!」


 お荷物状態で担がれたまま、待ち構えている敵のど真ん中へと突撃させられる羽目になってしまった。

 真っ黒なキャンバスに、鮮血と阿鼻叫喚の絵の具をぶちまけるかのように……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「おらぁあああっ!! 二人目ぇえええっ!!」


「グガァァアアアアア!!」


 恐るべし、国王様の絶対命令の威力。

 少々? 卑怯な手を使ったとは思うけれど、その威力は絶大なものとなって確かな結果をもたらしてくれた。

 ヴァネルディオさんの率いる討伐隊と、天獅竜と子供達を盾に汚い攻撃手段の数々を用いて猛攻を繰り広げた敵側の軍勢。

 オルフェ君のお父さんに担がれた状態で戦場を駆け抜け、時に放り投げられたり、地上に真っ逆様になったり、胃の中がぐちゃぐちゃに振り回されるような目にも遭ったけれど、このくらいは当然の事と思って諦める事にした。

 

「うぅ……」


「……気遣って動いたつもりだ」


「ご、ご丁寧に……、どうも」


 鬼神無双の如き怒涛の勢いで連れまわされた気もするけど、まぁ、それも横に置いておこう。

 私を担いでくれているオルフェ君のお父さんも、ヴァネルディオさん達も……、酷く、傷だらけの状態なのだから。

 私も顔や一部の肌に傷を負っているけれど、彼ら程ではない。

 

(ちゃんと守ってくれた……。私も、子供達も、天獅竜も)


 だから、文句なんか言わない。

 国王様の存在を盾にとっての無理強いだったのに、彼らは私の願いをちゃんと聞き届けてくれた。

 子供達は無事に救い出され、四面楚歌となっていた状況が見事にひっくり返っている。

 後は……、天獅竜を気絶させ保護するのが先か、敵側の領主達を討伐するか、捕まえるのが先か……。


「はぁ、はぁ……っ。クソッ、すげぇ手こずったじゃねぇかよっ」


「同じく。……はぁ。ですが、国王陛下に仕置きをされるよりはマシですからね。使える手札をしっかりぶつけてくる小さなレディには恐れ入りましたけど……」


 本来であれば、選ぶ事を許されなかった道。

 それを、私が国王様の存在をぶつけて、無理矢理に走らせた。

 ヴァネルディオさんやティア君のお父さん達は肩で息をしながらも、遠目にはこう見えたように思う。


(心を殺して敵と対峙している時よりも、晴れやかな表情に見える……)


 それはきっと、ヴァネルディオさん達も本心では子供達を助けたかったから。

 でなければ、あんな清々しい笑みや、瞳の輝きが表れるわけがない。

 けれど、それはほんの僅かな間の事で、苦渋に満ちた気配を醸し出している敵側の領主達に視線を据えると、また冷ややかな気配に身を委ねてゆくのが感じられた。


「さぁて……、容赦なく八つ裂きにしてやるから、来いよ? クソ野郎共」


「ふんっ!! ほんの余興を味わったくらいで何を粋がっている? この紛い者共が!! 貴様らなど、他者の為に動いた段階で、所詮は落ちこぼれのクズよ!!」


「あんだと!! ごらあああああっ!! ガキを盾に取りやがった段階で、テメェらの方がクソ弱ぇって証明したようなもんだろうが!!」


 紛い者……。

 同じガルシュアナ地方で生まれながらも、その根本が大きく違う双方。

 一方は、他者を蹂躙し、切り捨て、自分の為にだけ生きる冷酷な在り方が当然の命。

 一方は、他者を思い遣り、平穏の中で生きながらも……、やがて、生き方を変えるしかなかった、哀れな命。

 双方の在り方は、とてもシンプルだ。

 敵側の領主達は、過激派の生き方を完全に受け入れ、何の疑問も抱いていない。

 けれど……、ヴァネルディオさん達は違う。ガルシュアナ地方の生き方に、『擬態』しているだけの存在。――この差は、とても大きい。

 さっき、子供達を助ける為に頑張ってくれたヴァネルディオさん達の表情。

面倒そうにしながらも……、その姿に嘘はなかった。

 

「やっぱり……」


「どうした……? ――っ!!」


 ある事を私が悟った直後、オルフェ君のお父さんがそれに対処するよりも先に……、事態は急展開を見せた。

 何の手加減もなく、引っ張られた私の後ろ襟首。

 勢いをつけて空高く放られた私の身体。事態を把握する暇もなく……。

 

 ――私の視界は、紅蓮の炎に炙られる淀んだ空から、真っ暗な世界へと呑み込まれていった。

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