天獅竜
『おやおや、これはこれは……。あの野良犬を仕留めるつもりが、貴様達も居合わせてくれるとは……、ふふ、今宵は運が良いようだ』
『領主を仕留めてしまえば、後は有象無象の衆よ。さっさと捻り潰してやってはどうかのう?』
『いやいや、これまで手を焼かせてくれたのですから、時間をかけて、たっぷりと……、嬲り殺しにしてやりましょう。ねぇ? 各々方』
空(くう)に響く、見知らぬ誰かの声。
それぞれに声や口調が違う。男性の声が二つ。女性のものがひとつ。
どこかで高みの見物でも決め込んでいるのか、姿はどこにも見えない。
「なるほど……。ガウベラ領主、メルツィナ領主、ディゼイラ領主、ですか」
「声だけでわかるんですか?」
物騒な言葉を吐いた謎の声の正体にも動じず、ティア君のお父さんは私の問いに頷いた。
オルフェ君のお父さんも、私を抱えているのとは反対の手に剣を構え、「あぁ、アイツらか……」と、こちらはどこかうんざりとした気配が感じられる。
「私は、一度会った者や聞いた声など、決して忘れる事はありません。領主の集まりでも、たまに言葉を交わす者達ですが……。互いの領地に戻れば、敵同士である事に変わりはありません」
「過激派の地は、奪い合い、殺し合い、何でもありだからな……。俺とフィオの領地も、この地も、度々他の領主達の脅威に晒されている」
「けれど、今回のようなケースは稀です……。別領地の者と力を合わせて攻撃を仕掛ける、などという他者を頼るような真似を嫌う者が多いのですけどね……。どんな気まぐれを起こしたのだか」
領主が、三人……。過激派の吸血鬼達を束ねる、各領地の長が、三人も……。
結界により閉じられた世界の中、勝ち目があるのかどうか、私には全くわからない。
こちら側も、一応は領主が三人揃っている状態ではあるけれど、ギリギリの状態にならないと助けの手を出さないようだし……。
その緊急事態に陥らない限り、敵領主三人に対し、こちら側は領主一人だけの抗いとなる。
「大丈夫……、なんでしょうか」
「少なくとも……、ディオが気を失うか、動けないぐらいに追い込まれない限りは、私達も助力する事が出来ませんよ」
「勝手な事をすると……、ディオは怒る。物凄く」
「本気で怒ったディオは手がつけられませんからねぇ……」
空から落ちてくる嘲りの声にヴァネルディオさんが荒々しく悪態をつき、結界を破ろうと奮闘している姿が視界に映る。
混血児の友人に裏切られ、領地と家族を窮地に追いやってしまった……、哀れな吸血鬼。
もう二度と、過去の悲劇を繰り返さない為に、ヴァネルディオさんは心からの信頼と、温かな心を捨てた。
それは必要な事。犠牲を出さない為の、傷付かない為の、望まなかったはずの、苦痛の道。
「それでも、……貴方達と一緒にいるという事は、まだ、希望はある、という事ですよね」
「どうでしょうかね……。ディルは、いいえ、私達は……、狂わない為に、時折だけ会っているようなものですから」
「狂わない為……、ですか?」
「ええ。私達は、過激派の地に生まれた吸血鬼にしては、代々、気性が温厚な者が多い家に生まれました。文献によれば、このグランヴァリア王国を統一した吸血鬼達に限りなく近しいとされた考えの持ち主達が、あえて過激派の地に留まった……、と、そう記されており、それが私達の祖先なのだそうです」
力での蹂躙を絶対としていた過激派の吸血鬼達……。
その中にいた、異分子……。
ティア君のお父さんは結界の外から内側へと侵入してきた魔物の類を自分達に近付かないよう牽制しながら語り続ける。
過激派の中に在って異端とされていた彼らの祖先達は、他(た)の領土を侵さず、自領の守りだけを固めて永い時を平穏に暮らしていたのだそうだ。
「私達の祖先が定めた地は、決して他の領主達に侵される事はありませんでした……。あの頃までは」
「俺達の領地がそれぞれに平和と平穏を永く享受してこられたのは、祖先の遺した遺産の力だ……。それが領土全体を守る結界となり、害意のある者は立ち入りを許されない……。その結界が、徐々に力を失くし始め、敵の侵入を許すようになってしまった……」
「それからですよ……。別領地からの脅威に抗う日々を送るようになったのは。結界の修復も試みましたが、かつての強大な守りを常時発動させ続ける事など、その子孫である我々には無理でした。祖先のような力もなく、平穏の中で守られ過ぎていましたからね……」
丁度その頃の話だったらしい……。ヴァネルディオさんが混血児の男性と出会い、友となり、……裏切られ、領地を蹂躙されたのは。
結界の件と、ヴァネルディオさんの身に起きた悲劇。
やがて、三つの領地は在り方を変え、……領主達は心を凍りつかせてしまった。
「私達三人は、それぞれに抱えている事情が異なりますが、共通しているきっかけの始まりは、結界の緩みと、この身の内に眠る……、凶悪な性(さが)です」
「それは……」
「グランヴァリア王家と、それに連なる者達と、ガルシュアナ地方に追いやられた吸血鬼の種族は異なるのですよ。温厚で平和主義な彼らに対し、私達の種族は力に固執し、蹂躙や殺戮を愛する者が多く、たとえ考え方を変えたとしても、その性(さが)は一生我が身に付き纏うのです」
「だから……、その種族性に目覚めてしまった俺達は……、グランヴァリア王の世話になっている」
私が国王様の力で垣間見た、ヴァネルディオさんが豹変した時の記憶。
過激派の生き方を先祖代々違えずにきた人達とは違い、ヴァネルディオさん達は急激に目覚めた自分達の種族性に抗う術(すべ)を持たなかった。
突然襲ってくる凶悪性や、血を見たいという狂気じみた渇望。
それを抑える為に必要な事が、国王様に頼る事だと……。
「陛下は偉大なる我が世界の王。そして、私達の種族とは真逆の力を秘めた存在でもあるのですよ」
「文献によれば……、グランヴァリア王家の吸血鬼は、俺達の種族性を宥め、その凶悪性を弱める力があるそうだ。そして、その記述通り……、国王の力は、俺達を救ってくれるものだった」
「国王様に戦いを挑んでいた事も、必要な事、なんですか?」
「陛下はですね、見抜いていらっしゃるのですよ。私達がその力を味わい、身の内に眠る種族性を抑えたがっている事を……。ですが、普通に助力を求めたのでは、また問題が生じます。だからこそ、襲撃という形をとって、返り討ちに遭っては、また襲撃の日を定め……」
それ……、物凄く面倒じゃありませんか? とは、一応言わずにおいた。
でも、これで納得出来た。王宮に襲撃を仕掛けに来た際、簡単にやられるような醜態を演じていた事。ところどころに垣間見えた、矛盾した態度や、意味深な表情。
この人達はきっと、救いを求めながらも、複雑な迷路の中で足掻き続けている存在なのだろう。
望まぬ道を、歩かされている……。そうしなければ、何も守れないから。
「陛下にお会いできない時は、ディオとラヴァル、そして、私の三人で会う日を作っています。ディオの作った薬を分けて貰う為に。まぁ、残りの三割は昔からの腐れ縁故でもありますが」
薬は身の内の狂気を抑え、友人と会う事で精神的な安定を図る、という事なのだろう。
今度は大口を開けてこちらへと襲いかかってきた竜のような生き物に、オルフェ君のお父さんが剣を一閃させ、大きなその竜頭を地上へと向かって斬り落とした。
すでに結界の内側は敵側の吸血鬼と魔物達で溢れ返っており、そろそろのほほんと話している暇はなくなってきたようだ。
「ふぅ……。ともかく、私達の子供を貴女が育てるという提案は、あの子達を、この地の民を、将来的に殺してしまう、という事を覚えておいてください。小さなレディ」
「……」
「お前が口にしている理想論は……、ガルシュアナ地方では通用しない」
自分達の在り方を変える事は死を意味する。
そう、諦めきった冷たい声音で告げると、大人二人は襲い来る魔物達の間を猛スピードで駆け抜け、紅星の世界を築けあげていく。
どこもかしこも、耳を塞ぎたくなるような声や音ばかり……。
確かに、ガルシュアナ地方の現実は酷い。卑怯を、汚さを知らなければ、すぐに喰らわれてしまう。わかっていたはずの現実。わかっていたはずの、これからの事。
それでも、私がこの人達について来たのは……。
喉まで出かかっている言葉は、硝子を叩き割るような大きなそれに遮られ、意味をなくした。
「はぁ、はぁ……、フィオ!! ラヴァル!! そのガキ連れて、先に出ろ!!」
結界を破られた事で生じた異変は、見えないはずの壁を真っ赤に彩らせ、その一部が大きく穴を開けていた。
オルフェ君のお父さんが私をしっかりと抱え直し、頷いたティア君のお父さんと一緒に穴を飛び出して外へと逃げ延びる。
他にも次々とヴァネルディオさん側の吸血鬼達らしき人達が結界の外へと逃れてゆく。
「残念、だったな……。次は全部ぶっ壊してやる!!」
『ふんっ、この死にぞこないめがっ!! 抗えばろくな事がないというのに……』
『まぁまぁ、そう仰らずに。しぶとい方が、これまでの鬱憤を晴らすのに丁度良いではないですか。所詮は、永き時を結界などに守られて平和ボケしていた者達の末裔……。我らとは似て非なる存在だと、骨の髄までわからせてやりましょう』
「ゴチャゴチャ、うっせぇんだよ!! さっさと出てきやがれ!! このクソ野郎共がっ!!」
咆哮のように猛々しいヴァネルディオさんの声。
『ふふ、活きが良い子じゃ』
あくまで嘲笑の気配でこの状況を愉しんでいるらしい女性の声と共に、炎の揺らめきを受けて赤く染まった月を背に、三人の人影が現れた。
濃い紫の色を纏う長い髪のグラマラスな女性と、立派な髭を蓄えた男性、それから、綺麗な顔つきをしているのに、どこか嫌味的な雰囲気が漂う男性の三人……。
「いい加減に、我らに尻尾を振ってみてはどうじゃ? そうすれば、お前達の領地を蹂躙した後に、領主代行の名目で生かしてやっても良いぞ。ふふ、我らの犬になぁ」
「ざけんなぁあっ!! 誰が尻尾なんか振るかよ!! 先にテメェらをぶっ殺して、二度とこんな真似が出来ねぇように、躾けてやらぁあっ!!」
「ふふふふ……、威勢の良い犬ですねぇ。ですが、勝てませんよ。さぁ、いらっしゃい……、私の可愛い、――」
嫌味なのか紳士的なのかどっちつかずの男性が自分達の背後を振り返り、パチンと指を鳴らした。
すると……、夜闇の空間を捻じ曲げるかのように大きな歪みが生じ。
「あれは……、竜? いえ、ですが……、何かが、違う……」
「似てはいるが……、グランヴァリアには生息していない生物だ。気配が、この世界の者では、ない……」
「あ、……れ、は、……あれ、は」
「どうしました、レディ?」
結界の中で私達に襲いかかってきた竜よりも何倍も大きく、夜の世界を埋め尽くし、月の姿さえも浸食した、謎の生き物……。
その姿は確かに竜と似通っているけれど、あの額にある紋様と宝石は……。
「どう、して……、あれが、ここに、いる、の?」
「レディ? あの生き物を知っているのですか?」
オルフェさんの胸にしがみつきながら、私はぎゅっと瞼を瞑った。
あれは、あの漆黒の生き物は……、色こそ違うけれど、あの紋様と宝石は。
――私が、幽閉されていた時に外へと出され、何度か見た事のある生き物に、よく似ている。
清浄な空気と、美しい景色の中を飛んでいた生き物。
それを間近に見たのは、私が『協力者』の人に助け出された時の事……。
私はアレに乗って、人間の世界へと逃げ延びる事が出来た。
でも、あの時の子は『協力者』によって何処かへと隠され、誰かに利用される事はないはず。
なら、私の目の前にいる漆黒の竜は……、何?
同じ紋様、同じ宝石、同じ姿、違うのは色だけ。
「多分、ですけど……、あの生き物は、グランヴァリアにも、人間達の世界にも、いないはずの存在です」
「見た事があるのですか?」
「はい……。私の……、家族が、そう言っていたのを、よく覚えていますから……。でも、色が違うんです。本来は白銀の色を纏っているはずなのに、今目の前にいるあれは……」
「なるほど……。レディの話が真実だと仮定すれば、考えられる答えはふたつ、ですね」
そこに在る命全てを震え上がらせるような謎の生き物の気配に怯えながら話をしていると、ティア君のお父さんは敵だと認識している三人の領主達を冷ややかに睨み付け、少し大きな声で話しかけた。
「魔物や竜の類に助けを求めるとは……、ガルシュアナ地方の吸血鬼にあるまじき醜態ですねぇ? ご自分達でディオ、いえ、私達を倒せないと判断なさったのでしょうか?」
「なっ!! この小童が!! 我らのような高貴なる者が貴様達など本気で相手にするわけがないであろうが!! 貴様らなど、下賤の魔をぶつけるのが丁度良いわ!!」
「馬鹿言ってんじゃねぇぞ!! クソ髭野郎!! 俺達の領土に侵攻して返り討ちに遭いまくってんのに、何寝言ほざいてんだぁああっ!!」
「ディオ、落ち着きなさい。下種な者達にどんな感情を向けようと、疲れるだけですよ。ねぇ? ガウベラ領主、メルツィナ領主、ディゼイラ領主」
ティア君のお父さんの方が、感情を荒げない事も手伝ってか、その嘲笑は恐ろしく凍えるような冷たさと、鋭い刃を秘めているような印象を周囲に与えている。
三人の領主達も、下に見られた事を不快に思ったらしく、凄まじい殺気をわかりやすく発し始めた。
「フィオ……、煽ってどうする」
「ふふ、私は正直な感想を述べただけですよ。それよりも……、あの漆黒の竜、少々手こずりそうな気がしますね。恐らくは、別世界からのはぐれ。そして……、先程の台詞から推測しますと、ディゼイラの領主に洗脳か調教でも受けているのでしょう。首や手足に専用の拘束具がつけられていますからね」
「はぐれ……。あの世界からの、迷子」
私が無事に人間達の世界に辿り着いた時、『協力者』は言った。
幽閉されていた場所と、こちら側は完全に違う世界だと……。
正確には、人間達の世界と私が幽閉されていた世界は、とても近くにある関係で、行き来が可能であるという事。人間達の世界から行く事は難しく、資格のある者だけが、私の囚われていた世界への訪問が可能である事。
そして、……その反対は、資格などいらない、という事。
だからこそ、あの竜に似た異界の生き物は人間の世界、いや、吸血鬼達の世界へと渡って来られたのだろう。
ただ、私を逃がしてくれたあの時の子じゃない事だけはわかる。
「ディオ、そこの三人は貴方だけでなく、私達にも喧嘩を売りました。ここからは、一領主として、戦いに加えて頂きますよ」
「ふんっ、好きにすりゃいいだろうが。あのクソ野郎共をどっちが先に仕留められるか、勝負だ!!」
「ディオ、フィオ……、俺は」
「「子守りに徹してろ!!(徹していてください)」」
私は子供じゃありません。……と、ツッコミを入れられる雰囲気でもないかと何度目かの諦めを覚えた私は、オルフェ君のお父さんに寂しげな視線を向けられてしまった。
「すみません……。お荷物で」
「……はぁ」
きっとヴァネルディオさん達と一緒に戦いたいのだろう。
悲哀と残念さに満ちた視線を受け止め、私は気まずげに視線を逸らす。
……あ、そうだ。戦いの前にひとつだけお願いを。
「ヴァネルディオさん!! あの竜を、絶対に殺さないでください!!」
「あぁ? ぶっ殺すに決まってんだろうが!! 今日の晩飯決定だ!!」
「駄目です!! あの子は、本当は気性が穏やかで、誰かを傷付けるような種族性じゃないんです!! きっと、操られているだけですからっ、だから、殺さない、――けほっけほっ」
うぅ……、喉が痛い。
滅多に大声を出す事のない私には、これだけでも結構なダメージだ。
その上、人が頑張って大声で懇願したというのに、ヴァネルディオさんはひとつも考慮してくれず、ティア君のお父さんや部下の人達と一緒に謎の竜へと挑みに行ってしまった。
殺してはいけない、殺してしまえば……、天罰が下る。
『協力者』から聞かされた、あの生き物に纏わる伝承。
閉ざされた世界に生息している、数の限られた貴重な……、天獅竜(てんしりゅう)。
神の使いとも称されている天獅竜を屠る事は、神の愛しき眷属を殺す事と同義。
それが現実となる時……、神の裁きが振り下ろされる。
だから、絶対に、絶対に……、天獅竜を害してはならない。
「あ、あぁっ、やめ、やめ、やめてぇえええええええええ!!」
オルフェ君のお父さんの腕の中から右手を伸ばして、喉が引き裂かれそうな痛みを覚える事も構わず、私は叫んだ。
そして……、襲い来るヴァネルディオさん達を前にした天獅竜が、その大口を開けた時。
さらなる災いが私達の心を凍りつかせたのだった。
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