襲撃

「ギャァアアアアアアアアッ!!」


「おらぁああっ!! 威勢良く俺様のテリトリーに乗り込んだんだろうが!! 全員ぶっ殺してやっから逃げんじゃねぇよ!! このクソ野郎共がぁああっ!!」


 ……何という、阿鼻叫喚のグロテスクカーニバル。

 ディル君のお父さんであるヴァネルディオさんにくっ付いてやってきた、フォルネの町。

 住人達の悲鳴や、闇を侵食する激しい炎のゆらめき、そして、……断末魔の絶叫。

 視界の中を勢いよく飛び散る鮮血と、地面に倒れてゆく吸血鬼達の屍。

 ティア君とオルフェ君のお父さんの間で傍観者と化していた私は、家族を失ったあの日の光景と目の前のそれらを重ね合わせ、ゆらりと……、身体が傾きそうになってしまった。

 それを紳士的なティア君のお父さんが片手で支え、「やっぱりこうなりましたねぇ」と、呆れまじりの視線を寄越してくる始末。

 覚悟して同行したつもり……、だった。

 過激派と呼ばれる吸血鬼達の世界がどんなものか、納得した上で……、ここまで来たつもりだったのに。

 

「うぅっ……」


 フォルネの町を奪おうと襲い掛かった別の領土の脅威は、ヴァネルディオさんやその部下である兵士の人達によって、確実に収束へと向かっている。

 犠牲なしには片付かない、血生臭い争いの世界……。

 町の中には侵略を受けて傷付き、苦悶の声を漏らしながら倒れている人達も多くいる。

 勿論……、すでに絶命し、物言わぬ屍となり果てた人達も、敵味方を問わず、そこかしこに。


「……っ、くぅっ、……うっ、はぁ、はぁ、っ」


「小さなレディ。戻りましょう? 貴女のような幼子には、所詮私達の世界は壁を隔てた向こう側の事……。理解も、受け入れる事も、容易ではありません」


「はぁ、……うっ、だ、大丈夫、です。私は……、自分で決めて、ここまで来たんです。だから、どんなに凄惨な光景でも、最後まで……、見届けます」


「レディ……」


 ティア君のお父さんの手から逃れ、私は一歩前に出た。

 今にも意識を失ってしまいそうな、恐ろしい血濡れた世界……。

 弱き者は強き者に服従し、財も命も、何を奪われても文句は言えない。

 だから、奪われない為に、必死で抗い続け……、強き者に成り代われるように足掻き続ける。

 その必死な思いは、一度奪われた者であればさらに、強さへの執着は強くなり、敵への容赦も慈悲も、消え去ってしまう。

 まるで違う……。グランヴァリアの王宮でみせた、ヴァネルディオさんの弱さ。

 思った通り、あの人は……、最初からグランヴァリアの国王陛下に本気で挑んでなどいなかった。

 むしろ、わざと弱いふりをして、茶番を演じてきただけ……。

 でなければ、次々と別領地の兵士達から鮮血が噴き出す事などなく、ヴァネルディオさんは到着直後に屍の立場となっていたはずだから。

 そして、私の背後に佇み、ヴァネルディオさんに対して何の手助けもしていない二人も……。


「死ねぇえええええ!!」


「――っ!!」


 野太い叫び声が響いた瞬間の出来事。

 私達の頭上に現れた、凶悪な顔つきをした吸血鬼達。

 獲物と認識された私達へと鋭い爪や牙に夥しい量の血を纏ったそれらが定められたのを瞳に映した直後……、ティア君のお父さんが小さく何かを呟くのが聞こえた。


「本当に……、うんざりしますね」


 どこか寂しげな、何かを諦めているかのような……、静かな声。

 ティア君のお父さんが軽く右手を払った瞬間に響き渡った、絶命の旋律。

 一体何が起こったのか、それを自分の視界に映し出す前に、今度はオルフェ君のお父さんが私をその場から攫い、空中へと飛び上がっていた。

 力強い腕の感触に包まれ、顔をその逞しい胸板に押し付けられてしまう。


「んっ、……な、何をするんですかっ」


「俺は、俺達は……、自分達の生き方を変える気はない。だが……、幼い子供が血塗れになる事は、好まない」


 感情の起伏が感じられないと思っていたオルフェ君のお父さんの声音に変わりはない。

 けれど……、私の身体を抱いている腕の感触が、この人の胸の鼓動が……、私に何かを伝えようとしているかのように感じられて……。

 熱気と血の生臭さを含んだ夜風を受けながら、押さえつけられていた力が微かに緩んだのを見計らい、私は下を覗き見た。

 私達がさっきまでいた場所……、そこに、肉片となった血塗れの何かが、沢山、転がっている。

 その場所で息をしているのは唯一人。自分の頬に飛び散ったらしき紅を指先で拭い、心の底まで凍りついてしまったかのような双眸で肉塊を一瞥している……、ティア君のお父さん。

 足元に広がる血だまりの中にあっても、彼の身を汚したのは頬に飛び散った僅かな紅だけのようだ。

 眼下に見えるティア君のお父さんは、最初に出会った時のようなナルシスト風味の気配も、女性にダラシのなさそうな気配も、一切ない。

 過激派の吸血鬼に相応しい、圧倒的な力での蹂躙……。

 私達のいる方へと視線を寄越したティア君のお父さんが、魅入られてしまいそうな程に艶やかで危うい笑みを向けてくる。


「やっぱり……、強いんですね」


「でなければ……、とっくの昔に俺達は死んでいる」


「……誰も信じず、力のみを追い求めたから、ですか?」


「そうだ……。たとえ己の領地の者であろうとも、それを守りながら……、俺達は守るべき者さえも疑い、その動向を監視し続けている」


 それは、この過激派の地で生き残っていく為の、当然の在り方なのだろう。

 わかっていた、わかるように、国王陛下から教えられた……。

 でも、それでも……、私がヴァネルディオさん達について来たのは……。

 オルフェ君のお父さんに抱えられ、町の中へと戻りながら……、もどかしさにも似た感覚を胸に覚える。


「やれやれ。私の美しい顔にくっさい不細工吸血鬼の匂いがついてしまいましたよ。あぁ、最悪です」


「フィオ……、安心しろ。お前も十分に臭い」


「はっ!? 私のどこが臭いんですか!!」


「その鬱陶しい性格が、とてつもなく臭い……」


「なぁああっ!! 性格に匂いなんかあるわけないでしょうが!! ふんっ、私よりも、貴方の方が臭いですよ!! 筋肉質でムキムキの、武術馬鹿の男臭い匂いがね!!」


 血だまりを避けて少し離れた一本の大きな木の下に辿り着くと、こちら側にやって来たティア君のお父さんとオルフェ君のお父さんが意味不明な喧嘩を始めてしまった。

 どちらが臭いかを争っているようだけど……、血生臭い絶命の気配と焦げ臭いそれら以外は、特に不快な匂いはしない。

 

「あの……」


 きっと、ただのじゃれあいなのだろう。

 けれど、こんな恐ろしい戦火の充満した町の中で油断するのはどうかと思う。

 ついには互いの頬の肉を引っ張り合って罵り合い始めた大人二人に声をかけたものの、……駄目だ、自分達以外に全然意識が向いてない。

 その代わり、町の中をうようよと徘徊している敵側の吸血鬼達が目をぎらつかせて襲いかかってくると、それを見もせずに次から次へと滅してしまう。手のひとつも動かさずに。

 何故私の声には反応してくれないのに、そっちには反応するのだろう……。理不尽だ。

 それから十分ほど……、喧嘩に飽きた駄目な大人二人がようやくヴァネルディオさんの後を追う事を決め、私を伴って町の奥へと向かい始めた。

 道行く過程で何人、何十人もの死体を目にするのはきつかったけれど、過去の映像と現実の光景の違いは、絶えず私の心を抉りつけてくる。


「――あぁ、いましたね。ディオ! 片は着きましたか?」


「……」


「ディオ?」


 半壊している民家や屍の群れを通り過ぎ、石階段を上った先にある広場らしき場所に辿り着くと、血塗れになっているヴァネルディオさんの姿やその部下である人達の群れを見つける事が出来た。

 けれど……、その足で踏み付けている死体を見下ろしていたヴァネルディオさんは、何かを思案する事に没頭しているかのように、ティア君のお父さんの声に気付かない。

 戦闘が行われていないという事は、事態は収束を迎えたという事……。

 それなのに、この場に漂う緊迫した空気は何なのだろうか。

 私達は三人揃って顔を見合わせ、ヴァネルディオさんの近くへと歩みを進めた。


「どうした……? ディオ」


「……げ、ろ」


「何ですか、ディ」


「今すぐこの町から逃げろ!! 早く!!」


「「「――っ!!」」」


 町中に轟くかのような、ヴァネルディオさんの切羽詰まった怒号。

 逃げろ? どうして? 戦いは終わったんじゃ……。

 疑問を口にしようとする私を、オルフェ君のお父さんが片腕に抱えてあっという間に空の世界へ……、飛び立とうとして、見えない何かに弾き飛ばされた。


「きゃああっ!!」


「くっ!!」


 雷撃を喰らったかのように強烈な痺れが身体中を駆け抜け、衝撃の際に私の身体はオルフェ君のお父さんの腕の中から地上へと向かって投げ出されてしまう。

 赤く揺らめく炎に彩られた空、上に向かって波打つ私の髪……。

 私の周りに生じた荒れ狂う風が何もかもを舞い上げ、私を一直線に地上へと突き落としてゆく。


「ぃ……、や、ぁっ、……ぃ、さま、レゼルお兄様ぁああああっ!!」


 レゼルお兄様と出会う前は、ずっと死にたいと、そう願っていた。

 失った幸せの大きさに涙し、迫ってくる恐怖と苦痛の記憶から逃げる為の、救いの道。

 あんなに願っていた瞬間は、今、一番恐ろしいものに感じられる。

 このままでは、広場の地面に叩きつけられて即死だろう……。

 全部、終わってしまう。もう二度と……、あの人の所に帰れなくなってしまう。

 そんなのは嫌だ!! 私はまだ、私はまだ……、生きていたい!!

 空へと向かって手を伸ばしながら絶叫した私は、追ってきたオルフェ君のお父さんの助けの手を掴む前に別の手によって助け出される事になった。

 血塗れの両手が私の身体を攫い、凄まじい落下の気配が止まる。


「はぁ、……はぁ、……だ、だ、れ?」


「ぐっ……、手間かけんじゃねぇよ、クソガキっ」


「……ヴァネルディオ、さん?」


 背後から私を抱え込むようにしながら飛翔したヴァネルディオさんが、ティア君とオルフェ君のお父さん達と合流を果たす。

 見えない壁のようなものに弾かれた面々はそれぞれに苦痛の表情を宿しており、自分達の周りを何かが取り囲んででもいるかのように睨み付けている。

 

「一体、何が……」


「封じの結界だ。……罠だった、って事だな」


「困りましたねぇ……。フォルネの町全体を覆っていますよ、この結界。さしずめ……、殺されても構わない駒を餌にして、私達を檻の中に閉じ込めた、といったところですか」


「それだけじゃないようだぞ……」


 オルフェ君のお父さんが眼下の町並みを示すと、そこには異様な光景が生じていた。

 規模を広げた炎の荒波、それに嬲られながらも町の中を徘徊し始めている……。


「ぞ、ゾンビ……っ」


「悪趣味ですね……。予め絶命後にああなるよう、傀儡の術を仕掛けておいたのでしょうが……、うぅ……、美しくなさすぎて、吐き気を催してしまいそうですっ」


「町の中に戻るわけにはいかねぇな……。おい、クソガキ」


「何ですか……?」


 フェガリオお兄様お手製のお洋服を血でベトベトにされながらその顔を見上げると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべつつも、内心では焦りを感じている事が微かに感じられる気配のヴァネルディオさんに首を傾げた。

 

「テメェはお荷物だ」


「……はぁ」


「物凄く邪魔だ」


 助けてくれたかと思えば、今度は邪魔邪魔と連呼……。

 私だって出来る事なら地上に戻してほしい。でも、あんなおぞましい真っ只中に降り立つ勇気は、ちょっと……。となると、邪魔に思われている私はどうすればいいのだろうか。

 もう二人の大人に抱えて貰うべきなのか……、あぁ、でも、それだと、ちょっとお願いするのに抵抗が。


「クソ邪魔」


「うっ……。わ、私だって、貴方の腕の中は居心地が悪くて仕方がありません」


「フィオ、ラヴァル、つーわけだから、このガキの子守り、引き続き続行な」


「え? きゃっ!!」


 今度は片手で首根っこを掴まれ、もう二人の大人の許へと放り投げられる。

 一歩間違えれば地上のゾンビ集団まで真っ逆さまな危険もあるというのに、この乱暴極まりない所業は嫌がらせなのか、それとも素なのか……。

 再びオルフェ君のお父さんにキャッチされた私は、その片腕にちょこんと乗せられる形で収まった。筋肉質な逞しい腕の椅子は、ちょっと硬いけれど座り心地は悪くない。

 

「流石に、そのガキに何かありゃ、国王が黙っちゃいねぇだろうからな……。頼むぜ、フィオ、ラヴァル」


「仕方ありませんねぇ。ラヴァル、私達はそのレディを守りつつ、事の成り行きを見守るとしますか」


「構わない……。だが、……助けが必要となったら」


「いらねぇよ。……テメェの領地に関する問題は、テメェで片付ける」


「そうか……。わかった」


 遮られた言葉は、友人への気遣いだったはず。

 けれど、私をオルフェ君のお父さん達に預けたヴァネルディオさんは、怒りを抑え込んだ低い声音で申し出を断ると、生き残っている部下の人達と合流しに行ってしまった。


「駄目でしょう? ラヴァル……」


「……」


「気まずくなると黙り込む癖もやめなさい。……確かに、いざとなったら助けの手は考えていますが、ディオにそれは禁句です。あくまで、危険だと判断するまでは、別領地の事は傍観者でいると決めたでしょう?」


「……わかっては、いる。だが、この結界は……、生じている気配は、油断できないものだ」


 ある者は町の中に生き残っている人達を助けに、ある者はヴァネルディオさんと一緒に結界を打ち破ろうと奮闘し始めている。

 その様子を夜空の片隅で眺めながら、ティア君とオルフェ君のお父さん達は周囲へと視線を走らせ……、同時に溜息を吐いた。

 フォルネの町を包み込んでいる見えない壁……、結界。町中を徘徊しているゾンビのような屍達。

 ヴァネルディオさん達を町に閉じ込め……、恐らくは、確実に仕留める為の。

 

「過激派の地では、こういう事がよくあるんですか?」


「そうですねぇ……。まぁ、卑怯の類は幾らでもありますが、少々今回は……、毛色が違うようです」


「ガウベラの領主だけじゃ、ない……。他にも、いる」


 それは、複数の領主達が集まっているという事なのだろうか。

 もしくは、その意図が働いている手駒のような存在がこの地にいる、と。

 大人二人の推測を肯定するかのように、やがて、炎の赤を受けて禍々しい輝きに浸食された夜空に、――嘲笑を纏う男性の声が響いた。

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