夜闇の訪問者

 それは、過保護なお兄様ぶりを発揮するレゼルお兄様を部屋から追い出した後の事……。

 もう一度眠りの中へと落ちた私は、……ふと、顔に冷たい風の感触が触れてくるのに気付いて目を覚ました。

 視界を満たすのは真っ暗な闇……。窓の方から、奇妙な物音が。

 まさか、またレゼルお兄様が凝りもせずに、添い寝と称した兄の愛を届けに来たのだろうか?

 ――違う。強い緊張感を覚えた身体が強張っていく。レゼルお兄様ではないと私の中の本能が警鐘を打ち鳴らす。


(誰……)


 不安の鼓動を奏でる胸の音と共に、私は目を瞬く。

 この暗闇で満たされた部屋の中に、……誰か、いる。知らない気配が、近づいてくる。

 窓の鍵は、確かに閉めたはず……。それなのに、開いた。多分、外側から、何らかの方法で。

 一体何の目的があるのか、危害を加えてくるような存在なのか、頭の中に多くの事が駆け巡り、私は力を込めてシーツを鷲掴んだ。

 助けを、助けを、呼ばないと……。でも、声を出すわけにはいかない。

 侵入者を逆上させてしまうかもしれないし、それに、声が……、出ない。

 まるで……、昔いた『檻』の中を思い出してしまうかのように。

 身体が震えて、……甘えてはいけないとわかっているのに。


(レゼルお兄様、――助けて!!)


 怖い、怖い……、この後、恐ろしい目に遭うんじゃないかって、悪い未来ばかりが思い浮かんでしまう。毛布の中で震えながら、何が起こるのか、何をされるのか、恐怖の底へと叩き落された私は、息をする事さえ難しくて……。

 助けての鼓動を打ち鳴らす心臓の音を抱えながら、――その瞬間が訪れた。

 

「いやぁあああああああっ!!」


 声すらかけられず攫われた身体。誰かの腕の感触が、痛いほどに食い込んでくる。

 正体のわからない誰かに囚われた私は、いつもの自分らしさなどかなぐり捨てて叫んだ。

 あの時と同じ事が起こる……!! 『檻』から連れ出され、『罰』を強要されてしまう!!

 助けて、助けて!! ――レゼルお兄様!!


「くっ、こらっ、リシュナ!! 落ち着け!! 俺だ!! レゼルクォーツだ!!」


「あぁあああっ、あぁ……、はぁ、……はぁ、れ、……レゼル、お兄、様」


 腕の中で暴れる私をその胸に抱き締め、闇に包み込まれた恐怖の膜を引き裂くかのように響いた大声……。強く掻き抱かれた感触と、胸の奥に広がっていく大きな安堵。

 混乱状態にあった私の瞳に、眉根を寄せながら辛そうな顔をしている、――レゼルお兄様が見えた。


「レゼル……、お兄、様?」


 窓から差し込んでくる月明かりが照らし出した、今一番傍にいてほしかった相手……。

 無意識にその頬へと手を伸ばし、もう一度名前を呼ぶ。

 

「私、は……」


「もう大丈夫だ。後の事は俺が片付ける」


 もう一度強く私を抱き締め、レゼルお兄様が絨毯へと下してくれた。

 自分の後ろに隠れていろと促され、すぐに頼もしい盾の背後へと動く。

 レゼルお兄様の鋭い視線の先……、そこには、一人の男性の姿があった。

 月の光を頼りに浮かび上がっているその面差しは、お子様吸血鬼……、ディル君によく似たもので……。


「どうして……、ディル君のお父さんが」


「ガキ、お前に話がある。大人しく俺について来い」


 レゼルお兄様という盾が目の前にあっても、ディル君のお父さんは動じた様子もなく、私へとその右手を差し出してくる。

 その顔には穏やかさなど一切なく、怖いくらいに真剣な気配が浮かんでいて……。

 このグランヴァリアの王宮に攻め込んで来た時とは同一人物には思えない、恐ろしい何かがディル君のお父さんから感じられる。

 国王様に見せて貰った過去の記憶、大切な者を蹂躙され壊れた時とも、また、違う表情。


「ディル君達の事ですか?」


「リシュナ、前に出ようとしなくていい。不法侵入者には返り討ちで応えて然るべきだ」


「おい保護者野郎。テメェに用はねぇんだよ……。そのガキを寄越しやがれ」


「可愛い妹の安眠を邪魔しといて、なんだその傲慢さは? 大体、話し合いの場は後日用意すると言ったはずだ。今なら見逃してやってもいい。さっさと帰れ」


 私に話があると言っているディル君のお父さん……。

 レゼルお兄様が敵意を放っても、臆するどころか、苛々とした様子で舌打ちを零すのが聞こえた。

 戦いの場になったとしても、玉座の間での一件を考えると……、ディル君のお父さんに勝ち目はないはず。それなのに、自分より強い者を相手にした気配が、感じられない。

 

「わかんねぇ奴だなぁ……。俺は、今、そのガキと話してぇんだよ。誰の邪魔も入らない、別の場所でな。邪魔するって言うんなら、ぶっ飛ばすぞ」


 違う……。ディル君のお父さんは、レゼルお兄様に負ける気など微塵もないのだ。

 国王様に命中率が低いと言われていても、私が見た過去の光景の中には、その力によって絶命した人達の姿があったのだから……。

 過激派の吸血鬼、その闘争本能。レゼルお兄様と……、どちらが強いのか。

 その答えを出すよりも早く、私は前に出た。


「ディル君のお父さん。一応聞いておきますが……、私を傷つけたり、殺したりといった意図はありますか?」


 真正面から聞いたところで、紡がれる答えが真実とは限らない。

 迂闊に付いて行けば、帰って来れない可能性だってある……。

 それでも、私は止めに入るレゼルお兄様の腕を避け、ディル君のお父さんへと近づいていく。

 ディル君とよく似た面差し、けれど、私に対して何を考えているのか、それが掴めない。


「良い度胸だな? クソガキ」


「リシュナ!! そいつに近づくんじゃない!!」


「大丈夫です。多分……、この人に私を殺す気は、ない気がします」


「そんなのわからないだろう!! 残念極まりない奴らだが、一応は過激派の吸血鬼なんだぞ!!」


 そう叫ぶレゼルお兄様に、私は首を振ってそれを否定する。

 ディル君のお父さんは、本当に私と話をしたいだけなのだろう。

 何故それがわかるのか、確信出来るのか……、答えはひとつ。


「私に何かあれば、国王様が黙っていない。そうですね?」


「……」


 ぴくりと、ディル君のお父さんの片眉が跳ね上がった。図星、なのだろう。

 国王様は礼儀を重んじる人。人の世界に迷惑をかけたお子様達の責任を、ちゃんとその親にもとらせようとする発言があり、それは態度にも表れていた。

 村の人達の亡骸を弄んだ挙句、今度は私の身にも何かあれば……。

 それは、ディル君のお父さん達の身の破滅へと繋がりかねない。

 そう告げると、レゼルお兄様の目の前で、私は逞しい筋肉に恵まれた片腕に抱き上げられた。


「リシュナを離せ!!」


「あぁ、ホントうぜぇな……。ガキ、ちゃんと掴まってろよ」


「はい。レゼルお兄様、少し話をしてくるだけです。だから、心配しないで待っていてください」


 自分からその腕に収まった私を連れて、ディル君のお父さんがニヤリと笑った瞬間。

 室内は強烈な閃光に包まれ、思わず瞼を強く閉じてしまった。

 ――最後に聞こえたのは、レゼルお兄様の、私を呼ぶ声。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ここは……」


「シアリスの町。俺が治めている領地の本拠地で、ディルの家がある場所だ」


「ディル君の……、生まれ故郷、ですか」


 ディル君のお父さん達と一緒に訪れた、ひとつの町。

 闇夜の下ながらも、家々や店には明かりの気配があり、闇に生きると噂される吸血鬼達にとっては、夜の世界こそが本番なのだろう。

 ……けれど、人々の顔に、穏やかさや笑みといった彩りは、見られない。

 小さな町でありながらも、ディル君のお父さんの腕の中から見える景色には、武装した兵士らしき人達の姿も見える。

 

「これが……、ディル君の、育った、町」


「過激派の領域じゃ、これが普通なんだよ。むしろ、昔が生温すぎたくらいだからな」


 それは、ディル君のお父さんが友人と信じていた混血児に騙され、過激派の吸血鬼として目覚める前の事を言っているのだろうか……。

 誰かが誰かを思い遣る、優しい世界。その気配が……、ここには、ない。

 警戒心を抱く視線を感じながら、私はぶるりと震える。

 ここは、国王様が見せてくれた過去の世界ではない。本物の、今在る過激派の、現実の、世界。

 やがて、領主の屋敷たる場所の前で歩みが止まり、門番をしている怖そうな顔の吸血鬼達が私の顔に表情を深く顰めた。


「領主様、その娘は?」


「余計な詮索はするな。俺の連れだ」


「「はっ」」


 槍を手に道を阻んでいた門番がディル君のお父さんからの睨みを受け、奥への道を開けてくれた。

 過去の映像の中で見た、幸せを抱いていたはずの……、ディル君の実家。

 私は小さく息を呑み、話し合いの場へと、連れて行かれるのだった。

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