真夜中の目覚めと、子供達の未来

「ん~……、ふ、ぁ」


 自分の漏らす暢気な欠伸の音と一緒に目を開けた私は、ふと、心地良い温もりと甘い香りを感じて横を向いた。……、……、……、!?

 寒さや孤独といった気配を全て跳ね除けるかのように、寝台の中の私をその腕に抱いて眠っている、それはそれは美しい吸血鬼の美貌。

 

「……どうし、て」


 反応に困り、視線を彷徨わせてしまう。

 どうしてレゼルお兄様が私と一緒の寝台で眠っているのだろうか……。

 身を捩って起き上がろうとする私の動きを察したのか、レゼルお兄様がむぎゅりと力を込めて強く抱き込みにかかってきた。起きている……、わけじゃ、ない?

 拾われた最初の頃は、逃げないようにと強制連行でレゼルお兄様の部屋に連れて行かれ、こんな風に一緒に眠っていたけれど、……最近は一人で眠っていたというのに。

 それに、私はお子様達のお父さん達と一緒に国王様の創り出した空間に飛んで、ディル君のお父さんの過去を、見て……。


「はぁ……」


 頭が、少しだけど鈍い痛みを伝えてくる。身体も……、何だか重たく感じられる。

 何故寝台の人となっているのかは謎だけど、とりあえず、私が今すべき事は。


「……動けない」


 過保護なレゼルお兄様は、私の後頭部と腰の辺りをしっかりと抱き締めている。

 迂闊に大きな動きをすれば、起きてしまうかもしれない……。

 いつもは首元で結んでいる長い蒼髪は紐解かれ、私の……、あ、服まで夜着仕様に。

 まさか、このどうしようもなくベタ甘な吸血鬼は、着替えまでやったのだろうか。

 だとしたら、目覚め次第平手打ちの刑に処そう。乙女の肌を見た罪は重い。

 上質の素材で出来ているらしい夜着はネグリジェになっており、肌触りが気持ち良かった。

 と、着ている服の感想は横に置いておくとして、……この体勢は正直困りますよ、レゼルお兄様。

 密着し過ぎというか、どんなに童顔で幼い容姿をしていても、私は十四歳です。

 年頃の乙女なのだと、何度言えばわかってくれるのだろうか……。

 ……でも、不思議とレゼルお兄様の腕の中は安心出来る温かさがあって、居心地が良過ぎるのが難点でもあった。つい、このままもう一度夢の中に落ちてしまいそうで。


「……ん、リシュ、ナ」


 起こしてしまったのかと、全身に動揺の気配を走らせた私の目の前で、閉じられていた瞼が開く。

 夢と現の間で揺れる美しいアメジスト……。それが、徐々に私の輪郭や細部を捉えていく。

 一度瞼が閉じ、また次に開いた時、寝起きの吸血鬼が……、幸せそうに微笑んだ。


「おはよう……、リシュナ」


「今が何時なのかはわかりませんが……、おはようございます」


「よく眠れたか?」


「……はい。でも、寝起きに不埒なハプニングを用意されてしまったので、あまり機嫌は良くありません」


「はは、そうか……」


 おでこをそっとくっ付けられて、レゼルお兄様が反省のない笑みで肩を震わせる。

 乙女の寝台に入っておいて、その態度はどうなのでしょうか? 警備隊に通報しますよ。

 そう内心で冷静な発言をしても、音にはならない。

 柔らかな微笑を抱く双眸に見つめられ、よしよしと頭を撫でられていると、抗議の言葉さえ消えてしまう。本当に……、困った過保護なお兄様だ。


「ん~、もうちょっと寝てたいなぁ」


「お一人でどうぞ。私は起きますので」


「リシュナぁ~、『お兄様ともうちょっとくっ付いていたいです』とか、可愛く言ってくれても」


 調子に乗るレゼルお兄様の頬に手を伸ばし、ふにっとその柔らかな肉を摘まんで軽く睨む。

 

「年頃のお・と・め、なんです……。怒りますよ」


「ふぁい……」


 たとえ吸血鬼から見ればお子様でも、私は十四歳の乙女。

 そこは譲れないのだと眉根の皺を深く刻めば、レゼルお兄様はようやく起き上がってくれた。

 白の上衣と、黒のトラウザース。欠伸を漏らし、蒼の髪を耳に掻き上げる仕草が……。


「レゼルお兄様、やっぱり警備隊に通報してもいいですか?」


「は? 何で!?」


「……やっぱり、吸血鬼は危険です」


「はあああ!? 世界で一番お前を大切に想ってるお兄様掴まえて、何言ってんだ!?」


 何を言ってるんだとは、こっちの台詞だ。

 無駄にダダ漏れな寝起きの色香を溢れさせるのはやめてほしい。

 これが普通の女性相手であったなら、コロリと誑しこまれるに違いないのだから……。

 レインクシェルさんも、大人の姿になっている時は女タラシを地でいく最低最悪の人だけど、レゼルお兄様の場合は、きっと無自覚。それがまた、性質(たち)が悪い。

 ぷいっと顔を背け、ゴソゴソと寝台を下りていく私だったけど、伸ばされてきた力強い腕の感触が妨害にかかってきた。


「きゃー、へんたーい、ロ○コン吸血鬼ー」


「棒読みで酷い事言うな!! はぁ……、世界中どこ探しても、俺みたいに優しい兄はいないってのに。もう……、ウチの妹はどうしてこうも辛辣なんだか」


「年頃の妹に添い寝する事自体、大問題だって自覚してください……」


 膝の上に乗せられてしまった私は、残念な顔で涙するレゼルお兄様の額をべしんと右手のひらで打つ。年頃の娘だと、何度言えば理解してくれるのか……。

 兄だと自負している証拠に、変な事をしたりはしないけれど、密着はやめてほしい。

 レゼルお兄様の髪を引っ張り、離せ離せと繰り返し、ようやく解放される。

 寝台の外を観察してみれば、薄桃色の絨毯に、真っ白な壁と幾つかの調度品が見えた。

 そして、閉じられている窓の外には……、おはようではなく、こんばんは、の世界が広がっていて。


「夜……」


「正確には、お前が陛下の空間に入った日から数えて、三日目のな」


「三日……。何でそんなに寝っぱなしだったんですか、私」


 一度も目覚めた記憶がない。じゃあ、この少し痛む頭のそれや、身体のだるさは、寝過ぎの後遺症なのだろうか。窓の鍵を外して外側に両開きの窓を開けば、冷たい夜風が流れ込んできた。

 きらきらと光り輝く星屑と、澄んだ空気……。

 新鮮な空気を吸い込んでいると、歩み寄って来たレゼルお兄様が上着を掛けてくれた。


「風邪引くから、少しにしておけよ」


「……レゼルお兄様、ディル君達は」


「別の部屋でフェガリオがみてる。親の方は、一回頭冷やしてこいって陛下に言われて、命令が下り次第、またこのグランヴァリア城に来る予定だ」


「そうですか……」


 結局、ディル君のお父さんの過去や、辺境の吸血鬼に関する事を知っただけで、私の覚悟を試すとか、お子様達の連れて帰る為の説得も、確かな事は何も出来ずに終わってしまった。

 辺境の吸血鬼を、導く……、覚悟。そのまま帰すという選択肢は、勿論ない。

 けれど、あの子達を私の思う真っ当な吸血鬼に育てる、という事は、辺境で生きて行く為には不利な要素ばかりが出来上がっていく。そう思えた。

 心の優しい吸血鬼は、辺境のルールや環境に適さない。

 下手をすれば、あの子達の命だけでなく……、大切にしている人達まで、傷つく事になるかもしれないという事で。生き抜く為に、守る為に必要な教育を施していたディル君のお父さん達は……。

 ある意味で、正しい、のかもしれない、と。


「閉めるぞ。……食事を持って来させるから、まずはそっちが先だ」


「はい……」


 窓を閉め、少しサイズの大きなもふもふの上着の前釦を止めてくれたレゼルお兄様が、扉の外へと出て行く。……静かな気配が、自分一人になったこの場所が、何故だか寂しく感じられる。

 レゼルお兄様が出て行っただけなのに、どうして……、こんな風に不安な気持ちを抱くの?

 お子様達の事や、これからを考えて思考をずらそうとするけれど、何だか心許なくて……。

 レゼルお兄様が出て行った扉とは違う方の部屋に通じているらしき扉のノブを回して、真っ暗闇の中に入って行く。

 どうやら人の気配を察して明かりが点く仕様になっているらしいその部屋は、真ん中にソファーとテーブルが置かれていた。

 あっちが寝室で、こっちが居間……、なのだろうか。

 

「誰も、いない……」


 見ればわかる。自分へと指摘を入れ、室内を見回したものの……、元の寝室へと戻ってしまう。

 居間よりも、レゼルお兄様と一緒にいた部屋の方がいい。

 ゆっくりと薄桃色の絨毯を踏みしめ、寝心地抜群の寝台に上がって毛布の中に閉じこもる。

 この中は、まだ暖かい。レゼルお兄様の、優しい匂いが残っているから、安心出来る。

 けれど、瞼を閉じれば……、国王様が見せてくれた辺境の光景が頭の中に浮かんで、ぶるりと恐怖に身体が震えてしまう。過激派の住まう、追いやられた地……。

 温もりのない町の気配、綺麗なのに、冷たく感じられる『王』同然の立場にいた人。

 友人に裏切られ、祖先の血に目覚めた……、ディル君のお父さん。

 辺境の在り方、ディル君、ティア君、オルフェ君の……、これから。

 心が優しいという事は、時に誰かの悪意で踏み躙られ、辛い思いをする事にもなるだろう。

 誰かを信じて、誰かに裏切られて、大切な人を傷つけられたり、苦しんだり……。


「はぁ……」


 国王様の言った覚悟を支える柱の意味がわかった気がする。

 ディル君のお父さん達は、なんの考えもなしに子供達へあんな教えをしたわけじゃない。

 全ては、息子の為、領地の民の為、辺境の地で蹂躙されない……、為の。

 でも、それがたとえ正しくても、私はそのせいで家族達の亡骸を弄ばれてしまった。

 自分と、大切な人達どうでもいい。境界線を敷いたその思想のせいで、命を失った肉体は尊厳を守る事も許されず、血を吸われ、傀儡に。


「うぅっ……、い、や、ぁ」


 辺境での光景が、滅びた自分の村へとすり替わっていく。

 他国の兵士に殺された皆、地に伏した無残な遺体……。

 吸血鬼の子供達に血を吸われ、村へと訪れた騎士達に襲いかかり、炎に還された人々。

 何度考えても、私はディル君のお父さん達の考え方を受け入れることは出来なかった。

 だって、それを認めてしまったら、皆の味わった屈辱が、二度目の死が……。

 

「――こら、何を蓑虫状態になってるんだ? お前は」


「……レゼル、お兄様」


「どうした? ……泣いてるのか? 陛下の見せた辺境の光景を、思い出したのか?」


「……それも、あります」


 この過保護な吸血鬼相手に隠しても意味はない。

 毛布から顔を出し、頬に伝う涙と一緒に頷くと、温かな指先の感触に雫を攫われていく。

 

「とりあえず、飯食って、それから一緒に考えような」


 レゼルお兄様が親指で差した背後には、二段仕様のワゴンの姿があった。

 さっき一度足を踏み入れた居間へと促され、おずおずとそちらに向かう。

 不思議だ……。レゼルお兄様が傍に戻って来てくれただけで、心の中がふわりと温かくなった気がする。上着の胸元を握り締めソファーに腰を据えると、レゼルお兄様がテキパキと食事の用意を整えてくれた。銀の蓋を目の前で開けられると、食欲をそそる美味しそうな匂いが鼻を擽ってくる。

 溶き卵のスープに、ふかふかのパン、瑞々しい野菜を使ったサラダ……。

 胃への負担をかけないように、あっさりとしたメニューとなっている。

 

「起き抜けに沢山は入らないだろうしな。肉の類が欲しければ、追加で頼んでやるから安心しろ」


「いえ、これで十分です。……いただきます」


 最初にパンを手に取り、ひと口サイズに千切って口に運んでいく。

 ほんのりと甘い、それは口内で噛み締める度に粒々の何かがはじけて舌を楽しませてくれる。

 木の実か何かを一緒に焼いたのだろうか……。

 じーっと私の食事の様子を見つめてくるレゼルお兄様を気にしながらも、今度は卵のスープに手を伸ばす。温もりのあるスープが、喉の奥に溶けていく。


「……ごめんな、リシュナ」


「はい?」


「陛下が……、色々と、な」


「必要な事だったと、受け止めています。国王様は、何も、間違った事はしていません」


 ほぅ……、と、食事の手を休め、安堵の息を吐く。

 そう、国王様は何も悪い事はしていない。私がこの手で変えようとしている存在を、より正しく、詳しく、教えてくれただけ……。

 そう淡々と答える私に、レゼルお兄様は席を立ち上がり、私の横へと腰を下ろす。


「それでも、あれは子供の見て良いものじゃなかった……」


「レゼルお兄様、私は子供ではありません。物事を理解する頭も、受け止める事も、出来ます」


「それでも、だ。辛い人生を送ってきたお前に、余計なものを背負わせたくなんかない」


 辛そうに私を気遣う言葉を零し、肩へと優しい腕をまわしてくるレゼルお兄様だけど、私はそれから逃げる為にソファーから下りた。

 この人の優しさは、私の為であって、私の為じゃない。

 私の知らない過去、レゼルお兄様の抱く記憶の中で負った傷を癒す為に、その優しさはある。

 勿論、私の事を気遣う気持ちもあるのだろうけれど、私はそれに甘え過ぎる事を良しとしない。

 上着の温もりを感じながら、今度は反対側のソファーに座る。

 目の前の席にいるレゼルお兄様が、寂しそうに私へと視線を据えた。


「お兄様は悲しいぞ……、妹よ」


「ベタベタとする兄妹関係は望んでいませんので」


「リシュナ……」


 食事のトレイを自分の方に引き寄せ、私は続きを口に含んでいく。

 必要以上に甘えると、レゼルお兄様の毒に侵食されてしまう……。

 その温もりから離れられないように、この人が与えてくれる甘い毒に溺れて、抜け出せなくなる。

 それをわかっているから、私はある程度の距離を保つようにしていた。

 けれど、その事が不満なのか、レゼルお兄様はソファーの上で横になると、小さくブツブツと愚痴り始めた。


「はぁ……、妹を想う兄の気持ちを、どうしてこうもクールに突き放せるかなぁ」


 もぐもぐもぐ……。

 グランヴァリアの食事は、種族の違いに関係なく美味しいものだ。

 次は、サラダに手をつけてみよう。


「可愛い妹に辛い思いをさせたくない、って……、天真爛漫に育つように考えてるだけなんだぞ? それなのに、あぁ、俺の繊細なハートはビキリとひび割れた」


「……レゼルお兄様、ウザいです」


「なあああっ!! ちょっ、そのよろしくないブレイク・ワード、どこで覚えた!? 人を傷つけるような言葉は覚えちゃいけません!!」


 私が静かに放ったその音が、容赦なくレゼルお兄様のハートとやらを打ち抜いた。

 最近まで知らなかったその言葉は、レインクシェルさんが教えてくれたもの。

 レゼルお兄様がベタベタと構ってきたり鬱陶しい時は、遠慮せずにぶつけてやると良いと教えてくれたのだ。わざとらしくだばりと涙を流しながらハンカチを手に猛抗議してくるレゼルお兄様を無視して、再び食事のと続きを……。もぐもぐ。

 力なくソファーに倒れ込んだレゼルお兄様が、涙に濡れる眼差しで私を睨む。


「お前は色々と我慢し過ぎなんだ。年頃の子供らしく、俺やフェガリオに甘えて我儘言っても」


「十四歳は子供じゃありません。それに、拾って貰えた幸運を、家族とのお別れをさせて貰えて、私はこれ以上ないほどに幸せです。これからは大人の扱いでお願いします。以上」


「断る!! 俺にとってはお前は可愛い妹で、子供みたいなもんだからな!! デロデロに甘やかして、『レゼルお兄様、大好き!!』って、可愛く甘えて貰うのが決定事項だ!!」


 絶対やらない。

 想像も出来ない自分のおぞましい未来を心の中でスルーし、私はサラダをもしゃもしゃと噛み千切る。保護して貰い、衣食住を保障されている今の生活。これ以上の幸せはない。

 だというのに、このお兄様はどこまで私を甘やかせば気が済むのか……。


「うぅ……、妹が冷たいっ」


「はぁ……。茶番はその辺でやめてください。それよりも、子供達の様子はどうですか?」


「茶番って、結構本気で傷付いたんだぞ?」


 フェガリオお兄様と一緒にいる子供達。

 あの子達は、今どんな思いで過ごしているのだろうか……。

 本音で言えば、親元に帰りたいと望んでいる、そう考えるのが普通だけど。

 あの子達は、人の命を思い遣る心を手に入れた。

 自分達の犯した罪を、これからの償いを、真剣に考え始めている……。

 そんな子供達が、今望んでいる事は……。

 俯き加減に尋ねた私へと、レゼルお兄様が上体を起こして答えてくれた。


「戸惑ってる……、感じではあるな。陛下の創り出した空間から帰ってきた後、あの親父達と少し話したようだが……、今のところ、親許に帰る承諾は口にしてない」


「そうですか……」


「まぁ、あの親父共が三人を連れ帰るって言い張っても、俺や陛下が許しちゃおかないが……。お前の中に出来た迷いをどうにかしないと、人間の世界にも帰れない」


 伊達にお兄様をやってないんだぞ? と、そう心の内を見抜かれて、私は顔を上げる。

 これからの行動は決まっているのに、何故だかスッキリとしないのは……。

 辺境の事情と、そこで生きる為に必要な条件を突きつけられたから。

 私は、あの子供達に、人の心や命を思い遣れる大人になってほしい。

 もう二度と、命の尊厳を踏み躙る真似をしないように……。

 けれど、それは、辺境で生きる吸血鬼にとっては不要のもので……。

いや、正確に言えば、自分と、自分達にとって大切なもの以外を切り捨てる冷酷さが必要とされている。私の考えている子供達の未来は、辺境においては、異端。

 憎悪していた、二番目の仇が大人の姿をしていた時は、本当に殺してやりたくて、堪らなかった。

 けれど、相手が本当は子供だと、何も知らない無知の象徴だと、そう知った時。

 

「あの子達を、変えたいと思いました。炎に消えた皆の事を思えば、許せない。だけど……、その命を消すよりも、誰かの為になる力に変えていければ、……償いになるんじゃないか、って、そう思って、私は」


「アイツらと過ごす内に……、お前は母親のような、姉のような、そんな優しい想いを子供達に向けるようになった。だから、その未来にも、責任を感じ始めている、か」


「……はい」


 あの日、後悔の涙を流して、村の皆のお墓を作ってくれた子供達……。

 自分達の蹂躙した魂の尊厳を、初めて罪の意識と共に自覚してくれた。

 ディル君、ティア君、オルフェ君、あの三人は変わる事の出来る心の持ち主だ。

 そう信じたからこそ、胸の奥底で消える事なく燻っていた恨みの念も穏やかになり、家族としての生活を始める事が出来た。

 だからこそ……、これからに疑問を覚えたのだ。


「私の目指す子供達の未来は、心優しい吸血鬼です。レゼルお兄様達のように、困っている誰かを見捨てず、切り捨てる事のない……」


「クシェル兄貴には、甘ちゃんだって、よく嫌味を言われるけどな」


 苦笑しながら、レゼルお兄様がまた隣へと懲りずに腰を下ろしてくる。

 今度は私が逃げないように、少しだけ隙間を作り、穏やかな視線だけを私に定めた。

 

「甘ちゃんでも、冷酷非道な人よりは良いと思います……」


「けど、辺境生まれの子供達には酷、か。まぁ、アイツらは領地の跡継ぎだし、お前の理想とする大人になれば、その責任や情も傾きやすくなる」


「大人になって、あの子達が辺境に戻る事を決めた時……、不幸の道が始まらないかと、そう考えると……、色々と不安になります」


 新たな犠牲を出す悲劇の始まり。優しい情を抱く吸血鬼達が、自分の父親と同じ道を辿ったら。

 白いマグカップの中で佇んでいるホットミルクを手に持ち、それを口に含む。

 蜂蜜の味がする、温かな舌触り。その甘さに胸の奥を抱かれながら、私はレゼルお兄様の方を向いた。


「そうわかっていても、私はあの三人に、心優しい大人になってほしいんです」


 それは、自分の大切な人達の無念を思うが故か……。

 どちらかと言えば、他者を蹴倒して平然と生きる大人になった子供達を見たくないから。

 そんな自分の我儘で、私はディル君達を望む道の上を歩かせようとしている。

 

「辺境は……、弱者を助ける奴は愚かだと言われているからな。ディルの父親も、俺が調べたところによると、あの騒動以降……、自領の守りは必要以上に固めているようだが、弱者に対する目は厳しくなったらしい。内側にいる奴にも、いや、親友に対しても、内心では警戒心を抱くようになっている」


 仲良くしているように見えて、その実は探り合い……。

 友と呼ぶ人達に対しても猜疑心と警戒を抱くなんて、……それは、とても、悲しい事だ。

 今、三人で行動しているディル君達もそうなったらと思うと。

 きゅぅぅっと、刺すような痛みが心に棘を作っていく。


「子供達と、話します。朝になったら……」


「親許に帰りたい、って、駄々を捏ねたらどうする?」


「……それは、その時に考えます」


 若草の瞳に迷いを抱きながら俯いた私の隙を狙い、忍び寄って来た抱擁の気配。

 それをさっと退けて、私は黙々と食事の続きに入り始めた。

 すぐ隣では、また傷付いたお兄様モードの嘆きが聞こえてくる。

 フェガリオお兄様が作ってくれるデザートのケーキよりも甘いレゼルお兄様の過保護愛。

 それに壁を作れたのは食事の時だけで、結局……、もう一度寝台に入った時には抵抗する暇もなく抱き枕にされてしまったのだった。

 子供達の今後も悩みの種だけど、……この過保護が行き過ぎているお兄様の糖度を下げるには、まだまだ試行錯誤が必要の模様です。はぁ……。

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