眠る妹の顔を見つめながら……

※レゼルクォーツの視点で進みます。


 ――Side レゼルクォーツ


「リシュナ!!」


 陛下の創り出した空間から人形と一緒に戻って来たリシュナが、俺の腕の中に落ちてくる。

 その温もりをしっかりと抱き留め、その青ざめた顔を覗き込む。

 この部屋で、リシュナに語り掛けながらその世界の映像を見ていた陛下と共にいた俺達も、同じくあまりいい気分とは言えなかった。

 あんなものを、幼いリシュナに見せて良かったのか……、仕えるべき主の思惑に不満を抱く。

 

「術で眠らせてある。暫くは目を覚まさないはずだ」


「陛下……、あんなもの、別に見せなくても支障はなかったはずです」


 リシュナを空いているソファーに横たえ、その傍に膝を着き小さな手を両手に包み込む。

 子供達が大慌てで傍へと寄り添い、泣きじゃくっているその顔でリシュナの名を呼び続ける。 

 こいつらにも……、あの過去の記憶とやらは見せない方が良かったはずだ。

 特に、ディルには酷過ぎるというものだろう。当時の事を覚えていなかった幼子は、陛下が語り続けている時に、受け止めきれない悲しみと辛さを胸に抱き堪えていた。

 ティアとオルフェも同じだ。幾ら吸血鬼の幼子が、人間の子供の何倍も歳を重ねているとはいっても、精神的には幼過ぎる。


「支障はない。だが、知っておいた方が、この娘の為にはなる。ディルの方にもな」


「何がですか!! 余計な不安や迷いを生むだけでしょう!! 大体っ」


「おい、クソガキ。陛下のなさる事に無駄な事がひとつでもあるか? ――口を慎めよ、愚弟」


 主に向ける視線にしては苛烈すぎる俺のそれを、横から伸びてきた手のひらが俺の顔ごと鷲掴んで押しやった。その冷ややかな声音は尋ねずともわかる。

 さっきまでソファーの後ろに寝転がってエロ本を読んでいた最低最悪の女誑しこと、クシェル兄貴だ。子供の姿を消し去り、今は大人のそれに戻っている。


「だが、クシェル……。俺も、陛下のなさる事に異議など唱えたくないが、幼い子供には耐え難いものだ、あれは」


「はぁ~、フェガリオも甘ちゃんだなぁ~……。いいか? 辺境の子供を育てるって事は、生半可な覚悟じゃやってられねぇんだよ。人間の世界で育てたとして、リシュナの望む心優しい真面目で真っ当な吸血鬼が、……あの場所で適応出来ると思ってんのか?」


 弱者は喰われるだけ……。蹂躙される事は、自身の罪。

 それは俺だってわかっている。だからこそ、将来的には穏健派の住まう地か、そのまま人間の世界で生活させる事も考えていた。

 陛下の望む治世、思想、過激派から三人……、こちらに取り込む事が出来るのも利点だと考えたから。だが、クシェル兄貴は、辺境に返す可能性も考えているようだ。


「ま、そこのガキ三人が望めば、陛下の方に取り込めるだろうよ。けどな、親子の縁なんて、切って切れるもんでもない。もしも、ガキ共が辺境に帰る選択をしたらどうすんだよ。心優しい吸血鬼になっちまったら、それこそ情に引き摺られやすくなんだろうが」


「……それは」


「その辺にしておけ、レインクシェル。俺はそこまで考えてリシュナにあれを見せたわけではないぞ? ただ、抱いた覚悟に柱を与えてやりたかっただけだ」


 部屋の隅で書類仕事をしながらも映像を気にしていた宰相殿が毛布をリシュナに掛ける様を眺めながら、陛下は微笑と共に瞼を閉じる。

 あの光景を見て、リシュナが迷いや不安を抱く事も、この人はちゃんとわかっているのに……。

 それでも、必要だと判断し、あれを見せた。

 辺境の子供を育てる覚悟、その行く末に対する責任。それを強く抱かせる為に。

 きつそうに呼吸を繰り返しているリシュナの額から髪を梳いてやり、俺も息を吐く。

 不安そうに戸惑っている子供達をフェガリオが回収し、部屋の隅に連れて行った。

 絵本や遊び道具を与え、場所を移ってもリシュナの方に意識を向けている三人の頭を撫でてやっている。


「ところで、陛下~。三馬鹿親父達はどうなったんですか~? さっきから映像が真っ暗のままですけど~」


 クシェル兄貴に視線を戻せば、そこにはソファーに縋り付いて首を傾げている子供の姿があった。

 いつの間に戻ったのだか……。気分屋の実兄にうんざりとしつつ、俺も真っ暗な映像に目をやる。

 

「そう急かすな。流石に『ロシュ・ディアナ』の血族が相手だ……。干渉にも慎重さが必要となる」


「陛下~、本当はお嬢さんの方で手一杯だったんじゃないんですか~? 二つも同時進行するの面倒臭いみたいな~」


「よくわかったな、レインクシェル。褒めてやろう」


「わ~い、ご褒美ならごつい手よりも、新刊のグラビアでお願いしま~す」


「ははははっ、だが断る」


 まったく、この二人は……。

 アホ極まりないやり取りをしている主と実兄に、俺と宰相殿の氷のような視線が向かう。

 場を和ませようと、わざとやっているのか、それとも素なのか……。


「はぁ、……陛下、あまりお戯れが過ぎますと、グラン・シュヴァリエが辞表を出しかねませんよ。しっかりとする時は、真面目によろしくお願いします」


「ふっ、あまり糸を張っているのも毒だからな。……だが、ふむ、この娘は中々に困ったものだ」


「記憶の干渉に何か支障でも?」


 宰相殿が訝しげに目を細め、陛下の後にリシュナへと視線を落とす。

 記憶の干渉は、少し覗くだけなら俺でも出来るんだが、……それを利用して他者に見せるとなると、確かに慎重にはなる。けれど、陛下には容易いはずだろう?

 顎に指先を添え、微かに低く唸った主に、俺と宰相殿、クシェル兄貴も意識を向ける。


「まぁ、必要はないのだろうが……。リシュナは、人間の世界で暮らし始める前の記憶が全て干渉不可になっているようだな」


「不可? グランヴァリアの王たる陛下の御力を以ってしてもですか?」


「レイズ、俺は別に万能なわけではない。……まぁ、干渉出来ないわけではないが、この部分はやめておいた方が良さそうだな。誰かが覗けないように細工をしてある」


 リシュナの過去、人間の世界で暮らし始める前という事は……、『ロシュ・ディアナ』の世界で幽閉されていた頃の記憶という事になる。

 本人は当時の事を話してくれているが、記憶を封じる、ではなく、誰かに覗かれて困るものでもある、という事か? まぁ、陛下の言う通り、今は必要ないわけだが。


「というか、別にあの三人にリシュナの記憶を見せなくても……」


「家族を二度に渡り失ったリシュナの記憶は、少なからず、あの三人に影響を与えるだろう。どんなに関係ないと我を張っていても、目の当たりにすれば、心がそれを感じ取る」


 あの頑固な三馬鹿親父達に、可愛い妹の昔や悲劇の瞬間など見せたくもない。

 そう睨み付けても、陛下は一度やると決めたらやる。

 

「あぁ、解説役が必要だな。人形を放り込むか」


『いっくよ~!!』


 すでに始まっている陛下の茶目っ気全開の声が放置されていた人形へと宿り、グワリと開かれた真っ暗闇へと放り込まれる。

 同時に、真っ暗だった映像に三人の馬鹿親父達が映り、リシュナの記憶が再現されていく。

 人間の世界、その片隅にある小さな村。養母らしき女性と楽しそうに戯れるリシュナ。

 ……あんな楽しそうな顔、俺はまだ見ていない。

 少々嫉妬じみた感情を抱きながら、流れてくる映像に視線を定め続ける。

 リシュナの養母に養父、……あの村で、記憶を再現させた時も思った事だが。


「何故、……陛下に連絡を寄越さなかったのでしょうね」


 そう静かに呟いた問いを、陛下と宰相殿が意味を正確に受け取って答えを返してきた。


「さぁな……。リシュナの母がそれを望んだか、それとも」


「迂闊に動く真似をしたくなかった、か、ですね……。まさか、人間の世界で『ロシュ・ディアナ』の娘に関わっていたとは、私も思いませんでしたよ」


 今は自分の妹となっている少女を娘とした二人の人間。

 いや、人間のふりをした……、グランヴァリアの、民。

 それも、俺やフェガリオ、陛下や宰相殿に顔を覚えられているレベルの。

 養父の方は、元、グラン・シュヴァリエの座にあった男のはずだ。

 親しくしていたわけじゃないが、何度か顔を合わせた事がある。

 そして、養母の方はその副官であったはずだが……。

 彼らは百年以上前に職を辞し、その姿を消した。

 すでに、リシュナと陛下を引き会わせる前にその報告を済ませているが、一体どこで何がどうなって『ロシュ・ディアナ』の世界から逃げて来た妹と関わる事になったのか。

 

「レゼルクォーツ、陛下と私への報告書にあった、リシュナの逃亡を手助けして人間の世界に来た協力者の事だが……、生憎と、この映像に映っているそれらしき人物に、私は心当たりがない」


「俺もだ。『ロシュ・ディアナ』の娘は、あの時一人だったからな。それに、レイズ、お前と逢瀬を重ねている時も、見かけなかったのだろう?」


「……はい」


 いまだに捨てられた事が深いトラウマになっているんだろう。

 宰相殿は陛下からの視線に顔を背け、不本意そうに頷いた。

 だが、協力者であり、逃亡の手助けをしていたという事は、俺が今見ている、同居者と思われる水色の髪の男は、間違いなく『ロシュ・ディアナ』の民のはずだ。

 そうでなければ、世界を隔てる扉を開く事は出来ない……。

 いや、それよりも重要なのは。


「グランヴァリアの民であり、グラン・シュヴァリエの腕利きが、他国の人間風情に負けるわけがない」


 そう確かな音で映像の中の二人を見据えた俺に、陛下と宰相殿も同じように頷いた。

 どれだけの軍勢で来ようと、所詮は人間だ。

 魔術という力や武力はあるものの、グラン・シュヴァリエという立場にある二人が黙って殺されるわけもない。ならば、あの二人は、今どこに……?

 リシュナを逃がし、村に留まった養父母。そういえば、その侵略を行ってきた国の陰に、混血児の件があるんだったか。

 

「混血児の力は未知数だが、……匂うな」


「陛下、その件も合わせてレインクシェルに探らせましょう」


「ええ~、お仕事増えるんですか~? 僕、ささっとやってきたいのにぃ~」


 この緊迫した空気の中、よくもまぁ駄々を捏ねられるもんだな、この愚兄がっ。

 当然、宰相殿がクシェル兄貴を恐ろしい威圧感を付加させて睨み付けると、顎でくいっと扉の方を示した。サボっている暇があるなら、さっさと仕事に出ろ、そう言いたいんだろう。

 サァァァッと恐怖に血の気を下がらせ、兄貴はしょぼんと項垂れて外へと出て行く。

 ふっ、クシェル兄貴……、残念だったな。お前に同情する奴はどこにもいない。


「んっ……、はぁ、……はぁ」


「リシュナ……。大丈夫だ、怖い事は何もない。俺達が傍についてるからな」


「レゼル、……お兄、様……」


 リシュナの過去を目の当たりにしている別空間の三人は放っておき、俺は可愛い妹の手を強く握り締め、何度も頭を撫でてやる。

 きっとさっきの過去体験のせいで、恐ろしい悪夢を見ているんだろう……。

 それを少しでも緩和させてやりたくて、何度も優しくその名を呼び続ける。

 そうしている内に、リシュナの顔色が良くなり、やがて呼吸が落ち着きのあるものへと変わった。


「……随分と、情を向けているようだな? レゼルクォーツ」


「大切な妹ですからね。どこかの誰かさんと違って、全身全霊で可愛がって育てますよ」


 親子かどうか確かめる事もせず、父親になる気もないと言った冷徹宰相は黙ってろ。

 わざと棘のある物言いで牽制してやれば、ぶわりと不機嫌全開のオーラが突き刺さってきた。

 リシュナは、この子は……、俺が見つけたんだ。

 本人が望まない限り、渡せと言われても譲ってやる気は毛頭ない。

 俺がこの手で育て、いつか立派な男を見つけて嫁に出すまで頑張って兄のポジションに居座り続けてやる。


「お前達、そう張り合うな。俺だってこの娘の事は気にかけているんだぞ?」


「「陛下は黙っててください」」


「ほぉ……、そうやって俺だけ蚊帳の外か。そうかそうか……、じゃあ、この娘が目覚め次第、餌付けを頑張る事にしよう」


 ウチの可愛い妹に余計なちょっかいを出してる暇があったら、政務をやれ、政務を!!

 同意見の宰相殿と一緒に睨み付けてやるが、全く効果なしだ。くそ……っ。

 グランヴァリアの国王陛下は茶目っ気と懐の広さが脱帽ものだが、本気でへこんでいる姿は誰も目にした事がない。宰相殿なら……、まぁ、あるんだろうが、言葉でも行動でも勝てない。

 それが、目の前の余裕たっぷりに微笑んでいる国王陛下だ。

 勝てない……、が、リシュナを容易く渡す気も、ない。

 

(けど、もし本当にリシュナが宰相殿の娘だったら……、あぁ、王弟の姫君って事になるのか?)


 グランヴァリアの地でなら、陛下と宰相殿庇護の許なら、リシュナは外敵に怯えなくても済む。

 綺麗なドレスや美味い食事、温かな寝床に、心休まる日々……。

 真実宰相殿の子だとわかれば、リシュナは……。


(まぁ、宰相殿が正直にならない限り、無理なんだろうけどな……)


 その事に、何故だか胸の奥でほっとしながら、俺は穏やかな眠りに入ったリシュナの顔を眺め続けるのだった。――これから先の未来など、何ひとつ、知らないまま。

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