私の世界と、彼らの世界……。

※残酷表現、流血表現あり。ご注意ください。


『おんぎゃぁああっ、おんぎゃぁあああっ』


『おお~!! 今日も元気に仕事してんなあ!! お~、よしよし、俺に似て活きがいい奴だ!!』


 第二の王都と呼ばれるファルギアさんの住む町を後にし、やって来たのは辺境のまた辺境の地。

 恐らく、あの町を賑わいのある都とするならば、ここは自然溢れる静かな片田舎。

 最初に訪れた場所よりも、さらに小さな町……。

 領主であるディル君のお父さんの治めるこの場所と、幾つかの小さな町を含めたその一帯が領地になっているのだと教えられ、今度は一気に奥の領主屋敷に向かった。

 そこで……、見たものは。

 

「あんな顔……、出来るんですね」


 優しい温かな親の顔をしているディル君のお父さんと、傍で微笑むお母さんらしき人の姿があった。元気に泣いているのは、生まれたばかりの赤ん坊。ディル君だ。

 お父さんの腕の中であやされ、嬉しそうに存在を主張している。


『例外もあるが……、あれも親だからな。我が子を慈しみ、誕生を喜ぶ感情もある』


「……」


『それに、辺境の都に比べれば、ここはのどかで平和だ……。思想や価値観の根付きはあるが、あんな顔が出来る程度には、平和な部類に入る』


 幸せそうな親子の光景……。

 あの残念な大人も、心優しい親に、見える。

 その姿が揺らぎ、やがて目の前に見え始めたのは……、三歳程になったディル君らしき男の子。

 お母さんの膝の上で絵本を読んで貰いながら、楽しそうに笑っている。

 その横には、お父さんがお母さんの肩を抱き、本当に……、普通の、優しいお父さんの顔で、我が子を見つめていた。

 その光景が何だか信じられなくて……、国王様人形を抱く腕に力を込めてしまう。


「とっても、……温かい、です」


『過激派に属していながらも、あの者達は俺達に近い。親として子を慈しみ、家族を愛する心を持っている……。だが』


 幸せな世界が、今度は別の誰かを私の視界に映し出す。

 空へと戻った私達の眼下で、二人の男性が馬に乗り豊かな野を駆けている。

 一人はディル君のお父さん、もう一人は……、知らない、柔らかな茶色の髪の人。

 二人は楽しそうに笑いあい、どこまでも果てを知らないように馬を走らせる。

 友人……、と言える間柄なのだろう。辺境の民にしては、眩い明るさに満ちていた。

 ふわりと風に乗り近づいて行くと、二人は小高い丘の上で馬を降り、腰に携えていた剣に手をかける。


『ディルの父親は、底抜けに明るい……、辺境の男にしては珍しいタイプだった』


「国王様?」


『それ故に、他者を信じやすく……、騙されやすい、とも言える』


 刃を交え、楽しそうに打ち合う二人の大人。

 互いを信じあい、一緒にいる事を幸せに感じている友人同士だと、そう見えるのに……。

 国王様の険しげな声に、私は不安を抱く。

 

『勿論、最初から受け入れたわけではないだろうがな……。だが、ディルの父親はあの男を友として受け入れた。人と吸血鬼の間に生まれた、混血児をな』


 混血児……。茶髪のお人好しそうな男性をそう呼んだ国王様が、二人の男性が過ごした日々を私の目の前に流れるようにシーンや場所を変えて見せてくる。

 国王様の口ぶりからして、――裏切りの文字が頭の中を色濃く占領してしまう。

 よくある話かもしれないが、よくある話でもない、と語る国王様は、私を紅に染まる夜空へと連れて行く。夕陽のそれではなく、……地上に放たれた災いの炎。

 

『元々、ディルの父親と他の二人の子供達の父親が治める領土はそれ程広くはない。だが、辺境の地にありながら、平穏と幸福を享受する地は、妬みを買いやすい』


「つまり、侵略された……、と、そういう事ですか? 国王様」


『結果的に言えばそうだな。それと、三人の家の血筋は、勢力こそ衰えてしまったが、俺の祖先と戦っていた時代には、驚異の力を見せつけた者の力を受け継いでいる。まぁ、アイツらを見ればわかる事だが、命中率や戦いの効率の悪さを目の当たりにすれば、信じられない話だが』


 町を焼き、ディル君のお父さんが治める地を犯した侵略者……。

 それは、あのラルヴァシュカの町から遠くない、ある一帯を治める貴族の仕業だったらしい。

 けれど、結果的に領地侵略は失敗に終わり、夜盗に見せかけた一団は主の名を吐かずに絶命した。


『調べればすぐにわかる事だが……、ディルの父親の領地に手を出した貴族は、その翌日に殺害され、……どちらも痛み分けとなった』


 治めるべき領地を侵され、町を焼かれたディル君のお父さん……。

 その一団の中には、友と呼んだ混血児の姿もあったそうだ。

 わかっていた流れだけど、次に語られた事実は受け入れがたいものだった。


『大勢の民が犠牲となったが……、あれにとっては、何より耐え難かったのは、妻と息子を害された事だろう』


「ディル君と、お母さんが……?」


『死んだわけではないが、ディルの母親は混血児による一撃で深手を負い、眠りに就いた。いつ目覚めるかはわからん……。そして、あの男は友と信じた混血児との戦いにより、目覚めるべきではなかった血の呪いに目覚めた」


 友の裏切りと、大切な妻を害された怒りと悲しみ……。

 まだ三歳児程の姿でしかなかったディル君の命もまた、混血児だった男性に奪われる寸前だったけれど、それを庇い最初に害されたのが奥さんだった。

 互いに競い合った剣技が乱れ合い、やがて……、ディル君のお父さんは友の命を奪ったその瞬間に、血の狂気に囚われた、と。

 この辺境の地にありながら、幸福を享受し、堕落していたから……、見誤った。

 町や屋敷を包み込んだ炎の荒波、絶えず響き渡る子供の泣き声。

 焼け落ちていく屋敷の室内に視点が変わり、狂気に支配された父親が……。


「うっ……」


『女子供に見せるものではないが、あれが、あの男が変わり始めた最初の瞬間だ。普段は抑え込んでいるようだが、ふとした瞬間に自身を失ってしまう。……何度も友と呼んだ男を斬り裂き、抉り、貫き、その恨みと怒りをぶつけ続けた』


「はぁ、……これが、始まり?」


 目の前の凄惨な光景が消え去り、けれど、……今度は別のおぞましい世界が視界に映りこむ。

 どこかの屋敷……、だと思うけど、夥しい血の海が、壁や絨毯に染みを作り、恐ろしい悲鳴が耳を突いてくる。廊下に倒れ込んでいる死体、奥から聞こえた野太い絶叫。

 何かを考えるよりも前に、駆け出して行く。

 破壊の跡を残す、破られて奥の部屋へ倒れ込んでいる扉。

 

『うぅっ……、た、助け』


『……』


 血管の浮き出ている右手が、でっぷりと太っている中年の男性の首を捕らえている。

 長い爪が食い込み、ギリギリと、ゆっくり……、ゆっくりと……、男性の首を締め上げ。

 真紅に染まった、ぎらつきのある瞳。全身から溢れ出している恐ろしい殺気。

 止める暇もなく、――絶命の声が室内に響き渡る。


「い、や……、はぁ、はぁ」


 普通なら、意識を失っていたっておかしくない。

 正確に言うなら、ディル君のお父さんが友人だった男性を殺すあの瞬間に。

 けれど、私は目を閉じる事が出来ない。瞬きすらしてはいけないと、誰かに命じられているかのように、ずっと、目の前の恐ろしい光景を見続けている。


『あの男が治めていた領地は、一度ファルギアの手に戻り、彼の者を殺害したディルの父親にその地を与えるという話になったが、これはディルの父親の意思で話は消えている。今は別の者が治めている』


 そして、自分の領地に戻り、領主としての仕事を淡々とこなしたディル君のお父さんは、やがて、普段の彼に戻ったかのように見られていた。

 しかし、それはただの見せかけ。彼の中で目覚めた狂気と憎悪は、やがて民や家族に向かう事になる。誰に害される事のない、強さへの欲求。

 辺境のさらに片田舎で起こった侵略の炎が、彼らに自分達の中に眠る過激派の血を目覚めさせたのだった。

 何よりも、まず強さを……。ディル君のお父さんは、兵にも、自分の息子にも、過激派の思想を色濃く刻み付けるようになったのだという。

 

『平和ボケしていた、と……。本人は言っていたそうだが、当時起こった騒動のせいで、ディルの父親は強さへの欲求が強くなり、また、混血児に裏切られた事もあり、人への憎悪も目覚めてしまった』


「……無理やりな連鎖反応ですね。だから、人の命も軽く感じているという事ですか?」


『正確には、自分の大切な物以外への関心が消えた……、というところだな。要は、身内贔屓が度を超すようになった、と……。そういうわけだ』


 守るべきは、その手の中にあるものだけ……。

 その為に強さを求め、それ以外に心を分け与える気はない。

 だから、ディル君のお父さん達は自分達の世界の外側にある他人の命に何も感じない、か。

 

『他の二人は、ディルの父親の負った傷に同調しているようなものだが……、あの二人も色々とあるからな』


「だから、私の言葉が届かないんですか?」


『……気付かないふりを、していると言えばいいか。領地と民や家族を襲われた事で、ディルの父親だけでなく、領地を近くにしていたあの二人の父親も影響を受けた。自分達が生きる地が、過激派の追いやられた辺境だという事を、な。外と内……、感情を分ける事で自分の心を守っているんだろう』


 ようやく、落ち着いた景色と子供達の過ごした日々の記憶が目の前に現れ複雑な心境でいると、国王様人形が腕の中から移動して私の肩に乗った。

 ふぅ、と……、国王様人形もお疲れのご様子だ。


『全てを守る事は、王である俺自身も可能とは言えん。だが……、父親である自分が混血児を友と呼び信じてしまったその甘さを、子供に教えたくないのかもしれないな。心を許せば、また裏切りと悲劇が自身の大切なものを巻き込みかねない。だから、外に友や大切な者を作らぬよう、教え続けた』


「……」


『勿論、どんな過去があろうと、お前の傷はお前のものだ。家族の、共に過ごしてきた者達の亡骸を傀儡とされ灰燼に帰された事……、許す必要はない』


 国王様は、そんな彼らを可哀想とは言わなかった。

 これを見せたのは同情を買う為ではなく、子供達と、その親が背負っている背景を知る事で、自分のやろうとしている事に、さらなる覚悟をもってほしい。そんな願いが込められている。

 グランヴァリアの辺境、過激派の生きる地……。

 私が、あの子供達に教えようとしている事は、彼らをこの地で生き難くさせてしまうかもしれない。誰かを思い遣り、信じ、愛する気持ちを教えてしまったら……。

 ディル君のお父さんが味わった悲しみを、怒りを、繰り返す事になるかもしれない。

 

「難しい、ですね……」


 辺境の事を知らなかった前の私と、今の私……。

 胸を浸食するのは、迷いを抱く不安の気配。

 私にとっての常識や価値観と、あの子達の世界の、それ……。

 気が付くと、私は奇妙な眠気に襲われて……、朧気になっていく目の前のディル君と、お父さんの姿に手を伸ばしながら、ぐらりと傾いた。

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