辺境の記憶・第二の王

 国王様人形が命じるまま、勇気を出して開けた扉の向こうには……。

 フェガリオお兄様お手製のスカートが突風に煽られ、真っ白な光が視界を満たした直後、私達は真っ青な晴れ渡る大空のど真ん中に躍り出ていた。

 眼下には、自然の恵みを受けて佇む緑の木々や整備された道、その向こうには沢山の建築物が集まる町のようなものが見えている。

 

『ここは、グランヴァリアの辺境の地……。そしてあれが、ラルヴァシュカの町だ』


「……ラル、ヴァシュカ」


 国王様人形が町へ迎えと丸い手をその方角に向かって突き出す。

 身体が、それに従うように空の中をゆっくりと進み始める。

 

『辺境の地には、かつて俺の祖先に敗北した過激派の吸血鬼達の子孫が住んでいてな。あの子供達と、その親の故郷であり、今も住む地だ』


 勿論、今いる場所は現実のそれではなく、子供達の親が抱く記憶から生み出した世界なのだと、国王様人形は落ち着いた音で私に説明してくれる。

 グランヴァリアの覇権を争い、辺境の地へと追いやられた者達の子孫が住まう土地。

 そこは、穏やかで平和な国を目指そうと決めた国王様のご先祖様達が願ったそれとは違う教育方針や行動が目立つ小さな世界でもあるらしい。

 いつか、グランヴァリアを自分達の手に……。その為に、彼らは脈々と自身の血に呪いをかけるかのように、国王様達が望まない『強さ』を子供達に受け継がせている、と。


『人間の世界にも、国ごとに違う風習や生活模様があるだろう?』


「はい……」


『種族がどうあれ、思想の違いというのはどこにでもあるものだ。俺は先祖の望んだ通り、無用な争いは好かん。誰もが互いを思い遣り、優しい愛を抱く。平和で、暮らしやすい国を作るために王としての責務を果たしている』


 それは私も同じだ。誰に脅かされる事のない、皆で笑っていられる世界。

 人間の世界の片隅で、ただそれだけを願って暮らしていた……。

 けれど、人は簡単にその小さな幸せを壊してしまう。

 それもまた、誰かの思想や欲の犠牲……。

 本物のように感じられる風や眼下の景色を感じながら、私達は町の入口に辿り着く。

 緑と整備された道の先、石畳の広がるラルヴァシュカの町。

 晴れやかな道のりとは違い、そこに足を踏み入れた瞬間……、嫌な感触が胸に生じた。


「なんだか……、ギスギスしてませんか?」


 グランヴァリアの王都で見た街並みに比べれば、活気も道行く人達の数が劣るものの……、人間の町と変わらない普通の町に見えるのに……。

 道を行く人達が纏う気配は、あまり近づきたくない壁のようなものを作っているように感じられるのだ。表情も、王都の人達とは違い、……暗く、疲れているようにも見える。

 国王様人形をぎゅっと胸に抱き道を進んでいると、路地の方から大きな怒声が響き渡ってきた。

 ビクリと全身を震わせ戸惑っていると、争うような言い合いの声が聞こえ、騒がしい物音が。

 喧嘩が起きているのは明らかなのに……、誰も、そちらを見ない。

 いや、一瞬だけ見た。でも、自分には関係ないと思っているのか、自分の向かうべき場所や目的を優先させているかのように、通り過ぎていく。

 

「……興味が、ない?」


『それもある。だが、興味がない、とも言える……。辺境の者達は、強さが全てだからな』


「強さ……。じゃあ、強い人が喧嘩を止めれば」


『他者の争いに口を挟む者は、このラルヴァシュカの町、ガルシュアナ地方にはおらん。あの路地の向こうで誰が死のうが生きようが、この町の者には関係ない……。弱いのが悪いのだからな』


 弱いのが、悪い……。

 思い切って路地の方に向かってみれば、髪を振り乱した男性が、やめてくれと叫ぶ男性を蹴りつけ、必要以上の暴力を与えているのが目に映った。

 もう敵わないと、降参しているのに……、攻撃の手がやまない。

 頭から血を垂れ流し、耳を塞ぎたくなるほどに可哀想な悲鳴が響き渡る。

 それでも、……誰も、路地に近づいて来ようとは、しない。


「どうして……」


『辺境の地には、こんな光景が溢れている……。己の強さだけを頼りに生き抜き、害を成してくる者には容赦なくその力を揮う。これは過去の世界を模しているが、俺の治世を中々受け入れてくれなくてな……。目立った反逆の意思はないものの、辺境の光景は今も昔も、あまり変わらない』


 それは、他者の命さえ軽々しく扱われるのだと、国王様の声は寂しげに揺れていた。

 グランヴァリアの覇権を勝ち得た国王様のご先祖様達は、王都を中心に自分達の考えや目指す者を広げていったけれど、それでも、過激派の集まる辺境の民は、それを受け入れない。

 ただ、負けた以上膝を屈してはいるけれど、考えを改めるつもりはない、と……。

 それでも、根気強く長年に渡って過激派を抜ける者は出て来ているらしく、国王様達一族の努力は少しずつ身を結んでいるらしい。


『こればかりは、力で捻じ伏せてもあまり意味はない……。表面上だけ従ったとしても、その考えや価値観は変わらず、子へと受け継がれる。つまり、永遠にそのままだ』


 自嘲気味に微かな笑いを零す国王様人形……。

 その価値観を変え、過激派を抜け出した人々は王都か、それに近い場所へと居を移し、新しい生活を始めるのだという。国王様の保護下に入り、裏切りを許さない人達が手出しを出来ないように。

 

『辺境にも色々と厄介な貴族や権力者達がいる。これに関しては説明を省くが、辺境にも……、『王』がいるからな』


「それは……、国王様を王とは認めず、自分達過激派の王を立てている、という事ですか?」


『あぁ。残念ながらな……。表向きには辺境の代表という立場をとっているが、過激派の本音はそこにある』


 路地を離れるよう私に促し、国王様は人形の姿を借りて話を続ける。

 大通りの、あまり活気を感じられない薄暗い淀みを感じながら……。

 目にする誰もが警戒心と内に秘めた狂気を滲ませ、軽い挨拶の交し合いさえ聞こえない。

 もう一度空に戻り、今度は別の大きな町へと降りる。

 ここが、辺境を統括する『王』の座すべき、過激派の王都とも言える町。

 本物の王都に負けないぐらいの、立派な建築物が立ち並び、先ほどの町よりも活気が感じられる。

 賑わいを見せている第二の王都は、表面上だけ繁栄を取り繕ったかのように見えたけれど……。

 行き交う人々の瞳の気配だけは、同じだった。

 一瞬も気を抜けない、過酷な戦場を思わせるかのような……、ねっとりとした気配。

 私と国王様人形の姿は誰の目にも映っていないお陰で、その視線に晒される事はないけれど……。


「気持ち悪いです……」


『すまないな……。お前の意志も決意も変わらない。それはわかっているが……、あの子供達の故郷を、生きてきた世界を、環境を、見ておいてほしかった』


 話だけではなく、自分の目で、肌で、あの子達を取り巻いてきた世界を知る。 

 国王様は私の決意を変える為じゃなくて、それを支える柱を、覚悟の色を濃くする為に、この世界を私に見せているのだ。

 それに頷き、過激派の王都の奥にある鉄壁の高い壁に囲まれた門の前に行くと、私達はその向こうに佇んでいる大きな屋敷に足を踏み入れた。

 門番も私達の存在は見えていない。ここは記憶の世界……。

 けれど、国王様曰く、自分が少し手を加えて再現率を上げていると言った世界。

 濃い青色の絨毯の広がるエントランスで周囲を見回してみると、品の良い落ち着いた色合いの花瓶や絵画が視界に映り、屋敷の主の趣味の良さを伝えてくる。

 誰も……、いない。けど、不思議とこのエントランスホールに向けて注がれている警戒の気配を感じるのは、きっと確かな感覚。

 二階に上がるようにと指示を出され、奥にあった両開きの大きな濃いブラウンの扉のノブに手をかける。けれど、その瞬間、私は動きを止めてしまった。

 この中に、何か……、恐ろしい、何か……、力の塊のような、剥き出しの獣の牙を思わせる気配が感じられる。抑えもせず、外に向けて威嚇してくる。


『臆せず入っていい……。これは、ただの記憶だからな』


「はい……」


 扉を開けて中に入ると、やはりまた、深い青色の絨毯が足元に現れる。

 誰かが入って来た事さえ、部屋の主は気付いていない……。

 執務机に向かって黙々と羽根ペンを走らせている、……蒼色の髪の男性。

 歳の頃は二十代前半程に見えるけれど、吸血鬼相手に外見上の年齢などあてにはならないのだろう。国王様人形が、ひょいっと私の腕の中から飛び降り、執務机によじ登っていく。


『ファルギア・ルデイド……。過激派の住まう辺境の長にして、王。俺よりは年下だが、なかなかに頭の働く奴でな。敵でなければ、俺の右腕にしたいところだが……』


「ご先祖様の思想とやらが根付いている人、という事ですね?」


『あぁ……。俺の祖先は、このグランヴァリアの地でこの男の先祖と争い打ち勝った際、過激派の生き残りを辺境へと追いやった』


 それは、自分達に歯向かう全てを根絶やしにしなかったという事実。

 生き残った過激派は、その時にはもう歯向かう気力なんてなくて、その力を根こそぎ奪われた後、辺境の地で生きる事を許されたそうだ。

 けれど、それは彼らにとって屈辱の仕打ちでしかなく……。


『時が流れるにつれ、奴らの憎悪と恨みは徐々にその血を繋げていく事で力を取り戻していった……。だが、俺の祖先に抗う力などなかった奴らは、子孫に復讐の願いを託した。いつか必ず、グランヴァリアの現王家を根絶やしに。俺の首を、その手で刈り取る為にな』


「もしそうなったら、……また、無用な血が流れます。国王様はどうして放置しているのですか?」


 真面目な顔つきでペンを走らせていた男性が顔を上げる。

 別に私達の存在を把握しているわけじゃない。真紅の双眸が佇む、温もりのない氷のような美貌。

 国王様人形はその青年を悲しそうに見つめながら、執務机に腰かけて足をぶらぶらとさせる。


『勿論、完全に放置などはしていない。監視の目もつけてある……。二度と、過去の争いが起こらぬように、必要とあれば、その血筋を絶やす覚悟もある』


「国王様……」


『だがな……、俺と祖先はよく似ているのだ。いや、今に至るまでの血族全てが……、過激派に対する希望を捨てられないでいる。現に、説得を続けこちらに歩み寄ってくれた者もいるからな』


 小さな歩み寄りが積み重なり、それが実を結び続ける限り……。

 それに、辺境を束ねる目の前の真紅の瞳の男性を殺してしまえば、過激派は一気に爆発してしまう。彼を自分達の王とし、この町に据えているからこそ……。

 いつか訪れる決起の時を夢見ながら、大人しくしてくれているのだ、と。

 

『俺は、自分の代で全てを終わらせるつもりだ。ファルギアもまた、それを望んでいるように思えるからな……』


「国王様は、この方の心の中がわかるのですか?」


『いや、感じているだけだ……。俺に対し皮肉をぶつけながらも、その奥底で……、自身を縛り呪い続ける血筋と、過激派の毒から逃れたいと、そう望んでいる事を』


 同じように、民を束ねる頂点に立つ者だからなのだろうか。

 国王様のファルギアという青年を見る目に、疎ましさも憎しみもない。

 あるのは、……同情に似た、寂しそうな気配。

 国王様人形が執務机から飛び降り、私の腕の中へと戻ってくる。


『さて、そろそろ本題のところに行くか。まずは、そうだな……、一番気の強い暴れん坊のところに行くとしよう』


「暴れん坊……、ディル君のお父さんですか?」


『正解だ。今の時代は、丁度奴の子供が生まれた頃にしてある。屋敷に向かうぞ』


 扉へと向かい、後ろでそれを閉めようとした私の目に、執務机の上に佇んでいた花瓶から、ひとひらの青い薔薇の花びらが落ちるのが見えた。

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