会議とリシュナの父親

 ――Side レゼルクォーツ



「国内、国外における違反者の取り締まりの報告に関しては以上だな。引き続き、グラン・シュヴァリエの名に恥じぬ働きを心がけるように」


 巨大な円卓に腰を据えてから一時間ほど……。

 長々とそれぞれのグラン・シュヴァリエが担当している監視領域の報告をさせられ、その他諸々の業務連絡に時間をかけたかと思えば、いまだに肝心の招集内容は語られず仕舞い。

 これじゃあ定期連絡の時の会議とまるで同じだ。

 

(こんな事なら……、サボってリシュナ達と花火鑑賞やってても良かったよなぁ)


 切実にそう思う。

 王宮の大図書館の窓から見える花火は、邪魔なものが一切なく見応えのあるものだ。

 今頃きっと、リシュナはその瞳を輝かせて嬉しそうに大輪の華を見上げている事だろう。

 もしかしたら、俺が見た事のない一面が表に出ているかもしれない。

 それを思うと、今すぐにこの退屈な会議を蹴っ飛ばして大図書館に駆け付けたいところだが……。

 生憎と、この会議を抜け出す事は不可能に近い上、宰相兼グラン・シュヴァリエの長をしているレイズフォード様から説教の予告を受けている。

 お子様連中の一人、ディルを肩車し王宮内を突っ走った件が原因なんだが……。

 ちらりと、この会議の司会進行を担当している宰相殿を窺う。

 レイズフォード・グランヴァリア……。

 現・国王の実弟であり、俺達の上司でもある男。

 俺達とそう歳の変わらない若い容姿をしているが、俺よりも遥かに年上だ。

 自由奔放で豪快な国王に比べ、弟の方は何事にも厳しく、凶悪な違反者や不穏分子に対しては、容赦なく冷酷無比の顔で狩り尽くすとまで噂されている。

 それは説教でも同じ事で……、はぁ、心から全力でサボりたい。出来ないわけだが。


(まぁ、その前に……、『あっち』が先だろうな)


 俺がずらした視線の先には、本来国王が座るその席に、黒く揺らめく人型が居座っている。

 それは、このグランヴァリアの国王が寄越した影のような存在で、……宰相殿の苛立ちの原因でもある。グラン・シュヴァリエとその長が揃っている状態で、一番肝心な絶対者がいない最悪の状態。まぁ、いつもの事と言えば、いつもの事なんだが。

 規律を重んじる宰相殿からすれば、一体どこで油を売ってるんだ、あの馬鹿兄は!! と、いったところだろう。

 グラン・シュヴァリエとして年季の入っている年長者達は飄々としたもんだが、俺やフェガリオはピリピリと空気を震わせる宰相殿の殺気に、居心地が悪くて仕方がない。

 

『そろそろ、俺も参加するとしようか』


 バレないように溜息を吐いていると、招集ついでの報告関連が終わったのを待っていたのか、今まで無言を通していた国王の影に変化が起きた。

 揺らめくその影の中から、本物の王たる者の肌や顔が光のように闇を侵食し、面白そうに笑みを刻むグランヴァリアの支配者が、ようやくこの会議の席に現れたのだ。

 同時に席を立ち上がったグラン・シュヴァリエ達と共に、王に対す服従の礼を表しながら頭を下げる。


「陛下、今までどちらに? 会議には始めからご出席いただける様にお願いしたはずですが?」

  

 開口一番、顔を上げた宰相殿が射殺さんばかりの冷ややかな視線で王を咎め始めた。

 数百年に渡り、何度その説教を受けようと、国王が懲りる事はない。

 重要な部分にだけ顔を出せばいいと、自分のやりたい事の方を優先させてしまう。

 一番簡単なのは、そんな王の性格に慣れきって諦めを抱く事だが、宰相殿の信条がそれを許さないようだ。グラン・シュヴァリエ達の目の前で、偉大なる絶対の王を冷たく淡々と叱り続けている。


「はぁ……、別に構わんだろう? 招集の目的は、これから話す事なんだからな。事務的な報告は、全てお前が聞いておけばいい」


「そういう問題ではありません。この場に王がいるのといないのとでは、意味合いが違ってくるのです。今は忠義を向けてくれているグラン・シュヴァリエ達も、王がそれでは、いつか愛想を尽かされますよ」


 自分と同じ漆黒の髪を纏う実兄をくどくどと叱り続けている宰相殿は、別にそれを本気で言ってるわけではないだろう。のらりくらりと自由気ままな姿を見せてはいても、現・国王陛下の実力は歴代最強とも謳われるものだ。

 たとえ貴族連中から反感や謀反の気配が生じても、この王を弑する事の出来る者はいない。

 まぁ、国政自体完璧にこなしているからな。文句が出るとしたら、もう少し王らしく振舞ってくれという残念な抗議文ぐらいだろう。

 宰相殿からの小言に、国王は小さく喉奥で笑ってみせると、今回の招集目的に関して早くグラン・シュヴァリエに話してやれと促した。

 

「本題だが……、お前達も知っての通り、ここ数年の間に、シュヴァリエの立場にある者が何人か行方不明になっている件について、進展があったので情報を共有しておく」


 シュヴァリエの件、……あぁ、あれか。

 グラン・シュヴァリエ達がそれぞれに配下としている者達の事なんだが、俺の配下にはまだ被害は出ていないが、他のところは違うらしいと聞いている。

 違反者を追っている最中に国外で消息を絶ったという情報ばかりで、まだ一人も見つかっていない。俺が耳にしている話では、すでに十人近くが消えているはずだ。


「ロゼナ・リオンディーテ。彼女の配下であるシュヴァリエの一人が、フェルダ王国の近郊で正体不明の存在と遭遇。同行していたシュヴァリエの一人が……、その者に攫われたそうだ」


 グラン・シュヴァリエの一人、ロゼナ・リオディーテ。

 俺よりも年上の、女性体のグラン・シュヴァリエだ。

 黄金の豪奢な巻き毛と長い髪の美女なんだが……、いや、悪い人物じゃないんだが、色々と面倒タイプでもある。

いつもは笑顔で人に接する愛想の良い女性だが、今日は憂いの気配で表情を染めている。


「こういう言い方はしたくないが……、同族を見捨てたからこそ、得られた情報というわけだな」


「御意。陛下の仰る通り、そのシュヴァリエを見捨てなければ、この件を解決する為の糸口を手繰る事は出来ませんでした」


 フェルダ王国……。それは、リシュナが暮らしていた国の隣にある大国だ。

 雪に覆われた極寒の地。周辺諸国の緑豊かな国から食料を賄い、領土拡大を目指している国。

 リシュナの故郷も、その大国が仕掛けた進軍で犠牲となった。

 色々ときな臭い噂のある国ではあるが、この件に関しても影を落としているのか。


「フェルダ王国に関しては、我らの同族がフェルダの王の背後で良からぬ企みをしているという噂もあるが、調査に向かわせたシュヴァリエ達からの報告では、同族の気配はないと、何度調べても同じ結果が出ている」


 宰相殿が過去の報告に関するそれを口にした後、その蒼い瞳に確信の光を込めた。

 国王の方も、左手で頬杖を着いてゆったりとはしているが、気配に険しいものが混ざった気がする。


「恐らく、我が同族を攫ったのも、フェルダの背後で暗躍しているのも……、交ざり者の仕業の可能性がある」


 交ざり者、宰相殿が口にしたそれは、グランヴァリアの地で生まれた吸血鬼と、他種族の血が交ざり合って生まれた者の事を指す。どういう特性を抱いているのかは知らないが、フェルダの背後に吸血鬼がいると噂を蒔いておきながらも、その存在がない事で俺達が地団駄を踏んでいる事を嘲笑っている者。

 相当の悪趣味なタイプなんだろうが、交ざり者ならば納得がいく。

 二つの種族の血を引く者は、意図的に自身の存在を一方に染める事が出来る。

 たとえば、吸血鬼と人間の交ざり者ならば、人間の気配で吸血鬼の気配を侵食すれば、シュヴァリエが近づいたとしても、人間にしか見えない。

 ただこれは、特に力の強い者が見れば、看破出来る細工ではあるんだが……。


(シュヴァリエだけに仕事を任せたのが驕りだったというわけか)


 流石に、シュヴァリエ達を何らかの目的の為に攫う時は吸血鬼としての力が必要となったんだろう。今までは一人ずつに手を出していたようだが……。

報告によると、今回逃げ延びたシュヴァリエは、双子の間柄で共に行動する事が多く、お互いに一時的に別行動をしていた際に片方が襲撃されてしまったと、つまりはそういう事らしかった。

 

「確かにな……。シュヴァリエの件と、フェルダの件は、非常に近しい場所でおきている。関連性はあるだろうが、フェルダに関しては、別の可能性も考えて行動するべきだな」


「御意。その可能性も含めて、確実にその対象を捕獲し、シュヴァリエ達の解放に臨みます」


 王からの助言に宰相殿は一礼すると、何故か俺とフェガリオの方に意味深な視線を寄越してきた。

 これはもしかしなくても……、面倒事をこっちに振る気か?

 グラン・シュヴァリエの長たる宰相殿に命じられれば、膝を折らないわけにはいかないわけだが、フェルダ行きが決定しそうな気がするのは、恐らく確定事項だろう。

 

(リシュナ……)


 フェルダ王国は俺の監視領域じゃない。

 だが、今人間界で暮らしているグラン・シュヴァリエは、俺とフェガリオ、それからクシェル兄貴だけだ。その上、俺達が住んでいる場所は、フェルダ王国のすぐ隣だ。

 宰相殿が俺達を使わないわけがない。


「レゼルクォーツ」


「レイズフォード様、俺にフェルダ行きを命じられるのならば、レインクシェルを差出しますので、俺とフェガリオは免除でお願いします」


「おやおや~、大事な僕というお兄ちゃんを生贄にするなんて~、――ぶっ飛ばすぞ、レゼル」


「散々、人間界で女と遊んだだろうが!! たまには弟の役に立て!!」


 フェガリオの隣の席で暢気に寛いでいた実兄を宰相殿に振ってみたんだが、元の大人の姿に戻っているクシェル兄貴は、人を容赦なく殺害しそうな視線で話を蹴りやがった。

 普段から女と遊んでばっかりで、たまにしか仕事をしないぐーたら者だ。面倒な仕事を押し付けて何が悪い!! 席を立ち上がり、こっそり円卓の下で読んでいたと思われるエロ雑誌をクシェル兄貴の膝から取り上げた俺は、それを宙へと乱暴に放り投げる。


「四の五の言わずに、フェルダに潜り込め!! 兄貴なら貴族の女共を誑し込んで情報を得られるだろうが!!」


 この万年女タラシなクシェル兄貴に仕事を押し付ければ、俺とフェガリオは平穏に今暮らしている国でゆっくりと日常を送れる。

 可愛いリシュナを寂しがらせず、良き兄としての日々を約束されるのだ。

 その生活に、女にだらしのない変態はいらない。暫く、フェルダの極寒の地で反省していろ。

 だがしかし、クシェル兄貴はエロ雑誌を奪われた怒りで、俺と両手を掴み合っての復讐戦に乗り出した。


「なにすんだ、この愚弟!!」


「うるさいわ!! このドエロ愚兄が!! 会議の間でエロ本なんか見るんじゃない!! 全世界の無垢なお子様達に土下座して謝れ!!」


 いいからさっさと、俺達の代わりにフェルダに行くと言え!!

 取っ組み合いの大喧嘩になりそうな勢いで罵り合い始めた俺とクシェル兄貴を、フェガリオが頭の痛みを覚えるような顔で制止に入った。

 

「お前達……、ここが陛下の御前である事を忘れたか……!」


 グラン・シュヴァリエとして、尤もなフェガリオの一喝が響き渡る。

 しかし、それを意味のない茶番の渦に引き摺り込むかのように、別方向から暢気な声がかかった。


「ん~? 別に構わんぞ。終わるまで俺はこれを楽しむとしよう」


 王の席に座っている国王陛下本人が、クシェル兄貴の読んでいたエロ本をキャッチしたらしく、それをパラパラと見ながら、ふむふむと片手を緩く振っている。

 何が起こっても動じないのは流石だが、アンタも会議の場を壊すのか!! 国王!!

 控えているグラン・シュヴァリエ達が気を抜かれたように肩を落としていく。


「陛下……、いい加減になさってください。貴方ごとその本を燃やしてもいいんですよ?」


「ははっ、冗談だ冗談! ほれ、フェルダとシュヴァリエの件に関する役割分担は俺の方で決めておいた。あとはお前が上手く調整しておけ」


 と、笑って誤魔化しながらも、王はエロ本をその懐へと隠した。……なんというちゃっかり感だ。

 そして俺の方も、宰相殿が本気で怒り出す気配を察した為、クシェル兄貴から手を放した。

 

「レインクシェル、この会議の場に不必要な物を持ち込んだお前に対する罰として、フェルダへの潜入を命じる。レゼルクォーツ、フェガリオ、その他のグラン・シュヴァリエは自身の場にて待機」


「ええ~!! 嫌ですよぉ~!! 僕、デートの約束がいっぱ」


「ならば、この場でお前の首を刎ねてやるが?」


 感情の一切宿らない平然とそう宣告した宰相殿の静かな迫力にびびったのか、クシェル兄貴はわざとらしく作った笑みを引き攣らせながら、小さく命令を受ける声を発した。

 流石に、冷酷無比の死神とも噂される宰相殿に声を荒げて反抗する意思はない、か。

 その代わり、俺に対する恨みの眼差しが凄まじい。別に気にしないが。

 だが、陛下のおふざけと宰相殿の絶対零度の気配で、場はどうにか緩和されているような気はする。


「では、行方不明となっているシュヴァリエの所在と、交ざり者の正体に関する調査は、レインクシェルに一任させて貰う。報告は定期的に寄越すように。全ての調べを終えた後、捕獲と解放を目的とする隊をそれぞれに作り、フェルダに乗り込む事とする。また、レゼルクォーツ、フェガリオ、レインクシェルはこの場に残れ」


 各、グラン・シュヴァリエ達に配下にこの件に関する注意喚起をし、必ず複数で行動するようにと言い含めた後、宰相殿はようやく会議の間を解散させた。

 円卓のある間に残った俺達は、ちょいちょいと指で招く国王の許に近づいていく。


「レゼル、お前が拾った娘に関してなんだがな」


「リシュナの事ですか? 必要な書類は全て提出させて頂きましたが、リシュナが何か?」


 王の表情からは、何かを懸念するような気配が見てとれる。

 宰相殿の方も、同じように緊張を孕んだ目で俺達を見ているんだが……。

 一応の報告として提出した書類には、リシュナの生い立ちと、拾った場所や、住んでいた村での出来事、ある程度の情報は書き連ねておいた。

 

「あの娘……、実年齢は十四だと記してあったな?」


「はい」


「種族による成長の違いはあるが、あのリシュナという娘……、触れてみてわかったが、強力な封呪がかかっていたぞ」


「陛下? まさか、会議をすっぽかしてその娘に会いに行かれていたのですか?」


 咎めるような視線と共に宰相殿が問うと、王は必要な事だったと微かに笑って話を続けた。

 この場に現れる前、大図書館でリシュナと出会った際に、強大な力を抱く王だからこそわかる、その小さな身体の奥に仕掛けられていた封呪を見抜いた事。

 それは、呪いのようにリシュナの成長を妨げ、彼女の身の内に眠る何かを封じているらしい。

 交ざり者として生まれたリシュナは、自分の出生に関する両親の記憶を持たず、憎悪に支配された者達による虐待を受け続けて育った。

 命からがら逃げ出して手に入れた幸せも、十年も経たない内に失ってしまった不幸な娘。

 リシュナを幸せにしてやりたいと、そう決めて妹にしたが……。

 陛下と宰相殿のこの様子はなんだ? 何かを危惧しているような、そんな気配がある。


「陛下……、リシュナに会われたのであれば、彼女がどの種族との交ざり者か……、お分かりになったのではありませんか?」


 フェガリオが尋ねたその内容に、王は静かに頷きを見せた。

 俺達が把握している、リシュナの正体は、片方の血が『吸血鬼』であるという事だけだ。

 つまり、リシュナの父親は、このグランヴァリアの者、という事になる。

 何故、囚われていた我が子を救わなかったのかはわからない。

 リシュナの母親との愛が、真剣なものだったのか、遊びだったのかも……。

 手がかりのない状態では、その父親さえ、俺には探し出す事が出来ない。

 せめて、リシュナの母親がどの種族の者であったか、名前や情報を得られれば、父親を探す手掛かりにもなったんだが……。

 だが、陛下がもう片方の血に関する種族の事を見抜いたのなら、突破口が出来る。

 それに期待をかけて見つめる俺達に、陛下は一冊の本を円卓の上に置いてみせた。


「神々が創り出した世界において、最も清らかで純粋な、白の種族。――『ロシュ・ディアナ』」


「ロシュ・ディアナ……? 聞いた事のない種族ですね」


 俺は顎に指先を添えながら、フェガリオと共に視線を彷徨わせた。

 これでも、色々と知識は蓄えてきたつもりなんだが……。

 視界に映っているその本は、よく見れば王族か、その許しを得た者にしか見る事の叶わない重要な書物の印が押されてある。

 つまり……、『ロシュ・ディアナ』という種族は、一般には伝えられていない存在、という事か?

 

「神に近しいとされた、古の種族でな……。どこにその国があるのか、本当に現存しているのかも不明とされている種族だ」


「陛下は……、リシュナがその『ロシュ・ディアナ』だと……、そう仰られるのですか?」


「その書物に書かれてある『ロシュ・ディアナ』の種族は、慈愛深く清らかな存在とされている。だが、お前の提出してきた書類には、幼子を虐待する事にも躊躇いのない暴虐者だと書かれてあるな。書物とはえらく違った存在のようだ」


 ふぅ……。陛下は失望したように息を零した。

 神に最も近しい清らかなる白の種族、その伝承を裏切る者達。

 永い時の流れにより、その種族性が悪い意味で変わってしまったのか、それとも、リシュナを幽閉していた者達だけの話なのか……。出来れば、後者であってほしいものだ。

 だが、陛下の話では、『ロシュ・ディアナ』の者達は、自国から外に出てくる事は滅多にないのだそうだ。神に近しい種族としての誇りと神秘性を守りたかったのか、他種族との交わりでさえ、禁忌とされているらしい。


「他種族に自分達の性質を変えられる事を恐れたのだろうな……」


「陛下、では、リシュナの母親は自分から外の世界に行き、このグランヴァリアの者と出会った、と?」


「誰が父親かはわからんが……、俺とレイズもまた、百年ほど前に、『ロシュ・ディアナ』の者と出会っている。今思えば……、あの娘が、リシュナの母親だったのかもしれんな」


 人の世を彷徨っていたその女性は、人間の世界に出向いていた陛下と宰相殿と出会い、交流をもった。初めて見る自分の国以外の世界……。彼女の髪の色は、リシュナと同じ薄紫。

 どう考えてもそれがリシュナの母親だろう。だが……、おかしい。

 俺の疑問を察したフェガリオが代わりに口を開く。


「リシュナはまだ十四の齢です……。陛下のお話が事実だとすれば……、計算が合いません」


「陛下がお嬢さんのパパじゃないんですか~? 陛下ってば、いまだに結婚してませんし~?」


 誰もが聞きにくい事をまたずばりと……。

 陛下の懐に隠された自分のエロ本を取り戻そうと子供姿で近づいたクシェル兄貴だったが、隙がありそうでない陛下だ。兄貴の首根っこを摑まえて、ぽいっと床に転がしてしまう。


「確かに美しい娘だったな。だが、俺は違うぞ。娘と会ったのは一度だけで、その後は顔も見ていない。それに、百年程前なのは確かだが、リシュナ本人が十四と言っているだけで、お前達もそう思い込んでいるだけじゃないのか?」


「う~ん、確かにその可能性はありますよね~。交ざり者って、二種族の血が交じる分、色々と不確定な要素や見定めが難しい部分もありますし~。というか陛下、いい加減に僕の大事な本を返してください」


「断る。まぁ、封呪の件もあるからな。あの娘の存在は、色々と秘密がありそうだ」


 リシュナが、『ロシュ・ディアナ』の血を引く娘……、か。

 だとしたら、掟を破ったリシュナの母親の罪も全てその身に受けて、酷い仕打ちを受け続けてきた、と? 慈愛の種族が聞いて呆れるな。他種族を自分達よりも下と嘲笑っている証拠でもあるが。


「リシュナの年齢が偽りだとして、もしも……、百年前に身籠っていたとしたら」


 そこで俺は言葉を切って、何故か無言を決め込んでいた宰相殿に視線を注いだ。

 いや、この堅物と名高い宰相殿が、火遊びなどするわけがない。

 だが、本気だったとしたら? 本気でその女性を愛し、結ばれていたとしたら……。

 けれど、そうだとしてもやはりおかしい。

 真面目で責任感のあるこの宰相殿が、母子を見捨てて平然としていられるだろうか。

 俺の視線の意味に気付いたのか、宰相殿が観念したように口を開いた。

 その黒の眼帯を外し、俺達には見せた事のない、――若草色の瞳を晒す。

 くっきりと刻まれた縦の傷と共に。

 リシュナと同じ、若草色の美しい瞳。それは肯定の意を含んでいるのか……。


「瞳の色は同じだが……、さて、どうなんだろうな。彼女とは確かに一度だけ交わったが、……捨てられたこの身に何の意味があるのか」


「捨てられた?」


 冷静さが売りの宰相殿が浮かべた表情は、酷薄としたものだった。

 自嘲の気配さえ含んだその声音には、リシュナの母親を恨んでいる節が見て取れる。

 

「彼女の口からはっきりと言われたからな。気高い『ロシュ・ディアナ』の血には敵わぬ、下等な闇の生き物に対する情はない、とその時に……、私は彼女にこの右目を傷つけられた。……置き土産というやつだな」


 視力と瞳の状態は回復出来たものの、肌に刻まれた傷だけは消えないでいる。

 それは、傷、というよりも、何かの呪いのような紋様を描いているように見えた。

 本気で愛した女性に、下等な種族と嘲笑われ傷つけられた男……。

 その心の傷を思えば、リシュナの存在を手放しで喜べるはずもない、か。


「私の事は万が一にも……、父親の可能性がある事は言うな。私も確かめる気はないし、親子になろうとも思わない。だが、力になれる事があれば手を貸そう」


「レイズフォード様……」


 両親揃って……、リシュナを捨てるのか? 

 本当の親を知らず、虐待の日々を受け続けてきた、娘かもしれない少女を、可哀想だとは思わないのか? 苛立ちに震える拳を握り締めながら、それでも俺は……、宰相殿を咎める事が出来ない。

 

「レゼル……」


「レゼル~、怒っちゃ駄目ですよ~!」


 本心では、目の前で背を向けている臆病な父親の胸倉を掴んで怒鳴ってやりたいところだが、立場を置き換えれば、それをする事は出来なかった。

 心から愛した女性に裏切られ、胸に抱いた愛を引き裂かれる恐怖と苦痛。

 百年も経ってから現れた、実の娘かもしれない、リシュナの存在。

 俺だったら……、すぐに両手を広げて受け入れてやれただろうか?

 いや、出来ないだろうな。心の中に傷と迷いを抱いた状態で、抱き締めてやる事は出来ない。

 ……宰相殿には、時間が必要だ。

 俺は宰相殿から視線を外し、陛下に尋ねた。


「陛下、『ロシュ・ディアナ』の国は、このグランヴァリアと同じように、別の空間にあると考えてよろしいでしょうか?」


「あぁ。だが伝承によると……、道を開けるのは、その血を引く者だけらしい」


 流石は、他種族を拒む事を徹底した国だな。

 出来る事なら、リシュナの母親を探し出して、百年前の宰相殿との件について話を聞きたいところだが、血を鍵として行き来できるようにしてあるとは……。

 リシュナに頼むのは酷な事だろうし、俺もその国に連れて行きたくはない。


「レゼル、お前の言いたい事はわかる。俺もレイズが傷ついて帰ってきた時、同じように、『ロシュ・ディアナ』への行き方を探した。だが……、鍵を持たなかったが故に、彼女の真意は闇の中だ」


「陛下……」


「だから、レゼル。決してリシュナを『ロシュ・ディアナ』の者の手に渡すな。奪われれば……、二度とあの娘の温もりを感じられる事はないだろう」


 王の言葉は、冗談でも何でもなく、事実だった。

 自分を追ってくるかもしれないと、その時こそ殺されるのではと不安に怯えているリシュナを、憎悪に駆られた『ロシュ・ディアナ』の者に渡してはいけない。

 もう二度と、不幸にはさせたくない。リシュナの幸せは、俺が守る。


「御意。リシュナの事は、俺がこの命に代えても守ってみせます。そして……、いつか、血を鍵とする以外の方法で、その国に、リシュナの母親を探しに行きたいと思います」


 結び直せる絆があるのなら、リシュナが両親と笑いあえる日がくるのなら、俺は、俺に出来る事をしてやりたいと思う。

 死を望むリシュナの手を取った時から、俺はあの少女を救ってやりたいと、そう、心に決めていたのだから。

 宰相殿は俺達に背を向けたまま、何かを言ってくる事もない。

 冷酷無比とまで言われたグラン・シュヴァリエの長が……、その心に大きな迷いを抱いている。

 過去に負わされた傷と、砕かれた想いと共に、自身の弱さに苦しみながら……。

 今はそれでいい。いつか、時が経って……、リシュナを少しでも受け入れ始めてくれたら。

 その為にも、俺は『ロシュ・ディアナ』の国へ行きたい。

 リシュナの母親の百年前の真意と、今の彼女の想いを……。

 それに期待を抱いたのは、リシュナの味わった恐ろしい過去の一部が希望となっている。

 リシュナの母親が望んで自国に戻ったのなら、裏切られたと憎悪を抱く者達の発言の数々に矛盾が生じるからだ。

 リシュナを生んでしまった事が裏切りなのか、それとも……。

 俺は宰相殿の辛そうな背中を見つめた後、陛下とリシュナやお子様達との謁見について話を進める事にした。

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