グランヴァリア大図書館
「これが……、グランヴァリアの王宮大図書館」
レゼルお兄様とフェガリオお兄様がグラン・シュヴァリエの会議に出席している間、私達は同じ階にある大図書館で暇を潰しているようにと言われ、この場所へと放り込まれた。
グランヴァリアの文字が読めなくても、本の最初のページにある魔術式の陣に触れる事によって、誰にでも読めるようになるという便利な仕様になっているらしい。
お子様三人と一緒に静まり返った大図書館の中を歩きながら、何を読もうかと小声で話し合う。
「おれ、冒険劇のがいい!」
「わたしは、美しい人間のお嬢さんと高貴なる吸血鬼のラブロマンスを」
「鉱石関連の本が、読みたい……」
他に誰もいないから気が抜けたのか、ディル君達の声音には好奇心の気配がその声の大きさとなって表れている。子供、いや、大人から見ても広すぎる空間の中を、高い書棚に視線を配りながら進んでいく。本の最初のページに触れない限り、ずらりと並んでいる書籍の背表紙に何が書いてあるのか、私にはわからない。
「ディル君達は読めるんですよね?」
「まぁな。これでも貴族の出だし、文字の読み書きや計算もお手のもんだぞ~」
「レディは、どのような本をご所望なのですか? よろしければ、わたし達でお探しいたしますが」
「頑張って、探す……」
頼もしい発言に、私は何を探して貰おうかと思案し……、せっかく吸血鬼の世界に来たのだからと、レゼルお兄様達が就いている役職である、グラン・シュヴァリエに関する本を探して貰う事にした。他にも、出来れば吸血鬼の生態に関する資料も、時間があれば読みたいところだ。
「じゃあ、ちょっと探しに行ってくるから、机の方で待ってろよ」
「行って参ります。マイ・レディ」
「行ってくる……」
「迷子にならないように、見つからなかったらすぐに戻って来てもいいですからね」
タタタッと、人がいないのをいい事に、楽しそうに駆け出して行く三人。
それを見送った私は、机の方に向かう前に、ゆっくりと大図書館の奥まで散策してみる事にした。
ひとつの巨大建築物を思わせるグランヴァリアの大図書館は広すぎる以上に、広い。
吹き抜けとなっている円形の天井からは、静かな月の光が差し込んでいる。
けれど、それだけではやっぱり明るさが足りなくて、館内を淡い光の玉のようなものが、ふわふわと飛び交っている。
でもやっぱり……、こんな薄暗い場所で本を読むのは目に悪い気がする。
あまり合理的でない館内を歩きながら、やがて辿り着いたのは、全面硝子張りの窓が並ぶ一番奥の本棚付近だった。誰にも会わなかったけれど、奥からゴトン……と、物音のようなものが聞こえた。
「誰かいるの……?」
開放されている場所なのだから、人がいるのは当たり前。
そう思ってはいても、ここまで誰にも会わずに来てしまったので、少しだけ足取りが重くなる。
そぉ~……と、足音を立てずに奥へと向かって行くと、窓の向こうから差し込んでくる月の光を強く感じるようになり、そこに……、やけに真剣な眼差しで本を読む一人の男性を見つけてしまった。窓の手前にある背の低い本棚に腰をかけ、片足を立てて読書に勤しんでいる姿は、声をかける事も忘れてしまうほどに、とても美しい光景に思える。
着崩した服と、普通の本よりも大きなサイズのそれに向ける視線が、やけに艶めいて見えるのは、月の光が演出する特殊効果か何かだろうか。
さっきのレイズフォード様と同じ漆黒の髪だけど、クセが荒いのか、野生の獣がそこにいるかのように感じられる。
本のページを見つめる双眸は、レゼルお兄様と同じアメジスト。
失礼とは思ったけれど、その美術品めいた光景に、引き寄せられるように近づいてしまった。
「ん? 悪いが、子供の誘いは受けない主義なんだがな?」
「読書の邪魔をしてしまって、すみません……。綺麗だな、と思ったもので」
私に気付いたその男性が、楽しそうにアメジストの視線を流してきた。
子供の誘い、というのは、もしかしなくても、私が遊んでほしいとせがみにきた、とでも思ったのだろうか。流石にこの年齢で遊び相手を求めたりはしない。
だから、あえてその発言は無視して、私を面白そうに観察しているその人の傍に寄ってみた。
レゼルお兄様とは違う、少しだけ濃い不思議な匂いのするそれは、イメージ的に例えるならば、思考を蕩かすような危うさを秘めているように思える。
「綺麗、か……。それは女にこそ贈るべき賛辞だと思うが、お前にはまだ早いようだな」
ぽふん……。大きな手のひらが、何の警戒もなく私の頭に乗せられた。
誰だと尋ねる事もなく、小動物で遊ぶかのように、ぐりぐりと頭を撫で回される。
初対面の人にそんな真似をされるのは、あまり好きではない。
だけど、それに逆らってはならないと、いや、心地良いと感じるのは、何故なのだろうか。
子犬のような扱いを受けながら、私はじっとその人の穏やかな眼差しを見つめる。
「ふぁぁぁあ……。今日は王都で子供向けのイベントがあったと思うが、お前は行かなくてもいいのか?」
「保護者から、ここで待っているようにと言われましたので、お留守番です」
「そうか」
「はい」
私の頭から手を引くと、その男性はまた本のページへと視線を向ける。
そっと何を読んでいるのかを知りたくて、背伸びをしながら本を覗き込んでみると、男性が私に見やすいように本を寄せてきた。様々な料理の絵が並んだページ……。横に書いてあるのは、作り方、だろうか。
「料理の本ですか?」
「あぁ。見ているだけでも目の保養になるだろう? 俺はこっちの塩辛い料理の方が好みなんだが、甘い物も捨てがたい」
「お腹……、空きませんか? こういうの読んでたら」
「そうだな。確かに読んでいると、腹が減ってくるのは道理だな。だが、そうなったら自分で作ればいい話だ。実践にもなるしな」
ぺらり……。次のページを捲った男性が、デザート系の絵が並んだそれを楽しそうに流し見た後、どれが好きだと意見を聞いてきた。
食べた事のない物ばかりだから、正直絵からの情報しか把握出来ていない。
だけど、このやり取りに深い意味はない。だから、ノリで答えていいはずだ。
私は細長いグラスに段を重ねてクリームが盛られているそれを指さした。
「ふむ、パフェか。女子供には人気の品だな。今度機会があったら作ってやろう」
「苺いっぱいでお願いします」
偶然会っただけの関係に、二度目があるとは限らない。
だけど、私達はこの会話の時間を楽しむ為に、料理本を捲りながら他愛のないやり取りを楽しむ。
お互いに誰かなんて知らないけれど、それも気にならない。
全く知らない人に対して警戒心を抱くべきだとわかっているのに……、どうしてだか、この男性に対して、それは無用のものだと感じている。
根拠のない安心感、例えるならば……、お父さんと一緒にいた時と同じ感覚。
包み込むような温かな気配が、確かに私へと向けられている。
「――さて、そろそろアイツの堪忍袋の緒が切れそうになっている頃か」
「アイツ?」
暫く心地の良い静かな時間を過ごした後、その男性は本を閉じて、自分の身を預けていた子供の背丈程もない本棚から足を下した。
長身の体躯が本来の姿を現すように、私の遥か頭上高くから小さな笑いが降ってくる。
「あまり子供の立ち入る場所ではないが、お前も行くか? 面白いものが見られるぞ」
「どこに行くのかはわかりませんが……、私は保護者の人に待っているように言われていますので、ご遠慮しておきます」
面白いもの、というのが何なのか、ちょっとだけ気にはなる。
だけど、ここから出てしまう事は色々問題ありなので、私は丁重にお断りの言葉を向けて、お子様達の許に戻る事を伝えた。
「そうか。お前を連れて行けば、盾になるかと思ったんだがなぁ……」
「はい?」
「いや、何でもない。それではな」
くしゃり……。優しい、お父さんのように温かい感触が、私の頭を撫でて離れていく。
お互いに名乗る事もなく、何かを探り合う事もなく、ただ名残惜しさだけを感じながら。
男性を見送った後、私は元いた場所に戻る為に本棚の間を早足に辿ると、何故かビクビクと震えているお子様三人衆の姿を見つけてしまった。
「どうしたんですか?」
「「「り、リシュナぁ~っ!!」」
泣きじゃくりながら私の胸にへと飛び込んでくるお子様達。
何か怖い目にでも遇ったような、大きな怯えと恐怖の気配が三人を苛んでいる。
広い王宮図書館の中を見回してみるけれど、誰もいない……。
原因が人ではないとすれば……、物? もしくは、幽霊の類?
三人の背中をよしよしと擦り、ゆっくりと宥めてやる。
「う、うぅっ……、こ、怖かった~!!」
「レディっ、うぅ……、ひっく」
「怖い……、怖い、リシュナ、傍に」
ブルブルと震える小さな身体は、その胸の奥に隠れている三人の心が、何かに怯え続けている。
事情を聞いても上手く言葉にならないのか、嗚咽交じりに同じ事を繰り返す三人……。
一体何が……。心当たりと言えば、さっき図書館の奥で出会った男性ぐらいのところだ。
(でも、あの人は特に怖いという雰囲気はなかった……)
だとしたら、この王宮図書館の中に、別の何かがいるという事なのだろうか。
けれど、レゼルお兄様とフェガリオお兄様は、この王宮内に危険性のある騒動を起こしそうな人はいないと言っていた。その言葉を信じるとするならば……。
「ディル君、ティア君、オルフェ君」
「「「うっ?」」」
「全く事情が呑み込めません。さっさと泣き止んでください」
「うぅっ!! リシュナの馬鹿~~!!」
「レディっ!! あの恐怖は、とても言葉には出来ないものなのです!!」
「凄く……、怖かった……」
ここで泣き叫んでいても意味がないから事情を話してほしいとお願いしたのに、どうして胸をポカポカと叩かれて怒られているのだろうか?
首を傾げながら三人の抗議の声を仕方なく受け止めていると、王宮図書館の外から大きな音が響いてきた。
「……何?」
お子様達から縋り付かれた状態で、顔だけを図書館の奥にある窓へ向けると……。
静かな闇夜の空に、――とても綺麗な花が咲いていた。
視界いっぱいに飛び込んでくる、色とりどりの大輪の花。
ひゅるひゅるとしたか細い音の後、大空の真ん中で光がはじけ、その蕾が大きく開いていく。
「あれは……、何ですか?」
無意識に零れ出た、自然の問い。
視線をどこかに逸らす事さえ勿体ないと、心が窓の外へと強く惹きつけられる。
私の腕の中にいたお子様達も、その音に驚いた後、嬉しそうに涙を抑え、感嘆の声を上げた。
「花火だ~!! うわぁ~、おれ、初めてこんなに近くで見た!!」
「美しい……。まるで、艶やかなる女性が微笑むように」
「綺麗だ……」
花火? さっきとは正反対に、きゃっきゃっとはしゃぎ始めた三人が、私の服や腕を引っ張って窓へと走り始める。
夜空を彩る花々は、ひとつ咲いては、またひとつ。
絶える事なく、広大な闇夜の中で、その蕾を咲かせ続けている。
本物の花ではないけれど、とても心弾む光景だった。
ディル君達が、さっきまであの見知らぬ男性が腰かけていた背の低い本棚によじ上り、全面が窓になっているそれに両手を押し当てて、咲き誇る幻想の世界を見上げる。
「リシュナ!! お前も上って来いよ!! 凄い特等席だぞ!!」
「レディ、どうぞこちらへ。煌めく星空と、美しい花々の開花を、一緒に見ましょう」
「リシュナ、花火について、教える。一緒に、見よう」
三人が本棚の上から私を振り返り、同時にその小さな右手を差し出してくる。
子供らしい、きらきらと輝く笑顔、それに惹き寄せられるように、私は右手をゆっくりと伸ばしていく。ぎゅっと強く掴んできた三つの温もりが、私を幻想の世界へと誘う。
ドォン……、ドォン……。花が咲く度に、鼓動がわくわくと高鳴る。
今までに、一度も目にした事のなかった、綺麗な花。
一瞬だけ大きく花開き、夢のように余韻を残して消えていく光の世界。
そういえば、レゼルお兄様が会議に向かう際、確か……。
『ここで待ってれば、そのうち面白いモンが見られるぞ。楽しみにしてろよ』
そう、楽しそうに笑って、肝心の中身を教えてはくれなかった。
だけど、その意味が今ならわかる。レゼルお兄様はきっと、私やお子様達を喜ばせる為に黙っていたのだろう。最初から教えておくよりも、胸に抱く驚きも喜びも、大きくなると知っていたから。
「綺麗ですね……」
「凄いよなぁっ、おれ達が住んでた場所で見たモンよりも、すっごくデカい!!」
「きっと、グランヴァリアの名職人の方々が作っているんでしょうね。出来が全然違います」
「おれは……、どっちも、好きだ」
レゼルお兄様らしい気遣いだ。
その目論見通り、私もディル君達も花火に歓喜して素直に喜んでいる。
……だけど、我儘かもしれないけれど、どうせなら。
「お兄様達も一緒に……」
もう十四の歳を数える年齢だというのに、保護者と一緒に見たいだなんて……。
自分の中にある子供っぽさに恥じ入りつつも、それでも願ってしまう。
心優しいレゼルお兄様と、フェガリオお兄様と、一緒にこの奇跡のような光景を感じたかった、と。
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