吸血鬼の王国・グランヴァリア到着

「レゼルお兄様、何故……、朝に出発したというのに、夜なんでしょうか」


 背中に小さなリュックを背負った私は、目の前の光景を前に少しだけ驚いていた。

 大きな古びた威厳ある門、その左右に控える門番らしき美貌の男性二名。

 門より先は、大きく広がった石畳を挟んだ左右に家やお店が立ち並んでいる。

 どう見ても頭上は煌めく星々の輝く闇一色だというのに……、グランヴァリアの王都は賑わいに満ちていた。とまぁ、それはどうでもいい。

 問題は、人間の世界にある自宅でレゼルお兄様が魔術の陣らしきものを発動させた次の瞬間、朝だったはずの世界が、完全に夜の領域にすり替わってしまったという事だ。

 吸血鬼達の世界であるグランヴァリアが、人間の世界とは別の場所にある事は事前に聞いていたけれど、昼夜のズレまであったらしい。


「まぁ、世界が違うし、昼夜のズレも当然、な。あまり細かい事は気にしない方がいいぞ」


「了解しました。……にしても、どこを見ても吸血鬼のオンパレード、ですね」


「吸血鬼の国だからな……。当然だ」


 さぁさぁ早速王宮に向かうぞ~と、私を王都の街中に促してくれたレゼルお兄様にふむふむと頷きながら、目の前に見えている吸血鬼だらけの光景を見据えていると、フェガリオお兄様が至極尤もな顔つきで淡々とした事実の音を落としてきた。

 人間の世界には、色々な種族が混ざって生活しているけれど、その逆はない、という事なのだろうか。首を傾げていると、お子様吸血鬼のディル君が私と一緒に王都の中を歩きながら、「当然だろ~」と強気に一言。


「人間は弱いだろ? で、そこに強いのが紛れ込むのは簡単なんだよ。だけど、その逆は難しい。吸血鬼だらけのこの世界に、何の力も持たない人間が入っちまったら……」


「下手をすると、路地裏に連れ込まれて餌にされかねませんからね。レディ、くれぐれもお気を付けください」


「秩序とルールは、ある……。だが、破る奴も、いる」


 なるほど……。お子様三人の言葉を聞きながら、確かに強者の世界に美味しそうな人間を放り込んでしまったら、秩序を陰で破ろうとする不貞の輩に見つかれば、命はないかもしれない。

 その為の、世界の棲み分けでもあるんだぞと、レゼルお兄様が私達の方を振り返りながら苦笑する。だけど、こうして辺りを見回してみると、種族の違いさえなければ、本当に人の暮らしとあまり変わらない光景だ。大通りの両端に開かれた出店から漂う美味しそうな匂いや、呼び込みの声。

 どれも、人間の世界とやっている事は変わらない。


「平和そうですね……」


「人間の世界と対して変わらなく見えるだろう? だけど……、向こうと一緒で、表と裏ってのがあるからな。よっと、リシュナ、チビ共、馬車に乗るぞ」


 十字路に分かれた場所に辿り着くと、遥か先に見えるグランヴァリアの王城行の馬車に乗る事になった。フェガリオお兄様に両脇の下を抱えられて、先に乗り込んだレゼルお兄様に荷物の如く手渡される私。お子様達もそれぞれ同じように馬車に乗り込んでいく。

 いや、今のは普通に自分で乗れましたよ? なのに、レゼルお兄様もフェガリオお兄様も、それが当然のように私を過保護な動作で、馬車に……。

 やっぱり、十四歳にもなって、この幼児体型が悪いんでしょうか。うぐぐ……。


「あの、レゼルお兄様、フェガリオお兄様、グランヴァリアの王様というのは、どういう方なんでしょうか?」


 吸血鬼達を束ねる王様というからには、きっと大きな身体に鋭く長い牙を生やしていて、見る者を恐怖に陥れるような人に違いない。

 村で暮らしていた時、お父さんが話して聞かせてくれた絵本の中の吸血鬼の王様は、とても怖い人のイメージだった。しかし、二人のお兄様は顔を見合わせ、どう説明したものかと視線を彷徨わせてしまった。


「まぁ、見る奴が見れば、怖い、かもしれないな……」


「いや、レゼル……。それは罪を犯した者や反逆の意がある者からすればの話だろう……」


「まぁな。害にならない相手には、気の好いおっさんだしな」


「自国の王様を、おっさん呼ばわりしていいんですか? レゼルお兄様」


「大丈夫大丈夫。結構気前も愛想も良いタイプだからな」


 何が大丈夫なのかはわからないけれど、とりあえず見た目が怖いという事だけは把握した。

 世の中には、ギャップ萌えというものがあるらしく、グランヴァリアの王様もそのジャンルに入る、中身はとても良い人? らしい。想像が……、難しい。

 お子様達は王様に会った事はないらしく、どこか緊張している様子だ。


「な、なぁ……。おれ達も会わなきゃ駄目なのか?」


「ぐ、グランヴァリアの国王陛下に……、わ、わたし達のような何の功績も立てていない未熟者がお会いしてよろしいのでしょうかっ」


「怖い……」


 ガクブルガクブル……。わかりやすくその小さな全身を震わせているお子様三人。

 私はレゼルお兄様の養い子としてご挨拶を、お子様達は人間の世界の学校に通う為に、その両親の説得の手助けとなるように、王様との謁見が会議の後に予定されている。

 勿論、私も吸血鬼の王様との謁見に関しては、緊張しないわけがない。

 昨夜など、恐ろしい吸血鬼の王様のイメージ図を思い浮かべてしまったせいで、夢の中で食べられそうになる悪夢を見てしまった。

 まぁ、その心配はなさそうなのだけど……、本当にどんな王様なのか、とても気になる。

 身体が大きくて、豪快で、見た目が怖くて、愛想が良くて、豪快? 上手くイメージが纏まらない。フェガリオお兄様からの話では、罪を犯したり、グランヴァリアに仇名す存在でない限りは、怖い目に遭わないという話だけど、……果たして私は、謁見の場を気絶せずに乗り切れるだろうか。

 うぅ……と、表情は変えずに内心で唸っていると、ついに馬車は王宮の入り口まで辿り着いてしまった。

 レゼルお兄様とフェガリオお兄様の姿を目にした警備兵らしき人達が、居住まいを正して頭を下げている。これが……、グラン・シュヴァリエ効果?

 真っ赤な絨毯がどこまでも広がる王宮の中を歩きながら、私やお子様達はキョロキョロと落着きなく初めての場所を観察し始めた。


「お、おいっ、り、リシュナ~っ、た、高そうな、か、花瓶、とか、わ、割るなよっ」


「ディル君の方がやりそうですよ……。でも、迷子になりそうな程、広い場所ですね。あ、ティア君、綺麗な人を見つけても近寄って行っちゃ駄目ですよ。すぐにはぐれてしまいますからね」


「そ、その余裕は、さ、流石にっ」


「この王宮……、凄い力が、怖いくらいに、溢れている気が、する……」


「オルフェ君?」


 吸血鬼達を束ねる王様の居城からは、確かに私もピリピリとした鳥肌めいた感覚を覚えている。

 怖い、というよりは……、大きな力、温もりのある腕(かいな)に抱かれた場所、のような気が。

 感じ方は人それぞれなのだろう。だけど、お子様達の怯えっぷりが半端ない。

 私の身体に縋り付いて、怖い怖いと震える声で繰り返している。


「レゼルお兄様とフェガリオお兄様は平然としてますよね?」


「そりゃあ、慣れてるからな。俺も幼い頃は、チビ共と同じようにビビったもんだぞ~」


「レゼルは、この王宮内で陛下に無礼を働いた猛者だ……。よくあの時消されていなかったと、今でも不思議に思う」


「フェガリオ~、そこはカットな? まぁ、子供ってのは無茶やってなんぼだ。お前らも少しは気を抜いて楽にしてろ」


 余裕に溢れた笑い声を響かせながら、レゼルお兄様がディル君を自分の肩に風車をするように抱え上げて王宮内を走り始めてしまった。

 フェガリオお兄様の呆れ交じりの溜息と共に、私達もその後を追っていく。

 いい歳をした大人が、馬鹿笑いしながら王宮内を走るというのは……、微笑ましいと思うべきか、アホ全開と思うべきか。とりあえず、後を追う事に専念しよう。


「ほぉ~ら!! 少しは平気になったか~?」


「馬鹿ぁあああああ!! お、王宮で、何やってんだああああああ!!」


 この場合、肩車をされながら涙目で絶叫しているディル君が正しい。

 王宮に勤めているらしき人達が、レゼルお兄様の所業に驚いている。

 どう見ても……。


「大迷惑ですから、やめてください。レゼルお兄様」


 と、声を張るのが苦手な私が諌めたところで、止まる兄ではなかった。

 ディル君を肩車したまま、歩く先に見えてきた白い大階段を一気に駆け上がり始めるレゼルお兄様。大人ですよね? 長寿の種族なんですよね? どう見てもお子様モード全開ですよ……。

 だけど、それがレゼルお兄様なりの、お子様達への気遣いなのだと、見ていればわかる。

 ディル君は会った事のない吸血鬼の王様に対する恐怖はどこへやら、王宮内を暴走するレゼルお兄様に涙目で怒っているし、私の傍を走っている二人のお子様達も、怖がっている暇はなくなってしまったらしい。

 けれど、先を駆け上がっていたレゼルお兄様がひょいっと器用に何かを避けたかと思った、その瞬間。

 

「リシュナ!」


 フェガリオお兄様が急いで私を助けようとしたけれど、それよりも先に、ぶつかる寸前に私は前方にいた人の片腕に軽々と抱え上げられる事になってしまった。

 左手には書類の束、右腕には何て事のないように私をその腕に乗せる形で視線を寄越してきた……、綺麗な漆黒の髪色をした男性。

 右目のある顔半分には、何か隠したいものでもあるのか、黒い幅広の眼帯を着けている。

 

「フェガリオ、王宮は子供の遊び場ではない。きちんと躾をしておけ」


「申し訳ありません……。レイズフォード様」


 躾をしておけ、と、そう注意をしながらも、その左目の蒼に怒った気配はない。

 フェガリオお兄様が頭を下げた事からみて、恐らく、この男性の方が地位が高いのだろう。

 じっと、不躾ながらもその綺麗な顔立ちを眺めていると、レイズフォードと呼ばれた男性が、私の若草色の瞳を見返してきた。


「何だ?」


「王宮の中を走ってしまい、申し訳ありませんでした。それと、助けて頂いて有難うございました」


「……礼儀は弁えているようだな?」


 レゼルお兄様が諸悪の根源とはいえ、私も王宮内を走ってしまったのは事実。

 ぺこりと頭を下げて謝罪の言葉を口にすると、レイズフォード様は満足そうに笑みを浮かべた。

 フェガリオお兄様の傍で立ち止まったお子様二人も、「「ごめんなさい!!」」と声を大に謝っている。


「反省しているのならいい。だが、上に行った馬鹿者は後で説教の必要があるようだ」


「申し訳ありません……。陛下との謁見を控えた子供達が委縮してしまいまして、レゼルクォーツも王宮内の礼儀は弁えているのですが……」


「いや、言わずともわかっている。アイツらしいやり方だが……、色々とな」


 私をそっと階段に下ろすと、レイズフォード様は自然な仕草で私の頭をくしゃりと撫でた。

 子供達への心遣いはわかる。だけど、お説教はお説教。見逃しはしないと含み笑いをするレイズフォード様の心は活き活きとしている気がした。


「ところで、この娘は例のアレか?」


「はい……。レゼルクォーツと私達の妹となりました。これから時々顔を出す事になると思いますが……、どうぞよろしくお願いいたします」


「初めまして、リシュナです。よろしくお願いします。レイズフォード様」


 フェガリオお兄様の真似をして、私は自分のスカートの両裾を摘まんで挨拶の礼をした。

 レイズフォード様はきっと、かなり偉い人なのだろう。

 フェガリオお兄様が緊張しているのが伝わってくるし、外見上は若く見えていても、レイズフォード様からは貫録のような気配が滲みだしている気がする。


「リシュナ、か……。グランヴァリアの言葉で、幸福、という意味でもあるな。何か困った事があれば、助けとなるようにしよう」


「有難うございます」


 私の名前を聞いたレイズフォード様が、その表情を和らげ微笑んでくれた。

 一枚だけ落ちてしまった書類を拾い上げ、階段の下へと去っていく背中を見送った後、フェガリオお兄様が珍しく安堵の息を零すのが見えた。


「いつお会いしても、独特の緊張感を抱かざるをえないな……。あの御方に対しては……」


「フェガリオお兄様、今の方は……」


「グランヴァリア王国の宰相であり……、グラン・シュヴァリエの筆頭でもあられる御方だ……」


 本当に物凄い人だった……。

 だけど、レゼルお兄様は自分の上司でもあり、王国の宰相でもある方に挨拶もなしに過ぎ去ってしまって良かったのだろうか。

 あぁ、お子様二人が凄い人に会ってしまった影響で、また恐怖のガクブル状態に。


「大丈夫ですよ、ティア君、オルフェ君。レゼルフォード様は怒ってませんでした。何も怖い事はありませんから、平常心ですよ、平常心」


「で、ですが、れ、レディ……っ。グランヴァリアの宰相殿という事は、こ、国王、陛下の、み、右腕と名高いあの御方というわけ、で、そんな凄い方の前で、わたし達は、そ、粗相、をっ」


「抹殺、される……」


 そんな恐ろしい事をするような方には見えなかったのだけど……。

 私は二人のお子様達の背中を擦って、大丈夫大丈夫と繰り返す。

 厳しい事も言っていたけれど、怒りの気配は微塵もなかった。

 だからきっと大丈夫。そう言い含めていると、フェガリオお兄様が少しだけ怪訝そうな顔で私を見下ろしてきた。


「リシュナ……、レイズフォード様が怖くはなかったのか……?」


「特には。常識性のある方だという印象は受けましたが」


「そうか……」


 何をそんなに不思議がっているのだろうか。

 別に声を荒げて怒られたわけでもなく、始終静かな声音で喋っていたレイズフォード様に恐れを抱くような部分は微塵もなかった。

 フェガリオお兄様は「大物だな……」と、微笑ましそうに小さく笑った後、先を暴走して行ってしまったレゼルお兄様の後を追うべく、私とお子様達の手を握って階段を上り始めたのだった。

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