レゼルお兄様の名案が出ました

「村の事は聞いていましたが……、そうですか。生き残りは、リシュナちゃん一人、ですか」


「ごめんなさい……。レスカ先生」


 ふんわりとしたソファーの感触を感じながら、私は膝の上に揃えた両手をきつく握り締める。

 遺体がこのお子様吸血鬼達のせいで炎に焼かれた事は口にせず、私は全員分のお墓を作った事だけを伝え、そして、深く頭を垂れた。

 私だけが生き残った……。レスカ先生の友人や、ご親戚の人達は亡くなってしまったのに。

 肩を震わせ、涙の零れる顔を上げずに謝り続ける。

 そんな私の手の上に、レゼルお兄様がさりげなく支えとなるように大きな温もりを添えてくれた。


「ふふ、そんな風に謝らないでください。リシュナちゃん。人は、いつどうなるかわからないものです。皆の事は残念ですが……、お墓を作ってくれた事、心からお礼を言わせてくださいね」


「レスカ先生……」


「今は隣国の件もあって村に行けませんが、いつか……、必ず。皆に花を供えにいきたいと思います」


「……はいっ」


 冷めない内にどうぞ、と、にこやかな笑みと共に紅茶の入ったカップを促された私は、それを静かに手に取って、少しだけ口をつけた。甘くて、美味しい。

 心を落ち着けるようなこの香りも、とても上品だ。

 そして何より、レスカ先生の心からの優しい笑顔が、私の心に沁み渡る。


「あの、よぉ……」


「ん? 僕達、どうしたんですか?」


 心を落ち着けていった私とは反対に、お子様吸血鬼達がソファーから飛び降りてレスカ先生の傍へと縋り付く。レゼルお兄様が、余計な傷を増やすなと迫力のある静か睨みを向けたけれど、お子様達はブンブンと首を振るばかり。


「おれ達……、ものすっごく、悪い事をしたんだ。悪い事をしたら、謝るのが当然、なんだろ?」


「ディル君……」


「レディ、わたしもディルに同感です。許されざる罪を犯したわたし達は、この方に謝るべきなのです」


「おれも……、謝り、たい」


 三人が真っ当な考えをするようになった事は、素直に嬉しい。

 だけど、何も知らないレスカ先生が事実を聞いてしまったら……。

 きっと、さらに悲しみは強く、色濃く、その心に傷を付けてしまう事だろう。

 私はレゼルお兄様を見上げると、どうするべきかと視線で相談を持ち掛けた。

 アメジストの瞳が迷いを抱いているのがわかる。

 遺族に、亡くなった人達と縁があった存在に真実を告げない方がいいのか……。

 けれど、それを話してしまえば、ここに吸血鬼がいる事が知られてしまう。

 

「ふぅ……。レスカ。すまないが」


「は、はい?」


「ひとつだけ聞かせてくれ。お前は、大切に想っている者達を、無知なる者達が、その無知故に苦しめたとしたら……、取り返しのつかない不幸を与えたとしたら、どうする?」


「え? よくわかりませんが、そうですね……、何も知らない分、悪意を抱いて誰かを傷つける事とは、また違った残酷さがあると思いますが……」


 レゼルお兄様は一体……。

 レスカ先生の悲しそうな表情に、お子様達がどんどん大粒の涙を浮かべて不安がっている。

 きっと謝っても許されない。自分達がした事の罪の重さに、今彼らは向き合っているのだから……。


「ですが、何故そんな事を?」


「すまないが、もうひとつ、答えてくれるか?」


「はい」


「正直に答えてくれて構わない。お前が恨みに思う程の罪としたら、――その無知なる者達を許せるか?」


 レスカ先生は、心の優しい人だ。

 だけど、心の優しい人が何でも許してくれるわけではない。

 その心が柔らかであればあるほどに、負った傷もまた、どこまでも深い。

 瞼を閉じ、レスカ先生は一言。


「許せませんね……。たとえどんな訳があろうと、無知故の罪だとしても、私の大切な人達を不幸にするような存在は」


「そうか……」


 その返答を聞き、レゼルお兄様がお子様達を気遣ってもう一度ソファーの方に座らせようとしたけれど、それを引き留めるように、レスカ先生が悲しそうな笑顔で話を続けた。


「許す事は出来ませんけど……、それでも」


「レスカ先生?」


「心を込めて、謝ってくれたのなら……、罪を償おうとしてくださるのなら、いつか……、許せる日がくるかもしれませんね」


 その顔に迷いはなく、ただ寂しそうに笑うだけだったけれど……、レスカ先生は、今は許せなくても、いつかは許せる日が来ると口にした。

 まだ真実を話していないせいもあるかもしれないけれど、何だか……、私にはその笑顔が眩しくて。


「「「ご、ごめんなさい!!」」」


 ぶわりと大泣きに入ったお子様達が、声を揃えてレスカ先生へと謝罪の言葉を向けた。

 一度では終わらず、何度も、何度も……。償いきれない罪の十字架を、その小さな身体に背負って。レスカ先生は、一瞬ぽかんとしたものの、少しだけ何かを考えるように思案した後、三人の前に膝を着いた。


「よくわかりませんが、きちんと謝る事が出来るのは、とっても良い事なんですよ?」


「うぅっ、ご、ごめん、な、さいっ。おれ、おれっ」


「あ、謝っても……、わたし達が許される日は、きっと、うぅっ」


「償う……、自分達がした事、必ずっ」


 命を奪ったわけではない。それでも、誰かにとって大切な誰かを弄ぶ行為は、許されない罪。

 にっこりと微笑むレスカ先生は、詳しい事情を掴めないものの、泣いている三人の頭をよしよしと撫でている。

 自分の大切な人達を弄び、傀儡とした張本人達だとも知らずに……。

 けれど、これで良かったのかもしれない。事実を知れば、レスカ先生は悲しむ。

 余計な傷を広げるよりは、もうこのまま……。


「つまらない事を聞いてすまなかったな。今のは忘れてくれ。それと、少し相談があるんだが」


「いえいえ。このくらいお安い御用ですよ。で、何でしょうか?」


 お子様達の背中をポンポンと撫で終わると、レスカ先生は子供達に甘いクッキーを配りながら、レゼルお兄様の方を見上げた。

 じっと……、何かを探るように、レゼルお兄様がレスカ先生と視線を絡ませて数秒後、小さな溜息と共に、パンフレットを取り出した。まさか……。


「リシュナを、中等部の特別クラスに入れたい。可能だな?」


「特別クラスですか……。実はですね、お恥ずかしい話、ちょっと……、不味い事になってまして」


「どういう事だ?」


 私には入学する気なんてないのに、勝手に話を進めようとしたレゼルお兄様に、レスカ先生は、あはは……と、気まずそうに笑って返してきた。

 諸事情により、勉学の進みが遅い者は皆、普通の中等部ではなく、特別クラスと呼ばれる場所に通う決まりとなっている。人数はそんなに多くはなく、日々まったりとしている……、らしい。

 けれど、今年に入ってから、まさかの女教師陣の結婚が相次いで決まり、その数が激減。

 愛する旦那様の為に、私達、家庭に入ります!! というのが理由らしい。

 よくもまぁ、同時期に一斉退職が起こったもんだ……、と、哀れみを抱く目で、レゼルお兄様がレスカ先生を見下ろしている。


「それでですね~、普通のクラスは何とかなっているんですが……、特別クラスの担任が私以外、全員辞めちゃいまして……。今、特別クラスの子を二クラス分引き受けているので、正直勉強をちゃんと見てあげられていないんですよ」


「なるほどな……」


「ついでに、学院の予算が減ったとかで……、特別クラス……、あと一ヶ月で、閉鎖なんです」


「……マジか」


 ふむ。あと一ヶ月で閉鎖とは何事か。

 その場にいた全員がシュールな話に固まっていると、私はある事を思いついてポンっと名案の音を打った。

 腕組みをして唸ったレゼルお兄様を見上げ、こちらを向いた視線に、にっこりと微笑む。


「これで、通わなくてもいいですよね?」


「まぁ、あと一ヶ月で閉鎖となると、意味はないからな……」


 よし! これでお家のお手伝いに専念出来る。

 などと、本当は心の片隅で、少しだけ物悲しい気持ちを覚えながらコクコクと頷く私に、レゼルお兄様はニヤリと笑った。……嫌な予感。


「なぁ、可愛い妹よ」


「……聞きたくありません」


「そうかそうか。耳元で俺の名案を聞きたいのか。ほぉ~……」


 じりり。後じさりをして逃げようとする私をひょいっとその腕に抱き上げたレゼルお兄様が、楽しそうに私の耳元へと唇を近づけてくる。

 私を妹と思って可愛がってくれるのは有難い。だけど、こういう悪戯を仕掛けられる事には、まだあまり慣れていない。ふっと真っ暗な部分に息を吹きかけられ、私はぶるりと震えてしまう。


「リシュナ……、お前、俺達の金で学校に行くのは嫌だと言っていたよな?」


「うっ、く、くすぐったいです。離れてくださいっ」


「少しは我慢しろ。で、だ。この学院の特別クラスは、予算の都合上、一ヶ月で閉鎖、だよな?」


「そうなんですよ~……。まぁ、正確には、再開未定の閉鎖、なんですけどね」


 レゼルお兄様の確認の言葉に、レスカ先生がしょんぼりと項垂れる。

 どうやら、この学院の現学院長先生がお金のやりくりに失敗した結果らしいのだけど、特別クラスに通っている子達はその事を酷く悲しんでいるそうだ。

 全ては、王国から支給されているお金を横領した、現学院長先生の責任らしい。

 いつの世にも、愚かな大人はいるものだけど、まさか王立学院の学院長が……、不正、とは。

 その為、この学院は教師陣も不足しているし、財政的にも阿鼻叫喚地獄なのだそうだ。

 

「正直、私も二クラスを一人で、というのは色々と問題がありまして……」


「その問題を一気に解決する案がひとつある」


「え?」


 悪戯心故か、私の顎の下を、子猫のそれを擽るように撫でていたレゼルお兄様が自信満々な笑顔を浮かべ、レスカ先生に言い放った。


「どうせ閉鎖してしまうのなら、――新しい場所を作ればいい話だろう」


「「「「「え?」」」」」


 ぽか~ん……。レゼルお兄様以外の間抜けな音が重なった。

 新しい場所を作る? その言葉の意味を理解するのに困っていると、ふふんと上機嫌にレゼルお兄様が説明を始めてくれた。

 

「この王都の北東に、背後が森になってる区域があるだろう」


「あ~、そういえばありましたね。確か、使われていない私有地の屋敷があったような」


「あれは俺の買った土地と屋敷だ」


「レゼルお兄様、あの自宅以外にもお家があったんですか?」


 それは初耳だ。昔はそちらに住んでいたらしく、ここ数年の間に、今の自宅の方に引っ越したらしい。理由的には、あの恐ろしく広い屋敷に三人暮らしは無理がある。掃除が面倒、との事。

 だから、もしそのお屋敷を使うのであれば、事前に掃除が必要だなと笑うレゼルお兄様に、まさか、と私は息を呑んだ。


「その屋敷を、特別クラス専用の教室にすればいい」


「あの、それは有難いんですけど……、特別クラスの教師……、私一人しかいませんよ?」


「その辺は心配ない。俺とフェガリオ、ついでに兄貴も、教職の免許を持っているからな」


 初耳、パート2……。

 吸血鬼という人外の存在でありながら、まさかの教職員免許所持者とは。

 何故そんな便利な資格を持っているのかと尋ねてみれば、生きていくには色々と必要なんだと涼しい顔で言われてしまった。


「もう一人いるんだが……、まぁ、アイツはこの際どうでもいいな。とにかく、それだけ人員がいれば、中等部の特別クラスは機能するだろ」


「給食や、色々他の問題もあるのではないでしょうか」


「給食も俺達で作ればいい。ついでに、他の問題はひとつひとつクリアしていけばいい。差し当たっては……、許可がいるな」


 勝手に学校を開くわけにはいかないので、まずはこの王立学院の学院長先生……、は、現在牢獄の中で反省中だから、新しい学院長先生が決まるまでは許可が貰えない。

 となると、それよりも上。王立学院の財政面を助けている王国側の許可を貰いに行く方が早い。

 そう納得したレゼルお兄様が、話が進みすぎてついていけない私達を置いてきぼりにして、近い内に話をつけに行くと宣言をしてしまった。


「レゼルお兄様……、本気なんですか?」


「ん? そりゃ本気じゃなきゃ言わないだろ。それに、よく考えてみたら、その屋敷を学校にしたら、お前だってもう嫌だとは言えないだろう?」


「それは……」


 お兄様達の私有地であるその場所なら、確かに何の心配も……。

 いや、違う。どの道、勉強に必要な教材費や学費は結局かかるのだ。

 ブンブンッと首を振って抗う私に、レゼルお兄様はむっと眉を顰めて説得にかかってきた。


「俺はもう決めたんだぞ? 特別クラスの奴らに、俺達で勉強を教える。ついでに、そこのお子様共も強制的に入学だ」


「おれ達も!?」


「おお、美しく可憐なレディと出会える場が与えられるのですね。はぁ、うっとり」


「学校……、おれ、行った事ない、楽しそうだ」


 学院内の様子にワクワクしていたお子様達の懐柔は一瞬だった。

 レスカ先生も最初の戸惑いを捨て去って、「じゃあ、必要な書類を揃えておきますね」などと、物凄く乗り気になっている。まだ、フェガリオお兄様やれレインクシェルさんに許可を取ってもいないのに……。


「とにかく、お前も強制入学だから。嫌がったら……」


「何ですか……」


「俺が今日から毎晩、お前の部屋の窓に張り付いて、朝まで見守ってやろうな」


「……レスカ先生、変態がいます。すぐに警備隊を」


「あはは……、何だか、仲良しさんですね~。とても微笑ましいです」


 微笑ましくなどない。このお兄様は本気になったら、どんなに嫌がろうと実行してくるのだ。

 そう、私がレゼルお兄様の妹になる事を承諾する前に、この首筋に隷属化の証を残した、あの時のように。

 だけど、それも全部私の為にやってくれている事だと思うと……。

 レゼルお兄様の腕の中で気恥ずかしさを覚え身動ぎしていると、「通ってくれるよな?」と、抗う事も難しいような甘い笑みで囁かれてしまった。


「勿論、リシュナには俺達教師役の手伝いをいっぱいして貰うぞ。どうだ? 勉強も出来て、お手伝いもし放題だ。嬉しいだろう?」


「お手伝い……、勉強。全部一緒に出来るという事、ですか」


「いいんじゃないですか? リシュナちゃん、貴方はこの方に迷惑をかけたくないようですが、将来の事を考えると、今学んでおく事は、とても重要な事だと思いますよ」


「レスカ先生……」


 伸びてきたレスカ先生の優しい指先に頬をちょんと突かれた私は、これではもう逃げ場がないと観念し始める。だけど、レゼルお兄様達に頼りっぱなしなのは、やっぱり嫌だから……。


「じゃあ、学校に通うお金を、私がお借りするという形でお願いします。レゼルお兄様」


「は?」


「大人になって真っ当な職に就いたら、頑張って返していきます」

 

 その条件であれば、私は学校に通う。

 真剣な眼差しでお願いしている私に、ふぅ……と、仕方なさそうな吐息がレゼルお兄様の口から零れ出た。


「この頑固者。だが……、お前がそれで学校通いをしてくれるなら、まぁ、いいか」


「なぁなぁ、おれ達もお前から金を借りて、学校に通うのか?」


 トコトコと目元を腫らして歩み寄ってきたディル君達が、不安げな顔をしている。

 けれど、レゼルお兄様はよいせと腰を屈めて首を横に振った。

 私がお金を借金する形でこの件を承諾しただけで、お子様達にまでそういう負担をさせる気はない、と。


「それに、俺もリシュナから金をどうこうっていう気はない。ただ、そうしないと納得しないからなぁ」


「はい。私は、レゼルお兄様からお金をお借りして学校に通います。それ以外は嫌です」


「な? こんな感じだから……。律儀すぎて、卒業までにもう少し、素直に甘えるって癖をつけさせたいもんだ」


 今でも十分に甘えさせて貰っていると思う。

 喜ぶお子様達を見下ろした後、私は苦笑しているレゼルお兄様を見つめた。

 私を守ると約束し、こんなにも幸せな居場所を与えてくれたこの人は、何故……、見返りを求めないだろうか、と。

 あの場所で死ぬはずだったこの命を救い、生きる道を与えてくれた人。

 またレスカ先生に会えたのも、お子様吸血鬼達を徐々に真っ当な道に引き戻せ始めたのも、全部、この人が始まりなのだ。

 

「ん? どうした、リシュナ」


「いえ……、何でもありません」


 自分の身体を抱く、自分の兄となってくれた温もりが、とても心地良い。

 ずぶ濡れで死ぬのを待っていた捨て犬のように、私は無意識にレゼルお兄様にすり寄っていたらしい。これは自分を救ってくれる唯一の温もりなのだと、そう、心の中で安堵しているかのように。

 それに気付いたレゼルお兄様が、表情をニヤニヤとした楽しそうなものへと変えたので、私はぷいっと顔を横に背けたのだった。

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