私に新しい家族が出来ました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
Side リシュナ
「ふあぁ……」
暮れゆく夕日の柔らかなオレンジが窓から差し込む室内で、私はレゼルクォーツさんに片手を握り締められた状態で目を覚ました。
しっかりと繋がれた手元を見下ろし、自分は何故ここにいるのだろうと寝ぼけ気味の思考を巡らせ始める。……そうだ。公園で私の過去について話をしている最中に、限界が。
口にするのもおぞましい、幼い頃の記憶。消えずに私の心の中に在り続けるそれは、どんな石よりも重く、私の中で淀み続けている。じわりじわりと、忘れようとしても這い上がってくる猛毒の記憶……。それに耐え切れなくなった私は、意識を失い、レゼルクォーツさん達の手によって、ここに運ばれて来たのだろう。
「レゼルクォーツ、さん……」
私の手に触れている温もりは、すでにぐっしょりと汗で濡れている。
高熱の状態で後を追って来たのだ……。悪化するのも無理はない。
寝台の端に頭を乗せて辛そうにしている蒼髪の吸血鬼の頭を、右手でそっと撫でてみる。
「ん……」
「捨ててください……」
少ししか話す事は出来なかったけれど、どれだけ執念深く厄介な相手から逃げ続けているか、きっと感じ取ってくれたはずだ。普通の戦災孤児ではない……、不幸の種でしかない子供。
きっと嫌になって捨ててくれると思っていたのに、……どうしてまだ、この手は繋がれたままなのだろうか。絶対に離さないと言わんばかりの力のこもった手元に、心の奥が希望を抱いたかのように温かくなってしまう。私と関わると不幸になってしまうのに、本格的に巻き込むのだけは、避けたいのに……。試しに手を離そうと動いてみるけれど、全然離れない。
「困り……、ます」
か細く、そう小さな懇願の声を落とすと……、視線の先に、穏やかで温もりのあるアメジストの輝きが瞼の奥から、ゆっくりと、私の姿を捉えるように現れた。
「困らせてでも……、俺は、お前と家族になりたい」
「それが……、貴方の抱えている傷を癒すから、ですか?」
踏み込んではいけない、そう思っているのに……、可愛くない事を言ってしまうのは、彼らの方から私を捨てて貰える事を望んでいるからか。
私に対する情が、レゼルクォーツさん達の中から消えてくれれば、私がどこで野垂れ死のうと……、その心を痛める事はない。だけど、同時にわかってもいる。
レゼルクォーツさん達は……、私を捨ててはくれない事を。
あの話を聞いても、私に対する嫌悪や面倒という感情を一切抱いてくれなかった彼らは、意識を失った私を宿屋に運んでくれた。あの場に残して……、どこかに消え去っても良かったはずなのに。
「リシュナ……。確かに俺は、お前の為だけを想って動いてるわけじゃない」
「……」
「お前の為でもあるが、俺の為でもある……。一人になったお前を自分の手元で育てたいと思っているのだって、結局はお前の為というよりは、俺自身の為でしかない」
純粋な善意ではない。あくまで、自分自身の自己満足だと語るレゼルクォーツさんに声音は、私にというよりは、自分自身に淡々と事実を口にしているようにも思えた。
私を救う事で、レゼルクォーツさんも救われる……。謂わば、対等な交換条件のようなものなのだと、彼は微かに笑った。
「お前の事情はまだ少しだけだが、大体の事はわかった。お前は、そいつらに捕まりたくなくて、死を望んだ……。そうだよな?」
「……はい」
お父さんとお母さん達を失って、一人で彷徨い続ける中……、あの場所に連れ戻されるのを恐れて逃げ道を求め続けた。だけど、同時に……、最期を迎えれば、お父さんとお母さんの傍にいける、もう二度と辛い思いをしなくてもいいんだ、そう、思ってもいた。
自分の中で今までに起こった全ての記憶がぐちゃぐちゃに混ざり合って、限界でもあった、から。
だから、その全てから救われる為に、私は……。
「リシュナ、もう悩まなくてもいいんだ」
「え……」
「お前は、生きていてもいいんだ」
「……でも」
いつ現れるかわからない追っ手に怯えながら生きるのも辛い。
それに、この人達と家族になったら、確実に巻き込んでしまう。
けれど、レゼルクォーツさんは体調の良くないその顔に自信の笑みを刻み、しっかりと私の手を握り込んだ。
「まだ相手の正体が掴めないから、とりあえずはお前の存在を外部から隠す細工を兄貴やフェガリオに頼んである。それに、たとえもう足がついていたとしても、俺達が傍にいる。お前に手は出させない」
「駄目、です……。貴方達に、何か……、あったら、どうするんです、か」
「リシュナは知らないだろうが、お前の『お兄様』達は、グランヴァリアでも腕利きの粛正者……、『シュヴァリエ』なんだぞ?」
「粛正……、者? シュヴァリエ?」
「グランヴァリアの掟を破り、人間の世界で好き放題をしてる罪人を連行したり、必要があれば裁く仕事だ。荒事にも慣れてるし、俺達に何かあれば、グランヴァリアの王が黙っちゃいない」
そういえば……、レインクシェルさんも『仕事』がどうとか言っていた気がする。
三人の吸血鬼に向けていた紋様入りの大鎌の存在も……。
吸血鬼を狩る吸血鬼……、それが、レゼルクォーツさん達のお仕事。
「だから、な? 俺達が絶対に守ってやるから、もう一度、生きてみないか?」
「……後悔、します。絶対に」
「自分から首を突っ込んでるんだ。後悔なんかしないさ。それに、お前に対して悪逆非道な行いをしてくれた奴らには、子供に対する扱いや接し方を……、骨身に沁みるまで教え込んでやる必要があるからな」
シュヴァリエというのが、どれほどの強さなのはわからない。
だけど、レゼルクォーツさんの説明を聞いていると、生半可な強さではその地位に就けないのだという事だけはよくわかった。どんな凶悪な罪を犯す吸血鬼相手にも、同族殺しの汚名さえ覚悟して背負い、怯む事なく立ち向かい続ける覚悟と強さ……。
それを持っている自分達なら、私を絶対に守り切れる、と……。
そう言ってくれるレゼルクォーツさんの手から逃れるように身を引こうとすると、もうこれ以上の駄々は許さないとでも言いたげに、高熱で辛いはずの身体を動かしてレゼルクォーツさんが寝台に身を乗り出してきた。
「逃げるな……、リシュナ。俺達は巻き込まれるんじゃない。俺達が、お前を守ってやりたいから、その怯えた小さな心を抱き締めてやりたいと望むんだ。だから……、責任は全部俺達にある。それだけを、わかっていればいい」
あくまで、私を生かす責任は自分達にあるのだと……。
私の中から、自分達を巻き込んでしまう罪悪感を払拭する為に、レゼルクォーツさんは私の両肩を掴んで顔を近づけながら、そう言い含めてくる。
どうしたらいいの……。私は、私は……、もう誰も、不幸にしたくない、のに。
自分の事情を話せば、厄介者でしかない私の手を、離してくれると、そう、願っていたのに。
やっぱり……、駄目、なんだ。この人の目に映ってしまったあの夜、私は確かに、自分の運命にレゼルクォーツさんを巻き込んでしまった。
そして、この人が与えてくれた温もりから抜け出す事は、……もう。
「リシュナ、おいで。もう、一人で泣かなくてもいいんだ」
「で、でも……、私、は」
「リシュナ」
腕を引かれ、私は小柄な自分の身体ごとレゼルクォーツさんの胸に倒れ込んでしまう。
後頭部と背中をしっかりと抱き締められ、私の兄になりたいと望んでくれる人が、耳元で囁く。
「お願いだ……。俺の傍で、生きる道を選んでくれ」
「レゼルクォーツ、さ、ん。苦しい、です……」
「俺達の家族になる事に同意したら、……離してやる」
「同意しなくても……、もう、逃がしてはくれないんでしょう?」
というよりも、私を保護したあの瞬間から、レゼルクォーツさんはそう考えていたはずだ。
半分は私の為、もう半分は自分の為……、だけど、心から私の事を心配し、救おうとしてくれる、心優しい吸血鬼。身体ごと心まで包み込んでくるかのような切ない温もりに、私は吐息をついた。
本音ではまだ、巻き込んで不幸にしてしまう事を恐れている。
だけど、それよりも強く、……この温もりの中にいたいと願う自分がいるのも事実。
「レゼルクォーツさんは……、ずるい、です」
「ん?」
ぎゅぅっと、レゼルクォーツさんの背中に両手をまわしてしがみついた私は、涙を零しながらその温もりに縋った。
こんな居心地の良すぎる温もりと深い愛情を向けられては、どこにも逃げられないではないか。
ずるい……、ずるすぎる。何もかも、この蒼髪の吸血鬼の思い通りだ。
だけど、もう自分から離れる事は出来そうもなくて、私は……、死の安息ではなく、この腕の温もりの方を求めてしまう自分を止められない。
「ずるい……、ずるいです」
「り、リシュナ?」
「巻き込みたくないのにっ、……何で、何で、捨てて……、くれない、ん、です、かっ」
「捨てない。……絶対に、お前を俺の傍で生かし続けてやる。だから、もう強がるな」
やっぱりずるい……。私の背中を宥めるように優しい手のひらの感触で撫で下ろしながら、レゼルクォーツさんは情に満ちた声音で囁く。
自分は絶対に私を捨てるような事はしない。だから、私にも自分を捨てるような事はしないでくれ、と……。そんな事、もう出来るわけもないのに、だからこそ、捨ててほしかったのに。
「きっと……、沢山、沢山、迷惑をかけます……、それで、も?」
「お前の迷惑なんて、俺達にとっちゃ小さいもんだ……。甘えろ……、今まで我慢した分、好きなだけ、な」
「そんな事……、言われ、た、ら、もう……」
顔がぐしゃぐしゃになるくらいに涙が溢れて止まらない……。
額をこつんと触れ合わせてきたレゼルクォーツさんに、駄目押しのように「お前は、もう俺の大事な家族だよ」と、これ以上ないほどの優しい響きで囁かれて、……落とされないわけがない。
「絶対……、後悔、する、のに」
「しない。お前は俺が見つけた、この手で抱き締めたいと、幸せにしてやりたいと願った命だ」
「レゼル、クォーツ……、さ、ん」
逃げ道は完全に消え去った。全てを包み込むかのようなアメジストの煌めきに見下ろされながら、私はついに……。
「お世話に……、なり、ます。――レゼル、お兄、さ、ま」
本当に、小さな小さな、聞き取れない程に小さな呟き。
自分でもちゃんと音になったのかはわからなかった。
だけど……、レゼルクォーツさんはしっかりと正確に聞き取ってしまったらしく、カッ! と、そのアメジストの瞳を大きく見開いて、突然私をその腕に抱っこした状態で勢いよく立ち上がった。
高熱状態なんですよね? 身体辛いんですよね? 何ですか、今のは。
どこからか地鳴りの音が聞こえてくるかのような幻聴を感じながら、その腕に抱かれたまま真顔で見つめられる。
「リシュナ……、もう一回」
「はい?」
「もう一回……、『レゼルお兄様』って、今度は上目遣いに可愛らしさ全開で言ってみよう」
……警備隊の皆さん、別の意味で感極まってしまっている変態がいます。
さっきとは打って変わった煌々しいレゼルクォーツさんの嬉しそうな、顔。
『お兄様』と呼ばれた事が、人生最大の幸運でもあるかのように、「もう一回!」とせがんでくる。
どうしよう……。つい雰囲気に流されて、私は非常に不味い一言でも言ってしまったかのような心地だ。家族になるという選択は……、早計だったかもしれない。
だけど、言わなければ離してもらえない。多分、恐らく、絶対に。
私はごくりと喉を鳴らし、仕方なく『新家族』の願いを叶える事にした。
「これから、よろしく……、お願い、しま、す。レゼル、お兄、様」
「よし! この頼りになるレゼルお兄様に全部任せていいぞ! お前の人生を邪魔しそうな要素は全て、この手で片付けてやるからな!」
片付ける……、って。何だろう。爽やかな笑顔を見ているはずなのに、そのアメジストの双眸の奥に、ぎらりと不穏な何かが煌めいたような気がした。きっと気のせいじゃない。
この人は本当に、私の人生を邪魔する存在を全て、裏で始末する気満々だ。
吸血鬼達の王国、グランヴァリアの粛正者、シュヴァリエという存在が一体どれほどまでに最強なのか、今の私には知る術(すべ)もないけれど……、何だか、物凄く心配になってきた。
今のうちに止めた方がいいのか、それとも……。
視線の下で喜んでいるお兄様を眺めながら、私は真面目に唸ってしまった。
「ん? どうした、リシュナ」
「……何でも、あり、ま、せん」
言えなかった。物騒な事はくれぐれもやめてほしいとお願いしたかったけれど、嬉しさ全開の人の顔を曇らせるような事は口に出来なかった。
私は大人しく自分の身を『レゼルお兄様』に委ね、それから三十分ほど、くるくるとダンスステップのような足運びをされながら振り回され続けたのだった……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……何があった?」
「はしゃぎ過ぎたみたいです……」
どこかに行っていたらしきフェガリオさんが夕食を持って来てくれた頃、高熱全開だった『レゼルお兄様』は……、床に倒れ込んで動かなくなってしまっていた。
「うぅ……」
「すぐに回収する……。リシュナ、夕食を食べたらゆっくり休め」
「はい、ありがとうございます……。フェガリオお兄様」
「……」
真っ赤な顔になって転がっている『レゼルお兄様』の後ろ襟首を引っ掴んで扉に向かいだしたフェガリオさんにそう呼びかけると、一瞬その強面の美貌が固まってしまった。
やはり、気安かったのだろうか……。ちょっとだけ不安になり、呼び方を訂正しようとすると、その顔に安堵の気配が広がるのに気付いた。
愛おしむように私を見つめた『フェガリオお兄様』が、ぽいっと『レゼルお兄様』を床に転がした後、床に座り込んでいた私の傍に膝を着いた。
「何かあれば、気兼ねする事なく頼るといい……。リシュナ、俺の妹」
「はい……。色々とご面倒をおかけしました。これからも、よろしく、お願い、します。フェガリオお兄様」
ごろんと転がった重症の人が唸り苦しむ姿を視界の端に映しながら、私はもう一人のお兄様に改めて、今後の自分の人生を委ねる事を、その音によって伝えた。
これから、どんな不穏な事が起こるのか……、新しい家族達に多大な迷惑をかけてしまう事に対する申し訳なさが消える事はないけれど、それでも……。
(『お兄様』達と一緒なら、……きっと)
二人のお兄様が部屋を出て行くその姿を眺めながら、私はこの時、あの村で両親と一緒にいた頃のような、心からの安堵を覚えて、忘れていたはずの気の抜けた笑みを零してしまうのだった。
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