おぞましさと苦痛を抱く記憶……。
※過去の話を語る際において、幼児に対する虐待の表現がございます。ご注意ください。
「さぁ~て、ここなら日差しも気持ち良いですし、楽しくお話出来そうですね~」
町の中にある大きな公園の敷地内、その奥にある白いベンチにぽんっと座り込んだレインクシェルさんが、その手に美味しそうなソフトクリームを持ち、それをぺろぺろと舐め始める。
中身は正真正銘大人のくせに……、子供のフリが板についている。
私とフェガリオさんも同じくソフトクリームを手に持って、ベンチに腰掛けた。
暖かな日差しが眩しいくらいに降り注ぐ、爽やかな朝の公園。
犬を連れて散歩に来たおじいさんや、お母さんに手を引かれて楽しそうに歩いている男の子。
目に映る全てが、私以外の日常が、幸せで平穏な時間に満ちている。
「お嬢さん、早くアイスを食べないと溶けちゃいますよ~」
「はい……」
誰がどんな事情を抱えていようと、世界は変わらずに時を刻み続ける。
その光景に見入っていた私は、レインクシェルさんからの指摘を受けて、冷たいソフトクリームに口をつけた。……甘い。
これから私が話す内容は、とても爽やかな朝の光景には似つかわしくないのに、目の前にあるソフトクリームの美味しさは変わらない。
「本当に……、いいんでしょうか。私の抱えている事情は、貴方達を巻き込んだら最後、命の危険に晒す可能性もあります」
「別に構いませんよ~。荒事も嫌いではありませんし、子供が一人で不幸になるのを見るよりは、断然マシですね~」
「……私がどうなろうと、知った事がじゃないって言いましたよね?」
「あの時はあの時~、今は今~、ですよ?」
気まぐれというか、この豹変型の腹黒吸血鬼の底は中々読めない。
私の隣に座っているフェガリオさんも、頭痛を覚えるように眉間の辺りを揉んでいるし……。
聞くところによると、このレインクシェルさんを長兄に、次男がレゼルクォーツさん。
フェガリオさんだけは従弟という立場だそうで、昔から一緒にいる時間も長かった為、実の兄弟同然の関係なのだそうだ。そして、一番の年下がフェガリオさんと聞いて、一瞬思考が停止したのは仕方がないと思う。思慮深そうで常識性のありそうなフェガリオさんが、一番下。
世の中には不思議が満ちている……。まぁ、それは私も同じ事か。
十四歳のはずなのに、身体が十歳前後の子供にしか見えないのだから……。
とまぁ、そんな少し驚きの事実を知った私は、さぞかし長兄のせいで苦労しているのだろうなと、私は二人に対して同情の念を抱いてしまった。
「いいんですね? ……本当に」
「はい~。さっさと話して頂かないと、ウチのレゼル君が過労死しそうなので、出来るだけさっさとお願いしますね~」
なるほど。レインクシェルさんの心の中では、自分の弟を気遣う気持ちがまず優先されるのか。
レゼルクォーツさんの事を自業自得みたいに言ってはいたけれど、根はやっぱり、間違いなく弟の事を心配するお兄さんのそれだ。つまり、私の事が心配、なのではなくて、自分の弟さんの悩みと辛さを一刻も早く取り除く為に、私から事情を聞き出そうとしているのだ。
その事に関して残念だとか、悲しいとか、そんな気持ちは湧かなかった。
この人は私に対して何の情も抱いていない。いや、苛立ちの情は抱かれているかもしれないけれど、にっこりと天使のように笑うレインクシェルさんは、自分の目的の家族を守る為にしか、私と向き合っていない。シンプルで、ある意味わかりやすい人だ。
「私は……、国境近くの村で暮らす前は、……『極寒の氷牢』と呼ばれる場所にいたんです」
「牢屋だと!?」
静かに自分の事を語り出そうとしていた私は、突然割って入ってきた大声に肩を揺らした。
今の声は、レインクシェルさんでも、フェガリオさんでもない。
まさか……、ちらりと視線を声のした方に流した私は、公園の地面を這う重症の吸血鬼の姿を見つけてしまった。匍匐前進の体(てい)で、私達のいるベンチを目指してゆっくりと進んでくる蒼髪の吸血鬼。髪を結ぶ事もしていないレゼルクォーツさんは、一応着替えだけはしてきたらしい。
「何で外に出てるんですか……」
無事に私の足元に辿り着いたレゼルクォーツさんが、まるでゾンビの如く私の足を掴んで縋ってくる。顔色悪すぎますよ……、ついでに、大量の汗でせっかく着替えた服が台無しです。
「リシュナ、お前みたいな子供が、何で……、牢屋なんか、にっ」
「レゼル~、君、絶対安静だって出掛けに伝えましたよね~? 何根性で追いかけて来てるんですか~?」
「うる、さいっ。俺の部屋で話せばいいものを、天気が良いから外でとかぬかした兄貴のせいだろうがっ」
「よくここまで追って来れたな……、レゼル」
本当に……。朝、私をお風呂場のある脱衣所に放り込んだ時も驚いたけれど、その後にまた体調が悪くなって寝込んだはずなのに、……恐るべし、レゼルクォーツさんの執念。
よろよろとベンチに座り込むと、レゼルクォーツさんは私の両肩を掴んで思いっきり揺さぶってきた。……目がまわります。迷惑です。
「私が……、罪人、だから、です」
揺られながら事実を答えると、その手の動きがぴたりと止まった。
何を言っているんだ、お前は……、と言いたげな顔をされたのは、予想内のことだった。
私だって最初は、罵られる度に意味がわからないと苦しんでいたのだから。
だけど、あの場所で、私は確かに罪人としての扱いを受けていた……。
「私は……、生まれてきた事が、罪、なんだそうです」
「どういう事だ」
「当時は、まだ小さくて、最初はよく意味も理由もわかってませんでしたけど……。今考えてみると、『身代わり』だったんじゃないかと、思います」
「どういう事ですか~?」
三人の怪訝な視線を受けながら、私はぺろりとソフトクリームを一口舐め取った。
視線の向こうに広がる清々しい青空とは真逆に、私の過去は意味不明な部分も多く、幸せとは程遠いものだったように思う。
極寒の地とも言っていいその場所で、私は多くの罪人達がひしめく収監所の最奥に囚われていた。
命が尽きないように与えられた僅かな食事と水。定期的に面会に訪れていた、真っ赤な長い爪が印象的な女性と、その取り巻きらしき仮面の男性達。
面会という名の、拷問の時間。女性はその長く鋭い爪で私の頬や肌を引き裂き、何故そんな事をされるのかわかっていない子供に対して、罵詈雑言の限りを尽くした。
私のせいでお母さんが駄目になった、とか、種族の汚物、とか、色々と酷い言葉を連続して叩き付けられていたような気もするけれど、結局私の何がいけないのか、それを明確に教えてくれる事はなかった。そんな意味不明な日々が何年も続いた……。
「時々、その女性からの命を受けたらしき男性達が私を外に連れ出す事もありました。だけど、それは息抜きをさせようとか、傷付いた身体や心を癒そうという目的ではなく……」
「何を……、されたんだ?」
「閉ざされた雪の収監所から出された時は、密かな希望を抱きました……。理由もわからない罰が終わったのだと……。そう、思っていました。だけど……」
私が囚われていた収監所は、人の命を容易く奪うほどの雪で覆われている場所だった。
収監所に続く特別な地下通路を通れば何の苦もなくやって来る事が出来たけれど、それを使えたのは、極一部の特権階級の者達だけ。その通路を辿って連れて行かれたのは、天上の園を思わせる、美しい緑と花々の恩恵を受けた大地だった。自分はきっと許されたのだ。そう、胸に湧き上がる喜びと共に男達と歩いた、夢のような道筋。
けれど、その大きな感情の期待は……、すぐに打ち砕かれる事になった。
「自分がどれだけの人々に憎まれる存在であるのか……、そこで思い知りました」
豪奢な屋敷に入った私は、そこである一人の男性と出会った。
見惚れる程に美しいその人は、男達に連れて来られた私を見た瞬間、確かに笑った。
最初は私に対して優しくしてくれたけれど、自分の部屋に私を招き、一緒にお茶の時間を過ごしながら、私のお母さんの事を語ってくれた。何て優しくて温かい人なのだろうと……、その時は確かに感じていた。だけど、お母さんの人柄を褒め称えていたその人は、新しい記憶の部分に差し掛かった時、――豹変した。
その人にとって私のお母さんは、とても大切な人であった事は確かだった。
けれど、育んだ絆を断ち切り、自分の想いを裏切った私のお母さんを罵り始めたその人は、恐怖に震える私へと憎悪の眼差しを注ぎ、使用人が差し出した鞭を手に取り、私を打ち据えた。
手加減も何もなく、意味もわからず私は鞭の餌食となり続けた時の恐怖を、よく覚えている。
怖くて怖くて、顔も覚えていないお母さんに助けを求めながら部屋の隅に逃げた。
だけど、その人は私の事を許してくれなくて、泣き叫ぶ私にさらに腹を立て、募らせ続けた怒りを晴らすかのように、打ち続けた。
『お前のせいだ! お前のっ、お前のせいだ!!』
それは、憤怒の他に、深い悲しみを抱いた叫びだった……。
それまで話して貰ったお母さんの事も、少しでも知る事の出来たお母さんの情報も、全て、吹き飛ぶほどに。あの女性もそうだった。私を傷付けながら吐き出されていたのは、お母さんへの愛と憎悪の言葉。そして、私という存在が罪そのものであるという事。
だけど、二人の目は私を激しく憎悪し見つめ続けながらも、『別の誰か』を恨んでいたように思う。
恐らく、それは……。
「私は、顔も知らないお父さんの代わりだったんだと思います……。あの二人が繋がっていたのかどうかは知りません。でも、二人は何年もの間、私の事を罰し続けました」
「ん~、よくある異種族間の恋愛問題の果ての被害ってやつですかね~」
「だからって……、その子供に暴力や罵倒を剥けるのは間違ってるだろ……っ」
思うようにならない身体で辛いはずなのに、レゼルクォーツさんはベンチから立ち上がり、私の前で膝を折った。その目には間違いなく、憐みの情が浮かんでいる……。
聞かされて気持ちの良い話でもない。こういう顔をさせる事をわかっていたのに、いざそれを目の当たりにすると、とても、辛い。
「リシュナ……、お前には辛い記憶だろうが、続きを……、頼めるか?」
「……はい。『罰』と称して嬲られる日々は何年も続き、悪化の一途を辿りました。時には、あの女性が躾けた獰猛な獣達が待ち構えている狭い空間に閉じ込められて酷い目に遭わされたりもしました。私を呼び出した男性が、動物用の首輪を私に着けて、縄を引いて引き摺りまわしたりも……」
「どこまで悪趣味な真似を……っ」
「外道ですね~……。親の問題を子供に押し付けて嬲りまわすなんて、狂ってますよ」
「狂っているどころか……、何故生きているのか問い詰めたくなるような腐った命だ……っ」
今こうして思い出してみても、確かに聞いた人を最悪に不快な気分にさせる話だと再確認した。
記憶を言葉にするのも吐き気がするような仕打ちの数々……。
お母さんがどうしているのかも聞かされずに育った私は、ただ自分が生まれて来た事も罪の一つなのだと考え、必死にその罰に耐え続けた。悪化していく罰の味に、徐々に感覚は麻痺し、心さえも壊れそうになった頃……、あの女性は言ったのだ。
『まだまだお前には、罪の償いをしてもらわなくてはね……。『あの男』に手を下せない以上、死よりも恐ろしい罰を与えなくては』
そう言って愉しそうに笑った女性は、幼かった私に……、私、にっ。
その続きを言おうとして、けれど、どうしてもそれを言えずに、私はフェガリオさんの方に倒れ込んでしまった。苦しい……、死んだ方がマシだと思えたあの瞬間の言葉を思い出すと……っ。
「リシュナ!! 大丈夫かっ」
「はぁ……、はぁ、……、たす……け、て」
「一度宿屋に戻した方がいい……。行くぞ」
「お嬢さん、しっかりですよ~!」
それが現実になる事はなかったけれど……、それでも、あの瞬間を思い出すと、自分がおかしくなってしまいそうで……。
三人の慌てる声を耳にしながら、私の意識は闇の底へと落ちていったのだった。
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