頑固なお兄様と妹の夜

「どういう……、こと、ですか?」


 怖れを抱く掠れた声音は、自分で思っていたよりも小さく聞こえた。

 高熱に苛まれている気怠い身体を横たえたまま、私は痛みを堪えたアメジストを見上げる。

 『隷属者』……、もう、『死ねない』と、そう口にしたレゼルクォーツさん……。

 貴方は……、私に一体、何をしたの?


「最初に説明しておくと、『傀儡』は相手の自我を奪い、完全に自分の人形にする事だ。『パートナー』と呼ばれる友好関係を築いた者同士が行う契約は、互いに対等な立場となり、吸血鬼に命令する力はない……」


「じゃあ……、『隷属者』、は?」


「『隷属者』は……、相手の自我と人間性を保たせたまま、自分の使役下におく事だ。力を込めて命令を与えれば絶対服従、そして……、『傀儡』とは違い、炎で燃やしても死なない」


 死しても操られ、炎で焼かれた村人達の事を思い出す。

 完全に吸血鬼の玩具となった彼らは、二度に渡る屈辱と共に炎に巻かれて消え去った……。

 けれど、『隷属者』と呼ばれる、今の私の立場は……、炎に焼かれても、死なない、と。

 

「対吸血鬼用の武器で刺されても、どんな事をされても……、死なないし、自分でも死ねない」


「なんで……、そんな、酷い、こと、をっ」


 私がこんなにも安息の眠りを求めていると知っているのに、どうしてそんな酷い仕打ちを与えるの? これじゃあ……、逃げ出しても、私は死なないし、死ねない。

 主である吸血鬼が死ねと命じない限り、私はもう……、願いを叶えられない。

 たったひとつの希望の光が……、私の中で、絶望の色を宿した灰のように崩れ去っていく。


「今すぐに……、隷属者の立場を、解いてください。……出来るんでしょう? 主である貴方なら、私をもう一度……、死ねる、身体、に」


「死なせない。俺はお前が死ぬことを……、絶対に、許さない」


「最低……っ、貴方に何の権利が……、あって、こんな酷い事を」


 憎悪と殺気を抱く瞳で見上げれば、レゼルクォーツさんはその瞳に抱く辛さを深めた。

 永い時を生きる吸血鬼達からすれば、十四年という短すぎる月日しか生きていない子供が、何故ここまでお膳立てしても逃げようとするのか、理解出来ないのだろう。

 当然だ。私は自分が抱えている事情を話していないのだし、たとえその片鱗を感じ取る事が出来ても、死にたいと願うほどの理由が、レゼルクォーツさんにはわからない。

 だから、私の抱いている死への渇望が一時的な衝動なのだと解釈され、その考えを時間をかけて変えようと、こんな非道な真似に走ったのだろう。

 レゼルクォーツさんは自分のしている事をきっと正しいと、私の為だと信じ切っている……。

 哀れな子供を死の誘惑から救い出し、希望のある未来への道を歩ませてやろうとしている自分は、正しい、と。


「もう一度、言います……。私を、元の身体に、戻してください」


「何度そう懇願されても、俺の意思は変わらない……。お前が死ぬ事を諦めるまで、俺はお前をこの世に繋ぎ止め続ける」


「傲慢です……っ。私には私の事情があるのに……、ただ気が向いて拾っただけの存在でしょう? 貴方が何故ここまでするのか、私には理解出来ません」


 赤の他人である私がどこで野垂れ死のうが、吸血鬼達にとってはすぐに過ぎ去るそよ風にも及ばない些末な出来事だ。隷属化させてまで傍に繋ぎ止める利はない。

 それなのに、隷属化されてもまだ死ぬ事を諦めない私に、レゼルクォーツさんは深く眉を顰める。

 何故ここまでしても自分の気持ちがわからないのか、と、そう言いたいのだろう。

 普通の恵まれない戦災孤児ならば、差し出された救いの手を迷いなくとる事も出来ただろう。 

 だけど、……私は、もう誰にも甘えては、いけないから。

 村で暮らしていた頃は、私の存在を隠す術を村とその周辺にかけてくれていた『協力者』がいたから、まだ平穏な心地でいられたけれど、その人は……、もう、いない。

 隣国からの襲撃の際、炎の中ではぐれてしまってから数日間、私を探しに追ってくる気配もなかった。おそらくは……、あの戦火の中で命を落としたのだろう。

 そう思いたくはなかったけれど、いつまで経っても姿を見せてくれない以上、あの場所にいなかった事から考えても、望みは薄かった。


「お願い……、だから、……もう、休ませ、て。私が生きていると……、皆……、不幸に、なる、から」


 そう力なく音を零した瞬間、私の小さな身体の上に大きな影が覆い被さった。

 結んでいない蒼髪が私の顔に流れ落ち、両手で頬を挟まれてぐっとその美貌が近づけられる。

 双眸に苛烈な怒りの炎を揺らめかせたレゼルクォーツさんが、吸血鬼の証たる牙を覗かせると……。


「お前といると不幸になる……? 笑えない冗談で人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」


「ひっ……、じょ、冗談なんか……じゃっ」


 大声で本気の怒りを至近距離で浴びた私は、カタカタと急に寒気を感じたように震えだしてしまう。今まで何があっても優しい声音を崩さなかったレゼルクォーツさんが、今……、初めて、本気の怒りを私にぶつけている。酷い言葉を浴びせて罵声を浴びる事は覚悟していたものの、これは違う。そういう類の怒りではなくて……。


「お前みたいな子供一人を死なせて得られる平穏なんて、こっちから願い下げだっ」


「だ、か、らっ、貴方には……、関係ないん、ですっ。これは、私の問題で……、貴方が、自分から首を突っ込む必要、なんてっ」


「諦めろ。あの夜……、お前が俺の視界に入ったのが悪いんだ」


「意味が……、わかり、ま、せん」


 あの夜、私が最期を求めて入った深い森の中……。

 この吸血鬼は突然現れて、私の眠ろうとしていた意識を呼び覚まし、首筋に牙を立てた。

 そして、私に身寄りがない事と、死にたがっている事を知ると、勝手にその手で拾い上げた。

 ただ、それだけの……、何も劇的な事などなかったはずの、静かな夜の出来事だ。

 それなのに、ただ、それだけの出会いで、どうしてこの人は私に固執するのだろうか。

 お世辞にも美味しそうな血を体内で作れているとは思えない。

 レゼルクォーツさんにとって、本当に私は何なのか……、隷属化された今でもそれは見えてこない。

 ただ……、この人は、自分が情を向けた者がその命を疎かにしようとする事に、大きな恐れを抱いているような気配が感じられる。

 もしかしたら、私の知らないこの人の記憶の中に、心に消えない深い傷を負うような何かがあったのではないだろうか。だから……、私を死なせたくないと、必死になっているのでは……。

 けれど、たとえそうであっても、私は私だ。レゼルクォーツさんの願いは聞けない。


「貴方の偽善と傷を舐めるような真似に付き合わされるのは……、まっぴらごめんです」


 出来る限りの低く冷たい音ではっきりと拒絶を向けた私の目に、暗い絶望に染まったレゼルクォーツさんの痛々しい表情の変化が映った。……今、間違いなく、私は、この人の心に消えない刃を突き立てた。今までに感じていたものよりも、心の奥底まで抉られるような痛みが湧いた。

 レゼルクォーツさんは、高熱で苦しくなっている自分の呼吸を落ち着けるように、自分の中で渦巻いている感情の荒波を鎮めるように瞼をきつく閉じると、ぎしりと音を立てて寝台から下りた。

 ……諦めて、くれたのだろうか。

 寝台の向こうに立ったレゼルクォーツさんに視線を向ける。

 ぐっしょりと濡れた夜着の背中が見えるけれど、今どんな顔をしているのかは、……わからない。

 私を元の身体に戻してくれるのか、それとも……。


「朝までゆっくり休め。話はまた明日の昼にでも……」


「元の身体に戻してください」


 そうしてくれれば、私はこの人を憎まなくても済む。

 よろよろと寝台をどうにか這ってそう伝えると、ゆっくりとその背中越しにレゼルクォーツさんの顔がこちらに向いた。


「まだ言うか……。この死にたがり娘」


 ぴきり……と、こめかみの辺りに浮き上がっているのは、怒りを表す太い青筋だ。

 さっきとは別の意味で怖いその表情に、それでも負けないようにとお願いし続ける。


「レゼルクォーツさんが、どうしようもないロリコン趣味の変態鬼畜極悪吸血鬼である事は誰にも言いふらしませんから、元に戻してください」


 本気の真顔でそうお願いしただけだというのに、レゼルクォーツさんは青筋をさらにもう一本増やしてみせると、怒りも露わにドスドスと出口に向かってしまう。

 そして、扉のノブに手をかけて部屋の外に出ると、最後にぐわっと怒り心頭の体(てい)でこおう叫んだ。


「俺はロリコンでも変態でも、鬼畜でもない!! この馬鹿!!」


 バタァァンッ!!!!! ……と、乱暴極まりない動作で扉が閉められてしまった。

 私と同じ状態のくせに、なんでそんな力がまだあるんですか……。

 暫くぽかんと扉の方を見つめていた私は、同意もなしに隷属化されてしまった事を一瞬だけ忘れ、何故か……、小さく含み笑いを零してしまった。

 もう笑う資格なんてないのに……、何を笑っているの、私は。

 隷属化され、死への逃げ道を塞がれたというのに、あの吸血鬼といると……、どうしても絆されそうになってしまう。まだ、生きていてもいいんじゃないか、って。

 あの人なら、あの人達と一緒なら、何が来ても大丈夫なんじゃないか……って。

 そんな、夢を見てしまうのだ。だけど、駄目……。巻き込んでしまったら、私を苦しめる為に手段を選ばない『あの人達』が何をするか……。

 それを思うと、ぞっと心臓を鷲掴まれるような感触と共に、酷い悪寒が背中を駆け巡った。

 

「レゼルクォーツさん……」


 あの人にどんな事情があって私を生かそうとしているのかは知らない。

 だけど、二人の願いは真逆なのだ。私は死にたい、彼は私を生かしたい。

 平行線しか辿れないのだから……、答えはひとつだ。


(あの人が駄目なら、他の吸血鬼に話を聞いてみよう……)


 隷属化されたとはいえ、絶対に死ねないとは限らないだろう。

 だって、もし隷属化された者達が本当に何をしても死なないのなら……、吸血鬼達は駒として最大限に利用し、人の世に不死の軍隊を送り込む事も出来るのだから。

 

(ごめんなさい、レゼルクォーツさん……。私は、やっぱり貴方を『お兄様』とは呼べません。私は、生まれた時から、誰かを不幸にする種だと、……そう、教えられてきたのだから)


 早く元の身体に戻って、今度こそ誰の目にも触れない場所に逃げよう……。

 今度こそ……、本当の安らぎを。

 と、瞼を閉じそうになったその時、私は大変な事に気付いてしまった。

 洞窟の中に持ち込んだ家族との想い出の品、あれは……、どうなったのだろうか。

 それに、仇の吸血鬼達は……。


「お父さん……、お母さん」


 何とかゆっくりとではあるけれど、上半身を起こす事に成功した私は、ランプの光に照らされている室内を観察してみた。……寝台の向こうに、木のテーブルがある。そこには小さな花瓶に黄色の花が一輪、ひっそりと眠っている。

 レゼルクォーツさんの自宅に戻って来たのだろうかと思ったけれど、それにしては何かが違う。

 気配……とでも言えばいいだろうか。あの家の中で生活していた時のそれとは違う。

 視線を流していくと、寝台の傍には引き出しのついたサイドテーブルがあり、その上にランプが設置されていた。固定型の物らしく、少し揺らしても倒れたりする心配はなさそうだ。

 そして、その場所から視線を斜め下に落とすと、寝台の枕元に探していた物があった。


「持って来て……、くれたの?」


 ボロボロのウサギの人形はお母さんが私の為に可愛い布を使って作ってくれた物。

 木彫りの小物は、大切な物を仕舞っておけるようにお父さんが作ってくれた蓋付きの箱だ。

 お父さんは手先が器用だったから、私の好きな花模様を表面に掘ってくれて……。

 二人が私の為に贈ってくれた、大切な宝物……。また、会えた。


「お父さん……、お母さん。あの時……、私は村から逃げるべきじゃなかった……」


 二人がその命を賭けて逃がしてくれたのに、私は親不孝にも死にたがってばかりだ。

 そうしなければ、もっと恐ろしい未来が訪れる事を、嫌というほどに知っているから。

 きっと二人は、私に生きていてほしいと思ってくれていただろう。死んだ今でも……。

 お父さんとお母さんは、私の『協力者』とは長年の友人で、事情を聞いても嫌悪や恐れを抱かずに私を受け入れてくれた、稀な人達だった。

 私を汚物だと罵った『あの人達』とは違い、その温かな温もりで抱き締めてくれた、大切な両親。

 血なんて関係ないと、私の親になる事を進んで引き受けてくれた優しい二人。


「お父さん、お母さん……。ごめんなさい」


 形見となった人形と小箱を胸に抱き締めながら、私は意識が闇に落ちるまで、ずっと、ずっと……、そう繰り返していた。

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