仇を討たねばならないのですが、困った事になりました。

 小さな子供には不似合いな大振りの鎌。それを右手に楽々と構えている吸血鬼の子供……、のように見えるレインクシェルさんが、私から手を放すように吸血鬼達に要求する。

 けれど、その物騒な武器とは反対に、あまりにも可愛らしいレインクシェルさんの姿を前に一瞬だけ呆けた吸血鬼達が、次の瞬間盛大に噴出した。


「はははっ、ま、またガキかよ!! どいつもこいつも、武器がありゃ吸血鬼を仕留められるとでも思ってんのか!?」


「坊や、ここは君のようなおチビさんが来る場所ではありませんよ? 下手に吸血鬼の領域に入り込んでしまうと……、餌にされてしまいますからねぇ」


「だが……、腹の足しには、なる、と、思う」


 この人達……、レインクシェルさんは自分達の同族だと気付いていないの?

 私を地面に突き飛ばして転ばせると、まるで人間の子供を相手にするかのようにレインクシェルさんの周りを取り囲み、ニヤニヤと観察し始めた。

 普通……、同族なら何か同じ気配を感じたりするものではないのだろうか?

 対するレインクシェルさんは、ニコニコと笑顔を崩さずに大人三人を見上げると、その無邪気な様子を裏切るかのような一言を発した。


「図に乗ったクソガキ共が、調子こいてんじゃねーぞ。……ですよ~?」


「「「は?」」」


 今……、最初の台詞の方だけ、子供の声には似つかわしくないような、ドスの利いた低い音が聞こえたような気がする。私と同じようにフリーズした三人の吸血鬼達が、目をパチパチと瞬いて、レインクシェルさんの額を……、べしんと指先で弾いた。


「何するんですか~、痛いですよ~!」


「はぁ……、ガキが粋がってんじゃねーよ!! ったく、どこの迷子だ、この野郎っ」


「迷子じゃありませんよ~! 僕はれっきとした大人です~!!」


「どこがですか……。正義の味方を気取りたい年頃なのはわかりますが、自分の力量に見合った相手を見極める目から鍛えた方がいいですよ?」


 それはどうだろうか……。自分達と同族である事をまだ見抜けていないのだから、人の事は言えないだろう。ぼんやりと四人の、一見して微笑ましそうな光景を眺めながら、私は地面に落ちた短剣を拾い上げた。


(傷つける事は出来るのに……、『奪う』事が出来なかった……)


 刃を振り回す事は出来た。だけど、その次に進む事が出来なかった自分……。

 奪われた命を口にする事は出来るのに、自分で奪う事を躊躇うなんて……。

 村人の魂を弄んだ残虐極まりない吸血鬼達を殺して何が悪いの?

 あの三人は私の大事な人達に二度目の死を与えておきながら、それを悪い事だとは微塵も思っていない、最低最悪の人外だ。この手で思い知らせてやらなければ……、村人達の無念は晴れない。

 そう……、わかっているはずなのに、短剣を持つ手が、まだ、震えている。


「お嬢さ~ん? どうします~? 自分で仇を討ちますか~?」


「え……」


「お嬢さんが出来ないなら、僕が代わりにやってもいいんですよ~?」


「ああ!? 何ふざけた事ぬかしてんだ、このクソガキが!!」


 取り囲まれていたレインクシェルさんが、その隙間から左手を振る様を目にすると、――次の瞬間、怒鳴りつけたガサツな吸血鬼と他の仲間達が何かの力に弾き飛ばされたかのように地面に叩き付けられた。それが、あの大鎌を見えない速さで一閃させた結果だと気付いたのは、その武器の刃先からボタボタと紫の雫が零れ落ちたのを目にしたから……。

 吸血鬼達はお腹の辺りを引き裂かれたようで、苦痛に呻きながらレインクシェルさんを睨んでいる。


「吸血鬼の生まれでありながら、種族の掟を破るような真似をするから悪いんですよ~。たとえ相手が死体であったとしても、その尊厳を傷つけ血を奪う事は禁止されているというのに~」


「クソォッ……、テメェ、人間のガキじゃねぇのかっ」


「さっきからガキガキうるさいですね~。僕は本物のお子様な貴方がたよりも、何百歳も上ですよ~!! 一体どれだけ鈍感さんなんですか~」


「同族……? けれど、匂いが、違う」


「お仕事の時は気配や匂いを隠すようにしていますので、まぁ、仕方ないとは思うんですけどね~。だけど、流石にこの『大鎌』が何を意味するかぐらいには、すぐに気が付きましょうよ……」


 がっくりと肩を落としたレインクシェルさんが、寂しそうに大鎌を揺らしながら拗ねてみせる。

 その手に抱かれている大鎌は、大きくカーブを描くように鋭い刃を不穏に煌めかせており、その表面には、レインクシェルさんの瞳の色と同じ光の紋様が絡み合いながら這っている。

 それを視界に認めたものの、吸血鬼さん達は意味がわからないという顔を崩しはしなかった。


「はぁ~……、これだから『成人前』のぼんくら馬鹿息子の類は手に負えないんですよね~」


「失礼ですね。私達はこれでも貴族の出なんですよ? 教育もばっちりです」


「ははっ、……やっぱり馬鹿は馬鹿なのか」


 まただ。レインクシェルさんが好き勝手に自分達を正当化しようとする吸血鬼達にぐわっとその首の部分を大鎌で狩り取れるように突きつけると、空笑いと共に声が低くなった。

 

「お嬢さん、最終確認させていただきますね~。このお馬鹿過ぎる吸血鬼達を自分の手で殺るか、それとも僕に任せて、連行させるか……、どっちにしますか~?」


「……れん、こう?」


「はい~。別にここで殺しちゃっても問題にはならないんですけどね~。一応、あの村での罪や、余罪を聞き出す為に、僕達の王国であるグランヴァリアに連れ帰って、取り調べの後に刑を決めるのが基本的なルールなんですよ~」


 だから、この場で私が吸血鬼達を殺してしまったとしても、揉み消すのは簡単だと笑うレインクシェルさんに、私はすぐに答えを返す事が出来なかった。

 だけど、早く自分の答えを出さなくては、この吸血鬼達はグランヴァリアに連行され、手の届かない場所に逃げられてしまう……。殺せるのは、今、この時だけ……。

 短剣の柄を、心に渦巻く恐怖と共にぎゅっと握り締め、私は蹲っている吸血鬼達の傍に近寄った。

 今度は、ガサツで口の悪い吸血鬼の首筋に短剣の刃を向け、……その白い肌にぐっと刃先を食い込ませる。僅かな傷でも、対吸血鬼用の武器によるそれは、吸血鬼にとって凄まじい苦痛と、黒い腐食を与えられる。だけど、本当にその命を奪うのなら、一気に首筋を引き裂くか、心臓をこの刃で穿たなければならない。


「うぐっ……、はぁ、……くぅっ」


 吸血鬼の苦痛を訴える声に、また……、私の手が、それ以上の行為を望まないかのように動きを止めてしまう。傷はつけられるのに、肝心のトドメをさせない。

 

「殺さなきゃ……、皆の仇が討てない……」


 だけど、真紅の瞳に涙を滲ませて苦痛に耐えている吸血鬼達や、その様子を黙って見守っている二人の吸血鬼の目に浮かぶ痛ましそうな気配を感じた私は、……刃をその場に取り落とした。

 二度も同じ事を繰り返した……。仇が目の前にいるのに、実行できない自分。

 私はその場に膝を着き、何故皆の無念を晴らす為の覚悟が出来ないのかと、滲み出す透明な雫の感触を頬に伝わせながら、何度も、何度も、自問自答を繰り返す。

 

「なぁ……、何でこいつ、泣いてるんだ?」


「レディとは涙を流す時が一番美しい……。ですが、何故でしょうね。変に胸が痛みます」


「悲しい事でもあった、のか……?」


 突然堰をきったように涙を零し始めた私に驚いたのか、ガサツで口の悪い鈍感まっしぐらな吸血鬼が、オドオドと視線を彷徨わせ始めてしまう。

 他の二人も、泣いている意味を理解出来ないものの、首を傾げながら戸惑っている。

 村の人達の遺体を蹂躙したくせに、どうしてそれが本人にも遺族にとっても残酷な仕打ちだと気付かないのか……。種族というよりも、彼ら自身に問題がありそうな気がしてならない。


「ほら~、君達が空気を読めないド阿呆な発言をしたせいで、お嬢さんが泣いちゃったじゃないですか~! 『子供』だからって、何をしても許されると思わないでくださいよ~!!」


 大鎌を宙に浮かせたまま、その柄から手を放したレインクシェルさんがトコトコとハンカチをもって私の傍に駆け寄って来た。

 私はその手からハンカチを受け取る事もせず、ただ……、自分の不甲斐なさを恥じながら地面を見つめて俯くだけ。何故殺せないの? 何故この手は、……心は、恐怖に震えてしまうの?

 

「お嬢さん……」


「レインクシェルさん……。どうしたら、殺す覚悟が……、出来ますか?」


「……覚悟、ですか」


「仇を討ちたい気持ちは本物です……。だけど、命を奪う覚悟が、私には足りない……」


 手のひらを握り締め、俯いたまま呟く私を、レインクシェルさんは何も言わずにじっと見つめてくる。 

 三人の吸血鬼達も、情けなく涙を零す私を前にどうしたものかと戸惑っている様子だ。

 さっきはあんなにも嗜虐に満ちた眼差しで私を見ていたのに、子供が泣いたくらいで動じるとは、変な吸血鬼達だ。村の皆の事がなければ……、頭の弱い吸血鬼ぐらいの認識で済んだのに。

 殺そうとは、思わずに済んだかもしれないのに……。

 心の中で外に出たがっている憎悪の感情を持て余しながら、私はもう一度レインクシェルさんに呟く。


「この人達を殺せる覚悟が……、心の強さが、ほしいです」


「お嬢さん……。命を奪う行為が、心の強さの表れだというのは、違いますよ」


「でも……、その覚悟がないと、仇が討てません」


 私の手を優しく包み込んだレインクシェルさんが、呻くように吐き出した私の心の在り様に、一度だけ視線を吸血鬼達の方に逸らす。

 その手を放し、座り込んでいる私の頭の上に覆いかぶさるように温もりを触れ合わせてきた。

 頭を撫でる手つきは、小さいのにまるでお兄さんのようにも感じられる。


「大丈夫です……。大丈夫ですよ~。そんなに無理して非情になる事はないのです。小さな子供が命を奪う行為を望むなんて、本来ありえない事なんですからね」


「うっ……、うぅっ、で、でもっ」


「よしよし。自分を追い詰めなくてもいいんですよ~。今の貴方の迷いは当たり前の事なんです。普通なら同じ年頃の子供達と一緒に遊んで、明るい日差しの下で笑っているのが日常なんですからね~」


 片付けきれない感情の荒波に、嗚咽を小さく漏らしながら涙を流す私を、レインクシェルさんは自分の小さな胸に抱き締めたまま、ずっと頭を撫でてくれていた。

 傷口を押さえ辛そうにしている吸血鬼達も、自分達が優位に立てる絶好のチャンスなのに、それをせず、いや、多分完全に忘れているのだろう。血だらけになった手で私の頭を撫でてくるのだ。

 村の人達の仇のくせに……、そういう意味のわからない優しさは困る。


「何なんですか……、貴方達は……っ。村の人達がどんな思いでいたか、遺体を弔われる事もなく、どれだけ……、辛い思いで焼かれてしまったのか、わからない、くせ、にっ」


「そうですよね~。吸血鬼にとっては儚く脆い存在であっても、その命は尊いんですよ~。死んだ後だって、そこに魂は暫く留まり続けると聞きますし、それを……、餌と認識して扱った挙句、自分達の玩具にするなんて、最低最悪ですよね~」


「うっ……。だ、だってよぉ、俺達……、餌にありつけなくて腹が……」


「放置されていましたし……、餌にしても問題ないかな、と、そう思ったんですよね」


「……悪い事、だったのか?」


 しゅぅぅんと……、レインクシェルさんにキッと睨み付けられた吸血鬼達が、その場で居た堪れないかのような様子で項垂れていく。まるで善悪の区別が付かない幼児そのものだ。

 だけど、同族であるレインクシェルさんに睨まれ、クドクドと嫌味を言われたのが効いたのか、彼らは自分達がやった事の何が悪いのかはわかっていないものの、私を傷つけた事だけは理解したらしい。


「な、なぁ……、謝ったら、許してくれんのか?」


「許しません」


 謝って済むのは、その罪が許される類のものか、子供がしでかした悪戯程度の場合のみだ。

 人の家族の遺体から吸血した挙句、傀儡にして人間の手で葬らせたような人達を許せる寛容さは、私の中にはない。殺す事はまだ私には出来ないけれど、何か……、何かそれに値する報復をしてやりたいと、心の中でめらめらと復讐心を抱く。

 

「しかし、どうしましょうかね~……。お嬢さんはこのお馬鹿さん達を殺せないとなると、僕が瞬殺したところであまり意味はなさそうですし……、う~ん」


「グランヴァリアに連行したら……、この人達はどうなるんですか?」


「それはさっきも言ったように、取り調べをして、それに見合った罰を受けて貰います~」


「見合った……、罰」


「一応、死体からの吸血も、生前にその人からの許可がないと違法行為なんですよね~。けれど、生きた人間の血を啜るよりは、まぁ、……刑は軽いんですけど~」


 生者と死者、そこに生死の違いがある為か……、生者に与えた違法行為の方がグランヴァリアでは刑が重いらしい。他に余罪がなければ、この吸血鬼達に下る刑の中に、死刑はない。

 というよりも、相当の悪行を働かなければ、大抵はグランヴァリアからの出国禁止や服役刑だけで済むのだそうだ。……理不尽だ。

 一度、吸血鬼の世界の法律を作った人に会って、もうちょっと罰を重くしてほしいと直談判してやりたい気分になった私は、しょげる三人の吸血鬼をぎろりと睨み付け、今自分に出来る最大の報復は何かと思案する。


「やっぱり、許す事なんて出来ません……」


「ですよね~……」


 困ったな~と、小さく呟いたレインクシェルさんの腕から抜け出した私は、ゆっくりとした動作で短剣を拾い上げ、それを数秒見つめる。

 吸血鬼を殺せる武器……。だけど、私には彼らの命を奪う事は出来ない。

 無事に仇討ちを終えられたら、レインクシェルさんとの契約を解いて貰って、この洞窟に漂う毒素でゆっくりと眠りに就こうと思っていたけど、……このままじゃ逝けない。

 なら、どうすればいい? 早くこの生を終わらせなくてはならない自分と、果たせない仇討ち……。

 

「お嬢さん? どうしました~?」


「そうだ……」


 自分の手で殺せないのなら……。

 私は吸血鬼三人組の顔をしっかりと見回した後、薄らと微笑を浮かべた。


「私と一緒に……、死んでください」


「「「え?」」」


 ――瞬間、洞窟内の空気が完全に凍り付いた。

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