第5話『あーちゃんのお弁当』
幼い頃両親が事業に失敗した。
借金返済のため、死に物狂いで働かねばならない両親に代わって僕を育ててくれたのが『あーちゃん』だった。
あーちゃんというのは祖母のことで、僕がおばあちゃんと発音できずに、あーちゃんと呼んでいたのがそのまま定着してしまったのだ。
背筋のピンと伸びた背の高い人で、昔の写真をみるとモデルのように目鼻立ちが整っていて、かなりの美人だった。
このあーちゃんが、「宿題終わったの?」
「明日学校でしょ、まだ起きてるの?」とやかましかった。僕は「うるせえ、『クジラの噴射』のくせに!」と言って反抗した。
昔キレイに結われていた黒々としたあーちゃんの髪はあちこち灰色に色あせ、みじめったらしかった。ゴワゴワに傷んだその髪が頭の後ろでただの輪ゴムに留められ、その先でクジラの噴射のごとく野放図に飛び出している。それがたまらなかった。
僕はうちが貧乏であることが無性に恥ずかしかった。誰にも知られたくなかったし、知られたら終わりだと思っていた。
一番たまらなかったのが、学校の昼食時間だった。あーちゃんの作った弁当をみんなの前で食べねばならないのが苦痛だった。
あーちゃんの弁当はメチャクチャうまかった
あーちゃんの旦那――つまり、僕の祖父だった人は板前で、その祖父に仕込まれたのだから腕は折り紙つきだ。オカズもろくに買えないのにいつもうまかった。
ただ、見た目に貧乏が滲みでているのが僕には許しがたかった。いつもビクビクしながらフタを開け、そのフタで中身を隠しながらコソコソ食べていた。
ある日、僕は弁当の中身を見てそのまま帰りたくなった。フリカケご飯とナポリタンが半々。あとはリンゴが二切れ、アルミ箔の奥でケチャップ色に染められ、恥ずかしそうにかしこまっている。史上最悪のシンプルさ。貧乏丸出し。早く証拠隠滅せねばと、僕は慌ててナポリタンを頬張った。
ナポリタンはお世辞抜きでうまかった。ほどよい塩加減とさっぱりとしたトマト系の酸味。その奥にからみつくようななんとも言えない甘辛さが重なってゆく。
うまいと思う一方で、同級生たちのいろんなオカズの入ったカラフルな弁当を眺めやると、やはりあーちゃんを呪わずにはいられなかった。
その時だった。
「ゲッ! 弁当忘れた!」
クラスで親分的な存在のU君が叫んだ。U君は中学生と思えないほどの巨漢で、目が異常に細かった。そのU君が弁当を広げている各グループを回り、おかずを物色し始めた。
「(よりによってこんな時に! こっちに来るなよ!)」
僕は片時もU君から目を離せなかった。
「(バカ、そのコロッケで満足しろ! こっちに来るんじゃねえ!)」
ついにU君が僕のいるグループにやってきた。どれどれとニヤニヤしながら、それぞれの弁当をゆっくり眺めまわす。
U君の細い目が僕の弁当のところでピタッと止まる。自分の顔が引きつるのが分かった。
弁当をのぞき込むU君の顔から薄ら笑いが消えている。
「貧相(ひんそう)な弁当だな」
興ざめしたような口調でU君が言った。
全身の血がサーッと音を立てて逆流していくような気がした。
僕は平静を装い、ヘラヘラ笑いながら精一杯スマートな口調で「ハハ、まあね。ダイエットってヤツさ」とこたえた。
U君はなんのリアクションもせずに去っていった。
帰り道、一人になると自然と涙が溢れだした。僕は自転車のペダルをいじめるように漕いで、ぐんぐんとスピードをあげた。
「もういっぺん言ってみろ! 貧相だってもういっぺん言ってみろ! あーちゃんの作った弁当は世界一うめえんだ! てめえらの冷凍コロッケだのハンバーグだのより数千倍もうめえんだ!」
流れ出る鼻水を風にたなびかせながら、フルスピードで過ぎ去ってゆく僕を見て、下校途中の女子高生たちが振り返って笑った。関係なかった。
家に着いて、玄関先で自分を落ち着かせた。
いつもぶっきらぼうに弁当を流し台に放り出すだけだったが、今日は一言、うまかったと言ってあげようと思った。あのナポリタンのうまさを知っているのは世界中で僕しかいない。
台所に入ると、あーちゃんは力強くゴシゴシと洗い物をしていた。
「おや、おかえり」
今だ、言え! うまかったって言うんだ!
心の声とは裏腹に、僕は流し台にぽんと弁当を放り出し、そのままその場を去ろうとした。その背中に――
「おいしかったでしょう?」
洗い物の手を止めないまま、あーちゃんが言った。瞬間、喉の奥が熱くなって再び涙が溢れそうになる。僕はグッとこらえ、「ああ」とふて腐れたような返事をして自分の部屋に入った。
情けなかった。
U君に胸を張って言い返すこともできず、
あーちゃんにお礼のひとつも言えない。貧乏より何よりこんな自分が一番恥ずかしかった。死ねばいいのにと思った。
すると、水音にまじって台所の方からかすかに人の声が聞こえてきた。戸口で耳をそばだててみると、それは、あーちゃんの嬉しそうな鼻歌♪だった。
堪えていたものが堰を切ったように流れ出した。
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