鍵と赤茶色
鍵穴がない。
そのことを知った瞬間、自分の手に握られた鍵が何だかどうしようもなく頼りなさげに見えた。裕也は頭の中に沸いて来ようとする絶望をつぶすように鍵を握りしめた。
「……おい、俊。この扉鍵穴がないのにどうやって鍵で開けるんだ……?」
「え!鍵穴ないのかい。どうしようか。」
そういいながら彼は扉をいじっているようだ。当然、扉は依然として超然としている。扉が開かなければ願いが叶えられない、それどころか一回目にここへ来た時のように、死ぬような苦しみを味わうかもしれない。
裕也も以前の経験から意味がないことは分かっていたが扉に物理的な干渉を与えに近づいた。
そうして裕也が扉に触れたその瞬間、
「パリン。」
と何かガラスのようなものが割れる音がした。はじめは何の音か分からず戸惑ったが、その答えはすぐに見つかった。
手に握られていたはずの鍵が跡形もなく消え去っていたのだ。唯一の希望だったものが消えた。空になった手のひらからは、動揺と嫌な汗が滲み出してきた。
「お、おいおいおい。俊!俊!鍵が!」
慌てて暗闇に叫ぶが、俊の返答はなかった。いつもならあの気の抜けた声で返事を返してくれるはずが。
不安は心を溺れさせ、頭は回らなくなる。
「……俊?いるなら返事をしてくれよ、お願いだからさ。」
暗闇は本人の自覚とは関係なく裕也の精神をすり減らしているようだった。
正気は少しずつ、確実に、暗闇に溶けていった。
そんな中、虫の鳴くような俊の声が聞こえた。
「裕也……。」
「なんだよ俊、脅かすなよ。なにも見えないから声だけが頼りなんだぞ……?今だけは呼んだら返事くらいはだな―」
胸をなでおろす裕也の声が聞こえていないかのように言葉を遮り、俊は続けた。
「なあ裕也……。扉、開いてね……?」
その言葉を待っていたかのように再び名状しがたいあの声が響き渡った。
「私を殺して。」
その声が終わってから、我に返るのに少しの時間を有した。それから裕也はゆっくりと振り返って扉を見た。
確かに扉は開いていた。この暗闇をも凌駕する黒色で埋め尽くされたような扉夢とびらゆめの中ではあり得ないはずの赤茶色が、扉の端から覗いていた。
「なぁ俊、これは入ってもいいってことだよな。入れば願いが叶うんだろ?」
「……多分。というか裕也が知らないのかよ。初めてじゃないんだろ?」
俊は軽く煽るようにそう言った。
「今まで扉が開いたことはなかったんだ。鍵の存在なんて知らなかったからさ。」
「なんだよ大したことないじゃないか。じゃあパイオニアは俺だな!」
俊は扉に駆け寄り、扉をそこそこな勢いで押した。
扉は音もなく滑らかに開き、二人は扉の向こうの赤茶色で埋め尽くされた部屋を目の当たりにした。俊は右手を力強く天井に掲げながら、赤茶色の部屋へ入って行く。裕也もそのあとをついていくようにして部屋へ入った。
渇望した扉の向こうは、これと言って派手さもない。
はっきり言って儀式の手間に見合わないほどには地味だった。前の部屋と比較にならないほどに広く、それだけに迫力だけはあった。前の部屋が黒だとするならば、この部屋は赤茶なのだろうか。前の部屋と違うところは赤茶の色が均一でないところだろう。鮮やかな赤であったり、黒っぽい色であったり、その色はまちまちだった。
またこの部屋は少し明るく、前を歩く俊の姿がうすぼんやり見えた。
「よしよし……!ついにこの時が来たぞ。やっと、やっと!」
俊はとても嬉しそうに身を震わせている。
「そんなに叶えたい願い事があるのかなんか意外だな。いやしかし扉をくぐったというのになんのお出迎えもなしか、どうやって願いを叶えてもらえばいいんだ?」
そう言って周りを見渡したが、裕也には何も変わったものは見えなかった。
見ると俊も同じように周りを見渡しているようだった。しばらくして俊が「あ!」と声を上げてこう続けた。
「あれじゃないかい?なんか白いなにかが遠くにいるみたいだよ。」
俊の指さす方向を見てみると、確かにかなり向こうで白い何かが動いていた。
「行こう、裕也!願い事は考えてあるかい?」
「あぁそういえば考えてなかったな。欲しいものも特にはないし……あ、彼女は欲しい。」
「はっはっは!なんだよそれ!こんなことまでしてそんなことでいいなんて、もったいないったらありゃしないよ。」
全力で笑われてしまった。あながち冗談でもなかったのに……。
そんな言葉を交わしつつ二人は白い何かに近付いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます