短編『梅雨の虹』

凪慧鋭眼

独立短編『梅雨の虹』

 「はぁっ!!」


 ズバシュッ!


 「GYAAAAA!!」


 裂帛の気合いと共に放たれた私の斬撃は狼型の魔物の堅牢な皮膚を穿ち、そのまま一刀両断する。

 これで56体目。


 「ふぅ」


 目にはいる範囲にいた魔物の最後を倒した私、エレインは乱れた呼吸を整えるように息をはきだした。

 緊張でピンッと張っていたウサ耳も心なしかへにょっとする。


 「お疲れ~」

 「レインお疲れにゃ! それにしても凄い量だにゃ~。は! 今夜はお肉祭りにゃのかにゃ!?」

 「ナノ、よだれ」

 「にゃ!? 興奮しすぎたにゃ」


 周囲の魔物を粗方倒し一段落した私にそう労いの言葉を掛けてきたのは私の仲間だ。

 最初に話し掛けてきたのが腰まで伸ばした白髪のロングヘアーを持つ美しい人族ヒューマ、サリアだ。

 何時も気だるげでやる気が無さそうな彼女は、実は思いやりがあって面倒見がいい性格をしている。

 私と同じ16才とは思えない程頭が良く、計算などが苦手な私はよく指南してもらっている。


 次に話し掛けてきた特徴的な語尾の女の子はナノハだ。

 頭には淡い青色の髪に紛れて猫耳が、腰には青と白のしましま模様が特徴的な尻尾が揺れている。そのことから彼女が人族ヒューマではないことが分かる。

 人族より身体能力が高く、特にそのしなやかな動きが特徴的な種族、猫人族ワールロース。ナノハはその種族の生まれだ。

 少し食いしん坊な所があるが、如何なる時でも笑顔を絶やさず周りに元気を振り撒くその姿に、私達は何度も窮地を救われた。

 だがまだ13才だ。それに私達と出会うまでは私と同じように路地裏でひっそりと隠れるように暮らしていたので年齢よりも精神年齢が幼い。なので私は仲間というか、大切な妹のように感じている。


 「そちらはどうですか?」

 「………(ブイ)」

 「全滅にゃ!」


 現在、私達はダンジョンに入って自主訓練の真っ最中。

 何故かトラブルに見舞われることが多いマスター。大抵は自力で解決してしまうのですが、それでも私達が役にたてないというのは悔しい。なので私達三人はマスターに許可を取り修練に励んでいるのです。


 「索敵サーチ、………この辺りにはもう魔物は居ないようですね。そろそろ夜営の準備にしましょうか」


 周囲の安全を魔法で確認してから今日の修練の終わりを告げる。

 ナノハはまだまだ足りなさそうだがサリアは既に瞼が落ちてきている。そろそろ限界でしょう。


 「さぁ、テントの準備に取り掛かりますよ!」

 「わかったにゃ~!」

 「うぅ、眠い……」


 私達が入ったダンジョンは森林型です。加えて今は梅雨、夜になり気温が下がることにより霧が出てきたらそれこそ命の危険があります。

 なのでまだ明るいですがテントを準備することにしました。






 「ふぃ~。やっと終わったにゃ~」

 「お疲れ」

 「どうにか暗くなる前には出来ましたね」


 一時間程使いテントやその他諸々を準備し終わりました。しかし辺りは既に暗くなり始めており、もう少ししたら完全な闇が私達を覆っていたでしょう。

 私は少しホッとした気持ちで早速夕食の準備に取り掛かりました。


 「それにしても、ホントに夕食の準備にゃんかしてて襲われたりしにゃいのかにゃ~?」

 「問題ない」


 拠点を作ったとはいえ未だここは魔物の巣窟であるダンジョンの中。通常ならばゆっくり夕食の準備等出来ないでしょう。


 しかし、私達が準備した物の中には魔物避けの魔道具である〖魔断棒〗がありました。

 この魔道具は細長い棒状をしていて地面と接する部分にはアンカーが付いています。それで地面と強く結びつけ倒れないように出来ます。また、〖魔断棒〗を一定の間隔で設置すれば簡易な結界を張ることも出来るとても素晴らしいもので、一昔前の夜は見張りが必須だった時代には考えられない程便利なものです。

 そして何を隠そうこれを作ったのはマスターなのです! 詳しい仕組みは説明されても分かりませんでしたが、素晴らしいものには違いありません。このように人々の生活を一変させるような発明を私のマスターは幾つもしており、それを使う度に私は誇らしい気持ちになります。


 「うふふふふ」

 「エレインが〖魔断棒〗見ながらにやけてるにゃ」

 「……不気味」


 不気味とは酷い、流石の私も少し傷つきました。これは少しお仕置きが必要でしょうか?


 「今夜は肉なしハンバーグでしょうか?」

 「待つにゃ! 早まってはいけにゃいにゃ!」

 「ん、肉なしハンバーグは酷い」

 「そうにゃ! 夕食抜きと直球に言われるより心にくるものがあるにゃ!「では抜きで」ごめんにゃさいにゃ!」

 「言い過ぎた」

 「分かればいいのです」


 素直に謝ってくれたのでこの件は許しましょう。元々抜きにするつもりは無かったですし、焦る姿が可愛い二人も見れて満足です。



 三十分後。

 テントの前に設置した机には石焼きのプレートの上にドンっと置かれた肉汁溢れる特大ハンバーグが出来ていた。

 肉汁がプレートの上を跳ね、周囲には食欲をそそる香ばしい匂いが漂っている。


 「ほわ~、美味しそうにゃ~」

 「じゅるる、お腹すいた」

 「そうですね。では食べましょう」


 夕食が始まり二人とも余程お腹がすいていたのかがっつくように食べ始めました。その頬は食事の美味しさにゆるゆるです。


 「にゃ~。レインの料理は何時食べても絶品にゃ~♪」

 「ん、とても美味」


 今日の夕食は昼間に大量の肉が手に入ったのでそれを惜しげもなく使ってみました。

 マスターに戴いた料理道具のおかげで分厚いハンバーグでも中までしっかりと火が通り、加えて短時間で焼き上げるので中はジューシー、外はカリッとした最高の食感が楽しめます。


 「ん~、美味しいですね」


 それを作った私でも思わず頬が緩んでしまうくらいの美味しさです。

 何故かは分かりませんがマスターの道具を使って調理をすると無駄な油が抜けてさっぱりとした感じになるのです。

 その為、中々な量があったハンバーグですが無くなるのは時間の問題でした。





 「おやすみにゃ~」

 「おやすみ」

 「おやすみなさい」


 私達はテントの中で就寝に入るところでした。

 夕食後に後片付けを手早く済ませ、食後の運動として少し訓練をした後、汗をかいた体を洗うために三人でお風呂に入ったりと終始和気藹々な感じで楽しかったです。


 お風呂の時はサリアが洗いっこしようと言い出しナノハが私の胸を揉んできたり、ナノハが怒った私に雷を落とされたりして、それを見たサリアが何故か拗ねていたりしましたが、それも楽しい思い出です。


 昼間の戦闘と夜のはしゃぎあいで疲れた私達が意識を手放すのには、そう時間は掛かりませんでした。




 ザァザァァァァ


 「ん? 雨ですか?」


 夜中、突然聞こえた雨音に私は起きてしまいました。

 隣を見てみると左右には安心しきった無防備な寝顔を見せるナノハとサリアが寝息をたてていました。どうやら起きてしまったのは私だけなようです。


 「それにしても凄い雨ですね」


 どうやらゲリラ豪雨のようで、外からは機関銃のような音が聞こえてきます。それにしてもこの音で起きないなんて、どれだけ二人は深い眠りなのでしょうか? 正直心配になってきます。


 それに、少し気がかりなこともあります。


 訓練に出る前に確認した情報では今日は一日中快晴で雨など降らないはずだったのです。

 ですが、今はその情報に反して豪雨が私達を襲っています。

 ただの通り雨、という可能性も十分にありますが、極稀に魔物ということも有り得ます。

 天候を操る程の魔物なんて、そうそういる筈は無いのですが念には念を、私はそっと寝床を抜け出し外へ出ました。



 「うっ、雨が痛い……」


 梅雨の雨は気持ちの悪い湿気と共に強かに私の体を打つ。

 雨避けの魔道具もありますが現在は持ち合わせていません。晴れだという情報を信じ、荷物がかさばるのを防ぐため持ってきていなかったのです。

 なので私は諸にその雨を受けるしかありませんでした。




 「異常ありませんね」


 全身をびしょびしょに濡らしながらも一通り辺りを確認し終えた私はそう結論付けました。

 初めに使った索敵サーチに反応が無かったので帰ろうとも思いましたがダンジョンでは何が起こるか分からないと思い辺りを確認したのですが、とんだ骨折り損だったようです。


 「はぁ……っ!」


 未だに勢いが衰えない雨に、私は思わず溜め息が出てきてしまいます。改めて自分の姿を見た私は思わず赤くなってしまいました。

 雨に濡れたことにより服が張り付き透けていたのです。

 ただでさえ薄い寝着は殆ど着てないように透けており、女として見えてはいけないような場所が露になっています。

 とても他人には見せられないような姿です。私は一人で来て良かったと密かに安堵しました。


 ふと、雨に濡れてびしょびしょになったのは何時以来だろうか、と思いました。


 「あっ」


 そしてそれがマスターと出会った日だと思い至り私は声を上げます。そして遠い目をしながら当時の出会いに、私を救ってくれたマスターとの出会いに思いを馳せました。


 「マスターと出会ったのも丁度この季節。あの時も酷い雨が降っていましたね」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ザァザァァァァァ…


 時は遡り3年前。その日の夜はとても激しい雨が街を覆っており、その内にあるものを悉く濡らしていた。

 それは路地裏に息を潜めるように暮らす私も例外ではなく、雨を凌ぐ術を持たない私はただ震えて、それが去るのを待つしかなかった。


 「うぅ……」


 長時間雨に晒されて体が冷えきり、既に私は指すらも動かす力が残っていなかった。

 意識がだんだんと朦朧としてゆき、唇を噛みきる痛みで必死に抵抗していた私だが、遂には意識を手放してしまう。


 ふと、何故か暖かいもので体を包まれた感覚があった気がした。きっとそれは、死に際に見た私の願望だったのだろう。

 最後の最期に温もりを求めるなんて、私は弱いままだったな。





 「んぅ……?」


 意識を取り戻した私は頭を捻った。数々の疑問が湧いてきたからだ。

 何故私は生きているのか、何故私は見たこともない家の中で寝ていたのか、何故何故何故……。


 ぐるぐると疑問の渦を頭の中で作る私は、だから気が付けなかった。

 後ろから近づいていく気配に。


 「目が覚めたみてぇだな?」

 「っ!」


 振り向けばそこには複数の男達が立っていた。

 目覚める前の状況が状況なだけに私は一瞬助けられたのか? という考えが頭をよぎる。

 だが、男達の目を見てそんな甘い考えは捨てた。

 男達は私を舐ぶるような視線で見ており、その目はギラギラと下品な輝きを放っていた。

 既に私の頭の中はどうやってここから逃亡するかで一杯だ。しかし周りを見回せば出入口は男達の後ろにある鋼鉄製の扉しか存在せず、逃げ出すには目の前の男達をどうにかするしか道はなかった。


 「おい、何かしゃべれよ」

 「………」


 しかしたかだか13の私に目の前にいる男達、ざっと数えて10名の大人をどうこうできる筈もない。加えてよく見ると男達は皆武装しているようだ。

 流石に銃器のような高価な武器を携帯している者は居ないが、私を殺すには腰に下げてある血のべっとりと付着したナイフで十分だろう。


 「おい! 無視してんじゃねぇぞ!!」


 ベキッ


 「っ! ──がはっ!」


 男達を観察するのに集中するあまり私は男の言葉が聞こえず、それを無視したと憤った先頭の男が容赦なく私の胴体に蹴りを加えた。


 小さな私の体は簡単にふっ飛び勢いよく壁に叩きつけられた。

 肺の中の空気が強制的に絞り出され痛みで声を上げることすら出来ない。それに肋も何本か折れたようだ。


 「ちったぁ目ぇ覚めたか? ん?」

 「………」

 「んだその目? もっと殴られてぇのか!? てめぇらやっちまえ」


 既に私は助かる為の方法を考えるのは諦めていた。肋も折れてろくに動けない今の状態ではたとえ逃げる方法を思い付いたとしても実行は不可能だろう。

 だが、それは目の前の男達に屈するという意味ではない。寧ろ逆だ。

 物理的には勝てないけれど、決して精神では負けてたまるか。

 私は屈しない。

 最後まで弱音を吐いたりしなかった母様のように、私も決して下劣な者に屈したりするものか。

 その考えが私の頭を支配し、私に目の前の男達を睨みさせた。

 直後、複数の男達から暴力の嵐を浴びせられる。

 顔を、腕を、腹を、足を、背中を、有りとあらゆる箇所に容赦なき拳と脚が襲い掛かる。


 そんな事が何度も繰り返された。


 何度も胃の中の物を吐き出し、もう胃液も残ってはいないだろう。顔は何度も殴り蹴られたせいで腫れ上がりろくに目の前も見えやしない。

 手足の感覚など既になく、視線を向けると変な方向に曲がった腕と足がある。


 「オラァ!」

 「ごぶぁ!!」


 男の蹴りが腹へめり込み、私は盛大に吐血した。加えて息が途端に苦しくなる。どうやら今ので肺に骨が刺さったようだ。


 「………」


 だが、それでも私は睨むのを止めない。既に首を上げることすら激痛を伴い気が狂いそうだが、それでも私は屈しなかった。


 「チッ、こんな反抗心があるやつは売り物にならねぇ。処分しろ」

 「ハイッ!」


 どうやらコイツらは私を奴隷として売り物にしようとしていたようだ。だがそれも私の反抗心で止めたようだ。

 処分、ということから私はここで殺されてしまうのだろう。

 正直怖い。だが奴隷に身をやつすよりは断然いい。兎人族ハーゼンの最後の生き残りとして奴隷になり、死んでいった家族、村の皆の尊厳を地に落とすくらいなら、私は死ぬほうがよっぽどマシだ。


 「けひひひ、生きたまま生皮剥いで剥製にしてやるよぉ。ふひひ」

 「おいおい、ずりぃぞ。俺にも楽しませろって」


 男達の集団から見るからに狂った男が二人、私に向かって歩いてくる。

 その口元はニヤニヤと薄気味悪く歪んでおり見るものに不快感を与え、その目は狂気を宿し見るものをも引きずり込もうと恐怖が襲う。

 彼等の体には鋸やメスなど大小様々な凶器がぶら下がっており、その刃は持ち主の狂気にあてられたようにぬめっとした不気味な光を放っている。


 「っ……」


 恐らくは幾つもの体を無惨に引き裂いてきた凶器とその持ち主である二人組の狂った眼差しが私に向いているのを認識した瞬間、私は小さく悲鳴を洩らしてしまった。

 これでも我慢している方だ、現に今私は叫びたい程の恐怖に襲われている。心が壊れて狂うのも時間の問題だろう。だが、だからと言って叫び声を上げればそれこそ彼等の思うつぼだろう。

 たとえここで死ぬとしても彼等を喜ばせなどしない。


 それが、私に出来る精一杯の抵抗だ。


 「さぁて。何処から切り落とそうかぁジル!?」

 「まぁまぁ、そんな興奮すんなよガストン。そんなんじゃまたすぐに壊しちまうぞ? 時間はたっぷりあるんだ。じっくりと、ねっとりと、楽しまなきゃなぁ? ククク」


 遂に男達は私の前にたどり着いた。

 ねっとりとなぶるような視線で私の体を見ながら本人の前で平然と何処から切り落とすか話している。

 内心、恐怖でどうにかなってしまいそうだった。

 何せ目の前で自分では到底敵わない屈強な男達がその手に凶器を持ちながら心底楽しそうに私を拷問する方法を、殺す方法を相談しているのだから。

 しかし私は睨むのを止めない。

 無力な私の精一杯の攻撃であるそれを止めてしまったら負けだと思うから。


 「……チッ、こいつ頭おかしいんじゃねぇか? 目の前で自分が殺される方法を話し合われてんのに悲鳴の一つ上げやしねぇ」

 「つまんねぇな、こいつ。その目も気に入らねぇ。………ガストン、何発かぶん殴ればこいつも自分の立場ってもんがわかんじゃねぇか?」

 「そりゃいい提案だ! オラァ!」

 「っ! がはっ!!」


 右手に鋸を持ったガストンと呼ばれる男の拳を腹に受けて私は盛大に吹き飛んだ。

 勢いよく壁に叩きつけられた私はえずきながら大量の血を吐いた。瞬間私の服が真っ赤に染まった。

 どうやら今度こそ内蔵に致命的なダメージを受けたらしい。

 意識がだんだんと薄れていく。無理もない、私の吐いた血の量はあきらかに致死量を上回っている。いきなり心臓が止まらないだけまだ奇跡だ。

 男達が何か叫んでいる。大方、私が死んで拷問が出来なくなったので仲間割れでもしているのだろう。滑稽だ。

 そんな男達の莫迦な姿を見て私も少しは溜飲が下がる。だがそれでも私は悔しさを感じないことはなかった。

 最後に約束したことも守れない自分に。

 一族最後の生き残りがなぶられるようにして死ぬことに。

 その事実に何の抵抗も出来なかった無力な私に。

 悔しさを感じないことはなかった。


 こんな情けない私をみんなは受け入れてくれるだろうか?

 少くとも母様と父様は受け入れてくれるだろう。笑ってその腕に抱いてくれるだろう。

 その時は謝ろう、二人の分も生きれなくてごめんなさい、と。

 それが墓も作れず両親の約束も守れなかった私に出来る、唯一の手向けだと思うから。


 私はその意識を闇に閉ざした。














 「目覚めたみたいだね。調子はどう?」

 「っ!(ビクッ)」


 突然声を掛けられた私は先程の男達を思い出し咄嗟に逃げようとして駆け出した。

 しかし余程長く眠っていたのか足が上手く動かず、私はそのまま目の前にあった水が溜められた桶に突っ込むという醜態を犯した。


 「だ、大丈夫かい!?」

 「っ!」


 慌てるように近づいてきた”その人”に私は体をビクッと縮ませた。

 それを察した目の前の人は優しい声で私を諭すようにこう言った。


 「大丈夫。僕は君を傷つけない。だから、そのままじっとしてて?」

 「……っ…………うん」


 優しい言葉を掛けられた、その瞬間。正直私は何を言われているのか、誰に言っているのか分からなかった。

 だから、少し遅れてその言葉を掛けられたのが私だと気付いた時は驚愕した。私に優しさをぶつける人がいるなんて、と。

 それほどまでに私は他人の優しさというものには縁がなかった。自分以外の者から向けられた優しさといえば家族と村の皆によるものしか思い出せない。


 しかし、その家族達も私が幼い頃、何者かに殺されてしまった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 「母様? 今日はお祭りだったの?」

 「エレイン! いいから此方にいらっしゃい!」


 突然私達の住んでいた集落が騒がしくなったと思ったら母様に台所の下にある戸棚の奥に入れられた。

 当時は無理矢理そこへ私を押し込んだ母様には怒りを感じていて、ここを出たら文句言ってやろうと母様が出してくれるのをじっと待った。戸棚は内からは開けられないので外から開けられるのを待つしかないのだ。


 けれども、いくら待っても母様や父様、婆様や爺様、誰も迎えに来てくれない。

 焦れた私は戸棚の奥からはいだして無理だと思いつつも戸棚を叩いてみた。つまりは音で家族を呼ぼうとしたのだ。

 しかし、その目論見はすぐに潰えた。何故なら戸棚に私の手が触れた途端、それを抑える筈だった戸棚の扉が開いたからだ。


 「? 誰もいないみたい」


 そっと、開いた扉から上半身だけを出して周りを見てみる。

 だがそこにも家族の姿は無く、普段と変わらない風景があるだけだ。


 「ははさま~、とうさま~。何処に居るの~」


 大声で呼んでみても返事は返ってこない。辺りには耳に痛い程静かな空気が覆っている。


 「………」


 何だか嫌な予感に襲われた私は意を決して戸棚から飛び出しそのまま外へ出た。


 「……なに……こ…れ……」


 そこには無惨にも殺され、もの言わぬ肉塊に姿を変えた私の大切な、第二の家族と言っても過言ではない村人達があった。


 隣家の長女で私によく裁縫を教えてくれた優しいアシリアお姉ちゃんは胸を鋭利な剣で一突きに、


 母様の友人でよく私に料理を教えてくれたセリアおばさんは全身を焼かれ、


 そして、村で唯一の同年代で私の大親友だったアメリは首と胴体が繋がっていなかった。

 地面に転がったアメリの空虚な目と私の目があった。その瞬間、私の心は取り返しのつかない傷を負った。


 「いや、いや………いやぁぁあぁぁァァァァァァァ!!」


 私は喉が張り裂けんばかりの声で泣き声を上げアメリの首を抱えて涙した。いっそのこと私も殺してほしい、みんなと同じところに行きたい、そう思ってしまう程の絶望が幼い小さな私の体の中で荒れ狂った。

 アメリの首をそっと胴体と繋げその空虚な目を閉ざす。そしてアシリアお姉ちゃんの遺体へと向かう。

 その胸から突きだした鋭い切っ先を自分の胸に沈めて私の生を終わらす為に。


 「ぇ………ぃ………」

 「っ!」


 アシリアお姉ちゃんに倒れ込むようにして死のうとした瞬間、私の耳が微かな声を感じてその動きを止めた。

 ばっと顔を上げて周りを確認する。耳を澄ませる。


 「……め…ね………え…い……」

 「っ!!」


 今度はよりはっきりと声を捉えた私は泣きそうになった。

 その声は私が一番聞き慣れた声であり、私が尊敬する人物、母様の声だったから。


 私は微かに聞こえ続ける声を頼りに焼けた村を進んでいった。そして村外れで私は見つけた。


 血まみれで仰向けに倒れる母様の姿を。


 「母様っ!」


 私は倒れる母様に駆け寄り今にも死にそうな体に寄り添った。


 「エレイン、なの?」

 「はい! 母様!」


 うっすらと目を開いた母様に私は喜んだ。場違いだとは思うが死んでしまったと思った家族にまた会えたのだ涙を流すのは止められない。


 「よく、聞いて。私はもう、駄目なよう、です。一緒に、居られなく、てごめんね?」

 「───(ふるふるふる)」


 間極まって口を開いたら泣き声を上げそうだった私は一文字に口を閉じる。母様の最後の言葉を絶対に聞き逃さない為に。

 それでも、そんなことはないと私は首を振って返答した。

 それを見た母様は少し嬉しそうな表情をしていた。


 「……いつの間にか、強くなって、いたのね。誇らしい、わ。……最後に一つ、母様と約束出来る?」

 「───(コクコク)」

 「ふふ、偉い子ね。この先の森を出ると町に出れるわ、そこで私達の分も、しっかりと生きて。──約束、出来る?」

 「───(コクコクコク)」

 「ありがとう」


 母様は安心したように瞼を閉じ始めた。もう猶予はないのだろう。

 だから、私はこの言葉を伝えなければならない。


 「があざま」

 「ん?」

 「んっ……あ、りがどう。あいじでまず」

 「っ! ……本当に、愛しい子ね」


 母様は私の頭を優しく撫でてくれた。最後の力を振り絞って撫でてくれた。

 その暖かい手の感触に私は今度こそ涙を流してしまう。

 私が泣き止むまでその手はずっと私の頭の上で優しく動いていた。



 「さあ、行きなさい。エレイン」

 「でも、まだ母様が」

 「……私に娘の旅立ちを見送らせて、死んでしまったらそれも出来ないから」


 突き放すようだけど、それが母様の優しさ。

 自分の死を私に見せて悲しませたくないのだろう。

 ならば、その意を汲むのが娘としての責務だ。


 「……はい。行ってきます」

 「いってらっしゃい」


 私は母様から離れて走り出した。早く行かないと挫けそうだったから。

 未練を振り切るように私は森の中を走り続けた。息が苦しくなって、肺が痛くなっても走り続けた。


 どれだけ走ったのだろう。

 辺りは木々で覆われて私の村の面影など微塵もありはしない。

 もう、大丈夫だろう。ここまでくれば、母様にだって聞こえない。

 聞こえたら、たぶん心配させてしまうだろうから。


 「う、うわぁぁぁぁぁん!!」


 私は我慢してきたものを解放するように泣いた。

 涙が決壊した川のように止まらない。


 「なんでっ! なんでみんな死んじゃうのぉ!」


 「ぎのうまではみんな元気だっだのに、なんでごんなごとになったのぉ!?」


 「会いたいよぉ、みんなともう一度会いたいよぉ!」


 「うわぁぁぁあぁぁぁん!!」


 私は涙が枯れるまで泣いた。

 喉が潰れるまで泣き声を上げた。

 それで皆が戻ってくる訳もない、だけどそうでもしないと狂ってしまいそうだったから。

 自分を、自分で殺してしまいそうだったから。


 世界は酷く理不尽で、途方もない悲しみを私に与えてきたけれど、それでも負けるわけにはいかない。

 世界で誰よりも大切な母様と約束したから、皆の分も生きるって、皆の分も幸せになってみせるって決めたから。

 その果てに地獄が待っていたとしても、願いが叶わなくても、それでも私は精一杯生きるって決めたから。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 「んぅ」


 目の前の男が濡れてしまった私の頭を柔らかい布で拭いてくれている。

 そういえば私の体に与えられた傷が無くなっている。胸を押してみても痛みはない、肋も治ったみたいだ。


 ぶおぉぉぉぉ


 「ひゃっ!」


 頭に突然当たった温風と耳元でなる音に驚いて妙な声を出してしまった。


 「ああ、ごめんね。いきなりは驚いたかな?」

 「それは、何?」


 私は男が持っている筒が折れたような形をした物を指差して問いた。

 すると男は驚いたようだった。


 「これを知らないのかい? 君は何処か遠くから来たのかな?」


 道具を知らないだけで田舎者扱いだなんて酷い人だ。私は唇を尖らせて不満アピールをした。

 アピールだけだ、実際遠くから来たのは間違いないので田舎者というのもあながち間違いではないのかも知れない。


 「気に触ったのなら謝るよ。これは〖ドラーヤー〗と言ってね、横に付いているボタンを押したり回したりすると出せる風の勢いや温度が変えられるんだ」

 「そう」

 「……初めて見た人は皆驚くんだけど、君は驚かないね? どうしてだい?」

 「魔法の方が早くて簡単だから」

 「そうか、君は魔法が使えるのか。それは凄いね」


 人に褒められるのは久しぶりなので照れてしまう。

 町の人達が使っているところは見たことが無いけれど、魔法はそんな褒められるほど珍しいものなのだろうか? 村の皆は普通に使っていたけれど。


 「ところで、貴方は誰? 私は何故生きているの?」

 「それはまた今更な質問だね」


 私も本当に今更だと思う、があの『ドラーヤー』が出す温風があまりにも心地よかったので聞けなかったのだ。我ながら情けない。


 「僕の名前はサトル、君が男達に襲われているのを見つけて助けてここまで連れてきたんだ」

 「? あの部屋は外からじゃ見えない筈、魔法?」

 「まあ似たようなものかな。第六感ってやつ? ま、何が言いたいのかというと全て偶然だったってことだよ」


 偶然、か。もしかしたら人探しとかの道具があるのかと思ったけど、この人、サトル(不思議な名前だ)とはさっき会ったばかり、あったとしても私を見つけられる筈がない。人探しの魔法とはそういうものだ。

 本当に偶然だったのだろう。

 私の体にあった傷を治したのもサトル以外には有り得ない、それは間違いなく魔法かそれに似たような力だと思う。だから、もしかしたら偶然ではないかも知れないけれど。


 「君に明確な意図を持って近づいた訳じゃないし、だから僕が君に危害を加えることは有り得ない。第一、こんなに可愛い女の子を虐げるようなことが理解できないよ」

 「っ」


 恥ずかしかった。私の顔が熟したトマトのように赤くなり熱くなった。

 家族以外の人、しかも異性に容姿を褒められたことがなかったからだ。それにこの人は面と向かって堂々と言ってきた。普通、こういうのは言った方も恥ずかしいものではないのだろうか?

 なのに眼前の男はさもそれが当然のことのように恥ずかしがる素振りすら見せない。

 それが私の羞恥心に拍車を掛けていた。


 同時に私は驚いてもいた。

 村を出てから知ったことだが人族ヒューマ亜人族ワーヒューマに対する扱いは酷いものだ。

 むごい、と言ってもいいかもしれない。

 種族が違うといっても魔物と亜人族では訳が違う。体つきも似ていて意志疎通も出来るのに何故こうも扱いを酷く出来るのだろうか?

 人権など皆無、その扱いは人族の犯罪奴隷以下。まるで家畜だ。

 いや、食べ物を貰えているだけ家畜の方がマシかも知れない。

 だから、亜人族の私に”可愛い”と言ってきたことが私には衝撃だった。


 ………まあ、羞恥心には勝てなかったが。


 ともかく、私は驚きそれはすぐに疑問へ変わった。

 未だに顔の熱は冷めないが、それでも私はおずおずと尋ねた。


 「な、何故亜人族の私を褒めるの? 私って可愛い?」


 自分でも中々にあざといと思い更なる羞恥心で爆発しそうだが、叫んで逃げたくなるが耐える。


 これは私とサトルとの今後を決める分水嶺だ。私を褒めるのが純粋な善意だったならば願ったり叶ったりだ、しかし大体は『亜人族愛者ワーフィリア』と呼ばれ人族から蔑まれる性癖者だ。

 彼等の多くは人族の中で生活しているのでフラストレーション、つまりはストレスが溜まっている。

 無理もない、もし周りに自分の性癖を知られてしまえばもう其処では生活出来ないのだから。

 もし私のように紛れ込んだ亜人族と出会ったら今までの鬱憤を吐き出すように無茶苦茶にされるだろう。実際に見たからそうだと思う。

 人族の町に紛れ込んでから二年と少し、私が学んだ自らを守る為の大切な知識だ。


 だから私はサトルの目を見つめ続ける、見張り続ける。

 その目が獣のソレに変わった時、即座に逃げられるように。

 そういえば彼、サトルの顔をしっかり見たのはこれが最初だ。

 黒い髪に茶色っぽい瞳。

 顔はそれなり、決して悪い訳ではないけれど、イケメンと形容するには少し不足だ。

 だけれどサトルには不思議な安心感があった。何というか、こう、心が休まるのだ。

 彼は絶対に危害を加えてこない、そう無意識に思ってしまう。それは優しげな光をたたえる瞳が原因なのか。

 私には分からない、分からないことばっかりだけれど、もし離れることになったら残念だなぁと思う。

 さっき出会ったばかりの異性にそんな莫迦な、と思うが、それでも人族の町に来てから心が安らぐことなんて一度も無かった、許されなかったから。

 だから、安心出来る場を失うのは残念だなぁ、と思ってしまう。


 緊張で一瞬がとても長く感じた。サトルは少しだけ呆けていただけのようだが私にとっては人生で一番濃密な時間だっただろう。

 そして遂にサトルは口を開いた、


 「あ、うん。可愛いよ。緋色の瞳は僕が出会ってきたどの人よりも輝いていて、その純白と緋色が混在した髪は見惚れるくらい可愛い、いや、美しいと思うよ。それに……」

 「それに?」


 躊躇ったように黙ってしまったサトルに続きを促す。彼の目は先程と同じ温厚な光をたたえている。

 たぶん危険は無いだろう。何故かそう確信出来た。そう確信したら何故か無性にその続きが聞きたくなった。何でだろう?


 「そのウサ耳、さっきからひょこひょこ動いてて、その、凄く可愛い」

 「っ~~~~~!!」


 私は悶えた。跳び跳ねて全身で喜びを現したくなるのを両手で両肩を抱いてどうにか抑える。

 恥ずかしい、などのレベルじゃなかった。さっきとは比較にならないほど顔が熱を持っているのが分かる。

 まさか、私の体の中で人族から最も忌避される亜人族として最大の特徴である耳が褒められるとは思いもしなかった。

 だからこそ、私の感じた羞恥心や動揺は先程の比ではなかった。

 正直、面と向かって堂々と彼の顔を見るのは厳しい、そう思ってしまう程度には。


 「? どうかした? ……はっ! まさか、褒められるのがそんなに嫌だった? それはそうだよね、酷い扱いをしてきた張本人の人族に亜人族の特徴を褒められるんだ、嫌じゃない訳がない。僕の考えが浅はかだった、本当にごめん」


 私が肩を抑えているのを嫌悪感に耐えていると勘違いしたらしいサトルは早口でまくし上げ謝ってきた。

 意味も無いのに人を謝らせているみたいで、何だか凄い罪悪感を感じる。これは私の精神衛生上非常に良くないと思う。

 なので私は正直に伝えることにした。伝えるのは恥ずかしいけれど、それでも黙っていれば彼はずっと謝るだろうし、可哀想だ。


 「違う」

 「え? 何が…」

 「私、は嫌じゃ、ない。少し、その………は、恥ずかしかっただけ。耳、男の人に褒められたの、初めてだったから」


 他人に本心を伝えるのがこんなにも難しいものだったのかと思うほど苦しかった。

 途中から恥ずかし過ぎて泣きそうになった。けれど、どうにか最後までちゃんと伝えられた。私は私を褒めてあげたい。


 目の前のサトルはというと、何故か顔を赤くしていた。

 目が合うとサッと逸らした。何故だろう、胸の奥が少し痛くなった。


 「何か、気に触った?」


 胸の痛みはすぐに止んだけれど代わりに不安が沸き上がった。

 だから思わずそんなことを聞いてしまった。

 すぐに後悔したけれど、やっぱり何でもないとは言えなかった。何でだろう?


 聞かれた方のサトルは首が千切れるんじゃないかと思うほど顔を横に振った。


 「じゃあ何で目を逸らしたの?」

 「え、いや、その……綺麗だったんだ」

 「綺麗? 何が?」

 「君のことだよ。さっきの途切れ途切れだけど思いが詰まった言葉、それを言っていた君が、とてつもなく綺麗だった。儚げで、だけど強い意志が宿っている瞳がとても美しいと思った」

 「っ~~~~~!!」


 またしても私は悶えた。体がかあっと熱くなり、私は下を向くくらいしか出来なかった。


 「だから僕は、君と一緒に居たいと思う。思った。僕と一緒に旅をしてくれないかな? 勿論、君が良ければだけど」

 「それって……」

 「……ああもうっ! 君は鋭いんだか鈍いんだか分からないな。………惚れました。君の良いところも悪いところも分かりきったとは言えないけれど、それでも僕は君が好きだ。どうしようもなく好きになってしまった。だからこそ、これだけは誓える。僕は君を一生愛する、大切にする───幸せにしてみせる。僕に、君の一生を下さい」


 その言葉で私は理解した。

 私の胸で燻っていた、今はごうごうと燃えている感情を。

 ああ、そうか。私は、私も彼に、


 「………はい!」


 サトルに惚れていたんだ。


 「……」

 「だ、大丈夫?」


 放心している様子のサトルに気遣い声を掛けてみた。だけど、その心配は必要無かったみたいだ。


 「いぃぃぃやったぁぁぁぁぁ!!」

 「わっ」


 サトルは喜びを全身で現すように跳ねたりガッツポーズしてたりした。何故かとても和む。


 「ふふ」

 「? どうしたの、あ、そういえばまだ君の名前聞いてなかった……。今更だけど教えて貰える?」

 「本当に今更、私なんか目じゃないくらい」

 「ははは、そうだね。………もしかして別れの危機?」

 「別れる訳がない、私もサトルのこと、好きだから」

 「っ」


 サトルが顔を真っ赤にして照れている。ふふふ、さっきのやり返しができて嬉しい。


 「名前は教えるけど、先に外へ出たい。何時までも日の光が入らない場所に居たら具合が悪くなる」

 「それもそうだね」


 まだ少し顔が赤いが私の名前を教える、が効いたのか雰囲気だけは取り繕ったようだ。

 そして座ったままの私に手を差し出して来た。

 それを私もどきどきしながら手に取り立ち上がった。何だかやり返しのやり返しをされたみたいで少しだけ悔しかった。だけどそんなもの、この手に感じる温もりとこの胸に生じる嬉しさに比べたら微々たるものだ。


 キイィー


 鉄の扉は音を立てて開いた。


 「──わぁ」

 「凄い」


 その先の風景を見て私とサトルは感嘆の声を上げた。


 空に大きな虹が掛かっていた。それはとてつもなく綺麗で私の短い時間じんせいの中で一番壮大な光景だった。


 「エレイン」

 「え?」

 「睡蓮からもじってエレイン、それが私の名前」

 「エレイン、いい名前だね。睡蓮の花言葉の一つが『清純な心』、まさにその通りだと思うな。君は清らかなで純粋だ。僕は君のそういう所にも惹かれたんだろうな」

 「私は『信頼』をサトルと育みたい、だってもうプロポーズを受けたんだし、だけど私達は会ったばかり。だから私はサトルをもっとよく知って『信頼』を作りたい」


 すんなりと、そんな言葉が自然と出た。それは私の本心だ。

 これからもっとサトルを知って、そのたびにもっとサトルを好きになったり、嫌いになったりだけど結局最後はもっと好きになる。

 そんな未来に憧れる私の本心。


 「じゃあその『信頼』を作る為にも、行きますか」

 「行くって何処へ?」

 「気分次第、行きたいところへ行きたい時に。それが僕の自由な旅だよ」

 「それは、とても楽しそう」

 「うん、とても楽しいよ。……ついて来てくれるかい?」


 その問いに私は数年振りに満面の笑みを浮かべて言った。


 「サトルが居るところが私の居場所。だって私は────サトルの婚約者だから」


 世界は酷く理不尽で、途方もない悲しみを私に与えてきたけれど。

 ───それでも諦めない者には、たまには粋な計らいをしてくれるの、かも知れない。

 家族や皆を殺される運命を、変えられない過去の世界を私は恨み続けると思う。

 けれどサトルと出会えたことは紛れもない私の幸福だったから、


 「ありがとう」


 そう一言、世界に言った。


 「ん? 何か言った?」


 私の手を引き路地裏を進むサトルがこちらを向いて問い掛けてきた。


 「ううん、何でもない」


 私は笑ってそう誤魔化した。

 いずれはサトルにも話さなくてはならないのだろうけれど、今はこの幸福を噛み締めたかったから。


 私達の周りには梅雨の雫がキラキラと光って、まるで私達の旅立ちを祝福してるみたいだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 こうして私、エレインとマスター兼婚約者、サトルと出会ったのです。

 思い出すと何だかとても昔の出来事のように思えてくるから不思議です。


 「何時の間にか雨も止んでしまいましたね。おや、あれは……」

 「レイーン! ここに居たのかにゃ!」

 「むぅ、探したぞ」


 駆け寄ってきたのはサリアとナノハでした。二人ともぜー、はー、と肩で息をしています。どうしたのでしょうか?


 「二人ともそんなに疲れて、一体どうしたんですか?」

 「どうしたもこうしたも無いにゃ! 起きたらレインの寝床だけもぬけの殻でナノハを起こして探し回ってたのにゃ!」

 「ん、心配した」


 二人とも私を心配してこんなところまで探しに来てくれたのですか。拠点からは直線でも数十分は掛かるのに、なんて無謀な。


 「お二人とも、ご心配をお掛けして申し訳ありません」

 「ホントにゃ、レインが拐われたんじゃないかと気が気じゃなかったにゃ」

 「黙って出ていったら、駄目」

 「すみません。───ですが!」

 「にゃ!?」

 「っ!?」

 「こんな森の奥まで入ってきて何かあったらどうするんですか! 私はマスターと通信手段を持ってますが二人は持ってないでしょう。それに私が居ないと分かったら拠点からマスターへ通信すればそれだけで私の居場所が分かったはずですよ?」


 私が迷惑を掛けたのは悪いけれど、それとこれとは話が別です。

 確かに二人が焦っていたのはしょうがないのでしょうが、それでもまずマスターに連絡をするべきでした。

 何故ならマスター、サトルは魔法が使えるからです。私と出会った当初は隠したり誤魔化したりしていましたが最終的には打ち明けてくれました。

 何故隠していたのかと問うと、『魔法が使えるってだけで色々面倒だからね』とのこと。

 まあマスターは便利な道具を開発する知識と卓越した魔法の技量を合わせ持っています。確かにそれが露見すれば様々な面倒事が待っているでしょう。

 だからこそそれを打ち明た私達には遠慮なく魔法が使えるということ。勿論マスターは人探しの魔法も使えるので私の居場所を調べることなど簡単でしょう。

 サリアとナノハの二人でこの広大な森型ダンジョンを捜索するよりも遥かに効率的だったに違いありません。

 それに息の切らせ具合からすると、森の中を闇雲に走り回ったことが容易に伺えます。ここはダンジョン、そんなことをしていたら大量の魔物に襲われて死んでしまうこともあるのです。

 いくら私達一人一人の戦闘能力が高くても圧倒的物量の前には敵いません。だからこそリーダーである私が叱らなければいけないのです。


 「私達も焦ってた、反省」

 「うぅ、次からは気をつけるにゃ。……だけど次からは起こしてでもいいから一言言っていくにゃ! それが仲間にゃ!」

 「う、はい。わかりました」


 仲間なんて、私には勿体無い。マスター、サトルと出会えただけでも十分幸福なのにその上信頼できる仲間まで、───なんて嬉しい贅沢なのでしょう。


 「あ、日が出てきたにゃ。───すっごいにゃ~」

 「───凄い」

 「え? ───わぁ、綺麗ですね」


 出てきた日の光につられて空を見ると、其処には大きな虹が掛かっていました。

 それは私がサトルと見た虹と同じくらい美しくて、それを今は信頼できる仲間と見ていると思うと、何だか胸に込み上げてくるものがあります。


 母様、父様、アシリアお姉ちゃん、セリアおばさん、アメリ、村の皆。

 今私はとても幸せです。まだまだみんなの分も幸せになれたとは思ってないけれど、それでも私は幸せです。

 沢山の仲間に囲まれて、愛する人と一緒に居れて、みんなと思い出の虹を見れて。

 私はとっても幸せです。

 まだ皆のところへは行けないけれど、それでも温かく見守っていて下さい。


 『勿論よ、愛しい私のエレイン』

 「っ!」


 母様の声が聞こえた気がして周りを見渡した、だけど姿はなかった。

 だけど聞き間違えなどでは断じてない、何年も聞いていた声だから確信出来た。

 何だ、ずっと見守っていてくれてたんだ。


 「レイン泣いてるのかにゃ」

 「大丈夫?」


 涙を流す私を気遣うように二人が私の顔を覗きこんだ。


 「大丈夫、ですよ。少し嬉しいことがあっただけですから」


 そう言って二人を安心させようとした私ですが、次には逆に困ってしまった。


 「にゃ!(ぎゅ!)」

 「ん(ぎゅ!)」


 二人が突然抱きついて来たのです。優しく私を抱き止めるようにして、左右からぴったりと。


 「と、突然どうしたんですか?」

 「ん~。何だか無性に抱きつきたくなったにゃ」

 「私も」


 何だかそれはとてもむず痒くて、多大な幸福感、安心感を私に与えて、気付いたら私も思わず二人を抱き締めていた。

 


サトルとの出逢いはありきたりなものだったけれど、それで私が得たものは決して替えの効かないとても大切な温かいものだ。

 この両手に掛かる温もりと、何処かで私達を見守ってくれているであろう私のマスター。

 今はそれだけで十分、絶対に失わないようにその幸せを噛み締めながら生きて行きたい。

 そう、自然と思った。





                  END

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短編『梅雨の虹』 凪慧鋭眼 @hiyokunorenre

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