act.6-3


「荒田くん。わたしと賭けをしない?」

「……賭け?」

「もしも雷が落ちなかったら、あなたと付き合うわ」

 全員があぜんとした。

おれも、桐谷も、荒田さえも。

「本気か?」

 おれが訊くと、風見はうなずく。

再び荒田と向き合い、彼女は続ける。

「わたしといれば退屈しないのでしょう? 刺激のある毎日を送れるかもしれない。あなたを退屈させない自信があるわ。いつでも呼びだしてもらってかまわない。好きなことをしてもらっていい。どこにでもついていく」

 風見が誘惑を続ける。そのときの彼女だけは、なぜか別の女性のようにも見えた。おれを普段からかうような態度ではなく、本気で男をからめとろうとするような仕草。

 荒田が考えこみだす。少なくともいま、彼の頭のなかから、母親をかすませることには成功していた。このままタイムリミットを迎えれば、荒田を助けることができる。

「もしも僕が負けたら? つまり、風見さんの言ったとおりに雷が落ちたら?」

「そのときは、そうね、荒田くんが退屈だと言いそうな、日本中の高校生の誰もがするようなことをしにいきましょう。ファーストフード店により道なんてどう?」

「僕に母から逆らわせるどころか、そんな退屈な目に合わせるつもりか」

 彼の目はあやしく光っていた。おれに向けていた闘志も怒りも、いまはどこにもない。いままでの笑みとも少し違う。たぶん、非日常を楽しんでいる顔なのだろうと思った。

「いいだろう。乗ったよ風見さん」

 あれだけ殴っても聞かなかった荒田が、あっさりと近くの席に腰をおろした。以前にもおれは、佐藤をいじめから助けようとしたときに似たような経験をした。暴力は解決に導かないという経験を。

 教室にいるのは四人だけ。荒田は座ったまま窓の外をじっと見ている。その顔には自信が満ちていた。そのときが早く訪れないかと、そわそわしている風にも見える。教卓のあたりで立っている桐谷は、きぜんとした態度を保ちつつも、どこか不安そうだった。

 そして風見は。

 風見は、わからなかった。窓のそばに立っている。

 いつも無表情で。彼女の心は読めない。

 だから探りたいと、知りたいと思ってしまった。

 そっと風見に近づく。彼女の首には、まだ銀のネックレスがある。話しかけようとしたところで、桐谷のラジオの様子がおかしくなった。放送に、ガー、と雑音が入っていた。雷の兆候だろうか。それを見た荒田が、少し表情を曇らせた。ところがそのラジオの雑音は、すぐに消えてしまった。彼女が携帯の画面を見せてくる。どうやら電源が切れてしまったようだ。荒田の顔に余裕が戻った。

「いつでも呼びだしていいっていってたね? 誰にも縛られることのなさそうな風見さんが、僕のいうことを?」

「ええ、もちろん聞くわ」

「好きなことをしてもいいと?」

「どんなことでもね」

 桐谷のラジオが消えたところで、それでも風見の態度は変わらなかった。犯人を追いつめる探偵のように、たんたんと、解決の時を刻む。

「荒田くんは日常を退屈だと嫌う。非日常を刺激として求めようとする。だけどそんなあいまいな枠、とらえかたによってはいくらだって変えられるものよ。つまり……」

「つまり?」

 一呼吸置いて、風見は言う。

「あなたの日常なんて、わたしがいくらでも壊してあげる」

 そして。

 風見の背後の空が、ぱっと光った。

 天井に巨大な明りがついたように、辺り一面が明るくなる。

 ぱああああああん、と、巨大な力が地面をたたいた音がした。思わず体を縮める。

 落雷だった。衝撃で校舎が少し揺れていた。窓ガラスがきしむ。透明な巨人が早足で去っていくように、音もやがて消えていった。

 すべてがおさまったところで、荒田のつぶやく声が聞こえた。

「そんなバカな」

 いまの落雷をさかいに、雨足が弱くなっていた。死の落雷は通り過ぎたのだ。

 荒田が教室をとびだしていく。念のためにと、おれたちも後を追った。

 昇降口を抜けて、靴もはき変えず外にでる。雨はやんで、地面のところどころには日差しもさしていた。

 荒田はある一点の場所で立ちどまっていた。足もとを見ていた。そこはちょうど、風見が未来の死体を見つけた場所と重なっていた。

 荒田に追いつき、おれたちもその場所を見る。

 黒く焦げた地面があった。彼にとっては、風見が指定した場所に落雷が落ちたという、何よりの証拠になるだろう。

 おれと荒田、桐谷が焦げた地面を見ているのに対して、風見だけはその地面に違うものを見ていた。それを示すように、彼女は言った。

「もう大丈夫。死は通り過ぎたわ」

 タイムリミットが終わり。

 未来の死体は消えた。

 これで解決だ。

「まいったな……」

 その場で崩れ落ちそうになったが、荒田は自分自身でそれをおさえた。ひざに手をあてたまま、ふううう、と長い息を吐く。

 やがて彼は携帯を取りだし、どこかに電話をかけはじめた。彼はおれたちに聞こえる場所で通話をはじめた。

「もしもし母さん。悪いけど、今日は少し遅くなる」

 携帯から、女性のどなり声が聞こえた。彼は気にもとめずそれを切った。どこかの誰かにあっさりと自分の日常を壊されたせいだろうか、すがすがしい笑顔を浮かべていた。

 おれたちのほうを向き、荒田は言ってきた。

「どこのファーストフード店にする?」

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