act.6-2


「えぐれた右目の傷が消えてたわ。凪野くんの睨んだ通り、垂れ幕が原因だったみたい」

「でも死体自体は消えていないんだろ」

「雷がまだ残ってる」

 おれと風見はこれまで、何度回避させようとも、運命が強引に死の筋道をたどらせようとしてきたのを見ている。どんなことが起きてもおかしくはないのだ。可能性が完璧に排除されないかぎり、未来の死体は消えない。運命の収束力を、侮ってはいけない。

 教室に戻ると、桐谷がバスタオルを用意してくれていた。どこから持ってきたのだろうか、とにかくありがたかった。

 当の本人、荒田は雷に関する情報を携帯で集めていた。面白い記述を見つけては、説明してくる。おれたちは黙ったままだった。のんきな荒田とおれたち三人に違いがあるとすれば、死を間近に感じたことがあるかないか、だろう。

「雷が落ちる直前には前兆もあるらしい。髪の毛が逆立ったり、肌がピリピリしたり。ラジオをつけておけば、ガー、と雑音が入ることも」

 桐谷が携帯を取りだし、ラジオ機能をつけた。いまのところ、正常に電波は拾えていて、ラジオ番組のクリアな音声が聞こえた。

 時間だけが過ぎていく。教室には他愛もないコミュニティラジオが流れる。誰も何も言わない。見えない敵にそなえている。

 午後の四時ごろになって、電話がなった。

 荒田の携帯だった。

「母さんだ」そう言って電話にでる。ゆっくりと歩いて教室をでていく。会話の内容はもちろんわからない。だが、ときおり口論が聞こえる。そのたびに耳をすませるが、成果はない。電話が終わって荒田が戻ってきた。苦笑いを浮かべながらも、不機嫌を隠せてはいなかった。

「悪いけど、僕は帰らなくちゃいけない」

「…………」

 やはりこうなったか。

 嫌な予感のする電話だと思っていたら。

「どういう意味だよ」おれが言った。

「わかるだろ。僕は母さんには逆らえない」

「タイムリミットがもうそこまで迫ってるんだぞ。いま外にでたら、とたんに運命の餌食だ。頭がいいならわかるだろ」

 なるべく感情をださないにように努めた。彼を下手に刺激したくはなかった。

 荒田が髪をかきながら、ため息をつく。

「頭がいいからこそ、いま母さんを怒らせたくない。それに正直にいえば、」

 ひと呼吸おいて、彼は答えた。

「申し訳ないが僕は、風見さんのいうことを信じていない。頭がいいせいでね」

 うすうす気づいてはいた。

 死が近づいてきても、荒田は平然としていた。本当に信じている人間のリアクションではない。

 そもそも彼は、おれたちと出会ったときからこの話を面白がっていた。態度がもともとから不自然だったんだ。

「最初は信じていただろう」

「信じたフリをしたほうが、面白いと思ったからだよ。髪まで切ろうとしたときは、さすがに驚いたけど」

 殴ってでもとめたほうがいいのかもしれない。おれの気持ちを察したのか、桐谷がおれと荒田の間に立った。生徒会長候補は、さすがによくひとを見ている。

 荒田静香には二面性がある。誰にでも好かれる優秀な人格を演じ、母親に従う自分と、一方でそんな自分を窮屈に感じ、非日常を求める面。

 机に置かれた桐谷の携帯から聞こえるラジオは、まだ正常だ。

「荒田くん。ここに残って」

 口を開いたのは風見だった。全員が風見を見る。

「悪いけど、風見さんの頼みでも無理だ。ごっこ遊びは終わりだよ」

「ねえ、これから先も、お母さんのいうことを聞き続けるの?」

「かもね。僕はやさしいから。それに、尊敬もしているし」

「悪いけど荒田くん、それはやさしさなんかじゃない」

 風見は言う。

「わたしもお母さんとお父さんが大好きだった。二人はもういないけど、もし会えたらまだまだいっぱい、教えてもらいたいことがあった」

「それが?」

「だけどいつも、二人のいうことを聞いていたわけじゃなかったわ。従うことも愛だけど、逆らうことも愛だと教わった。従い続けることは、やさしさなんかじゃない。それは尊敬にはならない」

「…………」

「知咲には警部補のお父さんがいて、いつだって見本に生きている。凪野くんにも定食屋さんのお父さんがいて、そばにいる。だけど荒田くん、あなたのそれは、尊敬とは違う気がする」

「ははっ」

 息をもらし、それからせきを切ったように荒田が笑いだした。

いつも笑顔や愛想笑いをしていた荒田だが、彼の本物の笑い声をいま、ようやく聞いたような気がした。

「きみは僕の母さんを知らない。ささいな一言で叫びだしたり、泣きだしたり、あげくには僕が少しでも言うことをきかないと、土地が悪いのだとか言って、引っ越しを決めたりするようなひとであることを知らないんだ。悪いけど、通してもらう」

 荒田はかばんをかかえ、風見の横をすりぬけて、でていこうとした。

 気づけば足が動き、彼の前に立ちはだかっていた。

「荒田、お前は死が何かわかっていない」

「わかっているよ。今日落雷がないこともね。万が一あったとしても、風見さんが指定した場所に落ちることなんて、ありえない。風見さんは確かに魅力的なひとだが、もしも今後こういう嘘が続くようなら、きみも考えたほうが……」

 言い終える前に、殴っていた。

 荒田がしゃべっている間、じょじょに拳に力がはいっていくのがわかった。殴る寸前、桐谷が叫ぼうとしているのがわかったが、それでも止められなかった。

 荒田がふっとんでいく。壁にあたり、張ってあった委員会のポスターか何かがはがれる。ポスターをとめていたがびょうも一緒に落ちて、倒れた荒田のすぐそばに転がっていった。

 見ると彼の首に、切り傷ができていた。たったいま殴られて、転んだ拍子にどこかでつけたものだろう。血がゆっくりと垂れていく。

 風見が言っていたのを思い出す。荒田の死体には、首に切り傷ができていたと。あの傷をつけたのは、おれだったのだ。まだ死の運命からは回避できていない。その証拠に、荒田は挑戦的な笑みで立ち上がり、再びおれと真っ正面になる。

「僕は空手と柔道の有段を持っている。いいのか?」

「かまわないよ。お前を助けるためなら、軍人だって相手にする」

 その言葉に、荒田がふいをつかれたのがわかった。殴るのならいまだと思ったが、それよりも早く、風見が口を開いた。

「荒田くん。わたしと賭けをしない?」

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