act.5
タイムリミットの前日は雨だった。テレビは翌日、さらにひどい雨になると告げている。
週明けに風見と衝突してから、ろくに口もきいていなかった。荒田と一緒に歩いている姿を何度かみかけた。さすがにおかしいと思ったのか、桐谷が気にかけてくれていた。
「大丈夫なんでしょうね。荒田くんのこと。救えなかったら、どうなるか」
「わかってるよ」
「夜子も負けず嫌いだけど、あんたもたいがいよね」
今度の桐谷はやさしく、肩に手を置いてきた。
衝突したあのとき、おれは風見に苛立った。さらにこんな状況になっていること自体に苛立った。何よりどうでもいいと無気力になりかけている自分に苛立った。
未来の死体のリミットが近い。荒田には死が迫っている。本当なら、仲互いなどしている場合ではないはずだ。死因さえまともに断定できていない。もたもたしている間に、彼は右目をえぐられ、体を焼かれる。
風見との仲互いが原因でもしも彼を助けだせなかったら、今度こそおれと風見は、永遠に絶交することになるかもしれない。
それ以前に、目の前でひとりの人間が死のうとしている。昔のおれなら、自分には関係がないことだからと、自分には害が及ばないことだからと、切り捨てられたのだろう。いまのおれには、その賢さはもうない。はずだ。そのつもりだ。
放課後。一度だけ荒田と廊下ですれ違った。
「いよいよ明日だ」
笑いをこらえているような声だった。
「ここ一週間、風見さんと行動を共にしたけど、彼女はまだすべて、僕の死因の全容をつかめていないようだ。一応、時間が過ぎるまで学校で待機するという対策を取るみたいだけど、どうなるかわからない。どうやら僕は、思ったよりもピンチらしい」
「ピンチの割には、楽しそうだな」
何も答えずに荒田は去っていった。
家に帰り、店の手伝いをした。何度か携帯を確認するが、連絡はいっさいなかった。夜になってもそのままで、おとなしく寝た。明日はタイムリミットだ。
がしゃがしゃ、と誰かが一階の戸を叩く音で目が覚めた。まだ朝の六時にもなっていない。開店時間を勘違いしてやってきたお年寄りの誰かだろうか。父も母も応答する様子がないので、仕方なくおれが一階に降りた。がしゃがしゃ、とまだ戸をノックしている。しつこい。
「すみませんが、まだ開店時間じゃ……」
開けると、風見が立っていた。
眠気が一気に覚める。彼女は両手に鍋を持っていた。アルミホイルをかぶせていて、なかがわからないようになっている。
「つくってみた」
「……なにを?」
「味噌汁」
「なんでそんなものを」
風見が答えないので、自分で考えることにした。数秒して、なるほど、と先週の会話のことを思い出した。味噌汁をつくって持ってくる。なんて回りくどい和解の方法だろう。さすがは負けず嫌いだった。
「まあ、その、入れよ」
食堂ではなく、その奥の、家に招いた。そういえば風見を食堂の奥まで案内したのは、八年ぶりかもしれない。
食卓に座らせて、風見から預かった鍋を台所の火にかける。アルミホイルを開くと、ちゃんと味噌のにおいがした。
「脳は入っていないから安心して」
「当たり前だ」
椅子に座って待つ風見の姿と、八年前、同じ場所に座っていた小学生のころの彼女の姿が重なった。椅子に深く座れば、ろくに足もつかなかったころの彼女だ。いまだにつま先がようやくついているくらいなのは、少し可笑しかった。
味噌汁が煮立ってくると、部屋中に味噌のにおいが広がっていた。一度振り返ると、母が廊下のほうでかすかに顔をのぞかせて、そのあと姿を消してくれた。
二人分をよそって、テーブルに置く。風見の向かいに座って、「いただきます」と声をあわせた。
「どう凪野くん?」
「まだ飲んでない」
「美味しい?」
「飲んでないって」
「わたし天才?」
「いいから飲ませろよ!」
やり取りをひとつはさんで。
二人で同時に飲んだ。暖かくて、ちゃんと美味しかった。
箸でお椀のなかに沈んだ何かを拾いあげる。大根かなと思っていると、肉だった。
「これはなんだ?」
「カレー用のブロック肉。栄養がつくかなと」
「…………」
「だって、味噌汁だけじゃお腹すくでしょう」
親子丼を好んで食べていることからうすうす察してはいたが、なぜ風見は、基本的に食事を一品だけで完結させたがるのだろう。
風見が口を開いたのは、お互いが飲み終えたときだった。
「今日、荒田くんのタイムリミット」
「知っている」
「でもわたし、まだすべて解明できてない。死体だって消えていないし。死因も、状況も、予測できない。このままじゃ、助けられないかもしれない」
「……ああ」
「それは嫌なの。絶対に嫌だ」
知っている。ぜんぶ知っている。
彼女は負けず嫌いだ。
決めたことはやり通さないと、気がすまない性格だ。
「凪野くんが必要なの」
過去の風見は、何度となく、目の前で助けようと思っていた命を救えずにいたことがあった。だからもうあんな思いはしたくない。もともと風見がおれに助けを求めてきたのは、それが理由だった。
「いろいろからかうようなマネもしました。言葉でも傷つけました。ごめんなさい」
しゃべることができない。違う、傷ついてなどいない、と否定することもできない。
くそ。卑怯だった。
ここまでストレートに言われてしまえば、もう何も言い返せない。
今回のことで一番悔しいのは、風見の策略にまんまとのって嫉妬した自分、にではなく、いまこの瞬間、自分よりも風見のほうが大人に見えたところだ。風見に謝らせた自分が悔しかった。風見は生来の負けず嫌いだ。そんな彼女が謝った。おれとの喧嘩よりも、負けたくないものがあったからだ。それは、未来の死体を救うこと。
「わかったよ。……おれも悪かったよ」
風見は身をのりあげて、おれの次の言葉を待つ。
期待に応えてやるしかない。
「一緒に、荒田を助けよう」
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