act.4-2


 日曜日も変化のない一日だった。なぜか母親に休みをもらった。店の手伝いをしなくてもいいとなると、いよいよおれにはすることがない。

 家をでる。一応携帯を確認するも、メールや着信はなかった。店の裏手にとめていた自転車を引っ張りだして、数か月ぶりのサイクリングにでた。ブレーキをかけるたびに、きいい、と甲高い音があがり、信号で待っている間が恥ずかしかった。

 自転車を走らせて、いつの間にか校門の前についていた。日曜だからか、校門は閉じている。部活動にきている生徒のために、手で開けられるようにはなっている。昇降口へと続く通路を眺めるが、そこに死体は視えない。

「僕にも死体は見えないな」

 背後で声がした。振り返ると、荒田だった。

 横に風見はいなかった。彼は私服でありながら、学生鞄を持っていた。

「これから塾なんだ」

「母親のために、だっけか」

「母さんは『塾に通っている僕』に満足しているからね」

「他人に合わせるのがお前のスタイルか?」

 歩きながら話そう、と荒田がうながしてくる。反対する理由もなかったので、彼の横に並んで自転車を押した。途中で、「僕が押そう」と、荒田が自転車をあずかろうとしてきた。一緒に歩いてくれるかわりに、手をわずらわせないというので、遠慮なく差しだした。

「母さんは学歴で昔苦労したことがあったみたいなんだ。だから自分のようにはさせないためにと、僕にいろいろと指示をしてくる。周囲がやさしそうだと僕に言ってくる。何でもできて優秀なひとだとほめてくる。だからなんとなく、期待に応えなくちゃいけないような気がしてくる。でもそんな自分が、僕は嫌いだよ。とりつくろって、外面をかざって、他人に支配される人生なんてまっぴらだ」

 わかるようで、わからない主張だった。自分の身の安全が保障されるなら、おれはきっと他人の指示にも従うし、迎合だってする。いくらでもとりつくろえるかもしれない。

「だからお前は、風見にあこがれる?」

 荒田はほほえんだ。遠い目つきで、誰かのことを想っているように。

「彼女は自分というものを隠さない。あの大胆さが、正直さが、僕は好きだ」

「正直というよりは横柄なだけだろ」

「正直にも横柄にもなれないひとだっているんだ。だから彼女は素晴らしい」

「どうだかね」

 負けず嫌いで、どんなことをしてでも、自分の目的を達成しようとする。そんなときの風見には、常識や非常識の境界など眼中にない。他人には視えないものが視える風見は、ときとして他人が当たり前に見ているものが、見えなくなる。

「凪野くん、きみは風見さんのことをどう思っている」

「どうって。別になにも」

「きみたちは幼馴染でもあるそうじゃないか」

「一度絶縁してるけどな」

「それでもいまはそばにいる。好きになったのかい?」

「……嫌いじゃないが」

「もっとはっきりとした答えをきかせてくれ」

 荒田が苛立っているのがわかった。何をどう答えるのが正解なのだろう。どうすれば彼は満足するだろうか。そしてどう答えれば、おれは傷つかずにいられるだろうか。

「会ったとき、うれしいかうっとうしいかでいえば、八割がたはうっとうしい」

「だったら代わってくれよ」

 このままずっと、僕が彼女のそばにいてもいい。

 荒田はそういった。笑顔が途切れ、いたって真剣だった。

「きみの代わりに、僕が風見さんをサポートする。うんざりしているんだろう? うっとうしいんだろう? だったら僕と、その立ち位置を代わってくれよ」

 うん、とも、嫌だとも言わない。

 その代わりにおれは、彼の中身に触れる手がかりをつかんだ。

「お前は退屈なんだな」

「そのとおり。僕はずっと退屈だった」

 荒田にとって、風見夜子は非日常の象徴だ。自分を退屈させない、予想外な存在だから、そばにいたいと思う。

 桐谷の言っていた、危うさの正体が少しわかったような気がした。荒田静という完璧に見える人間の欠点の一部を、いま、かいま見た。

 分かれ道になり、ここで解散となった。荒田は満足したように、自転車を走らせて去っていった。おれがいなくても、頭のいい荒田なら風見を支えられるかもしれない。ここ数日の二人を見て、かすかにではあるが、確かに思ったことはあった。

 店の前で母親がはき掃除をしていた。帰ってきたおれを見て、不思議そうな顔をした。またなにか、風見についてゆさぶりでもかけてくるつもりだろうか。

「陽太。あんた、自転車は?」

「………………」

 あの野郎!



 週があけて月曜日。部屋から降りて一階の食堂につくと、風見がカウンターで親子丼を食べていた。朝からこちらの気分が悪くなるほどの量を食べていた。

「決戦が近づいているから、腹ごしらえ」

「荒田はどうした?」

「先に行っていていいというから、ここにきた」

「荒田がいなからここにきたわけか」

「心細さがまぎれるし」

 風見は親子丼をかきこむ。何か言い返そうとしても、風見は食べ続けるので聞く耳をもとうとしない。

 登校の準備をすませて、風見とともに家をでた。いつもより涼しいと思ったら、曇り空だった。

 おれから風見に話しかけようとすると、風見の携帯がなった。普段の調子よりもわずかにやさしい口調だった。荒田だとわかった。

「母親と口論になっているらしいわ。遅れるかもしれないって。心配ね」

「その荒田の死体のことだが、何か新しいことはわかったのか?」

「ひとつだけ」

 間をおいて、風見は言った。

「傷が増えてた」

「増えてた?」

「首元に、切り傷みたいなもの。何だろう。荒田くんに聞いても、心当たりはないみたい」

「あいつは世の中の七割のことを知っていると言っていたぞ」

「残りの三割は何かしら」

「数字に意味はなくて、わからなかったときのための逃げ道だ」

「面白いひとね」

 かすかに風見が笑った。

 風見の様子をみて、息が少し苦しくなった。なんだろうと考えて、もやもやとしてくる。そんな状態に陥っている自分に、さらにいら立つ。

「笑ってる場合じゃないだろ。まだ死体は消えていないんだぞ」

「でも余裕を持つことも大事よ。荒田くんみたいに」

「ならいっそのこと、荒田と組んだらどうだ」

「それもいいかもね」風見が言った。

 一瞬だった。だけどその一言が、決定的なものだった。

 足をとめる。もしかしたら風見の冗談だったのかもしれない。だけどそれが、心に冷静さをつなぎとめていた最後の糸を、断ち切るきっかけとなった。

 気づくと、勝手にしろと吐き捨てていた。異変をさとった風見が、妙によそよそしくなるのがわかった。

「ほらあれ見て、カマキリの卵よ。もうすぐ生まれそう。一緒に見ない?」

 風見が道の端でかがんだすきに、早足で置いていった。

そのすぐあと、背中にものすごい衝撃が襲った。着地した風見をみて、とび蹴りをされたのだとわかった。彼女はおれを置いて走り去っていった。

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