第56話 小さな野望

 バンコクに帰還した俺は、夢に向かって少しずつ歩き始めた。


「やってみたいこと」とは、「東南アジアで暮らす日本人にスポットを当てたルポタージュを書こう!」というアイディアだったのである。


いきなり戦場カメラマンを目指すのは無謀でも、肩肘張らないルポライターやエッセイストならやれる気がする。

そして、「 いつかはフリーランスに!」と、小さな野望が芽生えたのだ。


 俺が題材に取り上げようと考えるのは、マサイ族と一緒にライオンを狩ったり、イスラム国で軍事訓練を受けたなどという破天荒な物語ではない。


誰もが1つや2つは心あたりがありそうな等身大の人間模様である。


そんな俺のニーズにこたえる「ネタの宝庫」がバンコクコールセンターだ。


社内で20名を超える人物にインタビューを行ってみたが、誰ひとりドラマの無い人間はいなかった。


取材を重ねるほど「イケる!」という感覚は膨らんだのである。


     ※     ※


 ルポライターへの道は思わぬところから現実味を帯びてきた。

だが、そのエピソードに移る前にマツジュンの話をしておこう。


 彼女は、お腹にいる赤ちゃんと共に日本へ帰った。ゴーゴーボーイの男は身ごもったマツジュンを捨てて行方をくらませたのである。

あまりにも惨めな顛末だが、妊娠の発覚以来、彼女がきっぱりとドラッグを絶てたことは、強烈な依存症よりも母の本能が勝った証であろう。


これを機に、新たな人生をスタートしてほしいと心から願っている。


「カズさん。赤ちゃんが産まれたら絶対に見に来てよね。私の子供だからメッチャ可愛いと思うよー」


     ※     ※


 ここで、他のメンバーの近況についても触れておこう。


 相棒のナオキは日本の小豆島で働いている。

ネット求人で目をつけた、ホテルの予約受付センターに応募したところ、電話対応経験者ということで即採用になったそうだ。


「コールセンターの仕事はキャリアにならない」と、馬鹿にするヤツ(俺も以前はその一人だった)がいるが、それは全くの誤解である。

大手企業の受付嬢ですら、マトモな電話対応ができるのはごく一部でしかない。研修のレベルは低く、耳障りで間違いだらけの日本語を教育する会社が腐る程あるのが現状だ。


よって、「コールセンターの経験は絶対に役に立つ!」と、ここで断言しよう。


その証拠に、ナオキは派遣先から管理職採用のオファーを受けており、好条件の年俸が提示されたそうだ。


何はともあれ、着実に前進する相棒は「シェムリアップの奇跡」を自分のことのように喜んでいた。そして、今も変わらず、俺を「アニキ」と呼んで慕ってくれている。


「カズさん、さすがっす!よかった。本当によかったっす!」


     ※     ※


 次は同じアパートの住人、トムさんである。

なんと、彼は交際中のMP嬢と結婚を決めたのだという。

エントランスでそれを聞いた時は驚いてしまったが、嫉妬深いタイ人と風俗好きのトムさんが上手くやっていけるのかは甚だ疑問である。


タイでは「夫の浮気の腹いせにペニスを切断!」といった痛々しい事件が頻発する。

トムさんが、アヤカさんとになってしまわないよう祈るばかりだ。


「カズくん。僕をゴーゴーバーに誘ちゃダメだよぉ」


     ※     ※


 ミヤコさんについてはスルーでも良いのだが、それもあんまりなので手短に話そう。


会社クビ。彼氏逃げる。娘を頼って日本帰国。以上。


訪タイから帰国までの流れを見るとマツジュンのパターンに似ているが、なぜだか全く応援する気になれない。


「・・・・・・・(コメント取れず)」


     ※     ※


 オーラスを飾るのはアヤカさんだ。

最近はゲストハウスのお手伝いだけでなく、J.Khmer groupのオフィスでツアーの企画を練ったり、現地人ガイドの研修を行ったりと、充実の毎日を送っている。

また、ボランティア活動にも精力的に取り組んでおり、ゲストハウスの宿泊客から支援を希望をされる場面も増えてきたという。


そんな彼女の知らせを受けるたびに、「俺も負けてはいられない!」と元気を貰うのだった。


「カズさん。本当の私を見つけてくれてありがとね」

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