第48話 カンボジア編 神仏のシンフォニー

 J.Khmer group(うっちーさんの会社)の寮で朝を迎えた俺は、デイバッグに地球の歩き方とタオルを放り込んで街に出た。


 メインストリートのシヴォタ通りには、ショッピングモールやレストラン、ツアー会社にマッサージ屋など様々な店舗が並んでいる。

カンボジアの人々はバンコクに比べて皆穏やかで、タクシーやトゥクトゥクにボッタクられる心配も少ないそうだ。


 俺は途中の屋台でヌンパン(フランスパンのサンドイッチ)を買って、通りを南へと進んだ。カンボジアもラオス同様フランス領だったなごりから、パン食が朝の定番メニューに根付いている。滞在中は、いたるところにあるヌンパン屋台を日替わりで巡るのが朝の楽しみの一つになった。


 H.●.S.シェムリアップ支店を過ぎた先の交差点をパブストリート方面に曲がるとオールドマーケットが見えてきた。市場ではローカル向けの食材や雑貨が所狭しと売られており、東南アジアならではの喧騒が味わえる。


 通りを突き当りまで来ると、アンコール遺跡群まで繋がるシェムリアップ川が流れていた。岸辺に整備された遊歩道は地元民たちの憩いの場になっているようだ。

近くのベンチに腰掛けた俺は、奇声を上げながら川に飛び込む無邪気な子供たちを眺めていた。


(さて、今日は何をしようか・・・)


付近の孤児院を片っ端から当たってみようかとも考えた。だが、不慣れな旅行者が闇雲に歩き回るのは得策ではない。周辺には地雷の撤去が未完全なエリアが多数存在するからだ。


「そうだ。アンコールワットに行ってみよう!」


カンボジア関連のツイートをチェックしていた俺は、ふとそんな気分になった。

シェムリアップを訪れる者の99%は遺跡観光が目的である。世界遺産の玄関口まで来たからには、この機会を逃す手はない。


 うっちーさんの経営する旅行会社でトゥクトゥクを手配してもらった俺は、アンコール遺跡群が集まる広大な敷地内へと入っていった。


 はじめに訪れたアンコールワットは、四方を約1.5キロの塀に囲まれた世界最大級の石造寺院である。

正面で出迎えるナーガ蛇神像(水神)は復元レプリカだが、「邪な心を持つ者を一喝する」との伝説が残る迫力にあふれたアンコール彫刻だ。

入口から本殿まで続く参道の修復には上智大学が携わっているという。歴史的価値の高い仏教遺跡の修復プロジェクトに日本が参加できたことは誇らしい限りだ。


 次に向かったアンコールトムはクメール時代最大の都城だったそうだ。遺跡の中央で頬笑みを湛えるバイヨン(観音菩薩像)は圧倒的な存在感で来訪者を不思議の世界へと誘ってくれる。この像は現在でも何の為に造られたのかはハッキリと解明されていない。

また、少し離れた「癩王らいおうのテラス」は、実際にアンコールトムを訪れた三島由紀夫が戯曲を書いたことで知られている。


 最後に紹介するのは、映画「トゥームレイダー」の撮影で使われたタ・プロームだ。タ・プロームとは「梵天の古老」という意味で、熱心な仏教徒であったジャヤーヴァルマン7世が母を弔うために建てたものとされている。

ガジュマルの巨木が、朽ちた遺跡を今にも飲み込みそうな勢いで覆いかぶさる姿は、悠久の時が作った自然と遺跡のコラボレーションだ。


 以上、これらの3カ所はもちろん見逃すわけにいかないが、まで足を伸ばせば、静かな場所でヨガや座禅も楽しめる。木陰に座ってマリファナでも燻らせれば当時の人々の息吹までもが感じられそうだ。


遺跡と瞑想。これを凌ぐセッティングはそうそうない。


     ※     ※


解き放たれた意識が高い空へと上昇する。


眼下にみえるセピアの遺跡が色彩を帯びはじめる。


蘇る古代人の営み。

王が身につける髪飾り。

山海の幸で賑わう市場。

縱橫に張り巡らされる水路。

溜池に咲く蓮花。


世界の中心。


目くるめく神仏のシンフォニー。


俺は孔雀の群れとともにクメール王国の空を舞い続けた。


     ※     ※


 と、このようなキマり方はLSDやマジックマッシュルームの幻覚作用だ。アップルのスティーブ・ジョブズも多大な影響を受けたというついては自己責任でトライして欲しい。

ちなみに、マリファナはその辺でたむろするバイタクの兄ちゃんから簡単に手に入るが、質はので過度な期待は禁物だ。


 駆け足で主要スポットを巡ったつもりが、街に戻った時には既に日も落ちかけていた。わざわざ寮に帰ってから出直すのも面倒だと感じた俺は、パブストリート沿いのレストランで、アモック(魚や肉をココナッツミルクやハーブで蒸した地元名物のカレー)や生春巻きをつまみにアンコールビールを傾けた。


 食事の後、ほろ酔い気分で街歩きをしてみると、繁華街はフレンチやイタリアンをはじめとする多国籍の飲食店で賑わっていた。変わり種では「喜び組」のショーが評判のピョンヤンレストランなる怪し気な店まで存在する。

また、ひとたび路地裏に入れば、ひっそりと営業するカフェやマニアックな品揃えの古本屋など隠れ家的な店が何件も見つかった。


 バンコクの喧騒に疲れ気味だったメンタルが、コンパクトで奥深いシェムリアップの街に癒やされつつある。


 心地よい酔いに任せて彷徨った俺は、川のほとりで一息ついた。

アートマーケット橋がライトアップされ、昼間とは違うムーディな雰囲気が漂っている。カップルが多いところを見ると、どうやらここは若者たちのデートスポットのようだ。


俺はアヤカさんを想い、しばし夜風に吹かれた。


この日、彼女からの連絡はなかったが今は再会を信じて待つ時であろう。

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