第40話 俺の娘を買わないか?

 朝起きると、俺の身体は驚くほど軽くなっていた。

悪いものをデトックスしきった後のように爽やかな目覚めだ。


「あ、カズさん、おはようっす。体調どうっすか?下からフルーツ持ってきてありますよ」


「おー、ありがと。そんじゃバナナ食ったら出かけてみるかー」


 すっかりいつもの調子に戻った二人が向かったのはプーシーの丘だ。

頂上までは20分ほどの坂道が続くが、登りきった先の展望台からルアンパバーンの街が一望できる。

曲がりくねるメコン川、頭を覗かせる仏塔、緑の山々に囲まれたパノラマは、世界遺産と呼ぶに相応しい眺めだ。


大自然と仏教の調和。


二人は、しばし時間が経つのも忘れて景色に見入った。


 この街での過ごし方のコツは、いかに「緩やかな時間を楽しめるか」に掛かっている。それゆえ、日本型のきちんとスケジュールを組んで効率よく観光地を巡るようなやり方ではすぐに暇を持て余してしまうだろう。

旅慣れた欧州人たちは、木陰のカフェでペイパーバッグを開いたり、宿のハンモックに揺られてビールを呑んだりと上手にバカンスを楽しんでいる。

ヨーロッパでルアンパバーンが特に高い評価を受ける理由は、のんびりと過ごせる環境にあったのだ。


 プーシーの丘を下りた俺たちも、オープンエアーの静かなバーで「何もしない贅沢」を味わった。


     ※     ※


 夕方になると、歩行者天国にかわったメインストリートでナイトマーケットが開かれた。

そろそろお土産を買っておこうと思い立った俺は、少数民族が売る手織物の中からブルーのスカーフを選んだ。


「深い青」はアヤカさんのイメージそのものだ。


旅が終わったら気持ちを伝えよう・・・。そう心に決めていたのだ。


 ナイトマーケットを一通り見終わると、二人はインディゴハウスホテルと隣接する屋台通りに吸い寄せられた。

この一画は、観光客向けのレストランがオープンラッシュを迎えるルアンパバーンにおいて、唯一、東南アジアらしい混沌を残す場所である。


俺は、小汚い路地裏で酒を呑む時間が世界中のどんなアトラクションよりも好きだった。


パクベンで辛酸を嘗めてから「酒は控えよう」と反省したはずが、今夜もビアラオの大瓶はハイペースで空になる。


「最高っすね!」


ところが、大満足の俺たちがそろそろ切り上げようと腰を浮かせた時だった。


サッと近寄ってきた屋台のオヤジがナオキに何かを耳打ちしたのである。


「?!」


「カズさん・・・。俺、このオヤジ、ぶん殴っていいっすか?」


「・・・・・・」


「そこで手伝ってる自分の娘をって・・・」


「マジかよ・・・。腐ってんなぁ。いったいこの国のモラルはどーなってんだ!」

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