第31話 「ダメ。ゼッタイ。」

 あたりに一面に、いたって平和でとする風景が広がっている。


ゴールデン・トライアングルを「危険な香りが漂う街」と、勝手に妄想を膨らませていた俺たちは、すっかり肩透かしを食った。


オピウム博物館や近くの寺にも寄ってみたが、いずれもわざわざ足を運ぶほどの価値はない。「ここに来たぜ!」という感慨に浸るだけのに認定して良いだろう。


「なーんも無いっすね・・・」

憧れが強かったナオキの落胆ぶりは見るも哀れだ。


「そりゃそうだよなぁ。今どき採れたての生アヘンになんてお目にかかれるわけねえか・・・」


ものの10分で飽きた二人は、「ゴールデン・トライアングル」と書かれた看板の前で記念写真を撮ると、早々に観光を終えた。


     ※     ※


 夕方になって、俺たちは明日のチェックアウトを一日延長することにした。

これといった理由はないが、強いて言うならチェンラ-イでタイ語が学べるJATS語学学校で話を聞きたかったからだ。こんな風に、気まぐれで自由に予定を変更できるのが行き当たりばったり旅の醍醐味である。


ところが、日本社会はサラリーマンがフリープランで旅立つことを許してはくれない。長期休暇など申請しようものなら、「君の席はもうないよ」と、冷たくあしらわれるのがオチだろう。これでは、鬱病患者が100万人を突破し、自殺者が年間数万人もでてしまうのも当然だ。


そこで提案だが、死ぬほどの覚悟があるのなら、一か八かすべてを捨てて海外に出てみてはいかがだろうか?大自然の中でマリファナでも燻らせれば、「生きてるだけで丸儲け」と、たちまち肩の荷が下りるはずだ。


「法律を守れないやつはクズ!けしからん!」と目くじらを立てる人もいるだろう。

しかしながら、鬱病やストレスの根本原因は生真面目過ぎるその性格にある。

よって、どれだけ薬を飲もうが治りはしない 。それどころか、毒をまとった生命エネルギーは全身を蝕み、万病を引き起こすのだ。


そもそも人は、気持ちよくなるため、幸せになるために生まれてきたのではないか?


勉強、仕事、結婚、子育て。


趣味にボランティアに宗教。


それらは皆、例外なく、脳内麻薬の分泌を促すための起爆剤に過ぎない。


サピエンス全史の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏いわく、

「永続する幸福感は、セロトニンやドーパミン、オキシトシンからのみ生じるのだ」


一服のマリファナで救われる命がある。


それでもあなたは「ダメ。ゼッタイ。」と言えますか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る