第29話 ロリコンの性地

 翌朝、身軽なデイパックに装いを変えた二人はチェンラーイバスターミナルにやってきた。


 今日はタイ最北端の街、メーサーイから陸路国境を越えてミャンマー側のタチレクに一時入国する。そして、しばらく付近を散策してから再びタイに戻り、その後はいよいよ憧れのゴールデン・トライアングルへと足を踏み入れるのだ。


     ※     ※


 次々とバスに乗り込んでくる女性たちは、頬にと呼ばれる粉を塗っている。彼女たちのおしゃべりに耳をそばだててみると、口から発せられる言葉はタイ語ではないようだ。


車内に満ちる特殊な空気が国境に向かっていることを実感させる。


 途中、国道の検問所に差し掛かったところで、バスは物騒なライフルを肩に掛けるタイ軍兵士たちに止められた。

俺たちは、間近で見る銃の迫力にギョッとするも、赤いパスポートをチラッとかざすだけで簡単にスルーできた。


こんな辺境でも、は絶大な信頼を得ているようだ。


     ※     ※


「これこれ!ピリッとする緊張がたまんないっす!」


バスを降りると国境好きのナオキが嬉しそうに言った。


ところが、二人が訪れたメーサーイ、タチレク国境に特筆すべき点はない。


だが、この「今は」が重要なので理由を説明しよう。


 タチレクは一昔前までとして悪名を馳せた街だ。

全盛期には数えきれないほどの置屋(簡易売春宿)が存在し、なんとそこでは10歳にも満たない児童にまで客を取らせていたそうだ。


アングラな情報がネット上に溢れる時代になると、この付近は児童買春が目当てのロリコン、ペドフィリア野郎ども(多くの日本人を含む)で大賑わいだったという。


アニメの世界で楽しむなら大いに結構だが、現実と区別がつかない精神異常者は然るべき治療を受けるべきだ。

「差別」や「人権」というワードに胡散臭さを感じるタイプの俺も、本件にだけはズバッと物申さなければなるまい。


「児童買春は、この世で最も卑劣な行為である」と。


 タチレク付近の黒歴史を知る俺たちは、複雑な心境でイミグレーションに歩を進めた。


     ※     ※


 国境に架かる短い橋を渡った先は紛れもなくミャンマーだった。

入国した瞬間に30分の時差が生じ、人々の顔つきや服装もタイ人とは異なっている。男性が穿くロンジー(民族衣装の巻きスカート)や、看板に書かれたビルマ文字のデザインは、まさに「アジア最後のフロンティア」に相応しいイメージだ。


とはいえ、食堂でミャンマーカレーを食べ、小汚いローカルマーケットでのマルボロを買うと、早くも俺たちは手持ち無沙汰になった。


「どうします?カズさん」


予想通りと言えば予想通りだが、手数料を払ってまで入国したのに1時間足らずで帰るのももったいない。


「国境でくれたのは一時入国許可証(エントリーパーミット)だからね・・・。あんまり奥地へは行けないんだよな」


 考えあぐねた俺たちが、木陰のベンチでタバコを吸っているとミャンマー人の若者二人組が声をかけてきた。


東南アジアの観光地には、片言の日本語を話すタクシードライバーが高確率で出没する。そして、あわよくばカモってやろうと言葉巧みに近付いてくるのである。


「ミャンマー、ブッダ、ミタイデスカー?スゴク、キレイデスネ」


このような手合は無視するに限る。

しかし、何も収穫がないままタイ側に帰るのも詰まらない。


俺たちは多少のボッタリを覚悟の上で話に乗ってみることにした。


     ※     ※


 カブの後部シートにまたがった二人は、坂道を登ること10分ほどで高台に建つ寺院に連れてこられた。


頂上の展望広場からは先程越えてきたメーサーイ、タチレク国境が一望できる。


「あれっ?なんか意外に良いとこっすね!」


なによりも気に入ったのは、うざったい団体観光客や物売りが居ないところだ。古びたポストカードを売るおばちゃんも商売っ気はゼロである。


タイ人に比べてミャンマー人は控えめな国民性なのかも知れない。


     ※     ※


 駐車場で待つ運転手に国境まで戻るよう伝えた俺たちは、埃っぽい風に吹かれながらタチレクの風景を目に焼き付けた。

 

(こんなとこには、もう二度と来る機会はないだろうな・・・)


だが、自称タクシードライバーの二人は、俺たちをすんなりとさせてはくれなかったのである。


「カズさん!コイツらやけに遠回りしますね。てか、方向違くないっすか?」


「おかしいなぁ。こんな辺鄙な道は通らなかったよなぁ?」


グルリと周囲を見渡すと、あたりはポツポツと民家が点在するだけの農村地帯に入っていた。


「ゴーバック!!ボーダー!」


雲行きが怪しいと感じたナオキが男に怒鳴った。

しかし、必死の訴えも虚しくハンドルを握る彼らは方向を変えようとしない。


「どうしますかー!カズさーん!やっちゃいます?」

気の短い相棒は臨戦態勢だ。


「大丈夫だって!そんなに悪いヤツらじゃないよ!」


「OKっす!ヤバそうだったら殴ってでも逃げましょうねー!」


 二人が大声でやり取りしていると、やがて男たちは田園のど真ん中でエンジンを切った。


 目の前にあるのはトタン屋根のバラックだ。


「チョットマッテー、チョットマッテー」


男たちは俺とナオキをその場に残すと、そそくさと建物の奥に消えていった。


もし仮に危害を加えようと企んでいるのなら、大切なから目を離す筈はない。


「こんなところで何するつもりっすかねー。逆に面白くなってきましたよー」


「アポなし旅番組にありがちな、オラの家で飯食ってけよって展開か?」


「そんで、がっつりメイクのババアが、えぇ~テレビ?なーんつって出てくるんすよね。ぜってー仕込みだろ!って。アッハハハ」


緊張を緩めた俺たちが冗談を言い合っているうちに、男の一人が戻ってきた。


「オーケー、カムイン!カムイン!」


     ※     ※


 ボロい木戸をくぐった先では予想外のが待っていた。


「なんすか、これ?」


半信半疑で進んだ薄暗い部屋の中に5,6人ほどの女の子が並んでいる。

年齢は10代後半くらいに見えるが確かな所は分からない。


「なるほど・・・。女を斡旋して小遣い稼ぎがしたかったんだな」


強引に招待された建物は買春天国のなごりを留めた裏置屋だったのである。


「土産話もできたし帰ろうぜ」


「いやぁ、カズさん、これだから国境はやめられないっす!」 


 バックマージンをもらい損ねた男たちはしょぼくれていたが、その後は悪びれることもなくイミグレまで送り届けてくれた。



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