第21話 悪名高き「金曜会」

 その日の朝は酷い二日酔いに耐えながら、いつもの船着き場に向かった。


料金所のおばちゃんが具合の悪そうな俺を見て「大丈夫?」と声をかけてくる。

大好きな癒やしの時間のはずが、この日ばかりは船が対岸に着くまでの数分が異常に長く感じられたのだ。


 どうにかこうにかC●Tタワーに辿り着いた俺は、M-150(栄養ドリンク)でテンションを上げてから早朝のオフィスに乗り込んだ。


 入社して半年近くが経った今、仕事自体は慣れたものだ。

面倒な案件をのらりくらりとかわしながら、なんとか昼休憩まで漕ぎ着けた。

そして、タイ料理を食べる気になれなかった俺が、菓子パンとヤクルトを持って公園まで足を運ぶと、意外な人物の後ろ姿が目に入った。


(あれ?あのシルエットは・・)


欄干に頬杖を突いてチャオプラヤ川を見つめるのはマツジュンだ。


「おっす!どうよー英語の勉強は?」


「あ、お疲れでーす。カズさんもお昼ですか?」


振り返ったマツジュンの顔をみた途端、俺は言葉を失った。

少し見ない間に驚くほど頬がいたからだ。


「・・・・・。マツジュン、痩せたんじゃない?」


「そう?こっちの料理に飽きちゃって、あんまりご飯食べれてないからかなー」

目の下に濃いクマを作る彼女がぎこちなく微笑んだ。


「そうなんだ。最近は同期で飲み会もやってないけどさ。変わりあった?」


「まぁ。ちょっと・・・」

歯切れの悪い返事だ。


「いつも皆に囲まれてれるマツジュンが一人だから、何かあったのかと思って」


「私だって、そんな時もありますよー。あ、カズさん、心配してくれてるんですか?」


「そりゃ、心配くらいするよ」


「じゃ、ほんのちょっとだけ・・・。話、聞いてもらっていい?」


「OK!力になれるか分かんないけどね」


そう言いながらパンの袋を開けた俺の横で、彼女は信じられない近況を語りだした。


「実は私。彼氏ができたんです。タイ人の・・・」


「えっ!?」


俺は我が耳を疑った。

あれほど「日本人以外は絶対にムリっ!」と主張していたマツジュンが、まさかタイ人の彼氏をつくるとは・・・。


なぜ、こんなに明るくて可愛い子が?


偏見であることは重々承知だ。だが、俺の知る限りタイ人の彼氏をつくるような女は、往々にして不細工で日本では相手にされないメンヘラ気質の変わり者ばかりだった。

SEX依存症、モンスタークレーマー、自傷行為、虚言癖、ヒステリー、アル中、ジャンキーと、例を挙げればきりがない。とにかく印象が悪いのだ。

そんな情緒不安定の彼女たちが、嘘つきで浮気症のタイ人男と上手くいくはずがない。そのほとんどが遅かれ早かれ悲惨な破局を迎えることになる。


「ビックリだよ。どこで出会ったの?」


「えとね・・・。カズさん、うちの会社にあるって知ってる?」


「えっ!それって都市伝説じゃなかったんだ??」


「私も、最初は冗談かと思ったんだけどね。ほら、カズさん覚えてる?同期でゴーゴーバーに遊びに行った夜にアヤカさんが話してたでしょ?」


 マツジュンの口からでた「金曜会」とは、週末の夜にソイ・トワイライト(ゴーゴーボーイ密集エリア)で男遊びをする社内の女子サークルである。

メンバーのビッチたちは、そこでしこまた酒を飲み、卑猥なショーを楽しんだあと、気に入った男をお持ち帰りするのだ。

猛者ともなると、同時に2,3人のイケメンを引き連れて堂々と自分のアパートにタクシーを乗り付けるそうだ。

また、金曜会にはセンターで一番のSVまで名を連ねるというから驚きである。


人目もはばからず、取っ替え引っ替え男を漁っては破廉恥な夜を過ごす日本人女たち・・・。


「男の風俗遊びはどうなのよ?」と指摘されると返す言葉も無いが、さすがに金曜会のはっちゃけぶりは狂っている。


しかし、このようなモンスターを生んだ一つの原因は、日本社会に巣食う甲斐性のない野郎どもだ。恋愛のステージからは早々に降り、女性を求めることより自分の趣味を優先する草食系男子がめずらしくはない昨今の風潮である。

女は、嘘と分かりながらも愛をささやくゴーゴーボーイに惹かれてしまうのだ。


若さゆえの好奇心。マツジュンは軽い気持ちで悪い噂が絶えない金曜会に参加したのである。


「彼氏って、まさかそこで踊ってるゴーゴーボーイ?」


「うん。私もこんなにハマっちゃうとは自分でも信じられないんだけど。でもね、凄くジェントルマンで信頼できる人なの。日本人と付き合うのは今回が初めてだって言うし。彼は絶対に悪い人じゃないよ」


すでにマツジュンは目の前の現実が見えなくなっている。


「それに、彼は日本語がペラペラで、将来は日系企業に就職して私を幸せにするって。ね?超真面目でしょ?」


「・・・・・・・」


キャバクラバイトの経験を持つマツジュンは、多少なりとも男を見る目があると思っていた。しかし、どうやらそれは買いかぶりだったようだ。

彼女は狡猾で淫靡な夜のバンコクに、いともたやすく囚われてしまったのである。


なぜ、そいつは日本語がペラペラなのか?

それこそが、今まで数知れずの日本人を食い物にしてきた証である。


 視線の先をチャオプラヤ・エクスプレスが、水しぶきをたてながら走り過ぎていく。


「せっかく彼氏が出来たのに、あんまりハッピーそうにはみえないけど?」


「それがね、彼のお母さんが重病で手術するお金が足りないんだって。だから、私が何か手助けできないかと思って。毎日のようにお店で指名してあげてるの」


恋はここまで人を盲目するのか?

いくら若いとはいえ、そんな生活が続けば体調を崩すのも無理はない。


あまりの惨状に、どうしたものかと頭を捻っているとマツジュンは更にとんでもないことを言った。


「最近、彼が仲間内で高級車に乗ってないのは俺だけだって悔しがってるの。でもね、今はお母さんの病気もあって大変な時でしょ?それで、可哀想だから私が頭金を貸そうと思って・・・。カズさん、海外送金のやりかたって知ってる?まとまったお金を日本から送ってもうらう予定なんだけど、親になんて説明しようかなぁ」


「・・・・・・」


 かつての俺なら、間違いなく「好きにしろ!」となる場面だ。

だが、なぜかマツジュンに対しては、もう少しお節介を焼いてみる気になった。


「マツジュンさ、たまには日本料理食べたくない?」


「いいねー。私、カツ丼なら何杯でもイケちゃう!」


「じゃあ急なんだけど、明日予定が無かったら伊勢丹にでも行ってみようよ。今ならデパ地下で北海道物産展もやってるみたいだし」


「伊勢丹かー。いこいこ!ちょうど切らしちゃったコスメがあるの。紀伊国屋に寄って進撃の巨人の新刊も買わなきゃ」

そう言って、チラッと腕時計に目をやったマツジュンは、「やばっ、休憩時間過ぎてるし!」と、大急ぎでオフィスに戻っていった。

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