目的の一端を捕まえた。

 差し込んでくる陽光をまぶた越しに感じて、ヴィンセントはゆるりと目を開いた。けだるい眠気が、脳内を占めている。

 いつの間にか眠ってしまったらしい。警戒をゆるめた覚えはないのだが、身体は正直だったようだ。疲れには抗えない。

 くるりと周りを見回せば、グレタの姿が見えないことに気がつく。何処かに出かけたのだろうか。ともかく、側にいないというのはありがたい。ヴィンセントは少しだけ、気が抜けていくのが分かった。

 軽く力を抜いて深呼吸をする。柔らかい朝日とまだ冷たい空気から、今が明け方近いことを知る。葉がまるで蓋のように頭上に生い茂っているため、空を直接見ることはかなわないようだ。

 アー、とカラスの鳴き声がする。自然と、無傷の手が剣の柄に伸びていく。


「ただいまー。起きてるかな」


 ひょこりと、グレタが巣の中に戻ってきた。長い髪を揺らしながら、にこにこの笑顔を伴ってやってくる。――やってくるもなにも、ここは彼女の家だったか。

 彼女の腕の中には淡色をした柔らかそうな果実がたんまりと抱えられていた。


「あ、よかった。おはよ!」

「……うるせえ」

「うるせえじゃなくて、おはようって言われたらおはようでしょ?」

「うるせえ」

「おはよ!」

「…………」

「おはよー!」

「だからうるせえ!」


 思い切り睨み上げてみるが、変わらずにグレタは笑顔を浮かべるばかりで、ヴィンセントに怯む様子はなかった。思わず舌打ちが漏れる。調子が狂ううえ、落ち着かない。

 グレタはヴィンセントの隣に腰掛けると、抱えた果実を差し出してきた。


「お腹すいたでしょ。どーぞ?」


 にこにこと浮かべられる笑顔と果実。それらは確かに魅力的に映ったが、どうにも離れない警戒心のせいで腕を伸ばせない。

 しばらく彼女は黙ってヴィンセントが受け取るのを待っていたが、しびれを切らしたのか、彼の膝の上にひとつ置いた。

「喉も乾いているかなーって思って、水気が多いもの持ってきたんだ。甘くて美味しいよ」

 グレタは変わらず笑顔だ。そこには、悪意や害意といったものは感じ取れない。

 動かず、睨むようにグレタを観察していたヴィンセントは、ついに諦めたように息を吐きだして、膝の上の果実を手に取った。しっかりとした質量と、柔らか果肉の感触を転がしてみる。


「美味しいよ、ほんとに。あまーいの」


 満足そうに笑ったグレタは、フールの前にその果実をひとつ置き、自分も同じようにそれを手の中におさめる。両手で大事そうに抱えてから、そのままかじりついた。どうやら皮のまま食すことができるらしい。

 果実の周りに生えている、産毛のようなものを少し眺めてから、口にしてみる。

 じゅわりと果汁が溢れ、口内に広がった。汁気が多い。グレタが言った通り確かにそれは甘く、喩えるならば微かに主張する花の香りを見つけたときのような芳しい味をしていた。飲みきれなかった果汁が口の端をつたい落ちる。控えめな甘さが、その場に満ちたような気がした。

 二人と一羽は、果実がなくなり満足いくまで食べた。グレタ楽しそうに嬉しそうに笑みを浮かべて、フールはくちばしで器用につつきながら、ヴィンセントは黙々とむさぼるように。


「さて、と」


 全員が食べ終わったタイミングで、グレタが立ち上がり大きく伸びをする。


「おにーさん、傷口洗いに行こうか」


 言うやいなや、彼女はヴィンセントの手を無理やりとって立ち上がらせた。反射的に出た悪態もなんのその、グレタは彼の手をしっかり握って巣を降りて、どこかに向かってずんずんと進んでいく。掴まれた手は傷口がある方で、下手に力を入れて振りほどこうにも痛むのではと思うと、それもできなかった。

 グレタの肩にはいつの間にかフールが乗っていて、彼女に甘えるようにくちばしを擦りつけていた。


「どこいくんだよ離せ」

「離したらおにーさん逃げそうなんだもの」

「ったり前だろ、なんでついてかなきゃなんねえんだ」

「傷口洗いに行くって言ったじゃない」


 なにを言われても気にしない。なにを言っても対応してくる。

 そのグレタの態度が、海の町にいた彼を思い出させて、心の臓が握りつぶされるような痛みを感じる。あそこを思い出させるものは、嫌いだと、意識して舌打ちを吐き出す。

 グレタの案内でたどり着いたのは、開けた場所にある、幅が広い川だった。さらさらと聞こえくる穏やかな水音と、時折そよぐ風が奏でる木の葉のこすれる音だけが満ちる、優しい優しい場所であった。


「綺麗な水だから安心してね」


 笑って、やっとグレタの手が離れる。――そこの水で傷を洗って来いということだろうか。

 下手に逆らうのも面倒くさくなって、ヴィンセントは素直に川べりに近づいて巻かれていた葉を解く。


「あ――?」


 腕にある傷口を見て、思わず不審の声が漏れた。

 確かに昨日、あの夜に、ヴィンセントは狼の邪赤眼に噛まれ、鋭い牙が二本、確実に腕に刺さってくっきり穴が二つ開いたはずだ。現に今だって、じくじくとうずくような痛みを感じている。

 それなのに。

 ヴィンセントの腕には、“傷ひとつ見当たらなかった”。しいて変化を上げるならば、小さな赤い痣のようなものが二つ、傷口があったであろう場所にあるというくらいか。

 決意をした日、喉を突いたときのことを思い出す。あのときは傷ひとつつかなかったが、これも、それと関係があるのだろうか。


「おにーさん洗えたー?」


 後ろからかけられたグレタの声で、目の前の水の流れに意識が戻ってくる。洗うふりだけでもしておくかと、腕を川の中に突っ込めば、ひやりとした温度が伝い上がってきた。


「ここに黒玉があったら、あなたの怪我だって治せるのにね」


 何気なく発せられたグレタの言葉に、耳が反応する。今、彼女は、黒玉、といったか。


「おい、」

「ん?」

「それ、どういうことだ」

「それ?」

「ここに、黒玉があったら、って話だよ」


 ちらりと後ろを振り返ってみる。グレタは、フールと戯れるように適当に歩きまわりながら、周りの景色を楽しんでいるようだった。


「黒玉が司るのは記憶と死。死ぬためには生きていなきゃいけないから、傷を癒やす力があるって言われてるんだよ。実際に見たことないからわかんないけど」


 初めて聞く情報だ。

 お伽話にまつわる話だ。

 どくんと、ヴィンセントの心臓が高鳴る。

 やっと、やっと目的の一端を捕まえた。

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