月光のもとに響き渡った
散りばめられた宝石の夜空の下、ヴィンセントは荒い呼吸を押さえつけるように唇を噛みしめる。眼下に目をやれば、赤い目の狼がうろうろと歩きまわっており、離れる様子はない。じくじくと痛む右腕をかばいながら、彼は熱い息を吐き出した。
狼の邪赤眼から逃げ、たどり着いたのは一本の大樹であった。ヴィンセントはその木に足をかけ手早く登り、狼らの牙や爪が届かない位置まで上がる。右腕に力を込めるたびに傷口が痛み、生暖かいなにかが溢れたが、それらは気にしないようにと意識の外に閉め出した。
腕から流れるヴィンセントの血のにおいに寄ってきているのだろう。心なしか、眼下の狼の数が増えている気がした。この高さでは少々不安だ。もうひとつ上の枝によじ登る。じくりとまた、腕が痛んだ。
枝の上で呼吸を落ち着け空を見上げる。頭上の月は細く尖って刺さりそうだ。動物の牙のように見えなくもない。そこまで想像して、胸の内がなんとなく気持ち悪くなった。
袖をまくり、右腕の傷を確認する。二つのどす黒い穴がぽっかりと開いているのを見ることができた。すぐに手当をすればまだ使えるのだろうが、なにぶん用意がない。とりあえず失血による貧血にならないように肩の付け根辺りをロープできつく縛る。詳しい対処かどうかは知らないが、とりあえずこれでいいだろう。わずかにくらむ視界にいらだちつつ、気持ちを落ち着けさせる。肉が噛み切られる前でよかったと思うべきか、噛まれないと気が付かなかった油断を戒めるべきか。
「両方だよ、アホが」
腕の肉を持って行かれなくてよかった。早く適切な処置をすればまだ剣を持てるだろう。が、もし同じ状況になったら次はないだろう。
これからどうするか。ぼんやりとヴィンセントは考える。恐らく今夜はもう動けまい。下の狼たちは赤い目を爛々と輝かせこちらをうかがうように見上げてくるので、弱って木から落ちたところを食らおうと考えているらしい。
「誰が落ちるかよ、ばーか」
罵りも虚しく落ちていく。彼の語調に覇気が感じられないのは、気のせいではないだろう。右腕は、じくじくと熱と痛みを主張してうざったい。いっそのこと切り落としてやろうかと思うほどだ。もう一度ロープをきつく結び直して、息をつく。夜が明けるまで、あとどれくらいあるのだろうか。空に浮かぶ月は、まだ明るい。
ばさりと、なにかが羽ばたく音がした。下がっていた目線を前に向ければ、ヴィンセントが座っている枝に止まっている、一羽のカラスを見つける。そのカラスの羽には布がきっちりと巻かれ、まるで手当を施されたようだ。
森の入口で見つけた怪我を負ったカラスだと、ヴィンセントはすぐに気がついた。丁度羽が濡れていた場所に布が巻かれている。
「なんだ、よかったじゃん」
少しだけ、安心したような気がした。ずっとどこかで引っかかっていたのだ。怪我をしたままではどうしようかと気になっていた。
そこではたと気づく。一体誰が、このカラスの手当をしたのか。すーっと、背筋が冷えていくような気がした。
カラスは森の方に飛んでいった。近くに人影はなかったし、あの村の者は森を恐れ一切近づこうとしなかった。
つまり、だ。カラスの手当をしたものはこの森の中にいて、布を巻き手当ができるほどの知能を持つなにか、ということになる。
「人型の邪赤眼か……っ」
ずきん。右腕が痛みを持って主張した。
人型の邪赤眼がいるかもしれない。また、海の町のときのように、なにか起こるかもしれない。不安と緊張がせり上がり、吐き気に襲われる。左手で口元を抑えて、きつく唇を噛んだ。心が揺れる。恐怖で、揺れる。
「フール! どこ行ったのー?」
突然聞こえた少女の声は高く、月光のもとに響き渡った。
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