足元に転がる剣を、握った

 太陽は空を赤く染め上げ、海の中に沈み込もうとしている。空はまるで燃えるようで、巨大な炎の渦を連想させた。

 そんな中、海の町の広場からは、カーンカーンと高い金属音が響き渡る。金属音の合間に時々挟まれる歌声は、なにか、物語の調べにも聞こえた。どうやらその広場で、剣舞の練習が行われているらしい。

 二振りの剣を持って大きく舞い踊っているのはヴィンセント。金の髪がふわりと舞って、ともすれば彼の剣が髪を切り落としてしまいそうだ。それと対峙しているのは、がっしりとした体格の屈強そうな男性で、大ぶりの剣を一振り、片手で掴み構えている。二人を取り囲むように幾人かの人が楽器を持って並んでおり、二人の剣舞に合わせて演奏をしていた。否、二人が音楽に合わせて動いているのだが、なめらかなその動きは、どちらがどちらに合わせているのか検討がつかない。

 ヴィンセントは一度大きく飛び上がり、大剣の一太刀を避ける。そして堂々と両足で立つと、朗々と声を出し、歌い出した。それは、朝、この広場で女性が幼子に語り聞かせていた勇者のセリフそのものであった。

 不意に音楽が止む。それに合わせて、中心にいた二人の動きも止まった。


「ヴィンス、何度言えば分かる。最後の音が半音高い!」


 楽団の方から投げられた言葉に、ヴィンセントの眉間の皺は深くなる。そんなこと、彼自身わかっている、理解している。ただ動きまわり飛び跳ねたあとに声を出さねばならないのだ。喉が揺らぐのも、仕方ない。――そしてそれすらも、言い訳だと理解していた。

 癖で舌打ちをしそうになり、ヴィンセントは苦々しげに顔を歪める。それを見た相手役の男性が、豪快に笑った。


「まあまあ、気になさんな。これから嫌でも舞うことになる。数こなしゃ慣れるさ」


 その言葉が言い終わると同時に、男性は盛大に、力強く、ヴィンセントの背中を叩いた。


「やめろ、おい。剣持ったままだろ。刺さったらどうすんだ、コラ」


 眼力で人を殺せるんじゃないかと思うほど、きつく鋭い視線を男性に向けるヴィンセントだが、相手は気にした様子もない。軽い調子で悪かったと謝るのみだ。今度は耐え切れず、舌打ちが漏れた。




 ただ今ヴィンセントは、明日の成人式で行われる剣舞の練習の最中だった。

 勇者と邪王の戦いの舞。

 それは、町の中で剣の腕を認められたということでもあった。成人して、それでも演舞の役に選ばれることは稀であろう。剣技と体力、そして相手と呼吸を合わせなければ真剣によって命をなくす。実際、前勇者役は、邪王役の不手際により片腕をなくしている。生きているだけ、マシというものだった。

 片腕をなくしては剣舞などできやしない。その後釜にすえられたのが、当時十六歳のヴィンセントであった。

 この町では九歳のときに行われる断髪式を済ませると、半人前の大人として、たくさんの人から様々なことを学ぶようになる。それは文字であったり料理であったり、漁であったり狩りであったり。剣術もそのうちのひとつで、ヴィンセントはそこで、類まれなる才能を見せつけた。大の大人が、断髪式を済ませたばかりの少年に、武器を取られたのだ。もちろん相手が弱かったということはない。ヴィンセントが圧倒的強さを発揮したわけでもない。ただ、自然と、武器を取られた。それだけのことだった。

 大人に勝てたという事実が、よほど嬉しかったのであろう。ヴィンセントはそれから毎日のように木刀を握った。手の皮が硬くなり豆ができ、それが潰れて血が出ても木刀を握り続けた。

 そのおかげで(そのせいで、という方が正しいか)十六歳という異例の若さで剣舞の役をもらう結果となったのだ。

 もちろん嫌、ということはない。むしろ誇らしいとヴィンセントは思っている。自分の剣の才を、周りに認められたという、わかりやすい指針になっているから。だが、しかし。


「歌は勘弁してくれ、マジで」


 誰にともなく、ヴィンセントは呟いた。

 現在彼は広場の端っこ、建物の軒先の下にしゃがみこんで休憩をしている。春先だというのに、うっすらとかいた汗をそのままに、足を投げ出すようにしてしゃがんでいる。傍らには二振りの剣。先程まで剣舞で振り回していたものだった。

 いくら剣の才に恵まれていようが、ヴィンセントはまだまだ子供なのである。大人と比べれば、体力に差が出てくる。現に今、目の前にいる邪王役の男性は、大剣を振り回して動きの確認をしていた。歌の途中で彼の声がひっくり返ったり音を外したりするのは、ひとえに基礎体力のせいであろうことを、ヴィンセントは薄々気がついていた。


「よ、伸びてんな」


 言葉と同時にひやりとしたものが首筋に当てられ、背筋が泡立つのをヴィンセントは感じた。声の方向に顔を向ければ、笑った顔でこちらを見ている、あの青年がいた。朝、海岸で、ヴィンセントの髪を思い切り踏みつけていった青年だ。


「なにすんだ、こんにゃろ」

「動いて暑かったろ。水に晒してきたんだ。使えよ」


 ぐりぐりと首筋に当てられている冷たいそれは、手拭いかなにかなのだろうと当たりをつけて、受け取る。その後目の前で広げてみれば、確かに見ずに濡れて重くなった手拭いだった。自分の予想が当たり、僅かにヴィンセントの口元が緩む。


「しっかし、相変わらずの腕だよな。どう? 髪を切ったら自警団、とかさ」


 演舞には寸止めや踏み込み、突きや派手に斬りこむこともある。その動き故に剣術の腕が必要なのだ。

 どうやら青年はどこからか演舞の練習の様子を見ていたらしい。邪王と勇者の、剣の舞を。サボるなと釘を差すほどだから、おそらく監視にでもきたのだろう。

 冷えた手拭いで浮上したヴィンセントの気持ちは、青年の言葉で叩き落された。耐え切れず、舌打ちが漏れる。


「人殺しの腕をほめられたって、嬉しくねぇよ」

「まあまあ、そう言わずに」


 へらへらと笑い続ける青年を見て、自然とまた、舌打ちが出る。必死に剣術を研いだヴィンセントが言えることではないのだろうが、剣を握るものを誉めそやすこの町の風習は、どうにかならないものだろうか。剣舞ほど、綺麗に戦うわけではないことは、ヴィンセントでも……子供でも想像がつくというのに、他の大人は考えることもしないのだろうか。

 楽団の誰かが、練習を再開させると叫ぶ。それを聞いて青年は「頑張れよ」とヴィンセントの肩を叩き、手拭いを回収して何処かに消えた。ため息とともに立ち上がるヴィンセント。


「勇者はわかるけど、邪王が剣握って戦うって、どうなんだか」


 呆れたようなその声は風によって掻き消える。

 空はもう、薄い紫が多くなっている。日が暮れる。今日がもうすぐ終わるのだ。

 明日の成人式は――剣舞は、うまくいくのだろうか。不安と少しの高揚感とともに、足元に転がる剣を、握った。

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