一話 自分との約束

「桜の成人式か」

「そうして、勇者とその一行は邪王が住まう部屋へと、足を踏み入れたのです」


 女性は穏やかな表情で、話し続ける。椅子に座った女性を取り囲むように座る子どもたち。三才……多く見積もっても六才まではいかないであろう、幼い子供ばかりが八人。子どもたちはみな一様に物語を語っている女性を、食い入るように見つめ、耳を傾けていた。


「部屋の中はとても暗く、壁にたてられている松明とシャンデリアだけではその部屋全てを見ることはかないません」


 子どもたちの視線に応えるように女性は物語を紡いでいく。

 その様を、その人の群れを、遠く離れたところから見ている一人の青年がいた。

 名を、ヴィンセント・ノルマーという。太陽の光を染み込ませたような金の髪に、晴れ渡った青空を映しこんだような瞳。目鼻立ちは整っており、ひとたび笑えば大多数の女性が心の一端を掴まれることは、まず間違いないだろう。だが彼はもちろん笑っていない。それどころか不機嫌そうに眉間の間にシワをつくり、広場に集まる子供らを見ていた。


「――アホらし」


 言葉とともにため息ひとつ。ヴィンセントの眉間のシワは深くなる一方で、まるで睨みつけるように人の群れを見ている。

 物語は佳境に差し掛かったようで、女性は声高にセリフを放った。


「私がこの程度で倒れると思うな。ただ、私の野望が達成されるその日が、少しばかり遠くなっただけだ!何十年――いや、何千年経ったとしても必ず私は、私の悲願を叶えてみせる! ……そうして邪王は無事、勇者一行によって倒されました。しかし、安心はできません。何故ならば邪王は時間がかかっても必ず、宣言通りに復活するでしょうから」

「そ、そうしたらどうなっちゃうの……?」


 一人の少女が、不安げに声を上げる。ほんのりと、涙声だ。少女の言葉に便乗するように、たくさんの小さな目が女性のことを見つめた。

 女性は一層柔らかい笑みを浮かべ「みんな、安心して」と。言い聞かせるように、落ち着かせるように。幼子の頭を撫でるようなその声は、風に乗って、ヴィンセントの耳にも届く。


「このお話はずっと昔のことだけれども、勇者様の魂も、この世界にずっといるのよ。邪王がまた、世界を滅ぼそうと立ち上がったとき、勇者様も必ず現れてくださる。そうして、必ず私たちを守ってくださるわ」


 ほっと安心したように息を吐きだす少女。

 興奮したように頬を染め、拳を握りこむ少年。

 それらの子供の反応を見て、金髪の青年はまた呟いた。


「くだらない」


 子供らにせがまれるがまま女性は、また別の物語を口にする。昔々あるところに。そんなお決まりのセリフが、広場に背を向けたヴィンセントのことを追いかけてくるようだった。

 広場から離れ、街のはずれに向かって足を進めていく。石畳に響く、ヴィンセントの足音。太陽はまだ空の低い場所にある。街の広場で行われていたあれは、朝の短い時間だけ。子どもたちはその話を聞くために、早起きして物語を聞きに向かう。

 ヴィンセントも、この街のくくりではまだ子供だ。成人間際ではあるが、まだまだ、子供。

 改めて年齢のことを考えていらだったのか、彼の口から舌打ちが漏れた。


「おい、ヴィンス。態度悪いぞ」

「うるせぇよ。そんなの今更だろ」


 たまたま通りがかった近所に住む青年が笑いながら注意するが、ヴィンセントは気にした様子もない。それよか、うざったいと目で語るように、その青年のことを睨んだ。

 まだなにか声をかけてきている青年を無視し、ヴィンセントは海岸へと向かう。




 ここは、海の町。大きく広い海岸がある、海の町だ。港と、民家と、それから畑。穏やかで和やかな空気が常に流れる、自然豊かな町である。

 ――そう言えば聞こえはいいが、ヴィンセントはこの町をただの田舎としてしか認識していない。子供の数は少なく、先程女性の話を聞いていた八人と、まだ一人で歩けない赤子が数人。成人前のヴィンセント一人。大体の住人の名前と顔も、ぱっと出てくるほどだ。これを田舎と言わずになんという。

 さくり、と足音が変わったことに気づき、思考の海からヴィンセントの意識は戻ってくる。

 目の前に広がるのは白く汚れなき砂浜と、手を伸ばせば触れられるのではと錯覚してしまう青い空。空の色を映し、寄せては返す波がきらめく海。遠くの方には、漁に出ているらしい船が見える。


「本当に、なにもない」


 つぶやき、ヴィンセントは砂浜に腰を下ろした。

 なにもない。だけど、嫌いじゃない。ひとつひとつ、そこにあるものを手にとって利用する。自分たちで考え、改善し進んでいく。この町の、そんな空気が、ヴィンセントは嫌いではなかった。

 手のひらに吸い付く砂粒の感触を楽しみながら、そっと目を閉じる。視界から、全てのものが消える瞬間が、ヴィンセントは好きだった。

 風が吹く。長い長い、彼の金の髪がなびく。男の長い髪――それはすなわち未成人の証であり、彼自身はあまり好いてはいない。最後に切ったのはいつだったか。風に煽られ手の甲をくすぐる自身の髪を感じながら、思い出す。確か、九才を過ぎた辺だっただろうか。大人までの折り返し地点ということで、一度切ったはずだ。ヴィンセントの髪は三つ編みをしても、腿までくるほどの長さがあった。成人式のときにバッサリ切られるのだという。頭が大分軽くなるのだろう。

 ひときわ強い風が吹き、彼の髪と、砂とが巻き上がる。暴れる前髪を押さえつけ、ヴィンセントはゆっくりと目を開けた。と、最初に写ったのは、青空の中を舞う、小さな薄桃色の花弁。


「桜……?」


 そう言えば、この近くに桜の木が何本か植わっていたことを思い出す。久しぶりの成人式ということもあり、きっと式当日は花の下で酔っ払うだらしない大人を大量に見ることが出来るだろう。

 風がやみ、はらはらと花弁が落ちてきた。落ちた花弁は静かに水面に落ちると、小さな波紋を生み出し、波にさらわれ沈んでいく。一連のそれを見て、ヴィンセントはまた、目を閉じようとした。が、何処からか名前を呼ばれたような気がして、僅かに首を傾げる。


「おーい、ヴィンス!」


 先程すれ違った近所の青年か。ヴィンセントはそう、結論付けた。ならば無視しても構わないだろう。そう思い、ゆっくりとまぶたを閉じる。


「ヴィンス、そこにいるんだろ。返事ぐらいしろよ」


 さくさくと近づいてくる足音と気配。分かっていても尚、彼は目を開けようとしない。波の音に耳を澄ましているようだ。青年は呆れたようにため息をつくと、砂浜に投げ出されているヴィンセントの金の髪を思い切り踏みつけた。


「いてぇ!」

「わかってて無視するんじゃないって、何度言えば分かるんだ? ん?」


 踏まれた瞬間、数本の髪が抜ける音を、ヴィンセントは確かに聞いた。抗議の声を幾度も上げるが、青年は聞き入れる気がないらしい。砂の中に埋めるように、未だに髪をグリグリと踏んでいる。

「伝えることがあってきたんだ、心して聞けよ」

 ざぶんと大きな波がやってきた。飛沫が二人の顔にかかる。


「成人式は明日やることになった。どうせお前しかいないしな、参加者。ヴィンスの誕生日に合わせようってことになった」

「分かった、分かったから足どけろ!」

「剣舞の練習もこのあと、昼過ぎあたりからやるからな。最後の練習だし、サボるなよ」


 伝えるべきことを全て言い終わったのだろう。青年はやっと髪から足を上げた。美しく輝いていた金の髪は今や砂粒にまみれ、編み込まれた髪の間に青年の靴についていたであろう草が挟まっていた。ヴィンセントは元々深かった眉間の皺を更に深め、憎々しげに舌打ちをする。それを聞いて青年は笑いながら、町の方へと戻っていった。


「ふざけんなし。くっそ、ちょーいてぇ」


 踏まれていた毛先を持ち上げ、ついた砂と挟まった草をはたき落とす。ある程度とれたところで、ヴィンセントはまた、髪を砂浜へ投げ出した。砂をはたき落とした意味が殆ど無いのだが、彼は気にしていないらしい。


「桜の成人式か……悪くないな」


 淡い桃色の中、式典が行われる。明日のことを想像してか、ふっとヴィンセントの口元に笑みが浮かんだ。

 彼はまたゆっくりと目を閉じて、波の音と風の流れの中に、感覚を投じた。

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